告白
サイラスのテントから近い路地に入り、移動する。
人通りの多い道に入っても、地味なマントにフードをかぶっているので行き交う人々がふたりを気にする様子はない。
エドワードについてしばらく歩くと、亜里沙たちが普段は使わない門が見えてきた。
そして、エドワードは躊躇いなく門へと向かった。
亜里沙が驚いて足を止めると、エドワードはすぐに気づいて振り返る。
亜里沙のそばに戻ったエドワードが再び手を差し出した。
「大丈夫だ」
エドワードの手を握ると安心した。
だがこのマントは袖がないタイプなので、このまま握っていてはマントの隙間からワンピースが見えかねない。
手を離した亜里沙はエドワードを見て頷いた。
門をくぐると、見たことのある顔の旅人がいた。
近づくとそれが騎士であることが分かる。
騎士が、連れていた二頭のうち少し大きめの茶色の馬の手綱をエドワードに渡す。
そして亜里沙に会釈した。
「近くまで同行します」
どこに向かうのかはまだ知らないが、亜里沙が会釈を返すと騎士は馬に跨った。
エドワードに抱えてもらって何とか馬に横乗りになる。
後ろにエドワードが跨って、亜里沙を抱きかかえるように手綱を握った。
亜里沙は空を見上げた。
綺麗な快晴だが、日の位置からもうそろそろ夕刻が迫る頃だろう。
「どこに行く、んですか?」
「景色が良い場所だ」
エドワードの笑みも声色もどこか楽しそうで、亜里沙はそれだけで胸がいっぱいになった。
都市を離れた道に入ると馬は速度を増した。
農家が集まり働く人々が行き交う平和な風景が、流れるように過ぎていく。
この瞬間に何故か亜里沙は、このまま時が止まってしまえばいいと願いそうになった。
しばらく走っていると、森の中を通る道に入った。
すぐ近くにナイグラードを囲う壁が見える。
(あれ? もしかしてこの道は)
亜里沙の予想通り、その道はマクベルド邸の奥から街を出た道と合流した。
ラティファが教えてくれた、例の大きな橋に続く道だ。
日が傾いて鮮やかな色に染まる。
目の前に思っていたより大きな石造りの橋が見えてきた。両端の彫刻と装飾がまるで城の一角のようだ。
騎士が橋の手前で速度を落とすのが見えた。
橋の上から見える景色は確かに名所と言われるだけのことはあった。
いずれ海に通じる、そのものが海のように広い川の上にある橋。崖は思ったより高さがあり、普段生活している地がそこまで高い場所にあったのだと亜里沙は目を丸くした。
エドワードの手を借りて馬を降りると、エドワードは馬の手綱を橋の装飾の一部に繋ぐ。この時間だからなのか、他に通行人はいないようだ。
そしてふたりはそこから少し歩いた。
エドワードが立ち止まるのを見て、亜里沙は高欄に寄って見渡した。
大地の向こうに隠れようとしている日が、その空に茜と黄金のグラデーションを作る景色が、ここからだとより美しく見える。
「綺麗だね……」
「気に入ったか?」
「うん」
そして亜里沙はハッとして隣のエドワードを振り向いた。
「あ、ごめんなさい……気に入りました」
エドワードは優しい表情で亜里沙を見つめる。
「ふたりのときは楽な言葉で構わない。名前も、ただエドワードと呼んでくれないか」
「うん、分かった……エドワード」
噛み締めるように口にすると、エドワードの顔にはにかむような笑みが浮かぶ。
亜里沙も照れ臭くなって、何を思ったか首にかけた巾着を取り出してそれを見せた。
「ほらこれ。貰ったブローチを入れてるの」
巾着の中をエドワードに見せる。
ソルサニアのブローチを見たエドワードは一瞬嬉しそうにしたが、すぐに申し訳なさそうに眉を下げた。
「あ……アリサ、すまない、僕は」
「どうせ贈ったのをつけられないって言うんでしょ」
気を遣わせないために、茶化すように怒るふりをしたが、落ち込んだような顔を見て悪手だったかと後悔した。
「すまない……誰の目にも触れない所にしまってあるんだ」
亜里沙は慌てた。
「い、一日に一時間くらい眺めてくれたら許してあげる」
何を言い出すんだと自分でも思ったが、エドワードは目を丸くして亜里沙を見た。
「そんなことでいいのか?」
「あ……いや、冗談……」
だが、エドワードは優しく微笑む。
「ああ、そうしよう」
とうとう亜里沙の方がばつの悪さで言葉を失った。
そんな亜里沙をしばらく見つめた後、エドワードが口を開いた。
「アリサに言っていないことがあった」
自然と向き合って見つめ合う。
すると、エドワードの顔がほんの少し緊張したのが分かった。
「好きだ、アリサ」
こんな景色の中で改まって話があるなんて、橋に入った瞬間どこかで予想していた。だが亜里沙の心臓は、それでもひっくり返るような音を立てた。
亜里沙がただ見つめていたからか、エドワードは申し訳なさそうな声色で静かに言った。
「僕はいつも言うべきことが遅くなってしまう」
ハッとした亜里沙が答えようと口を開きかけたとき。
「好きだ」
もう一度エドワードは言った。
心臓が暴れ出して目眩を感じる。
亜里沙はもう赤面していても構わず、笑みを浮かべる。
「うん。私も好き。大好き」
視界がほんの少し揺らいで、自分の目に涙が滲んでいることに気づいた。
エドワードが嬉しそうに微笑んで亜里沙の左手を取る。
亜里沙もエドワードの手を握り返した。
そのままいっとき見つめ合った。
微笑みが浮かんでいるのに、エドワードの目が、何故か悲しげに細められる。
「誰かを好きになったのは初めてだ。こんなに幸せなことだったんだな」
その目は潤んで見える。亜里沙は引き寄せられるように、エドワードのそばに寄った。
亜里沙の行動を受け入れたエドワードの眼差しはどこまでも優しい。だがやはり、その中に悲しみが見え隠れする。
気づけばエドワードの代わりに泣くかのように、亜里沙の目から涙が溢れた。
「アリサ……」
弱々しく名を口にして、エドワードの左手の指が亜里沙の涙を優しく拭う。
エドワードに心配をかけたくないのに、涙はとめどなく流れた。
亜里沙とエドワードはどちらからともなく自然と抱き合った。
エドワードの掠れた声が耳元で囁く。
「お前だけだ、アリサ。僕がこうして触れるのは」
亜里沙はエドワードの背中をついきつく掴んだ。
(嘘つき……贈ったペンダントもつけられないくせに)
怒りなのか悲しみなのか分からない。
エドワードが好きでたまらないし、抱きしめられて幸せなのに。
エドワードが囁いたのは、言わなければいい言葉だった。どうせ亜里沙は帰るのだから。
エドワードに婚約者がいることなど、いずれ結婚することなど、お互い目を瞑って、なかったことにして。目を背けていればいいのだから。
「じゃあルージェン様じゃなくて私と結婚してよ……」
呟いてしまってから、亜里沙は青ざめた。
エドワードがそっと離れ、亜里沙を見つめる。
呆れられたかと思ったが、その眼差しには相変わらず、亜里沙への想いと悲しみが混ざり合うようにあった。
「……アリサには元の世界に帰って欲しい」
それは間違いなく亜里沙を思っての言葉だった。
エドワードが亜里沙の左手を持ち上げて唇を寄せる。その感触は薬指に触れた。
唐突に亜里沙は気がついた。
左手の薬指。
ライアンやメイブのその指にも誓いの証がはまっているのを、視界の端に捉えていたことを思い出す。
この世界のそれも、左手の薬指だったのだ。
「そばにはいられないが……僕の心はアリサに捧げる」
嬉しさと共に、どろどろとした感情が湧き起こる。
嬉しいはずなのに、そんなのは意味がない、と叫びそうになった。
綺麗事だと罵りそうになって唇を噛み締める。
ただの怒りとも違うこれは、なんなのだろう。
自分の中にこんな感情があったなんて、亜里沙は微塵も知らなかった。
残ってくれと、言ってくれたら。しかし、亜里沙の中にその選択肢はない。
相反する想いで亜里沙は気分が悪くなり頭をエドワードの胸に預けた。
何かを感じ取っているのか、亜里沙を抱きしめたエドワードは、優しく背を撫でてくれる。
亜里沙は気づけば再びエドワードの背に腕を回していた。
亜里沙とエドワードはしばらく、ただそうして抱きしめ合った。
「もう日が暮れてしまう」
名残惜しく呟かれた言葉で亜里沙はエドワードから離れた。
だが、エドワードは感情があふれたように、亜里沙を強く抱き寄せる。
少し苦しく感じるほどの抱擁だった。
「……本当は今日、マクベルドに相談しようと思っていた」
「え?」
エドワードは亜里沙の顔が見えるように少し離れると、ばつが悪そうな表情を浮かべる。
「アリサの滞在先を、王城に移せないかと」
「……あ」
それで、約束も事前の知らせもなくやって来たのか。その衝動的な行動は彼らしくない。それでも嬉しかった。
だがそれについてはもうロナンと約束してしまっている。
亜里沙はエドワードを悲しませたくなかったが、そのことを話した。
「ロナンと約束したの。私、帰るまではあの屋敷にいることにする」
エドワードは眉を顰めたが、少しして頷いた。
「分かった。アリサの意思を尊重しよう」
エドワードが図書館で、もう遠慮はしないと言っていたことを思い出す。
今思えばあれは亜里沙への想いを認めて、我慢しないということだったのだろう。
だが現実は立場のせいでがんじがらめだ。
そして亜里沙に対しても、エドワードは実際はこうして亜里沙のために我慢してくれる。
どうしようもなく愛おしく感じた亜里沙は、ほんの少し背伸びをするとエドワードの頬にキスをした。
自分が衝動的にした行いに自分自身で驚いて強い羞恥に襲われる。エドワードの反応が気になって見上げると、エドワードは頬を染め、優しく微笑んで亜里沙を見つめていた。
エドワードの顔が近づいて目を閉じる。
額に唇が触れ、目を開けると目尻の近くにキスが降ってきた。
驚いて再び目を閉じる。そして、唇に軽く触れるだけのキスがあった。
何度かそれを受け入れて、最後に少しだけ長いキスをした。
「また一緒にここに来てくれるか? 今度は朝日を見よう」
亜里沙は再び流れそうになる涙を堪えて、笑顔で頷いた。
橋のそばで馬を宥めていた騎士と合流し、来た道を引き返す。
美しかった茜と黄金を追いやるように、夜の暗さが迫っていた。
心配だったが問題なく門を通り抜け、路地を抜けてサイラスのテントを目指す。
もう辺りの視界が悪くなってきている。亜里沙はエドワードに手を引かれたまま歩いた。
手を繋いだ時、亜里沙は自分から指を絡めた。そうするとエドワードの指先にほんの少し力がこもって、そんな小さなことでも亜里沙は幸せだった。
サイラスのテントに裏から入る。テントの中は心細い灯りのみで、仄暗い。
テントにいたのは亜里沙に扮した女性と、ソフィーとイザベラだった。
エドワードに扮していた男性は亜里沙と別れたように装って、エンリクを伴って去ったらしい。
「大丈夫なの?」
「護衛が外に残っているから心配するな」
些細なことをきっかけに見つめ合ってしまう亜里沙とエドワードに、サイラスが軽く咳払いをする。
「何度か伯爵の護衛が様子を見にきて大変でしたよ」
サイラスの様子はまだどことなくぎこちない。
エドワードはその言葉に頷いた。
「ありがとう……苦労をかけたな。この借りは必ず返す」
サイラスは、いえ、と呟いてテントの中を片付け始めた。
亜里沙が女性とマントを取り替えると、女性はテントの裏からそっと出て行った。
エドワードは平民のマントのまま、フードを目深にかぶり直す。
亜里沙たちは表の入り口から出た。
出る間際に振り向く。笑みを見せて小さく手を上げるサイラスに、亜里沙は会釈した。
ここまでの大事になるなんて、少し大袈裟だったのではと亜里沙は思ったが、エドワードの立場に加え、ロナンとの関係性を考えれば必要なことだったのかもしれない。
広場では再びラティファがステージで踊っていた。
幻想的な灯りに彩られ、今までで一番の賑わいを見せて、祭りが終わろうとしている。
亜里沙はソフィーに言って小さな飴の瓶が入った巾着を渡してもらう。
だがイザベラが周囲を見て亜里沙に耳打ちした。
「アリサ様、もうお帰りになった方がよろしいかと思います。護衛が疑っていますので」
「あ……そっか」
残念な気持ちでエドワードを見る。
「屋敷の前まで送る。行こう」
そう言われては、これ以上食い下がることはできなかった。
広場から離れるにつれ、辺りに静けさと闇が広がる。
亜里沙とエドワードは並んで歩くも護衛がいるので、言葉も交わさないし少し距離もある。
本当なら広場で別れるべきだったので、一緒にいられるだけで十分なのだが。
それでも寂しさを感じつつ、亜里沙は石畳を歩いた。
ラティファたち芸人が宿泊する宿に近づいた時。
この暗闇の中ではっきりと浮かび上がる影。
亜里沙は、遠目にでも分かるその影に心臓が凍りついた。
輝くような白髪に黒のマント。
「キーラン……」
呟くと、こんなに距離があるのにキーランは亜里沙を振り向いた。




