デート
「アリサ! あたしの踊りを見に来てくれたの?」
広場に入ると、明るい声がかかった。
サフィナのテントから出てきたらしいラティファが嬉しそうにこちらにやって来る。
オルマ風のおしゃれな白のマントを着たその隙間から、下の衣装が見える。
かなりの透け具合に亜里沙はどきりとした。
「約束があって。いつから踊るの?」
「なあんだ、あたし目当てじゃなかったのね。昼と夜にやるわよ。もうすぐだから時間があったら見ていって」
亜里沙はラティファに買った飴の小さな瓶をどうしようか悩んだ。
もうすぐステージに上がるなら、後で渡すしかないようだ。
「それでそのマントの下は?」
ラティファが亜里沙のマントを捲ろうとする手から一歩下がって逃げる。
今着ているのは、初日のマントと同じくらい上等なものだ。
色が紺色と暗めで、目立たないように、だがワンピースと合うように考えてくれたものだった。
「あれを着てる」
ぼそっと呟くように言うとラティファの口の端がにやけた。
「へええ。それで誰と待ち合わせなの?」
「いいから、もう行って! 遅れちゃうよ」
「はいはい、じゃあまたね」
亜里沙は何となく周りを見ながら広場を歩いた。
「広場とは言われたけど……広場って広いよね」
相変わらず人でごった返すが、離れた所にいるマクベルド邸の護衛たちのお陰で歩きやすい。
しかしエドワードが来た時、どうやったら分かるだろう。
早く会いたい。それよりも早く誤解を解きたかった。
「ヴァーロ卿を伴っておいでですし、あの方の護衛は私も知っているので、見れば分かります。もうそろそろ踊りが始まりそうですよ。観覧しながらお待ちになっては」
イザベラの言う通り、ステージの上にラティファが現れた。
衣装は思った通り際どいくらい透け透けだ。
ラティファが同じ人間と思えないほどスタイルが良いことがよく分かる。何を食べていればあのようになれるのだろう。
今日は一日中ステージで芸人たちによる出し物があるらしい。
一番の目玉のラティファは夜にも出番があるらしいが、あの幻想的な灯りに照らされて踊る姿はさぞ美しいだろう。
踊りが始まって、最初の足捌きからもう目を奪われた亜里沙はそんなことを思った。
手に持った薄いベールを靡かせて美しく舞うラティファに見入っていると、ふいに左手を握られた。
振り向いた先に、質のいいマントを着てフードをかぶった人がいる。
どこかの貴族の令息といった装いで亜里沙に顔を向けたのは、やはりエドワードだった。
「あっ」
誤解を解こうとした亜里沙より先に、エドワードが言った。
「この祭りで一番人気があるものだから、見ておくといい」
亜里沙に向けられたエドワードの微笑みが、どこか暗い。
周囲を見ると、いつの間にかソフィーとイザベラは少し離れた位置にいる。
再び指を絡ませて握られる手の感触に、鼓動が速くなる。
亜里沙はしばらくラティファの踊りに集中した。
しかし時々遠慮がちに向けられる視線がどうにも気になる。
振り向けば逸らされるので聞いてみることもできない。
やはり、先にこの誤解を解かなければ。
「あの、してません」
「ん?」
エドワードがやっとこちらを向いた。
「ロナンと、キスはしてません」
エドワードは目を丸くして、そして困ったように微笑んだ。
「ああ、アリサはそんなことはしないと信じている。マクベルドも強要するような男ではない。ただ……」
エドワードの表情が翳る。
「僕は立場上、アリサに辛い思いをさせることが多いから……それを、考えていた」
亜里沙の胸が痛いほどに締め付けた。
「だが、もうこの気持ちを抑えることができない」
左手が強く握られるのを感じて、亜里沙も同じくらい握り返した。
エドワードの頬がほんの少し赤く染まった気がする。
亜里沙を見つめる眼差しが優しく、亜里沙もまた見つめ返した。
ふたりはもう、ステージの上を見ていなかった。
ラティファの踊りが終わってエドワードの様子を窺う。亜里沙が何を気にしているのか気づいた様子のエドワードは優しく言った。
「まだ一緒にいられる。アリサはどうしたい?」
少しだけ、という話だったがもしかしたら時間を作ってきてくれたのだろうか。
亜里沙はもう少し遊びたいと申し出てみた。
エドワードが快く頷いてくれたので、早速ナイフ投げのテントに向かう。
「あ、そうだ。翔くんと会いましたか?」
「ああ、ここへ来る前に。図書館について相談された。詳細はまだ聞けていないが、アルバートに頼んだから困ることはないだろう」
「アルバート……」
エドワードと手紙のやり取りをしていた時に、何度か書かれていた名前だと思い出した。
確かエドワードの側近だ。
「アリサも見かけたことがあるはずだ。昨日一緒に図書館にいる時に僕を呼びに来た」
説明をしながら亜里沙を見たエドワードの頬が赤く染まった。そして目線をどこか別の場所にやって黙ってしまう。
亜里沙もエドワード以上に赤くなって足元に目をやった。
そのまま歩いているとナイフ投げのテントへと辿り着いた。
「やってみますか? エ……ええと」
エドワードが亜里沙のそばに来て囁く。
「エディ。それから、他の者にするように話してくれ」
亜里沙は顔が赤くならないように気を引き締めながら頷いた。
「エディはやる? 私はやるけど」
「そうだな……アリサが投げるのを見ているよ」
亜里沙はエドワードが弓の名手であることを思い出した。
ナイフ投げも得意だろうか?
見られているといつもより派手に失敗しそうだ。
機嫌の良い店主からナイフを三本渡され、一本目を構えて投げる。見事に的の足元に向かって直進し、そのまま落ちた。
「んーっ、もう」
亜里沙はアストリドのように呻いた。
ここまで刺さらないとある意味すごいのではないか。
後ろから小さく笑う声がして振り向く。
エドワードがやって来て亜里沙にやり方を細かく教えてくれた。
「足をもう少し開いて。アリサの場合は右足を下げた方がいい。腕はもう少し上げて、力を入れすぎない」
そして、「こう振る」と言われたように振る。
ナイフは今までで一番安定して飛んで、的に刺さった。
「えっ……やった」
亜里沙は嬉しくなってエドワードを振り向いた。
「見てた?」
「ああ、ちゃんと見ていた」
頷くエドワードも、亜里沙のこの快挙を喜んでくれているに違いない。
その後もう一本もちゃんと的に刺さり、周囲から拍手が起こる。
真ん中には刺さらなかったが、感動した店主がソルサニアの花を一輪くれた。
「見て、花貰えたよ」
ナイフ投げのテントから離れて歩き出す。
亜里沙がソルサニアを見せると、エドワードが目を細めて問いかけてきた。
「良かったな。アリサはソルサニアが好きか?」
「うん。だってエディの花だから一番す」
ハッとして口をつぐむ。
エドワードを振り向くと、優しく微笑んで亜里沙を見つめている。そして目元が紅潮していた。
分かっていて聞いたのではないかと思った亜里沙は、照れ臭くて露店に気を取られた振りをした。
しばらく露店を見て他愛ない話をしながら歩いた。
手紙のやり取りをしていた時に気づいたが、エドワードは口数が多い方ではない。
日常の些細なことを書いてくれる時、その部分の内容が短いのは、亜里沙の手紙を迷惑に思っているからではないか、と不安になったことがある。
だがやり取りをするうちに、政治や戦いに絡まない会話で、話題を振るのが苦手なのだと気がついた。
朝に食べたものや、庭園に珍しい花が咲いていたことなどを教えてくれたが、手紙の大半は亜里沙の日常の出来事への反応だった。
イドルの問題に対している時や、王子としてやるべきことをやっている時にはよく話す。
だがそれ以外の、例えば今のような他愛ないことで言葉を交わすと、話すより聞き手に回っていることが多い。
(職業病、みたいな感じなのかな?)
寝ても覚めてもこの世界を良くするために、常にそのことを考えてきたのだろう。
それはこんな世界の王族という立場なら仕方のないことなのだろうが、亜里沙はそう考えると悲しくなった。
「ねえ、エディとこうして一緒にいられて、すごく嬉しいし、楽しい」
亜里沙にはこんなことしか言えない。
だが、それを聞いたエドワードが安心したのが分かった。
「ああ。僕も同じ気持ちだ」
その微笑みからも、亜里沙と同じように嬉しく感じてくれているのが伝わってくる。
お腹が空いた亜里沙は串焼きの露店の前で足を止めた。
だが、エドワードの前で豪快に串焼きを食べることが躊躇われる。
空腹を我慢して通り過ぎようとする亜里沙を、エドワードが引き止める。
「食べないのか? 好きなものだろう」
亜里沙は遠征中に散々、エドワードの前で何も気にせず食べてきたことを思い出してしまった。
特に干し肉が好きで、シチューに入った肉も好きだった。
エドワードはいつも黙々と食べていたのに、しっかり見られていたのだ。
「だって……肉が好きって、がっかりしない?」
「そんなことはない。気にせず好きなものを食べるといい」
エドワードが串焼きを二本購入して、一本を亜里沙に渡す。
「僕はアリサが美味しそうに食べる顔を見るのが好きだ」
顔が熱くなった亜里沙は無言でそれを受け取った。
「アリサ、話がある」
串焼きを全部食べてしまった後、エドワードが周囲に目をやり、声を落としてそう言った。
「うん、何? ここで話せないこと?」
亜里沙も自然と声が小さくなる。
エドワードは「ああ」と短く答えて、もう一度周囲を見た。
「あの場所しかないか……」
そう呟いて、エドワードは亜里沙をとある場所へと促した。
「サイラスさんの店?」
エドワードは無言で頷いて、亜里沙を先に中に入れる。
あのパペット小屋の芸人がこちらを見た。休憩中のようだ。
初めて目が合うが、こんなに鋭い目つきの人だったのか、と亜里沙はほんの少しゾッとした。
中に入ったエドワードはソフィーとイザベラに何やら小声で指示している。
芸人が顔をしかめたが、すぐにそっぽを向いていたので恐らく聞こえていないだろう。
エドワードとソフィーが亜里沙のそばに来ると同時に、若い女性がテントに入ってきた。
その後、何やら荷物を抱えた男性が入ってくる。
ふたりとも平民の格好をしているが、よく見ると立ち居振る舞いが平民らしくない。
「店主、奥を借りる」
奥から出てきたサイラスにエドワードが短く言うと、サイラスは驚いた様子だった。
だがそのまま奥に向かうエドワードを特に止めるでもなく、その顔は緊張で強張っている。
亜里沙はサイラスに会釈して後を追った。
奥に入り、振り返ったエドワードは亜里沙の顔を見て微笑んだ。
「知り合いだ。心配するな」
「うん……」
テントの奥は倉庫のようになっていた。
様々な道具が置いてあり、木箱だらけだ。
ソフィーの他にあの女性と男性も奥に入ってくる。
「アリサ、すまないがマントを脱いでくれないか」
言いながら、エドワードは自分のマントを脱いで男性に渡した。
「あ、あの」
亜里沙は途端に緊張した。このマントの下に着ているのはあのオルマのワンピースなのだ。
どう言おうか迷うと、ソフィーがエドワードの前に進み出る。
ソフィーが小声で何か言うと、エドワードが目を丸くして亜里沙を見た。
「全員後ろを向いてくれ」
ぎこちなく言ったエドワードに従って、亜里沙とエドワード以外が背中を向ける。
「僕しか見ていないから大丈夫だ」
そう言われても、エドワードに見せるのが一番緊張するというのに。
亜里沙は覚悟を決めて、マントを脱いだ。首から下げていたソルサニアのブローチが入った巾着を外す。
恐る恐る窺うと、エドワードは頬を染めて亜里沙を見つめていた。
そして亜里沙のそばに歩み寄ると、囁くように言った。
「綺麗だ」
周囲に聞こえないようにするためだろうが、対面してのこの距離はまだひどくそわそわする。
「本当?」
「ああ、本当だ」
まっすぐ見つめてくる青い瞳に緊張して、亜里沙は顔を伏せた。
エドワードが一度離れて、また戻ってくる。
「もう少し見ていたいが、連れて行きたい所がある。このマントを着ていてくれ」
エドワードが着せてくれたマントはありふれていて目立たないものだ。亜里沙は再び巾着を首にかけるとマントの中にしまった。
亜里沙のマントをソフィーに渡し、エドワードも同じようなマントを羽織る。
こちらを振り返った女性と男性が、それぞれ亜里沙とエドワードのマントを着用する。
目深にフードをかぶると、ソフィーを伴って店の中へと戻って行った。
そうして見るとふたりの背格好が亜里沙とエドワードのようだ。
エドワードについて倉庫の裏口の幕をくぐって外に出る。そこにはイザベラも騎士も護衛もいない。
亜里沙はエドワードとふたりきりになったことに驚いた。
「必ず無事に連れて帰る。だから一緒に来てくれるか?」
ほんの少し亜里沙の反応を心配するような、真剣な表情を見て、亜里沙は迷いなく差し出された手を取った。




