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ダンス

 ちょうど日が真上に来た頃、亜里沙は屋敷に帰ってきた。

 まずサイラスに借りていたものを回収する。

 ロナンとライアンは出かけていて代わりにルイがいたので、報告もそこそこにキーランと翔に声をかけた。




 外へ出るも、胸が一杯で集中できない。


(思い出しちゃだめ、出てこないで!)


 亜里沙は必死で自分に言い聞かせた。

 顔が熱いのは落ち着いたものの、先ほどの出来事が忘れられず、しきりに自分の唇を触ろうとしてしまう。


 こんなことが起こるなんて、夢のようだ。

 これはエドワードも同じ気持ちだと言っていいはず。

 だがもしあれが誰かにばれたらどうしようと亜里沙の胸を不安が掠めた。


 しかしすぐにまたあのキスが思い出されて全部飲み込む。と思ったら不安と心配が顔を出す。

 こうやって先ほどから、亜里沙の頭は騒がしい。


 これから自室に篭るなら、ずっと浮かれていようが悶えていようが構わないだろう。

 だがキーランと翔と約束しているのに、このまま浮ついているわけにもいかない。


 ぎゅっと両の拳を握りしめて眉根を寄せていると、よほど怖い顔をしていたのかキーランと翔が亜里沙を心配した。


「何かあった?」


 亜里沙はハッとして心配そうなキーランに首を横に振った。


「ううん、何でもない! 大丈夫だから」


 頭から冷水でもかぶればいいのだろうか。



 亜里沙はキーランと並んで歩き、少し後ろに翔はソフィーと並んだ。

 ソフィーは嬉しそうに見えるが、亜里沙よりはしっかりしていて、浮かれている様子はない。

 翔も本当にソフィーの気持ちを知っているのか疑わしいほど、普段通りだ。


(私も冷静にならないと)


 キーランが串焼きの露店で立ち止まる。亜里沙は何とか食欲に集中しようと奮闘した。



 串焼きの咀嚼に意識を傾けていると、興奮状態が少しずつ収まってくる。亜里沙は密かにキーランに感謝した。


 ちょうどナイフ投げのテントを見かけて、亜里沙は遊ぼうと声をかけた。



「……え? いや、駄目ですよ」


 ナイフ投げの店主が、フードの中を見る前に青ざめた。


 キーランはその黒色の装いのせいで、フードがあまり意味を成さないくらいには、王都でもナイグラードでも有名なようだ。


「どうして? 僕も客だけど」


「何で今日に限って……あなた様は今まで祭りには関心がなさそうだったのに……」


 泣きそうな声で呟くと、ナイフを三本カウンターに並べる。


「あそこからですよ」


 そしてせめてもの抵抗に、店主は4mほど先を指し示した。

 ラティファが投げた位置よりかなり遠い。


「文句は受けつけません!」


「言わないよ」


 キーランがナイフをつかんで踵を返した。

 蜘蛛の子を散らすように場所を空けた人々は、ラティファの時とは別の感情を持っていそうだ。


 キーランは亜里沙にもう少し下がるように言った。

 亜里沙が後ろの位置を確認しながら下がった時。

 空気を切るような鋭い音に続けてドスッという重い音が響いた。

 亜里沙が振り向く間に立て続けに二回同じ音がし、振り向いたら終わっていた。


 亜里沙は信じられない気持ちで的を見る。

 全て綺麗に真ん中に刺さっている。しかもあの音からすると、相当な速さだったはずだ。


 畏敬の念を込めた拍手が起こり、店主が悶絶するようにカウンターに突っ伏した。



 こうして今日の目玉の高級な酒がキーランの手に渡った。


「店主、二番目の景品がいいんだけど」


 キーランがカウンターの上に置かれた羊皮紙を指す。


「へえっ? では交換しますか?」


 顔を上げて目を輝かせる店主。


「それは貰っておいて、次に狙えばいいんじゃないかな」


 翔の一言で、店主は再びカウンターに突っ伏した。

 そんなに取られたくない高級品を景品にするなんて、よほど今日は誰にも取られない自信があったのだろうか。


 キーランは翔の言う通りもう一度コインを払うと、再び三本を手にした。亜里沙は今度こそ見逃すまいと目を皿にする。


 キーランは普通に立った状態で、普通のフォームで投げた。だが腕の振りが速く、振ったと思ったら次の瞬間に的に突き刺さっていて、少しも目で追えなかった。


 三本目をぽいと石畳に投げると、泣き始めたように見える店主から花で作られた腕輪を貰い受ける。


 そして亜里沙の目の前に立つと、腕を取ってそれをつけてくれた。


「可愛いね」


 キーランが目を細めて微笑んだ。


 見るとソルサニアを編んだ見事な輪が腕を飾っていて、亜里沙の顔面はまたしても熱を持った。

 構えていなかったからとは言え、ソルサニアでもこうなってしまうとは。


「アリサ?」


 声をかけられてキーランを見ると、亜里沙の顔が赤かったせいか、キーランもつられるように頬を染める。


「あっ、ありがとう」


 慌ててお礼を言うと、キーランは再び微笑んで頷いてくれた。



 その後、翔が挑戦して一本が真ん中に刺さり、小さな瓶入りの砂糖を手にしていた。

 亜里沙は今回も、真ん中どころかそもそも的に刺さらなかった。



 劇はキーランと翔が微妙な反応だったので、広場の隅でリュートをかき鳴らす吟遊詩人の見学をする。

 オルマの古い言葉や言い回しを好んで使っているらしく、亜里沙には難しかったが、翔は少し深刻な表情で聞き入っていた。


 演奏が終わると翔はひとり吟遊詩人のそばに行って何やら話し込んだ。その顔が段々曇っていく。

 亜里沙は戻ってきた翔に聞いてみたが、はぐらかされてしまった。


「まだ俺のこじつけに過ぎないと思うし……もう少し確かな情報を集めたら、話すよ」


 以前に似たようなことを聞いた気がする。もしかしたらアマリアの日記に関係することだろうか。

 翔の声が弱々しく、亜里沙は頷くしかなかった。


「分かった。でもひとりで抱え込まないでね」


 そう声をかけると、何故か悲しい顔をされた。




 初日には来なかった輪投げのテントに寄る。

 ナイフ投げのようにカウンターの外から狙うようだ。


 亜里沙はもちろんソフィーも参加したが、ここでもキーランは圧倒的だった。

 投げる輪は全部高得点に入り、花やらお菓子やらを貰うと亜里沙に贈ってくれた。


 次いで翔は花を一輪、お菓子を一つ。

 翔は花をソフィーに、お菓子はイザベラに渡す。

 ソフィーの顔が一瞬紅潮したのを見てしまった。


 ソフィーはお菓子一つの成績だ。これは亜里沙へと贈られた。

 亜里沙は遠慮しようとしたが、もしかしたらソフィーは手作りのお菓子を翔に渡したいのかもしれない。そう思って貰うことにした。


 そして亜里沙はと言うと、またしても全投ミスの危機に瀕していた。


「何でなの……!」


 カウンターに両手をついて呻く。


「力を入れすぎだよ」


 おかしそうに笑って、キーランが亜里沙の後ろに立った。

 驚いて振り向くが、キーランはこの距離に気づいていないのか、平然と亜里沙の右腕を取る。


「こうやって投げてみて」


 キーランが離れると、呼吸を整えて輪っかを投げた。


 結果、キーランのお陰でお菓子一つの成績だった。

 それをキーランに贈ると、キーランはとても嬉しそうだった。



 その後は借りていた道具を返すためサイラスのテントに向かう。



「サイラスさん」


 入り口のパペット小屋を見て待つよう頼んで、亜里沙のみ奥へ向かった。

 道具を返してお礼を言うと、にこやかに応えてくれる。


「護衛にでも預ければよかったのに」


「いいものに出会えたので、直接お返ししたかったんです」


「そうかい? そう言ってくれると嬉しいね」


 サイラスが目を細めて亜里沙を眺める。



「アリサ、こいつに近づくな」


 不意に、背後からキーランの鋭い声がした。

 キーランに目を移したサイラスの顔に緊張が走る。


「え? どうしたの?」


「ああ……おれは数年前まで傭兵をしていたから、それでかな。傭兵なんて大半は粗野な輩だからね」


 つまり同業者ということか。


「お会いしたことはなかったが、お噂はかねがね」


 サイラスがキーランに会釈する。

 キーランはそれを一瞥するだけで答えない。


 事情は分からないが、亜里沙にさえ分かるこの不穏な空気に、入り口の人だかりが気づいてしまう前に、亜里沙は口を出した。


「キーラン、そんなに睨まないで」


 亜里沙を見たキーランの表情が和らぐ。


「この人はサイラスさん。ここの店主さんで、とても親切にしてくれたんだよ」


 キーランはサイラスを見やって、「ふうん」と鼻を鳴らした。


「何を売ってる?」


「まあ、ちょっとした装身具などです」


「アクセサリーを買ったの?」


 キーランが亜里沙をじっと見る。


「えっ」


 今度は亜里沙が緊張する番だった。


 するとサイラスがカウンターの上にあるパペットをつかみ、椅子にかけてあったマントをさっと羽織る。

 腕を掲げて体の前面にマントで幕のようなものを作ると、その下からパペットを付けた手を突き出して即興で劇を見せてくれた。


 妖艶な踊り子と盗賊の短いロマンスで、面白かった。

 何より彼はその声をどこから出しているのだろう。


「お話を買っていかれましたよ。ね?」


 同意を求められて、つい頷いた。


 納得したのかは分からないが、キーランはそれ以上何も聞いてこなかった。



 テントを出る際、助けてくれたお礼を込めて振り返る。

 サイラスのその鋭い眼光がキーランの背を見送るのを、亜里沙は見てしまった。




 サイラスのテントを出た後は、亜里沙は露店で買い物をした。

 それは散財と言えるほどで、お給料はすっからかんだ。


 オルマの露店では上質な羽根ペンを見つけ、デザインが違うものを一本とお揃いのものを二本。

 インクがすぐ染み込む紙と、羊皮紙、珍しいインク壺を一つ。

 そして、持ち運びやすい詩集を一冊と、革製のかっこいい栞を一つ。


 ナイグラードの商人の露店では飴を見つけた。

 多くは聖国で作られるらしく、飴が店で売られるのは珍しい。ナイグラードでも祭りの時に少し見かける程度だそうだ。


 瓶入りの飴は中を見るとなかなか色が綺麗だ。


 少し高価だが、手のひらに納まる小さな瓶詰めの飴を一個、それより一回りほど大きめのものを一個購入した。



「アリサ、買いすぎだよ」


 心配したキーランから声がかかる。

 確かにソフィーが会計する度に痩せていった巾着は今は萎んだ風船のようだ。


「うん、でもこれでも買い足りないんだけど……」


「アリサ様、この辺でよろしいかと。関わった方々全員分は無理ですよ」


 亜里沙が何をしているのか気づいていたらしいソフィーが、そっと囁いた。


 丈夫そうなバスケットに亜里沙の買った物が丁寧に詰められ、それをイザベラが抱えてくれる。




 買い物をしていたら空が赤く染まってきた。


 そろそろまた楽団が出てくる時間だ。


「あれ、ラティファだ」


 楽団に混ざって、ラティファが笛を携えてステージに上がった。


 ラティファは亜里沙に気づくと微笑んで優雅に手を振る。亜里沙も笑顔で振り返した。

 今日は笛を吹くからか、衣装も振る舞いも落ち着いている。


 楽団の演奏が始まると、いかにラティファが多才であるかが分かった。



「ソフィー、また踊りに挑戦したい」


「はい、やりましょう」


 そのために今日は動きやすい服にしてきたのだ。マントを取ってイザベラに預け、翔をソフィーに押しつける。


「え、亜里沙ちゃん?」


「翔くんとソフィーのペアね」


 そして、立ち尽くすキーランの手を取った。


「キーランは私と」


 亜里沙に手を取られたキーランの頬が、さっと赤くなるのを見てしまった。

 この夕焼けの中にいて、それが分かるくらいに近くに立っている。


 つい手を離すと、キーランの手が追いかけてきて逆に亜里沙が手を握られた。


「アリサ様、勝負なさるのですか?」


 後ろからソフィーの声がかかって我に返る。


「うん」


「負けませんよ!」


 ソフィーの目が輝くのを見て、亜里沙も気持ちを切り替えた。


「私もだよ!」


 ソフィー相手だと分が悪いが、翔は初めてなのでハンデになるはず。

 そして自分はキーランとペアなので、その分有利だ。

 亜里沙は卑怯かとも思ったが、勝負を前にわくわくしていた。



 曲が始まった。たくさんの人々が手を取り合い踊る中で亜里沙は改めてキーランの手を取り踊り始めた。


 だが、キーランは亜里沙と手を繋いだままだが、目を丸くして亜里沙を眺めるだけでその場から動かない。


「これ、踊り方分かる?」


 ちらと隣を見ると、少し離れたところでソフィーが翔にステップを教えている。


 キーランは立ったまま周囲をしばらく見ていたが、亜里沙に目を戻すと頷いた。

 次に曲の頭に戻るのを待ってふたりで踊り出す。


 流石にキーランは身体能力が高い。

 少し見ただけでステップもターンも完璧だ。

 すぐに亜里沙の方が足を引っ張り始めた。


 見ると、翔も亜里沙より上手く、ソフィーの動きについていっている。


「あー、あのふたり手強いな」


 亜里沙が焦る声を上げるとキーランが目を丸くする。


「勝ちたいの?」


「勝ちたい!」


「どうやったら勝つの?」


「やったことなかった?」


「うん。踊ってるのは知ってたけど」


「最後まで踊り切ったら勝ちだよ」


 恐らく。

 はっきり勝敗があると聞いたわけではないがソフィーもああ言っていたし、周囲の人々を見てもそうだ。


「賞品は?」


「ええと、拍手かな」


「……そんなの貰って楽しいの?」


 ペースを上げた曲にも余裕の表情でついていくキーランは、訝しげに言った。


 速くなると難しいステップも、ラティファ並みに正確に踏むので様になっている。

 周囲の立ち止まった人々がキーランに目を奪われているようだ。


 そんなキーランにここまでついていけているのが嬉しい。


「うん、楽しいよ。拍手貰いたいじゃない」


 亜里沙は速くなるリズムで足を踏み間違えそうになりながら、それがおかしくて笑った。


 目が合うと、キーランは微笑んだ。


「分かった。がんばろう」



 そして、亜里沙とキーランは曲が終わってしまうまで踊り切った。


 今回最後まで残ったのは亜里沙たち以外に、翔とソフィー、平民の男女のペアだった。


 大きな拍手が送られ、亜里沙は照れながらも顔が綻んだ。

 満面の笑みで振り向くと、キーランにも嬉しそうな笑みが浮かぶ。


「確かに、いい賞品だね」


 亜里沙をじっと見て、キーランは目を細めた。


 しばらく離されない手がほんの少し気になったが、亜里沙はこの余韻に浸る方を優先した。



 気がつくと、ラティファはもうステージ上からいなくなっていた。



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