幸多からんことを
ソルサニアの花冠をつけたまま歩くと、行き交う人々が更に亜里沙を振り向いては笑顔を浮かべた。
来訪者様、と声がかかり、挨拶をされることもある。
時々その視線にとんでもない熱量がこもっているのを感じる。この類の眼差しは王都なら浴びるほど向けられるだろう。
だがここがナイグラードだからか、危ういほどのものはなく、控えめだ。
他の地域や国からも人が来ているが、イザベラと護衛たちの存在のお陰で楽しむことに集中できていた。
露店の揚げパイを食べて舌鼓を打つ。
最初の串焼きでもナイフ投げの参加賞のお菓子でもそうだったが、特にアストリドはいちいち感動していてその表情がとても可愛い。
この、祭りで賑わう中で食べる特別感が、より美味しく感じさせるのだろう。
食べ終わる頃、広場に設置された木造のステージの前に人が集まり始めた。
「あ、始まるわよ」
この観劇は予定にあるからか、アストリドの侍女がやっと安堵するのが見えた。
舞台上に語り部の男が立つ。何とも劇的で独特な言い回しのせいか、あまり頭に入ってこない。
ラティファによると来訪者の戦いを描いた短いもので、午前と午後に一回ずつ上演されるようだ。
その合間と夜には楽団が演奏をする舞台となる。
語り部の男が後ろに下がるとステージに役者たちが立った。
まるで神話の女神のような衣装を着た黒の長髪のグラマラスな美人と、少し大袈裟な衣装だが騎士四人。全員顔がいい。
そして騎士の中に栗色の髪の優男がいる。
(あれ、もしかして)
「あの騎士はロナン、黒髪はキョウコね。キョウコの劇は人気があるの」
ラティファが耳打ちで教えてくれる。
役者たちによる劇は亜里沙が思っていたより面白かった。
聖女と崇められるキョウコが次々とイドルを倒し、土地と人々を癒やす物語だ。シンプルで分かりやすい。
そして騎士たちは全員英雄並みで、ひとりは旅の途中で人々と仲間のためにその身を犠牲にして亡くなる。
ロナンはキョウコを庇って負傷、だがキョウコが治療して完全なる復活を遂げた。
そして大怪我を隠して旅をしていた老騎士が安らかに旅立ち、もうひとりの騎士も病を患って離脱。
希望が見えない中で旅が続く。
だがキョウコとロナンは苦難の果てにようやく世界に安らぎをもたらす。
最後にロナンがキョウコの左手を取って「一生を捧げる」という誓いをする。
この騎士の誓いは、以前イザベラが亜里沙に捧げてくれたものとやり方が同じだ。
だがキョウコは帰ってしまう。
離脱したが生き残った戦友である騎士から励まされるロナン。
彼は最後に交わしたキョウコとの約束を守り、現在は領主として人々を守っている、という結末だ。
大きな拍手と歓声が上がった。
食い入るように見ていた亜里沙は、その熱気に当てられて自分も大きな拍手を送った。
だが役者たちがステージから退くと、冷静さが戻ってくる。
聞いた話とは随分違う内容だった。だがそれは仕方のないことだろう。問題は自分だ。
いくら役者たちの熱演が素晴らしかろうと、亜里沙だけはそれを楽しんではいけなかったのではないか。
そんな罪悪感が押し寄せてつい眉根が寄った。
「あら、退屈だった? いくら人気があるとは言えロナンもよく許可するわよねえ」
「えっ? あ、違うの」
「伯爵は劇では少し美化されているようだな。確かに穏やかな人物だが腹に何か抱えていそうだぞ」
それは確かにそうだ、と亜里沙は思った。
「でもきっと来年には、アリサたちの劇が上演されることになるわよ」
結局亜里沙が弁明する機会は与えられず、ラティファが広場の隅を指す。
「次はあたしの知り合いの店に行きましょ」
「あの、この次は」
侍女が訴えるのも無視して、ラティファは歩き出した。
再びオルマの装飾が派手なテントに入る。
そこはサフィナの店より広く、入り口に近い場所に人がごった返していた。
人の間を縫って中へと移動する。
隙間から見ると、縦長の木枠に派手な布が下がった、四角いテントのような形状のものがある。
上部に四角い枠があって、そこから小さな人形たちが動き回って劇を演じていた。
「あれなに?」
亜里沙が人形たちを見ながら聞くと、ラティファが説明してくれる。
これはパペットによる劇のようだ。
ひとりが全ての人形の役を演じていると言うが、ではあの複数の声はどこから出ているのだろう?
それに人形の動きが生き生きしていて、まるで本当に命があるようだ。
「ここがナイグラードだからって自由にやり過ぎでしょ」
ラティファが小さく息を吐く。見ていると、オルマの国の貴族がモデルだと分かるが、どうも内容が良くない。
「……ん? もしやあれはオルマの国王陛下を揶揄しているのか?」
アストリドの口の前にさっと手を差し伸べ、ラティファが「シーッ」と囁く。
「これが目当てで来たんじゃないのよ、あたしたちの用件はあっち」
ラティファが指す方を見ると、即席のカウンターの奥に人が座っている。渋い雰囲気の、とてもかっこいいオルマの男性が見えた。
「サイラス」
「おお、ラティファ。それと……」
椅子から立ち上がると思ったより長身で亜里沙は軽く圧倒された。
「来訪者様と……なるほど」
サイラスは鋭い眼光が和らぐような笑顔で挨拶をした。
「いらっしゃい、お嬢様方」
挨拶を返そうと会釈して、亜里沙は気がついた。
カウンターにアクセサリーが並んでいる。
金、銀、銅色の金属のアクセサリー。
(あれ、ローズゴールドとかイエローゴールドみたいな色もある)
どれもメダルのような丸い形で、チェーンに通せるようになっている。
かっこいいが、ペンダントトップにしては少し装飾が寂しい気もする。
「まず好きな色と紋章を選んで」
アストリドと揃ってラティファを見ると、ラティファがにやっと嫌な笑みを浮かべた。
「それで好きな男の名前を彫ってもらうのよ」
「えっ」
「なんっ……お前はまた!」
「自分の名前を一緒に彫ってもらってもいいし。ああ、頼めば一部を自分で彫らせてくれるわよ」
やってみるかと問われて、亜里沙は衝動的に頷いた。
「イディは?」
「あ……アリサがやるのであれば……どうしてもと言うなら……」
「別にどうしてもとは言わないけどお?」
口ごもるアストリドをラティファがからかう。
「こら、ラティファ」
にやけるラティファを叱ってから、亜里沙はアストリドに、やろう、と声をかけた。
亜里沙とアストリドがペンダントトップを選ぶ間、ラティファはサイラスと話し込んだ。
少し真剣な様子だが、何を話しているかは分からない。
(ラティファには好きな人はいないのかな?)
「あの娘には好きな男はいないのか?」
アストリドが亜里沙に囁く。亜里沙は苦笑した。
「もう持ってるのかもしれないですね」
「なるほど……やるな」
「アリサ様、紋章の意味はご存知ですか?」
アストリドは早々に決めたが亜里沙はなかなか決められず、ペンダントトップと睨めっこ状態だった。
見かねたのかソフィーがそう声をかけてくる。
「あ……ううん、分かんない。見た目と色で決めようと思って」
「これは、自分で持つものではなく贈るものなのですよ」
「えっ、そうなの?」
それを聞いた途端に、自然と目を引くものが一つだけある。
大きさは直径で4cmほどだろうか。落ち着いた金色に、丁寧に彫刻された植物の葉で縁取られたものだ。
じっと見ていると、ソフィーが説明してくれた。
「これは、相手の繁栄や幸福を願うものです。贈り物としてとても良い意味を持つものですよ」
「……これにする」
エドワードに贈ることはできないかもしれない。
だがそれでも一つくらいは、彼を想って用意してみたい。
「うん、綺麗だな」
アストリドが横から顔を出した。そして亜里沙に耳打ちする。
「エドワード様の誕生日は二ヶ月後だから、それを口実に贈ってしまえばいい」
「二ヶ月後……」
恐らく、その頃には──
亜里沙はただ頷いて、そのペンダントトップを手にした。
「選んだかい?」
良い頃合いでサイラスが戻ってくる。
アストリドが注文するのを見届けて、亜里沙はサイラスに自分が選んだものを差し出した。
「あの、名前の部分は全部私が彫りたいです」
どうやって彫るのかも分からないが、亜里沙はそう申し出た。
ラティファの紹介だから大丈夫だとは思うが、もしエドワードの名前から色々と漏れて、迷惑をかけてしまったら。
それに、エドワードの名前は自分で彫りたいという気持ちが強かった。
「ああ構わないが……それでは、頭文字だけにするかい? 全部となると時間もかかるし大変だから」
「はい、そうします」
「メッセージはどうする?」
「ええと……とにかく、ずっと元気で幸せでいて欲しいというか」
言いながら恥ずかしくなってくる。そんな亜里沙を見たサイラスは「はは」と笑った。
「相手の男はもう既に幸せ者だね。じゃあこんなのはどうだろう」
サイラスは羊皮紙とはまた違った質感の紙に羽ペンで実際に書いて見せてくれた。この紙はインクがすぐに染み込んでいく。
書かれた文字は短く、だが形が素晴らしかった。
「文字の形がかっこいい……」
「ああ、読めないかな。少し古い言葉で、幸多かれ、と祈る言葉だ。そう、かっこいいからオルマでは今でも使われているよ」
「これでお願いします」
「はいよ」
サイラスはにこやかに答えて、ふたりが選んだものを手に奥へと引っ込んだ。
カウンター奥にも布地の出入り口があって、一瞬隙間から見えた限りではその奥もテントのようだ。
「そう言えばアリサはその好きな男とはいつ出かけるつもりなの?」
ラティファの遠慮のない問いかけに思い切り振り向く。
「ちょ、ちょっと! 声が大きい! それに、出かけないし。だってその人」
忙しいし、と尻窄みに続ける。
「ふうん」
食い下がってくると思ったが、ラティファは予想に反してそれ以上詮索することはなかった。
すぐに興味をなくしたように、苦言を呈するアストリドをからかって笑う。
アストリドには悪いが、亜里沙は内心ほっとした。
先にサイラスと他の職人が彫るのに時間がかかるということで、相変わらず人気のパペット小屋の人だかりを通り抜けて外へ出る。
「あら、そろそろ楽団が演奏する頃じゃない?」
侍女はもはや無言だ。ラティファに従うようにしたらしい。
ステージには、リュートや太鼓、バグパイプに似たものなど、亜里沙も見たことがあるような楽器を携えた人々が並んだ。
ステージの周りの人々は自然と割れて円形に大きくスペースを作り、音楽が鳴り始めると踊り出した。
「楽しそうだな」
アストリドの声が弾む。
「やってみる?」
ラティファが恭しくアストリドに手を差し伸べる。
「うん! この踊りは少し知ってるぞ」
「アリサ様は私と踊りましょう」
ソフィーが亜里沙に手を差し出した。
亜里沙は恥ずかしさで一瞬躊躇したが、この人数なら下手でも誰も気にしない。
見ていると全然違う踊りをしている人もいるようだ。
亜里沙は笑みを浮かべてソフィーの手を取った。
「そこで回って。そうそう、お上手です!」
ペアを組んで手を取り、簡単なステップを踏んで、時々一回転する。とても単調な動きの繰り返しだが、リズムが良いので楽しい。
ステップと同時に、右、左、と互いに取る手も変えて、軽快なダンスだ。
隣を見ると少し先に、楽しげに踊るアストリドとラティファがいる。さすがにラティファは踊りが本職なだけあって、いちいち様になっていた。
ふたりともフードを取っているが、周りは誰も気にしていないようだ。
「ここから速くなりますよ」
ソフィーの言葉通り、音楽のリズムが速度を増した。
ステップを踏み間違える人々が続出し、あちこちから笑い声が上がる。
亜里沙が着ているワンピースは動きやすいとは言え、この速度では厳しかった。
「交代して!」
「えっ、あの、え!?」
邪魔にならない所で見ていた侍女を引っ張ってソフィーに渡す。
そして亜里沙はイザベラの隣で休憩した。
少しして片腹を押さえたり腰に手をつき、笑いながら足を止める人が半分を超える中で、アストリドとラティファ、ソフィーと侍女の組は後半まで食い下がった。
音楽の速度は容赦なくどんどん上がっていく。
侍女が根を上げてソフィーも足を止めたが、その後曲が終わるまで、何とアストリドとラティファは踊り切った。
そして、最後まで残ったのはこのふたりしかいなかった。
拍手喝采と歓声を浴び、我に返ったアストリドは慌ててフードで顔を隠す。
ラティファは芸人らしく投げキスや両手を振って歓声に応じ、恭しくお辞儀をして注目を集めた。
「イディもラティファもすごい!」
亜里沙が歓声に混じって声を上げると、ラティファはウィンクを飛ばし、アストリドはフードの中から花のような笑顔を向けた。
踊りでかいた汗を冷まし喉を潤すために、小さな露店の果物売りの女性からリンゴに似た果物を購入する。
以前キーランが皮を剥いていたものに似ている。
女性はその場で皮を剥いて小さく切り分けてくれた。
音も見た目もリンゴだが、口にすると味が違った。
「何かこれ……すももみたいな味」
「すもも? これはプレアーっていうのよ」
大好きなのよね、とラティファは美味しそうに頬張る。
聞けば今が旬で、冷暗所で保存すれば三ヶ月ほどは持つという。
温室の柑橘類も、食べてみたら全然違う果物だったりするのだろうか。
(今更だけど、時々こういう、あっちの世界とは全然違う物があるよね……ソルサニアとか、帰ってからも見られたらいいのに)
しみじみしながらプレアーを齧っていると、アストリドがぽつりと呟いた。
「帰りたくない」
「でっ……お嬢様?」
侍女が慌てる。
「帰りたくないから今日は伯爵の屋敷に世話になる」
ラティファがあらあらと他人事のように声を上げた。
結局アストリドは亜里沙が宥めても譲らず、見かねたソフィーがイザベラと相談し、護衛に何かを頼んでいた。
しばらく広場の隅で侍女の懇願を無視し続けるアストリドを、亜里沙はラティファと見守った。
「どうしたんだろう、こんなに言い張るなんて」
「まあ、気持ちは分かるわよ。だって気を許せる友だちがいるように見えないし」
亜里沙を見て、「立場的にね」とつけ加える。
「それで言うとあたしも、何の利害関係もなく、気を許せる友だちはいないかもね」
亜里沙が眉を下げると、ラティファは微笑んだ。
何故かその微笑みが悲しい。
「もしかしたらあんたたちが、初めてのそういう友だちかも」
「……そうなれていればいいな」
何を言っていいのか分からずそう返すと、ラティファは美しい笑みを浮かべた。
その目が、光の反射か潤んで見える。
しばらくして帰ってきた護衛によると、ロナンの返事は「何とかします」とのことだった。
アストリドは大喜びで、亜里沙の両手を取って振り回すと顔を寄せて囁いた。
「明日はアリサが私を城まで送ってくれ」
その言葉に、アストリドの企みが透けて見えるようだった。




