星のような人
亜里沙はロナンとライアン、屋敷の人々と共に外でアストリドを出迎える。
馬車が止まって、アストリドと侍女、マント姿の人が降りてくる。
馬車の前後にばらけてやって来た、平民のような格好の護衛たちが周囲を囲んだ。
護衛に埋もれてシンプルだが気品のある姿が見える。
普段亜里沙が着るような、丈の長いオーバーチュニック型のワイン色のスカート。フリルのように広がった袖の白いブラウス。施された刺繍が美しく、貴族のお嬢様といった装いだ。
長い髪は後ろで緩く三つ編みにしてあって、控えめな髪飾りが似合っていてものすごく可愛い。
服装でいうと亜里沙の方が豪華なはずだが、やはり生まれと育ちで磨かれたオーラのようなものが、アストリドは圧倒的だった。
(お忍び、になれるのかな……?)
「アリサ、おはよう。今日は一段と美しいな」
「おはよーアリサ。やっぱり似合ってるわね」
「ラティファ?」
アストリドの後ろから現れたマント姿に驚く。
亜里沙がふたりに挨拶を返すと、アストリドがため息をついた。
「そこで拾った」
アストリドが呆れたように言うので、また何か強引な手でも使ったのだろう。
しかし王女相手にそんなことをして、ラティファの怖いもの知らずは見ている方が肝を冷やす。
「一緒に行くの? でも仕事は?」
「最終日だけちゃんとやればいいから。今日はよろしくね」
アストリドはわざとらしくため息を吐いてみせたが、どことなく嬉しそうにも見えた。
ロナンとライアンが挨拶をして、護衛を置いて屋敷の中へと舞い戻る。
ライアンはもう時間が迫っているようで、ホールで再びアストリドに挨拶をすると屋敷を出た。
それを見送ったラティファと目が合う。
こうして見ても分からないが、どうやら協力関係にあるというのが翔とイザベラの考えだ。
このふたりが近くにいると不安が募るが、ラティファの明るい笑みを見ると、緊張が和らぐようだった。
アストリドがロナンと話している間、ラティファと共に庭園を散歩する。
あまり足が向かない屋敷の裏手にも広がる庭園を、亜里沙ではなく何故かラティファが案内する。
花の名前やどういうタイプの植物かなどをたくさん説明してくれた。
そして庭園の終わりに来ると、そこからは少し寂しい雰囲気の森が見えた。
人が集まる都市の中だから、この森にイドルの巣はできないのだろう。
「ねえ、この奥から敷地を抜けると道が続いてるの、知ってる?」
ふと、ラティファが切り出した。
「そうなの?」
「うん。その奥に行くと大きな橋がかかってるの。ここからだとちょっと遠いから歩くと時間がかかるけどね」
大体あの辺り、とラティファは方向を指し示す。
「高い崖にかかってて、その下の大きな川は海に続いてる。この辺りの橋で一番豪華で大きくて、眺めもすごくいいのよ。名所になってるくらいなんだから」
「へえ……見てみたいかも」
「もう遠出しても安全になってきただろうし、あたしは祭りの後もしばらく滞在するから、今度馬に乗って行ってみましょ」
亜里沙は笑顔で頷いた。
どの程度の崖かは想像もつかないが、名所になるほどなら絶景が見られるのではないか。
「特に日の出が人気かしらね」
でも、とラティファは静かに言った。
「あたしは、日が落ちるときが好き」
日が落ちる、と口にしたとき、ラティファの瞳に怖いほどの鋭い光が見えた。
亜里沙は何となく不安になってラティファに呼びかける。いつもの明るい笑みで振り向いたラティファを急かし、屋敷の中へと舞い戻った。
いよいよ、亜里沙たちは春祭りへと繰り出した。
アストリドを亜里沙とラティファで挟んで歩く。
平民に扮したアストリドの侍女とソフィー、イザベラはその後ろに続いた。
護衛はちゃんといるのか、屋敷から歩き出しても、姿が見えない。
「大丈夫だ。人が多くなってくると、近くに移動してくるから」
アストリドがにこにこして言った。
嬉しそうな笑みを見ると、亜里沙も自然と顔が綻んだ。
祭りのための飾り付けは十分目にして慣れたと思っていた。
だがやはり祭りが始まると、人の賑わいがもたらす空気感や、よく晴れて明るい空に映える色彩が、街並みをより華やかにしている。
アストリドとラティファはマントにフード姿だが、亜里沙はラティファにせがまれてフードだけは取っていた。
広場までの間にもいくつか露店が並び、ナイグラードの人々は亜里沙の姿を見ると皆笑みを浮かべた。
広場に入る前に串焼きを買って歩きながら食べた亜里沙たちは、広場の賑わいに一時立ち尽くした。
ラティファは毎年のことなので落ち着いているが、亜里沙もアストリドも興奮が抑えられない。
亜里沙は自分の世界で、アストリドは自国で大きな祭りの経験がある。だがナイグラードの祭りはそれとはまた違う。
顔を見合わせた亜里沙とアストリドは、お互いの表情を見て笑った。
「ええと……広場の中央のステージで劇が……」
アストリドの若い侍女がそう口にすると、ラティファが邪魔をした。
「あ、それまだ始まらないから、ちょっとあたしの知り合いのところに行きましょ」
そうして人の波を掻き分けて、エキゾチックな装飾の小さなテントに移動する。
亜里沙は一目で占い小屋だと思ったが、入ってみると全く違った。
ふわっと香る、香ばしい甘い匂い。
「サフィナ、安くしてあげて」
「なあに、ラティファ、藪から棒に……あら」
もう占い師にしか見えない、少し年上のオルマの女性。
サフィナは、亜里沙を見ると突然舌足らずな口調になった。
「まあ、いらっさりませ! 星空の屑のような方」
「え……星空の、クズ……?」
ラティファが思い切り吹き出し、声を上げて笑う。
「店主。この者は来訪者だし、私もお前の言葉は分かるので、無理に公用語を話すことはないぞ」
「あっ」
口を押さえたサフィナが、ばつが悪そうに笑みを浮かべた。
「……ごめんなさい、聞くのはいいけど話す方は苦手で。おかしな言葉になっていましたか? やり直しをさせてくださいね」
こほんと咳払いし、正しい言葉を伝える。
「いらっしゃいませ、星屑の光のような方」
「ああ、星屑……」
よくよく考えたらあまり意味は変わらないだろうが、言い方一つでこうも印象が変わるとは。
何ともロマンチックに亜里沙を歓迎してくれたサフィナは、ここが茶と菓子の店であると教えてくれた。
「これは肌に良く、こちらはお腹の調子を整え、こちらは恋に効くものです」
紹介された人気の茶葉を見てアストリドが息を呑む。
「最後のこれは媚薬か……!?」
食いつくアストリドをラティファがニヤニヤしながら眺める。
「あらあ、誰に飲ませるのお?」
「いやっ、違う、ただその」
サフィナが申し訳なさそうに笑った。
「いえ、これはただ、飲めば女性の魅力を高めると言われているもので、媚薬ではございません」
「何だ……いや、それでもいいのかもしれない」
「ねえ、誰のために飲むの? ねえ」
やたらアストリドに絡むラティファにうるさい、と呟いてアストリドはフードの中の頬を赤らめた。
どうやらその茶葉を購入するようだ。
「あの、これってもしかしてお菓子を作るときに入れるものですか?」
亜里沙はサフィナに質問した。
クッキーのトッピングに使うような、ナッツのようなものやドライフルーツのようなものが、可愛い瓶に詰められて陳列されている。
「ええ、そうですよ。買っていただけたら、私の自慢のレシピもお教えします」
「ああ、サフィナの菓子は美味しいわよ〜」
そしてラティファは、今度は亜里沙ににやけた笑みを向けた。
「で、誰に作るの?」
「内緒」
亜里沙はラティファを軽くあしらって、ソフィーを振り向いた。
亜里沙が選んだトッピングを購入するソフィーを横から覗き込む。
その、コインを入れた巾着がいかにもファンタジーに見えてしまうのは不可抗力だ。
しかし、中身は全部金貨、とはならず、銀色と銅色が混ざって入っている。
アストリドは亜里沙より多く購入して、ふたりでサフィナのレシピを聞いた。
テントを出て向かった先に、他より人だかりが多いテントがある。そこは遠目に見ても分かるような的が飾られているので、射的のような遊びができるのだろう。
「やってみたいな」
亜里沙が控えめに言うと、やろう、とふたりが声を揃えた。
「おや、アリサ様」
テントに近づくと驚かれた。
亜里沙は見たことのない顔だが、店主の男はすぐに満面の笑みを浮かべる。
「どうぞどうぞ、こちらへ」
亜里沙は列に並ぼうと最後尾を探したが、集まった客までにこにこと場所を譲るので、前に進み出るしかなくなった。
どうやらカウンターから3mほど奥にある三つの的に向かってナイフを投げるゲームのようだ。
ナイフと聞いて一瞬どきりとした。
だが見せてもらったそれは刃の部分は本物だが、昔おもちゃで見たデザインそっくりで、怖さは少し和らいだ。
「今日の目玉の景品はソルサニアの花冠です」
ソルサニアと聞いてぱっと頰が紅潮するのを感じる。
「欲しい?」
ラティファの問いにうん、と頷いた。
「あ、ええと、誰から……」
やはりここは序列で考えてアストリドからだろうか。
「じゃあ、先にアス……アス」
「仕方ないからイディと呼べ。お母様が時々そう呼んでる」
アストリドは少し不満げに囁くと、前に進み出た。
侍女がコインを渡して、カウンターにナイフが三本用意される。
「……ご令嬢、大丈夫ですかね? その」
店主が「身長が」と言い淀むのにかぶせるように、アストリドが声を上げる。
「こう見えて狩猟一家の端くれだ。とくと見ているがいい!」
そして一投目。
アストリドの綺麗なフォームから放たれたナイフは的の真ん中にまっすぐ飛んで、刺さらず落ちた。
「くっ……この」
「まあまあ、あと二投ありますから。花冠は残念ですが」
「イディ、がんばれ!」
亜里沙が小さく声援を送ると、アストリドは深呼吸をして二本目を投げた。
トッと軽い音がして、的の下の方に刺さる。
「やった!」
亜里沙は喜んだがアストリドは不服そうだ。
「今度こそ……!」
三投目。
再びトッという音を立ててナイフは突き刺さる。
先ほどより近くはなったが、真ん中には遠かった。
「んーっ、悔しいっ」
拳を握りしめて、アストリドが唸る。地団駄でも踏みそうな悔しがり方だ。
「無念だ、アリサ」
「イディの敵は私が取ります!」
「ま、まあまあ……参加賞の菓子をどうぞ」
次は亜里沙の番だ。
颯爽と進み出てナイフを取る。投げ方を教わって構えた。
一投目、その軌跡に効果音をつけるなら「ヘナッ」だった。
マントを着ているせいか、思ったより力が入らず石畳の上に落ちる。
二投目、今度は力が入りすぎたか、前ではなく思い切り下に向かって直進し、石畳の隙間に刺さった。
「わあ、すごい」
店主の呟きが聞こえる。
三投目、的を通り過ぎて奥に積まれた木箱に当たって落ちた。
まさかの全滅だ。こんなに難しいなんて。
いつの間にか観客と化した人々から残念そうな声が上がる。
店主の男はにこにこしながら菓子を一つ差し出した。
「じゃあ最後はあたしね〜」
肩を落とす亜里沙と交代してラティファが進み出ると、フードの中を見た店主の形相が変わった。
「あっ……! ちょっと、あんたは駄目だよ」
周囲を気にしながら焦るように拒否する。
「じゃあ、あそこから投げるわ」
カウンターから2mほど下がった位置を指す。
観客がさっと分かれて、ラティファのためのスペースが出来上がる。
「……まあ……そこからなら……」
ナイフを三本受け取ったラティファが位置につく。
「えっ、大丈夫?」
的のあるテントの天幕はそこまで高くない。
そんなに遠くから投げたら上の布地に刺さるんじゃないかと亜里沙は心配した。
それに、アストリドの時は気づかなかったがマントにフードのままだとやりにくいはずだ。
亜里沙が心配から声をかけると、的を見つめるラティファの目が細められた。
そして口の端に、あのかっこいい笑みがうっすらと浮かぶ。
次の瞬間、ラティファは構えた。
一投目。
まっすぐ投げられたナイフはビュンッと空を切り、ドッと重い音と共に真ん中に突き刺さる。
二投目。
横薙ぎに振られた腕から飛び出して、ビュンッ、ドッ!
三投目。
すかさず舞うように回転して、その姿勢から投げられたナイフも見事に宙を切り裂いて的の真ん中に刺さった。
観客から大きな歓声が上がる。
「ふふん、どうよ」
得意げに腰に手を当てるラティファは、まるでヒーローのようだ。
「かっこいい! かっこいい、ラティファ!」
亜里沙が夢中で拍手を送ると、アストリドも拍手しながら悔しがった。
「私だっていつか……!」
「ああ……こうなりましたか……さあ、アリサ様どうぞ」
店主は苦笑しながら見事なソルサニアの花冠を差し出した。
もっと気安い物を想像していた亜里沙は、その、本物の王冠のような豪華さに度肝を抜かれた。
「こっ、これはさすがにイディに……!」
受け取ってみて分かったが、こんなに輝いているのに植物しか使われていない。
「編み上げるのがとても難しくて値が張るんですよ」
店主の苦笑がもはや泣き顔に見えてくる。
この早い時間帯に一番の目玉を取られたのだからこの反応は仕方ないかもしれない。
アストリドの頭に載せると、それは本物の王冠になった。
「馬鹿だなあ、アリサは」
ふっと笑って、アストリドは花冠を頭から外すと、亜里沙に差し出す。
「……この花は、お前の花だ。例え現実は違っても」
亜里沙にだけ聞こえるように、そう囁かれる。
言外の意味に気づいて亜里沙の心臓が強く打つと、横からラティファの声がした。
「あの〜、それ、取ったのあたしなんですけどね」
ラティファがやって来て手をひらひらと差し出した。
アストリドはむっとしたが、亜里沙が首を横に振ると、素直にラティファに渡した。
受け取ったラティファは、「ふーん」と花冠を眺める。
「これ、こんなに近くで見るの初めてかも」
そう呟いて、ラティファは亜里沙を振り向いた。
「……はい、あたしからプレゼント。星の光のようなお嬢さん」
亜里沙の頭にそっと載せられた花冠は、途端に清い香りで亜里沙を包み、そして、思う以上に重かった。
「えっ? あ、ありがとう」
「どういたしまして」
そう言って笑うラティファはとても美しく、亜里沙はそれ以上は照れて口がきけなかった。
「やるな、商人の娘」
「でしょ? もっと褒めてくれてもいいのよ」
観客からしっとりとした拍手が送られる。皆微笑ましそうに笑んでいて、亜里沙は更に恥ずかしくなった。
「ねえ、あの人にもやらせてくれる?」
ラティファがイザベラを指して声をかけると、店主は大慌てだ。
「だ、駄目! そんな格好していても分かりますよ! この方がやると的が割れます!」
店主の慌て振りが面白く、観客の中からも笑い声が上がって、亜里沙もつられて笑った。




