密会
それからすぐに、儀式に参加する人々が聖堂に移る時間となった。
人が動き出したので更に端の方に移動して見送っていると、エドワードとルージェンが並ぶように歩いてくる。
胸に鈍い痛みを感じながらもエドワードを見るが、その視線が合うことはない。
だが亜里沙との距離が近づいたとき、ルージェンが亜里沙を見た。
ルージェンの歩みがほんの少し遅くなった。
何か言いたげに亜里沙を見るルージェンを、亜里沙も目を逸らさず見返す。
初めて会った日、あの短い間でも強烈に印象に残っていた、感情の見えない顔はそこにはなかった。
少し強張った表情が、ラティファにそっくりの美しい顔に浮かんでいる。
「ルージェン」
エドワードに名を呼ばれ、ルージェンは我に返ったように歩調を戻すと、エドワードの隣に並んだ。
亜里沙はもう一度エドワードを見る。
だが今エドワードが見ているのは、ルージェンだ。
「アリサ、あの……」
アストリドがおずおずと亜里沙に声をかけるが、すぐにパーシヴァルに呼ばれて行ってしまった。
それからはただ呆然と、人々が通り過ぎるのを見ていた。
見覚えのない人々から軽く会釈され、頭を下げる動作を何度か緩慢に繰り返す。
ぼんやりし過ぎて、誰が行ってしまったかも把握しないまま、気づくとそばに王が歩み寄ってきていた。
「……あっ」
さすがに亜里沙は我に返った。
同時に、周囲から人が離れているのに気がつく。
(えっ、なんで王様がいるの)
王は一番先にここを出て行ったと思っていた。
だが王妃はいないし、わざわざ亜里沙と話すために残ったのだろうか。
「アリサ、息災であったか?」
穏やかな笑みを浮かべる王の顔をまじまじと見てしまう。
近くで見ると、美しい白い装束が似合う王は神々しいまである。
時間は大丈夫なのだろうか。
それに、これから大事な儀式なのに、わざわざ亜里沙に声をかけてくれるとは。
王の笑顔が困ったような笑みに変わって、何度も注意されたことを思い出した亜里沙は慌てて視線をずらした。
「す、すみません。元気でした」
「そうか、安心した。カケルはこちらに来ているから分かるが、アリサのことは話に聞くしかなかったからな」
そう言われると、戻ってきたと挨拶くらいすべきだったのでは、と思えて亜里沙は慌てた。
表情から伝わってしまったのか、王は「ああ」と声を上げた。
「そういう意味ではない。ただ心配だったのだ」
「陛下」
離れたところから焦るような声がかかる。やはりわざわざ亜里沙のために残ったようだ。
少し待て、と答える王を盗み見る。
三人の息子の中で一番王に似たのはエドワードだ。改めて聞くと声質も一番似ている。
亜里沙は目を伏せ、エドワードも歳を取るとこんな感じなのかな、とぼんやり考えた。
「月日が経つのは本当に早いものだ」
「あ……はい」
ちょうど考えていたことを見抜かれたかのような言葉で、亜里沙は肝を冷やした。
「きみには今回も助けられたな。心から感謝している。祭りが終わったら一度顔を見せに来てくれ」
思ってもみなかった亜里沙への労りに目を丸くする。
「助けてもらうばかりで心苦しく思っていたから、何か願いでもあれば、可能な限り聞いてやりたい。考えておくといい」
「あ、ありがとうございます」
畏れ多い気持ちで頭を下げると、ふと、声を落とした王の言葉が頭上に落ちてきた。
「だが、エドワードは駄目だ」
亜里沙は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
見上げると、静かに亜里沙を見る、エドワードと同じ色の瞳がある。
「キーランならば祝福してやれたが」
「え……あの、私は帰るので……」
王が今何を言ったのか理解すると、亜里沙は必死でそう言葉を絞り出した。
エドワードは駄目だとか、キーランならいいだとか。
何故今、この場で、そんなことを言われないといけないのだろう。
それよりも、何故亜里沙の気持ちを知っているのだろう。王の耳にはそんなことまで入ってしまうのか。
王は亜里沙が帰ると言ったことに、驚いたようだった。
「そうなのか? カケルに帰る意思があるのは分かったが、てっきりきみは残るのかと思っていた」
何故そんな風に思ったのか。誰かに何か言われたのだろうか?
聞いてみたかったが、言葉は出てこなかった。
「ふむ……私が思い違いをしたようだ」
王は申し訳なさそうに亜里沙に向き直る。
「このような場ですまなかったな。きみがあまりに思い詰めているようだったから」
言われたことへのショックよりも、そんな風に見えていたことへの衝撃が強かった。
情けなさで羞恥が湧き上がり、自分に対して腹が立った。
祭りの後に城に来るよう念を押すと、王は亜里沙のそばを通り過ぎた。
王に付き従って大勢が通り過ぎていく。
取り残されるように立つ亜里沙のそばにロナンがやって来た。
「大丈夫ですか? 何を言われたんです?」
亜里沙の顔を見て心配そうに問いかけてくる。
ロナンがこう聞いてくるということは、恐らく、亜里沙以外の誰にも王の言ったことは聞こえていないだろう。それだけでも安堵する思いだった。
「何でもないよ、祭りの後に顔を見せに来なさいって」
ロナンは、ああ、と顔を曇らせた。
「大事な儀式前に声をおかけになったかと思えば、わざわざこの場でそんなことを仰ったのか……」
もっと踏み込んだことまで言われたが、それを言ったところで意味はない。
「それで、この次はどうするの? 私にできることある?」
これ以上の気遣いは不要という気持ちを込めて言ったのだが、何故か余計に気遣うような表情をさせてしまった。
「少し休憩しましょうか」
「え? でも、例の騒ぎのことで大事な用事があったんでしょ?」
「ええ。ですがそれはライアンに任せます」
ソフィーとイザベラと共に、まだ近づくのを遠慮して離れた位置から見守るライアンを見やる。
「今朝早く仕事を一つ片付けたせいで私も少し疲れたので、付き合ってくださると嬉しいです」
そう言われると断れない。亜里沙は分かった、と頷いた。
やって来たライアンにロナンが用事を押しつけると、ライアンも亜里沙を気遣ってくれたのか、文句一つ言わずに引き受けた。
ライアンが文句を言わないのが珍しいからか、去っていく弟の背を、ロナンはしばらく見ていた。
ロナンについて移動する。
城はナイグラードの屋敷とは違う風情がある。
何よりエドワードが暮らしている場所なのだ。初めて訪れたときにはそんな余裕はなかったが、今はあちこちを見て回りたいと思った。
小さな応接室のような部屋に入って、ロナンとソファに腰掛ける。
ロナンは特に何も言わないが、亜里沙が話したければ聞いてくれるつもりなのかもしれない。
ソフィーによってお茶と菓子が用意され、ライアンの用事が終わるのを待つという名目で、ロナンと過ごすこととなった。
「王族とか貴族って、複数の妻を持つことはあるんだよね?」
特に会話らしい会話もなくただお茶を飲みながらのひと時。
ぼんやりしていた亜里沙は、ほぼ無意識のうちにそう口にしていた。
言ってしまってハッとする。
ロナンは亜里沙のばつが悪そうな顔を眺めて、「なるほど」と呟いた。
「その質問は陛下に言われたことと関係していそうですね。殿下のことで警告でもされましたか?」
「えっ違うよ」
いや、違わないか。
あれは警告というには穏やかだったが、それ以外のなにものでもないだろう。
「……王様が、キーランならいいって言うから、ちょっと気になっちゃって」
目を泳がせながら白状すると、ロナンはため息を吐いた。
「ひとりの人間が複数の伴侶を持つことは教義に反するので、持つならば愛人です」
「愛人……」
「特に王族は、子を授からないときや男児が誕生しないときに愛人を持つことがあります」
「そうなの? じゃあ、セレネ様は?」
「陛下とセレネ様の場合は単に愛し合ったからでしょう。セレネ様はアストラムですから、周囲の反発を買うこともなかったでしょうし」
どこか冷めたような物言いで、ロナンは語った。
「……それで、アリサさんは殿下とどうにか結ばれる方法がないか模索しているというわけですか」
その責めるような言葉の中に、失意のようなものを感じるのは気のせいだろうか。
「違うよ、ただ気になっただけだってば」
「残念ながら陛下がそれをお認めにならない以上、前にも申し上げたとおりアリサさんが殿下と結ばれることは絶対にありません」
違うと言っているのに歯牙にもかけないロナンに、亜里沙はむっとした。
「そんな風に言わなくてもいいでしょ。私は帰るんだから、王様が言ったことなんか関係ない」
沈黙が訪れた。何か言い返されると思っていた亜里沙は、不思議に思ってロナンを見る。
何を考えているのか分からない顔でこちらを見つめるロナンと目が合った。
「……なに?」
目が合ってもロナンは何も言わず、逸らされもしない視線に、亜里沙は少しの居心地の悪さを感じる。
ややあって、ロナンは亜里沙から目を離した。
「いえ、少し……失念していて」
それきりロナンは口をつぐんだので、何を失念していたのかは分からない。
その目は亜里沙から逸らされたまま。
ロナンは何故か、戸惑っているように見えた。
亜里沙も何も言えないまま、そのまま静かに時は流れていった。
しばらくして、途中で席を外していたソフィーが戻ってきた。
「旦那様」
珍しく亜里沙ではなく、ロナンを呼んだソフィーは、近くまで来ると亜里沙に聞こえないように何かを囁いた。
「断ってくれ」
ロナンがすぐにそう言って、ソフィーは「はい」と返事をすると再び部屋を出ようとした。
「待ってソフィー、どうしたの?」
胸騒ぎがした亜里沙は立ち上がってソフィーに迫った。
「アリサさん、聞く必要はありません」
だがロナンを無視してソフィーを見つめる。
ソフィーは眉を下げて亜里沙を見返したが、すぐに折れた。
「……ヤーラ王女殿下が、アリサ様との面会を希望されています」
「断っても構いません。私が何とかしますから」
「いや、行くよ。軟禁中でも、私なら会えるんでしょ?」
だからヤーラも亜里沙を呼んだのだろう。
もしかしたら、侵入未遂のことを何か聞けるかもしれない。
「それはそうですが、会う必要がどこにあります?」
ヤーラとのことをロナンに直接話してはいないが、やはり耳に届いているのだろう。
険しい表情の中に、亜里沙を案じる眼差しがある。
「侵入のこと、聞けるかもしれないじゃない。ロナンだって知りたいんでしょ?」
そう言うと、ロナンは眉を顰めた。
「そんなことをさせるつもりで連れてきたのではありません」
怒らせてしまったようだが、亜里沙は食い下がる。
「私が知りたいんだよ。大丈夫だから、行かせて」
必死で懇願する。
ロナンはしばらく渋ったあと、ようやく折れてくれた。
厳重に兵士に包囲されているかのような大きな両扉。
亜里沙のみが入ることを許可され、不安げなソフィーに見送られながら扉をくぐる。
この、ヤーラが与えられた部屋に通されたとき、ヤーラは癇癪を起こして枕を投げたところだった。
若い侍女が小さく悲鳴を上げるが、これをキャッチするのは亜里沙にとっては難しくない。
枕を片手で掴んで受け取ったあと、ヤーラを見る。
ヤーラはしまった、という顔をしていたのに、亜里沙が無事と分かると途端に不機嫌になった。
「遅いじゃない、来訪者」
「亜里沙です、ヤーラ王女」
ヤーラは大きな目で亜里沙を睨むと、天蓋の豪華なベッドの上から降りた。
「私じゃない! 確かに入ろうと思ったけど、入れなかったんだもん! アリサからそう言ってよ、エドワード様に、そう伝えて!」
そんな言い分はもうエドワードには伝わっているだろう。
亜里沙は呼吸を整えて、淡々と話すよう努めた。
「なぜ入ろうとしたのか、黙っているそうですね。それを話してくれないと、協力できません」
ヤーラはうっと口をつぐんだ。
くりくりの目が潤んで、唇を小さく噛む。
亜里沙がじっと見据えると、ヤーラはぽつりとこぼした。
「ヨハラのせいよ……」
「ヨハラ?」
確かそれは、少し年配の女性で、ルージェンの侍女だ。顔立ちがラティファとルージェンによく似た侍女。
「ヨハラが言ったんだもん! ルージェンはパーシヴァル様と密会してたって! だから証拠を掴めばエドワード様を返してもらえるって!」
驚きすぎて態度が崩れるところだった。
亜里沙は何とか平静を装う。
「でもヨハラさんはルージェン様の侍女でしょう」
「知らないの?」
ヤーラは顔をしかめて言い放った。
「ヨハラはラティファのママなのよ。ルージェンに娘をいじめられて、恨んでるんだから」
亜里沙は目を見開いた。今度こそ、態度は崩れ去る。
あの日、ラティファから聞かされた真実。
ラティファとルージェンの母親。王に奪われた母親の、妹。
姉を弄ばれ、姉の子、ラティファを産んだことにされたその女性こそが、ヨハラだと。
そしてそのヨハラは王女であるルージェンの侍女をしている。
この複雑に絡まった奇妙な関係は、亜里沙にさえ不吉な予感を抱かせるものだった。




