翔の要求
広場に集まった民衆に向けてルチアが言葉を授け、そして皆が祈りを捧げ始めた頃、騎士を数人引き連れたロナンがやって来た。
周囲の人々が窮屈そうにしつつもロナンと騎士のために道を譲っている。
視線が亜里沙たちにも集まり始め、不安を覚える。
「今のうちに移動しましょう」
ロナンは立ち止まらずにそう言って、イザベラと護衛がそれに従い、さり気なく亜里沙たちの壁となりながら移動を促した。
熱気に包まれていた広場が、打って変わって静まり返っていく。
皆が一心に祈りを捧げる、その静かなささめきを聞きながら、亜里沙たちはホール内に入った。
もともと厳粛で長い名前があったという、この建物。入り口の扉から広がる空間はまるでマクベルド邸のホールのような、豪華な造りだ。
中央が吹き抜けになっていて、そこから見える天井はとても高い。
豪華なのだが、厳かな雰囲気に満ちているためか華やかさは感じられない場所だった。
外の空気が遮断されると、ロナンは足を止めた。
「聖王がアリサさんとの対話を望んでいます」
難しい顔で、周囲に響かないように静かに告げる。
「こうなることを予想しなかったわけではないが……聖王も、アリサさんがここへ来ると確信していたようですね」
亜里沙は強い不安を覚えて返事ができなかった。
「国王と王太子は? あの女の好きにさせているのか?」
苛立ったように言うキーランに、ロナンが呆れた顔をする。
「そう単純な話ではないと、分かっていますよね」
すると翔がふたりの会話に割って入った。
「その場には俺も立ち会えますか?」
「ええ、許可されています。それから、ラティファ」
ロナンは眉を顰めて、亜里沙を盾にするように腕にしがみつくラティファを見下ろした。
「本来ならラティファはここに立ち入ることはできない。仕方なく連れて来たが、護衛をつけるから先に帰っていなさい」
「ええー」
控えめにだが、渋ってみせるラティファ。
亜里沙が思わず懇願するようにロナンを見ると、その視線に気付いたロナンは眉を下げた。
「いくらアリサさんの頼みでも聞けません」
「じゃあ、あたしをアリサのふたりめの侍女にしてよ。それなら問題ないでしょ」
「外の人だかりがある程度なくなるまで、お願いできない?」
亜里沙もラティファの援護に回る。騎士に何か耳打ちされたロナンは、ため息を吐いた。
「……では大人しくしていてください。特にラティファ。私は少し席を外します」
ロナンに呼ばれたキーランは不安げに亜里沙を見たが、何も言わずにロナンの後を追った。
ロナンとキーランが去った後、待機する部屋への案内があるはずと言うイザベラの言葉に従って、亜里沙たちは沈黙の中立ち尽くした。
このホールの空気がそうさせるのか、流石のラティファも一度亜里沙にお礼を言ったきり黙ってしまっている。
それから少しして、イザベラが言った案内よりも先に、そして予想よりも早く、その迎えは来た。
困惑した様子で後ろに続く侍従らしき男性を差し置いて、やって来たふたりの司祭が、無感情に亜里沙を見た。
「聖王猊下がお待ちです」
どこかで聞いたような言葉に嫌な予感を覚えながら、亜里沙は司祭に従った。
ソフィーとラティファ、そして護衛は同席できないと言われ、別の部屋へと案内される。
亜里沙と翔、イザベラのみが、ルチアが待つ部屋へと通された。
「アリサ! 久しぶりね!」
嬉々とした声がアリサを出迎える。
外に立つエンリクと数名の騎士に会釈して厳重な警備の扉をくぐると、応接室のような部屋の中にルチアがいた。
だが亜里沙の目が真っ先に捉えたのは、ルチアではなくエドワードだった。
目が合った瞬間、思わず逸らしてしまう。まさかここにいるとは思わなかった。
亜里沙はまともにエドワードに目を向けられず、挨拶だけは何とか口にした。
部屋全体が重厚な色のためか、重苦しい空気に満ちていて、その中でほとんど全身白の衣装を着るルチアと、後ろに控えるふたりの司祭は妙に浮いて見える。
「ごめんなさいね、アリサ」
亜里沙の様子を何か勘違いしたのか、ルチアが申し訳さそうに言った。
「せっかくあの老いぼれと王太子が身動きが取れない間にアリサと会おうと思ったのに、あの老いぼれはどうしても誰か立ち会わせたいみたいなの。居心地が悪いでしょうけれど、我慢してちょうだい」
亜里沙は素直に頷いてみせた。あの老いぼれ、とは恐らく王のことだろう。内心で王に感謝を述べる。
「騎士はそこで止まって、それ以上近付かないで。そしてお前は立っているのよ」
いつかのようにエドワードはソファの隣に立たされたまま、亜里沙と翔はそのソファに腰掛けた。
亜里沙のすぐ隣にはエドワードが立っている。対面するルチアの威圧感を気にするよりも、どうしても隣に神経が集中してしまう。
勝手に浮かれる気持ちを、歯を食いしばって何とか抑える。
すると、そんな亜里沙の顔を見て、ルチアはまた誤解した。
「あの演説は少し大袈裟に感じたかしら?」
「あ……」
亜里沙が返事をする前に、ルチアはおかしそうに笑った。
「大丈夫よ。来訪者様の邪魔をするなとわたくしも大司祭も釘を刺しておいたから。これまでよりは安全になったのではないかしら……それとも、そんなに予言が心配?」
予想だにしなかった問いかけだが、的外れではない。
亜里沙は素直に答えることにした。
「はい、そうです」
するとルチアは残念そうな顔で、美しい唇から深く息を吐きだした。
「何よりもこのわたくし自身が、望んでいると言っているのに。たとえあなたが殺すことになったとしても、罪に問われるなんてことはないから安心していいのよ」
遠慮のない物言いに亜里沙の肩が揺れる。
「猊下、そのような言葉で強要しないでいただきたい。我が国の来訪者です」
「お前は黙っていなさい。発言は許可しない。次に口をきいたら追い出すわよ」
亜里沙を庇ってくれたためにエドワードが発言の機会を失ってしまった。だが亜里沙はそれでも嬉しいと感じてしまう。
「聖王様、俺が質問してもいいですか?」
「あら。あなた、随分と言葉が上手くなったのね」
翔を見て満足げに目を細めたルチアは、翔に発言の許可を与えた。
翔は小さくお礼を述べると、早速本題に入った。
「聖王様の予言……予知ですが、見えるのは彼女の顔で間違いないですか?」
「間違うわけがないわ。とても近くでわたくしの死を見ているのだもの」
「では、場所は? その時彼女が着ている服は?」
ルチアの穏やかだった笑みがゆっくり歪み、口の端が吊り上がる。そして、小さく「はっ」と息を吐くような笑いが溢れた。
「……小賢しいことを聞いてくるわね」
ルチアは右の指でこめかみの辺りを揉むようにしながら、ソファの背に上体を沈めた。
「やっぱり可愛いアリサだけで、同席は騎士のみを許可すべきだったわ。わたくしの慈悲はいつも間違った結果を招いてしまうようね」
「答えていただけないんですか?」
翔の言葉に、とうとうルチアが舌打ちした。
「そんなもの、教えるわけがないでしょう、馬鹿ね!」
ルチアが吐き捨てた言葉には反応せず、翔は更に質問した。
「彼女はどういう姿勢で聖王様を見ているのでしょうか? その時の彼女はどんな表情で、どんな様子ですか?」
「あら、今度は何? アリサが直接その手で、わたくしを殺すかどうかを判断しようとしているの?」
亜里沙が固唾を飲んで見守るのに対して、翔はほとんど眉すら動かさずルチアを見据えている。
ルチアは歪んだ笑みをその美しい顔に浮かべた。
「本当に小賢しい……でも、その度胸に免じて少しだけ答えてあげる」
そしてルチアは再び上体を起こし、組んだ膝の上で両手を合わせた。
「予言の日は今日ではないわ。アリサの服装が違うもの」
「場所は聖国、ではないでしょうか?」
「……お前」
苛立ちを含んだため息を吐いて、ルチアは翔を睨んだ。
「残念ながら場所は分からないわ。そこまではぼやけていて見えないの」
これはどうやら嘘ではなさそうだった。
翔は少し考えるようにした後、再びルチアに目を向ける。
「その予言は回避される可能性がありますよね? 少なくとも聖王様は、それを恐れているようですけど」
ルチアは目を見開いて翔を凝視した。
ルチアのその様子は明らかに今までとは違っていて、まるで初めて見るものに対して驚愕しているかのようだ。
「何を根拠に……お前は、神を恐れないの?」
「根拠は聖王様が今、ご自身で示しています」
間を置いて、翔は「それと」と付け加えた。
「……その神は、俺の神じゃないので」
ここで初めて翔は遠慮がちに呟いたが、ルチアは聞き逃さなかった。
「今までの来訪者の中で、お前は最も弱いくせに扱いにくさは抜きん出ているわね。まさか言葉を操れないと油断していたら、こんなに腹立たしいことをほざくなんて!」
まるで嘲笑するような響きで声を上げて笑った後、盛大なため息を漏らす。
「いいえ、カケル。それは半分、正しくないわ」
翔が眉を顰めると、ルチアは若干落ち着きを取り戻して穏やかな笑みを見せた。
「確かにわたくしはそれが回避されることを恐れている。けれど、わたくしの恐れも、恐れからくる言動も、関係ないの。わたくしがどうしようと、アリサがどうしようと、必ず予言は実現する。それが神の、女神の御業というものよ」
「必ず……?」
「そう、必ずよ」
「では、それを待っていればいいのでは。わざわざ彼女を不安にさせるようなことをしなくても」
「いいえ。分かっていないわね。矛盾しているように思えるのでしょうけれど、必ず実現するからこそ、わたくしはわたくしの思うままに行動すると決めているの。理解できるかしら?」
少しの間の後、翔の表情が気遣わしげなものに変わった。
「……その不安がとても強いもので、理屈ではどうにもならないということは、理解しました」
ルチアは苦いものを噛んだように顔を歪めた。
「あら、優しいこと。わたくしの心情だけでも理解してくれて嬉しいわ」
「でも……すみません、聖王様。それでも、聖王様に要求があります。俺の、来訪者に与えられる特権を使って」
ルチアは眉間に皺を寄せて、探るように翔を見た。
翔は一瞬申し訳なさそうな表情を浮かべたが、ルチアから目を逸らさなかった。
「今後彼女がどこへ行こうと、何をしようと、それを制限したり脅かすようなことは一切しないと約束してください」
「あなたたちがナイグラードに閉じこもっているのは、わたくしが仕向けたことではないわよ」
「だけど、あなたが原因でそうなったんだ」
表面上だけでも敬っていた素振りさえ、翔は捨ててしまった。
「予言が実現すると確信を持っているのなら、今後は彼女に何も強要しないでくれ」
ルチアはしばらく翔を睨んでいたが、何故かふとエドワードに視線を移した。
「ああ……こういうことなの。王家ではわたくしに命令できないから、それでカケルを同席させるように言ったのね」
エドワードは答えない。ルチアは鼻で笑うと、いいでしょう、と微笑んだ。
「わたくしが来訪者のことが大好きで、どうしても甘くしてしまうことをありがたく思うことね。それで? 要求はそれだけ? 誓約書に署名でもしましょうか?」
すると、エドワードが外套の中から丁寧に丸められた羊皮紙を取り出した。
目の前に差し出されたそれに流石のルチアも言葉を失い、呆れた様子で受け取る。
ルチアが煩わしそうに手を動かすと、控えていた司祭が奥の机から羽ペンとインクを持ってくる。
そして羊皮紙に目を通したルチアは「ふうん」と口の端を歪めた。
「アリサには自由を与えるのに、わたくしには死ぬその日まで戦えと言うのね。そして有事の際にはアリサとカケルの保護に手を貸せ、と」
ルチアが羊皮紙から目だけを上げて鋭くエドワードを見る。
「これを全て、さも来訪者が要求しているかのように……よくも、やってくれるじゃない、第二王子」
亜里沙は反射的にエドワードを見上げたが、エドワードはルチアの動向を注視している。
その横顔に緊張が滲んでいるようで、亜里沙は心配になった。
「いいでしょう。穢れはこのまま落ち着いていくだろうし、あとは聖水でどうにかできる程度でしょう。必要ならその聖水もまた分けてあげるわ。アリサの保護に手を貸すのは言うまでもないし、カケルも、生意気だけれど、わたくしは来訪者が大好きだからね」
最後にたっぷりと皮肉を込めて、ルチアは羊皮紙にサインした。
「さあ、これで本当に最後かしら」
翔も緊張していたようで、力が抜けるように小さく息を吐くと、「今のところは」と答えた。
翔のその言葉に、ルチアはもはや感心したように目を見開いて笑みを浮かべる。
退室を促されてソファから立ち上がった時、ルチアが最後に言った。
「わたくしは祝祭の間は王都にいるから、アリサは気が向いたらわたくしを訪ねてちょうだい。これは強要ではなく、些細なお願いよ。ああ、それと、カケル」
ルチアは翔を見て目を細めた。
「怯え、よ」
「……はい?」
「わたくしの死を見ているアリサの顔には、強い怯えがあった」
亜里沙は翔に対して語られる自分のその様子に思わず息を呑む。
死を間近で見るのならそれは何もおかしくない反応だとは思うが、ルチアは別の印象を抱いたようだ。
ルチアだけが知る、亜里沙のその表情に。
「それはまるで、自分のしたことに怯えているようではなくて?」
誰も答えられないことを分かっているのか、ルチアはおかしそうに笑った。
そしてその笑い声は、亜里沙の耳にしばらくこびりついて離れなかった。




