女神の代弁者
王都での祝祭の初日。
これまでに何度もロナンに頼み込み、亜里沙の願いならほとんど叶えてくれるロナンから何度も却下されてきたこと。
──祝祭の初日に行われる、ルチアによる大演説を見届けたい。
この二日前の夜、ようやくロナンが折れてくれた。
この期間に少しずつ、噂に対する民衆の反応が軟化してきたことが理由だった。
そして迎えたこの日、亜里沙と翔は平民の服に身を包んだ。
この日はマントの留め具に、あのソルサニアのブローチは使えない。だが巾着に大事にしまって、万が一にも落ちないようにしっかりとベルトにくくりつける。
同行するキーランも今日は黒の服を着ていない。顔を見なければ平民と言える姿だ。
イザベラと護衛数人も平民に扮し、念のためロナンとは別行動することとなった。
部屋で軽く食べた後、早朝にホールで挨拶を交わす。
「くれぐれも気をつけてください。門の通過は問題ないはずですが、中に入ったら、絶対にイザベラから離れないこと」
もう何度となく言われたことだ。亜里沙がしっかり頷くのを見ても、ロナンはまだ心配そうだ。
そしてロナンはキーランの事も心配したが、キーランはあれ以来ロナンとはどことなく気まずそうで、ろくに返事もしなかった。
屋敷を出て、ルイが出してくれた二台の馬車に乗り込む。
何故か、マントで厳重に身を隠したラティファが既に乗り込んでおり、亜里沙は一瞬誰だか分からず度肝を抜かれた。
何だか妙に既視感のある姿だが、こんなに怪しい風貌では逆に目立たないだろうか?
「おはよー、アリサ」
「おはよう……って、どうしたの?」
「だって、何を話すのか気になるじゃない。聖王なんて滅多に見られないし、それにアリサの今後が心配だからね」
言葉は軽く語られても、まっすぐなラティファの視線が嘘偽りない気持ちを伝えてくるようで、亜里沙は嬉しかった。
御者台にルイがいる馬車には亜里沙、キーラン、イザベラ、ラティファが。
もう一台の、御者台に護衛がふたり乗る馬車には翔とソフィー、残りの護衛が乗ることとなった。
こうして、久しぶりの王都へ向けて出発する。
「王都か……メイブには会えるかな?」
「あら、知らないの? メイブは少し前に母親の出身の領地に移ったわよ」
「えっ?」
あの時、血相を変えたライアンに何も聞かず忘れるよう言われたことを咄嗟に思い出す。
もしかして何かあったのだろうか。
だがラティファはそんな亜里沙の不安を笑い飛ばした。
「そんな深刻な顔しちゃって! 大丈夫よ、ただ騒がしくない所で体を労りたいって理由だから。イドルや巣の出現も、もうほとんど聞かなくなったしね」
王家ががんばってるのね、とラティファが他人事のようにのんびりと言った。
聞いた話ではオルマはカンドルヴィアと比べるとイドルの害が少ない。暑さと砂の難はあるものの、資源も、保有する聖水の量も多く、とても豊かであるのだ。
だからと言ってイドルを放置できるわけではないが、それでもイドルよりも人間同士の問題が目立つ時があると翔が以前教えてくれた。
そして、ここ最近ではニーズも回復してきているようだし、結局は亜里沙がほとんど何もしないまま、収束しようとしている。
それについては不満はないが、だがきっとエドワードも尽力してくれた事だ。だとしたら自分も何かしたい、と亜里沙は思うのだった。
王都の門に着くと、ロナンが言っていた通りあっさりと通過することができた。
丁寧に舗装された道を、ナイグラードよりは生真面目な雰囲気の街並みの中しばらく行き、王都のマクベルド邸の前で停車する。
王都の屋敷は一瞬ナイグラードに帰って来たのかと錯覚するほど造りが似ている。
ここから、便宜上ホールと呼ばれる大きな建物が鎮座する広場まではそう遠くないという。
この建物の二階部分にあるバルコニーはとても広く、ルチアはここに立って集まった民に声を聞かせるのだそうだ。
そして、来賓としてアルデスペランの第二王子とアストリド、オルマの第四王女と第五王女が、カンドルヴィアの王家の面々と共にこのバルコニーに立つらしい。
「面白い事を教えてあげるね」
馬車を降りて、キーランの反対側で亜里沙の隣を陣取ったラティファが耳元でそう囁いた。
「オルマの第四王女は14歳で、第五王女は18歳なのよ」
「そうなの?」
そう言えば、以前アストリドが年齢が合わないと言っていたような気がする。確か、第五王女ルージェンは、年齢で考えれば第二くらいのはずだ、と。
「そ。うちの王様はちょーっと女にだらしなくてねえ、第五王女の母親は家柄はしっかりしてるけど人妻だったの。だからなのか自然と王女も忌避される存在になって、息を潜めて暮らしてたんだそうよ」
「え……」
「それが王女として認められたのが三年前、この国の第二王子殿下の婚約者を決める時のことだったんだって」
「エドワード様の?」
うん、とラティファは頷いたが、話しているうちに人通りが多い道に出て、それきり黙ってしまった。
何故そんな話を聞かせてくれたのかも分からないが、亜里沙にとってその先が非常に気になるだけに、しばらく頭から消えてくれなかった。
広場に出ると、人の多さで圧倒された。ほとんど前も見えず、背が高い人が近くにいると上の方まで視界が覆われる気がする。
キーランの手が亜里沙の手をしっかりと掴み、反対側ではラティファが腕を組んでくれる。
イザベラが前に立ち、亜里沙のすぐ後ろに並ぶ翔とソフィーの後方を、護衛たちが固めた。
少し不自然な隊列のようになっても、この多さであれば、ばれはしないだろう。
王都マグヌフィリアの広場は、ナイグラードの広場より広いのだが、人混みのせいで見渡すことは出来ない。だがいつまでも途切れない人の波でその広さは窺い知れるようだ。
ホールのバルコニーがよく見える位置で止まる。
もう少し端に寄りたかったが、そうするとバルコニーがあまり見えなくなる。
だが周囲が全て人、人、人、のこの状況は、もしもこの数が押し合って将棋倒しのようになったらと不安を煽るものだった。
他にも余計なことを考えてしまう頭を小さく振って、亜里沙は人知れず深呼吸した。
少しすると、バルコニーに人が現れた。
王太子のパーシヴァル、隣にアストリドが立ち、その隣には少し間隔を空けて薄茶の髪の凛々しい男性が立つ。身に纏う装束がアストリドのそれと似ているから、これがアルデスペランの第二王子だろう。
中央には久しぶりに見る王と王妃が並び立ち、亜里沙の位置から近い側にエドワードとオルマの王女が並んで立っている。
背格好からもエドワードの隣にいるのがルージェンで、もうひとり、ルージェンと比べるとだいぶ小柄で幼く見えるのが第四王女だろう。
離れた位置でもエドワードの姿に目を奪われる。祝祭のための装いか、部分的な鎧すら身につけていない姿は新鮮だ。装飾用の外套も様になっていてかっこいい。
熱心に眺めていた亜里沙は、必然的に彼に寄り添うルージェンにも目を移した。
(あれ……? 何だか……)
そっと自分の隣を見る。
フードに隠れていて、横からではラティファの顔は確認できない。
もう一度ルージェンを見る。
幾重にも薄い布が重なったような、藍色に金糸が美しいオルマのドレスを着た、美人。エドワードに届きそうなことから、この世界の女性にしては身長は高めだ。
褐色の肌で、濃い茶色の髪。瞳の色はここからでは見えないが、何故か薄い灰色のような気がする。
その顔立ちは、ラティファにそっくりだ。
自分に馴染みのない外国人の顔が同じように見えるあの現象かとも思ったが、その隣に立つ第四王女と比べるとちゃんと顔が違って見えるので、原因は別だろう。
つまり、ラティファと王女ルージェンは驚くほど似ている。
強いて言えばルージェンの方はややおっとりした顔つきだろうか。
もう一度ラティファを見ると、ほぼ同時にラティファも亜里沙を見た。
フードに隠れて影ができた顔から、灰色の瞳が亜里沙を見つめる。
「似てるでしょ、あたしとあの王女様」
「う、うん……」
辛うじて返事のみを口にする。
ラティファは意味深に微笑んだ。
「ルージェン様の母親は人妻だったって話したよね。私の父、イザークの妻だったのよ」
亜里沙にのみ聞こえるような声量だとは言え、そんなことを軽々しく口にしたラティファに、亜里沙は言葉もなかった。
つまり、ラティファとルージェンは異父姉妹だということだ。
「……あれ、でも年齢は?」
確かラティファもルージェンも同じ18歳のはずだ。
「そう、だから本当はあたしがあの王女よりお姉さんなの。でも一国の王が子を産んだばかりの母親を奪ったと言われないために、あたしは一年遅く、しかも母親の妹から生まれたということにしたわけ。そんなことしたって、ほとんど意味なんかないのにね。苦し紛れに考えたことだとしても、笑えるくらいお粗末でしょ」
ラティファは誰が、とは言わなかった。だが最後に放った一言に、思わず背筋が寒くなるような怒りと恨みが込められているように感じる。
それはおよそラティファには似つかわしくない、暗い感情の刃だった。
「ね、秘密にしてね。あたしは18歳で、あの王女とは他人よ」
そう囁いて微笑むラティファの顔からは、もうあの闇は消えていた。
そもそも何故それを亜里沙に話したのだろう。
奔放でいつも明るいラティファであっても、その辛さをひとりでは抱えきれなくなる時があるのだろうか。
亜里沙はただ頷いて、バルコニーを見上げるラティファにならって、再びエドワードとルージェンを見上げた。
(忘れてしまおう……踏み込んじゃいけない)
それは亜里沙に背負えることだとは到底思えなかった。だから亜里沙は、しばらくエドワードを眺めることに集中した。
ルージェンを羨ましく思う感情を抑えながら眺めていると、ふと、気が付く。
ルージェンの隣の第四王女が、先ほどからちらちらとエドワードに視線を送っている気がするのだ。それも、亜里沙自身が非常に身に覚えのあるような眼差しで。
ルージェンでさえ、視線を集まった民衆に投げかけたままだというのに。
(何、あの子……)
むかむかと胸と腹を焼くような、熱のようなものを感じて、慌てて亜里沙は無理矢理視線を王に固定した。
そして、聖王ルチアが数人の司祭で脇を固めて、バルコニーの奥から現れた。
初めて会った時よりも更に神聖で厳かな、どこか重そうな衣装を身に纏っている。
だがそれは、ルチアが着ると見事に様になっていた。
民衆に言葉を投げかけていた王が場を譲り、ルチアがバルコニーの手すりの間際まで進み出る。
いよいよだ。亜里沙が固唾を飲んで見守る中、ルチアはその彫刻のような顔に笑みを浮かべた。
亜里沙の印象にあるルチアとは別人のように慈愛に満ちた笑みで、そして開かれた口から、穏やかで柔和な声が民衆に向かって語りかけた。
「東の地に住む女神の子たちよ。
今日、そなたたちの顔を見ることができて嬉しく思います」
耳鳴りがするほど静まり返った中に、ただルチアの声がこだまする。
「未曾有の危機を脱し、こうして春の訪れを祝す日を迎えられたことは何より喜ばしいことです。
これも全て、女神イーリスがわたくしたちを愛し導こうとしてくださるゆえなのです。
そなたたちはよく働きよく家を守り、よく隣人と手を取り助け合い、暗き日々を耐え抜いた。
王が、領主が、そなたたちの上に立つ者が、女神が遣わした守護者としての血を脈々と受け継ぎ、そなたたちがこれによく仕え支えて今日がある。
そなたたちには女神によってもたらされた奇跡を受け取る資格があるのです。
ここに再び導かれた来訪者は、ひとりはその知恵で守護者たる者に光明を与え、ひとりは武器を手に取って押し寄せる穢れを払い、死した大地を清めた」
亜里沙は眉を顰めた。
ふたりは、特に翔は、辛い目に遭った。それを否定する気はない。
だがルチアが口にしたような、そんな大それた事はしていない。
しかし周囲にいる民衆は、少なくとも表面上では皆大人しくルチアの言葉に聞き入っている。
見える範囲でも、祈るような姿勢で耳を傾ける人々ばかりだ。
「わたくしに待つ未来、そなたたちと等しく訪れる死について、そなたたちも耳にしたことでしょう。
世を覆った穢れにあてられ惑わされた者たちが、口々にあらゆる言葉でそれを語ったことをわたくしは知っている。
しかし皆よ、虚言に耳を傾けてはならない。
心を清くし、女神に感謝し、祈りを捧げて、女神がもたらした最大の奇跡である来訪者を迎えなければならない。
わたくしは聖国を預かる者として常に、穢れがもたらす暗い死の影に脅かされてきた。
わたくしの未来には常に、穢れに敗北することによる死という不名誉と、守護者として戦い抜き女神に許されて旅立つ名誉が、どちらも存在している。
そしてこの来訪者は、不名誉を取り除き名誉と共に旅立つ日を迎えられるよう、わたくしに道を示してくださる。
それが、わたくしが得た予言の真実なのです」
どよめきが走った。民衆の間から、「来訪者様」とまるでひれ伏すような声が次々と上がり始める。
「罰するべしと口にした者は女神に懺悔するがよい。聖堂の扉はいつでも開かれている。
この来訪者はわたくしの武器であり、そなたたちの王の武器である。それはすなわち、そなたたちを守る最大の盾である。
女神に感謝を、奇跡たる来訪者に感謝を、わたくしもそなたたちと共に祈りましょう」
この総毛立つような感覚を、どう言い表していいのか分からなかった。
広場を埋め尽くした民衆を取り巻く、息が詰まるような熱気のようなものが、一帯の空気を唸らせている。
感謝を叫ぶ声、許しを請う声、感涙に咽び泣くような声──
その全てが、亜里沙には異様に感じられた。
ここが異世界なのだと改めて認識させられる。
そっと翔を振り向くと、険しい顔の中に戸惑いと、ある種の危機感のようなものが感じられる。
亜里沙はその目をバルコニー上のエドワードに向けた。
その表情が分かりやすく変化しているわけではない。
だが後方から黙ってルチアを見守るエドワードの眼差しには、何かを見極めようとしているような、そんな鋭さと冷たさがある。
そしてエドワードのその表情は、何故か、勝てないと分かっていてひとりで戦っているような、そんな心細さを亜里沙に抱かせた。
(エドワード様の力になりたい……)
せめて帰るまでの間だけでも。
亜里沙はそのことをエドワードに問いかけてみようと心に決めて、再び演説を続けるルチアを見上げた。




