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恋の詩

 それから三日が経過した。


 キーランは以前ほどはなくとも大体の時間はまた亜里沙と過ごすようになった。

 最初はぎこちなく、そばにいるのに口数も極端に少なく、ロナンが気を遣って声をかけてくるような有り様だった。


 だが三日もするとキーランも落ち着いてきて、時々暗い表情をしているものの、また普通に会話をしてくれるまでになった。



 そして、別の意味で気掛かりだったロナンからは、翔もライアンもいない時に一度、執務室に呼ばれてこう問いかけられた。


「アリサさんの様子が変わったように見えるのですが、また馬鹿げたことを考えていないでしょうね?」


「馬鹿げたことって言わないで」


 口ではこう言っていても、ロナンは以前とは違って落ち着いている。

 ロナンのことだから、亜里沙にちゃんと帰還の意思があると分かっているのだろう。


「それで? もう私を利用してはくれないんですか?」


 なんてことを言うのだろう。

 うっすらと笑みを浮かべるロナンを眺める。


「……私、ロナンとは仲良くしたいよ。そういう、利用だとか、変な関係とかがなくても。話し相手にもなるし。それじゃダメ?」


 窺うようにロナンの目を見上げる。

 ロナンは不意をつかれたような顔をした。が、すぐにその顔に笑みを浮かべる。

 それはどこか亜里沙を冷笑しているようにも見えたが、何故か今までで一番、ロナンとの距離が近く感じられるものだった。


「そんなに可愛くお願いされては頷くしかないですね。では私も、口説くのはしばらく控えましょう。必要であればいつでも慰めて差し上げますが」


 亜里沙に顔を寄せて最後を囁くように言うと、ロナンは離れた。いちいち心臓に悪い。

 ここまでくると亜里沙をからかって楽しんでいるのではないかと思えてくる。




 キーランとの仲直りから三日経ったこの日の午後、亜里沙はキーランを連れてラティファを訪ねた。


 珍しく、招待状というほど大それていないが、手紙を受け取ったからだ。

 そしてその手紙はロナン宛てで、招待されたのは亜里沙のみだった。


「……アリサさんが着る衣装を取り寄せたので宿に来て欲しいとのことです」


 手紙にもう一度目を通しながら、ロナンは言った。


「あれはアリサさんのためだったのか……わざわざそこまでして、何を着せる気なんでしょうね」


 こうして、亜里沙は嫌な予感を覚えながら、どうしても行くと言うキーランを伴って出かけたのだ。



 キーランを連れて行くと、ラティファは迷惑そうなのを隠しもしなかった。


「連れてきちゃったのはもう仕方ないけど。アリサが着替えている間大人しくしてて、絶対こっちを覗かないでよね!」


「分かってる」


 木製のおしゃれなパーテーションの向こうにあるテーブルとソファを指して、これでも食べていろとばかりにキーランに果物籠を押しつけて追いやり、仕切りを背にイザベラを立たせる。


「別の部屋で待つのも嫌だなんて、あんなに子供みたいな人だったかしら」


 ぶつぶつ文句を言いながら、ラティファは亜里沙を振り向いた。

 その顔に満面の笑みが浮かんだのを見て、亜里沙は覚悟を決めた。



 今日ラティファが張り切って亜里沙に着せた衣装の数々は、露出は少ないがスカートやズボンがやたら透けて太もものラインまではっきり見えてしまうものが大半だった。

 先日から、どうやらラティファは何とか亜里沙をセクシーに仕上げようと奮闘しているようだ。


「どうしてもただの可愛い“子供”になっちゃうのよね」


 こっちの子供は好きだけど、とフォローが入る。

 亜里沙は疲れと情けなさで泣きたくなった。


「ラティファはそもそも私をどうしたいの?」


 自分に色気が足りないことなど自覚している。ベッドや床に散乱した衣装の隙間に座り込んで、亜里沙はぼやいた。

 ラティファはキーランに聞こえないように亜里沙の近くに屈んで耳打ちした。


「ロナンが床に頭を擦りつけてアリサの愛を請うような、そんな色気を纏わせたいわ」


「何それ、全然必要ない……」


 ラティファは亜里沙が落ち込んだので、しばらく衣装の山と睨めっこした。

 本当にそんな事のためにこの数を取り寄せたと言うのか?



 しばらく亜里沙が呆然と待って、衝立の向こうからキーランが「これ食べていい?」と聞いた頃。

 キーランにどうぞ、と答えながら、ラティファはある衣装を取り出してきた。


 ナイフで皮を削がれる、リンゴのような音を聞いている間に、亜里沙はラティファの手によってあっという間に着替えさせられた。


「わあ……」


 ほぼ全身が映る鏡を見て、思わず感嘆の声が漏れる。


 それは、ラティファがカンドルヴィアの人々に合わせて普段着ているような、控えめなデザインの衣装だった。


 胸元と背中の空き具合はぎりぎりで許容範囲という際どいものだが、他は問題ない。一見するとオルマの文化を取り入れたワンピースといった印象だ。

 袖とスカートはひらひらで可愛く、先の方に向けて透けているが上品で、ものすごく凝った刺繍が施されている。

 何より衣装の生地の色と刺繍の糸の色がまるで星空のような色合いで、亜里沙は一目で気に入った。


 着てみるとサイズ的に足りない部分などがあまり気にならないデザインだ。

 ラティファは刺繍の糸と同色の、繊細で小さな髪飾りを、耳にかけた髪を留めるような形で亜里沙の髪につけてくれた。


「いいじゃない!」


 そして、亜里沙の腕を引っ張ると衝立の向こうに連れて行く。


「キーラン様、お待たせ! 見てあげて!」


 ソファに座ってナイフでリンゴに似た果物の皮を剥いていたキーランは顔をこちらに向けた。


 そして、その手からリンゴを取り落とした。


 ゴトっと大きめの音がして、ラティファの愉快そうな声が「あら」と呟く。


 亜里沙と目が合うと真っ赤に染まった顔を背ける。

 そんなキーランの反応に亜里沙の羞恥心も遅れてやって来た。


「こ、これ、考えてみたらちょっと大胆過ぎるかも知れない」


 焦りのあまり、そう訴える言葉が早口になる。


「どうしてよ、すごく似合ってるんだから自信持って! 祭りの日にこれを着て、好きな男でも誘って出かけなさいよ」


 ラティファは今までで一番満足げだ。

 ただ、亜里沙にはその“好きな男”を誘う勇気などないのだが。


 ラティファの言葉にキーランがこちらを振り向いて勢いよく立ち上がった。


「だっ……」


 言いかけて、口を閉ざす。

 せっかくキーランが言わずに我慢したものを、ラティファが目を細めて意地の悪い笑みを口の端に浮かべつつ、からかった。


「あらあ。なーんで駄目なのお?」


「ラティファ、ちょっと! やめて」


 今のラティファはまるでロナンのようだ。

 どうやらふたりは翔が言及した以外でも単に仲が悪そうだが、似たもの同士だからだろうか。



 結局この衣装は祭りの日に着ると約束させられた。

 亜里沙よりもキーランが反発したが、もう一度見たくないのかと言われると黙ってしまった。


 そして、「どうしても恥ずかしければこれを着て」と渡されたものは、揃いで作られたという外套だ。

 だがこの外套、ほとんど透け透けで、ただの装飾品といったていで、マントのように包み隠してくれるわけではなさそうだ。

 亜里沙はこっそり、当日はこの外套の上から更にマントを着ようと心に決めたのだった。



 着替え終わって宿を後にする。

 思ったより大荷物になったので、あの衣装セットは後で屋敷に届けてくれるという。

 亜里沙は今更ながらお金を持っていなかったことを思い出して断った。しかしラティファは聞き入れてくれなかった。


「そんなの、ロナンが喜んで払うわよ。今までだってそうだったでしょ?」


 その言葉を聞いて引き下がったが、この待遇を当たり前のように受け入れていたことに気付かされて、亜里沙はひどく恐縮する思いだった。



 相変わらず護衛が前後を守る中、イザベラの少し前をキーランと並んで歩く。


「気にしなくていいよ。来訪者はみんな王族か貴族のように扱われてきたって記録にもあるくらいだから。これを受け入れるのは、ある意味来訪者の義務だ」


 そう言ってくれたキーランの顔は、夕焼けの中で見てもまだ若干赤い気がする。


 自分がその待遇に値する働きをしてきたかは自信がないが、亜里沙はひとまず飲み込んだ。




 それから二週間ほど。

 王都の祝祭の日までは、比較的穏やかな日々が訪れた。


 キーランは段々とまた笑顔を見せてくれるようになった。また他愛ない話ができるようになったことが嬉しい。

 亜里沙は時々キーランの耳を塞いであげたが、適度に距離を保ち、キーランも踏み込んでくることはなかった。


 ロナンとは相変わらずだったが、亜里沙が気を引き締めてからは、関係は良好だった。

 亜里沙を口説いていた時よりも、打算のない親しみを感じるようになった。そしてそれは、亜里沙の気のせいではないはずだ。


 比較的のんびり過ごす亜里沙と対照的に翔は忙しそうだった。

 どういう状況か尋ねても、まだ足りない、と濁される。翔はいつもある程度纏まらないと話してくれないので、これについては待つしかない。

 しかし、何か力になれるか尋ねると、それには応えてくれて、時々亜里沙も翔と一緒に、夜にロナンの手伝いをした。


 そして翔は、思うところがありそうだったが、時々交わされる亜里沙とエドワードの手紙のやり取りに、変わらず手を貸してくれた。



 この二週間で亜里沙はというと、やっと、アマリアの日記でアストリドが悩んだ部分だと思われる箇所にたどり着いていた。


「これは……恋の詩なんだ」


「えっ?」


 その日、王城に出かけなかった翔と図書室で対面して日記を読んでいた亜里沙はそう呟いた。

 翔がここ数日屋敷にいるのは、祝祭が目前に迫って、図書館の利用を控えるようエドワードに頼まれたためだ。


 そして今はキーランも亜里沙のそばにはおらず、日記を読む亜里沙に遠慮して、ソフィーも席を外している。


「あ、ごめん……内容は言えないんだけど」


 うん、と苦笑して、翔は再び調べ物に戻った。



 アマリアの日記では、彼女が7歳になる頃。

 つまり、九年前、王都に招かれて部屋を別館に移された時のことだ。


 アマリアは年齢の割に精神が随分と大人びていて、特にこの辺りの詩のように書かれている日記は言葉も難解なら内容もとても濃い。

 いや、これは大人びているというより、ある意味の天才と言えるかも知れない。

 年齢の割に大人びているというならかつての茉利咲や、こちらの世界ではエドワードなどもそうだが、亜里沙の知る彼らとは明らかに違いがある。

 日記の中には亜里沙がぞっとするような言い回しもいくつも出てきた。


(この日、私たちは星の導きのもと、出会った)


 間違いがないか確認するため、亜里沙はもう一度その文に目を通した。



 私の星の子。

 あなたと私はきっと半身同士だった。

 出会うまではアストリドが半身なのかと思っていたけど違ったのね。


 私たちは似ている。孤独で、弱くて、居場所がない。それももともと一つだったからなのよ。

 別れてしまって寂しい。私の星の子。あなたを想うととても苦しい。もう離れないで、ずっとそばにいて。



(星の子……)


 亜里沙は自信がなかったので翔に尋ねた。


「ねえ……アストラムって、星って言葉に由来する?」


「ああ、多分、そうだね」


 異世界だけど、と前置きして翔が教えてくれた。


「名前や使われている言葉の響きに、俺たちの世界と共通するものが多いよね。だから多分、アストラムもそうだと思うよ」


(じゃあ、この星の子は、キーランのこと?)


 厳密にはキーランはアストラムではないが。


『我に聞いているのか?』


 眠そうな声がした。


(最近は珍しく眠そうな日が多いね。寝ててもいいよ)


『回復を早めようとしているのだ。今なら入り口を開けるかも知れないが、それだけで消耗しきってしまう恐れがあるからな』


 ニーズは最近、また以前のように眠る時間が長くなっていた。起きている間も亜里沙を見守るような気配がするだけで黙っていることは多かったのだが。

 眠ってしまうのは、黙っているのとは訳が違うので、亜里沙はそれについては寂しさを感じていた。


 「それと」と、気配が遠のく前にニーズの囁くような声がした。


『アストラムを星の子と呼ぶ風習はあったと思うが、古いものだ。その娘は古いものから引用するのが好きみたいだな』


(星の子……じゃあ、これはきっとキーランのこと)



 星の子、私の星の子。あなたは私を想ってくれない。


 キーランに何度も愛を告白している。

 キーランは戸惑うばかり。

 好きだと伝えても顔を背けるだけなのに。


 悲しくて心が先に死んでしまいそう。

 私の星の子、どうか私の想いに応えてちょうだい。



(アマリア様は、キーランが好きだったんだ)


 その後の日記には一ヶ月ほど、この星の子、つまりキーランに対しての苦しいほどの想いが綴られている。


 そして失意の中アルデスペランに帰還し、ひたすらに再会を願っては、自身の体の弱さを呪うような内容が続いた。

 そしてその大部分が、明らかに詩や古いものからの引用のようだ。こう思うのは気が引けるが、確かにアストリドでは読み解けなさそうだった。


 これは、辛く悲しくも、壮大な恋の詩なのだ。


 そうかと言って亜里沙もそこまで自信はないが、翔に見せるわけにもいかない。

 単独の文字を聞くならまだしも内容そのものとなると、詳細をぼかしたとしても隠して聞くのは難しそうだ。



(星よ、もう一度導いて、か……)


 その言葉が記された箇所をそっとなぞる。このフレーズはその後何度も、切望するようにアマリアの手によって綴られている。


 アマリアはパーシヴァルの婚約者にと望まれていたようなので、キーランのことを話せなかったのだろうか。


 こんな想いは誰にも理解されない、と嘆くアマリアに、亜里沙は「そんなことないよ」と声をかけて寄り添ってあげたかった。

 それはもう叶わないが、せめてこの日記を最後まで読んで、アマリアの遺したものを受け止めてあげたい。




 そうして、ナイグラードに到着した日から、ひと月と十日ほどが過ぎたこの日、王都での祝祭の初日を迎えた。



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