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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第六章

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短命の花

 結局夕刻が近くなるまでラティファとメイブと話し込んだ亜里沙は、イザベラに声をかけられて、もうそんな時間かと驚いた。


 メイブのことをラティファに任せて部屋を出る時、ベッドの上のメイブに小さく手招きされて、亜里沙は恐る恐る近くに寄った。

 ラティファとイザベラはドアの近くで待ってくれている。


 そばに屈むと、メイブは人の良さそうなその顔一杯に、心配の色を滲ませた。


「アリサ、どうか義兄のことをよろしくね」


「え、どうしたの?」


「……もう、正直に言うわ。もしかしたら、義兄は病気なのではないかと思って」


 遠征中、シーラ砦でロナンが血を吐いたことを思い出す。

 亜里沙の顔が強張ると、メイブの表情は悲しそうに歪んだ。


「やっぱりそうなのね……ライアンもとても心配しているの。時々ひとりで悩んでる姿を見かける。でも私が聞いても教えてくれないし、もう長くないのではないかと思ってしまって」


「えっ、そんなことは……」


 焦ってニーズに呼びかける。


『……あの侵食があの状態で保たれる限り、簡単に死にはしないだろう。だが、当然だが無茶をすれば負担がかかる。そうした事が原因であのバランスが崩れる危険はある』


 安心とまではいかないが、ひとまず死が近いということはなさそうだ。

 亜里沙は表情を整えてメイブを見た。


「大丈夫だよ。ロナンから聞いてるけど、先が短い病気じゃないよ」


 お腹に障ってはいけないと、不安要素は無視して亜里沙は言い切った。

 引き結ばれていたメイブの口元がほんの少し緩む。


「そう、じゃあ、私の勘違いね……アリサが異界から来るっていうお告げが出てすぐの頃だから……四ヶ月ほど前になるかしら、その頃、義兄から呼ばれて話をしたの。その時の義兄が何だか、まるで自分の死に備えているような素振りだったから」


 それからずっと内に燻っていた不安が、最近になってライアンの様子がおかしいのも相まって、大きくなったのだとメイブは言った。

 それはルチアの件や、穢れが蔓延したこと、妊娠による影響もあるのだろう。


 メイブから語られたその時のロナンの様子に、亜里沙も一抹の不安を感じながら、精一杯メイブを励ました。



 メイブが安心したのを見届けた亜里沙は、ラティファに見送られながら宿を後にした。


 絶対にまた来ると約束させられてラティファの強引さを再確認することとなった。

 だが色々あったものの楽しみだと思えるので、異論はない。




 宿から出てイザベラと歩く。宿の外で待機していた護衛数人が合流し、程よい距離を守ってくれている。

 少し大袈裟かとも思ったが、これには慣れるしかなさそうだ。



 屋敷が遠目に見えてきた時、前方から馬を走らせてくる人が見えた。


「あ、ライアン」


 今日初めて顔を合わせるライアンは、やつれて青ざめた表情をしている。亜里沙の手前で馬を止めると、降りて駆け寄って来た。


「アリサ様! 私の」


 そしてハッとしたように周囲を見て、声を落とす。


「……お願いします、何も聞かずにどうか頷いて。今日あなたが見たことも聞いたことも、誰にも話さないでください」


「え……」


「お願いします……!」


 ラティファとメイブと何を話したのかライアンが知るはずはない。だが、メイブが宿にいることを知って、とにかく彼女を隠したいのではないか。


 ライアンの切羽詰まった顔を見つめて、亜里沙は頷いた。

 ライアンはすみません、と弱々しく呟くと、再び馬に乗って走り去ってしまった。


「……きな臭いですね」


 亜里沙にだけ聞こえる声量で、イザベラが言った。


「宿に向かわれたのでしょうが……アリサ様はお気付きでしたか? あの宿には客ではない者がいました」


 そう言われれば、どう見ても客ではない格好の人が数人、警備のように立っているのが見えた。

 だがイザベラは亜里沙が答える前にそれを否定した。


「客の中に、いたんです。客ではない者が」


「それは、どういうこと?」


 何かしらの事情で客を装っている怪しい者がいた、とイザベラは言いたいのだろう。だが亜里沙には全く見分けがつかなかった。

 イザベラは腕を組んで、少し考えるように宿の方向を見やった。


「……とにかく、相手が伯爵でもライアン様でも、警戒してください。恐らくアリサ様やカケル様に直接危害を加えるなどということはないはずです。ですが何かしらの問題に巻き込まれる可能性はあります。あの方の言った胸騒ぎは、的外れではないかも知れません」


「じゃあ、今、メ……あの人と、ライアンは大丈夫かな?」


「それは心配ないでしょう」


 確信を持ったように言い切って、イザベラは亜里沙を促した。


「さあ、遅くなりますから、帰りましょう」


 腑に落ちないが、仕方がない。これ以上亜里沙がひとりで考えても分からない。

 ライアンには申し訳ないが、翔に相談することに決め、再び歩き出した。




 屋敷に帰りつく頃、空が夕焼け色になった。

 ちょうど屋敷から出て来たロナンと鉢合わせ、自然と身構える亜里沙にロナンは苦笑した。


「そんなに警戒しなくても」


 つい先ほどのライアンのこともあるのだが、それは話せないので亜里沙はひとまず謝った。


「ごめん、ちょっと驚いて。待っててくれたの?」


「ええ。少しお時間を頂けますか?」


 イザベラがちゃんとそこにいるか確認して、頷く。


「うん、いいよ」


 ロナンはまた苦笑したが、それ以上は何も言わなかった。



 ロナンについて庭園を歩く。


 亜里沙があまり足を向けない、ガゼボとは反対の奥の方にひっそりとある温室。

 ひっそり、とは言え、十分お洒落で見応えがある。

 ただ、ガゼボの方が気に入っていた亜里沙は、この温室に入ったことはなかった。



「ソルサニアは先を越されてしまいましたので」


 ロナンは意味深に微笑んで、中に入った亜里沙を導いた。


 温室は王城のそれよりガラスの部分が多く、柑橘系の木もハーブ系の植物もあるが、それよりも花の種類が多かった。


「ここ、こんなに綺麗だったんだね」


「そうでしょう? ここもゆっくり過ごせるようにしてあるので、気が向いたら使ってください」


 そしてロナンに案内された温室の奥、特別に区切られた空間。

 夕日が柔らかい光となって照らし出すそこに、それはあった。


「ルキウスという名の、もともと北方に生息していた花です。夕刻に咲くんですが、管理が難しいのでこの数が一斉に咲くのは珍しいんですよ。アリサさんは運がいいですね」


 それは薄い水色の花びらで、少しでも触れたら消えてしまいそうな儚さを漂わせる、幻想的な花だった。

 ソルサニアとは雰囲気が違うが、こちらもとても美しい。


 株はもう少し多いが花開いているのは十輪ほどだ。

 見事に咲いた十輪が、全てこちらに向かって花びらを垂れ、まるで歓迎してくれているように思える。

 亜里沙はとても落ち着いた、穏やかな気持ちになって思わずため息を吐いた。


 しばらく眺めてロナンを振り向くと、ロナンは亜里沙を見て目を細めた。


「気に入ってくれたようで、良かったです」


「あ、ありがとう……」


 何とかお礼を口にするも何だか照れ臭く、いいえ、と微笑むロナンを直視出来ずに目線を下げる。


「明日の朝にはしおれてしまいますが、もう少し見ていきますか?」


「うん」


 ルキウスが植えてあるそばには、ティーテーブルやベンチが置いてある。亜里沙がベンチを選んで腰掛けると、ロナンはその隣に、亜里沙が緊張しないような距離を保って座った。


 イザベラは視界の中にいるとは言え遠くに立っているので、ロナンのその配慮はありがたいし、ひとりで鑑賞するのも寂しいのでいいのだが。


「……ソフィーや翔くんは呼ばないの?」


「なぜ?」


 聞き返されて振り向くと、やはり想像した通りの意地が悪い笑みがあった。


「どんな形でも私の提案に乗ったのはアリサさんですよ。忘れないで欲しいものですね」


「本気でそういう……関係っていうか、そういうの、やるの?」


「そもそも私は貴女が帰るまでの恋人になろうとしていたんです。冗談でそんなことを言うわけがないでしょう」


 触れられないので友人未満でしょうか、と皮肉な物言いで亜里沙を責める。


「でも仕事は? 忙しいでしょ?」


「はい。ですから外の用事はライアンや他の者に任せて、アリサさんのそばで仕事をするようにしますね」


「えっ、それは」


「もちろん、貴女の都合を優先しますよ」


 亜里沙が困ったように声を上げると、ロナンは優しくそう言った。

 ではずっと都合が悪いことにするのはどうだろう。


 そんな事を真剣に考えていると、ロナンはおかしそうに小さく笑った。

 もしかしたら考えが読まれたかも知れない。


『この男を我が許しているのは、お前たちが帰ることに協力しようとしているからだ。だがくれぐれも用心しろ』


(許してるって……ニーズはロナンには何も出来ないでしょ)


 むう、と唸って、ニーズは大人しくなった。



 それから少しして、翔を連れてソフィーが顔を出した。


 ロナンもイザベラもこの場を動いていないので、花が咲いたことを誰かに聞いたのだろう。


 翔がとても興味深そうに眺め始めたので、亜里沙とソフィーもルキウスに近付いて観察した。


「ソフィーと翔くんが来られて良かったよ。誰かに教えてもらったの?」


 ロナンに聞こえないように囁く。ソフィーが目を丸くして亜里沙を見た。


「いえ、先ほどアリサ様がお帰りになられた際に、時間を置いてカケル様を連れて来るよう旦那様から言われておりました」


「えっ、そうなの?」


「ええ……ルキウスが咲くと、庭師以外が鑑賞するには旦那様の許可が必要ですから」


 では、亜里沙が質問した時には、翔とソフィーは既に来るようになっていたということか。


 亜里沙はそっとロナンを振り向いた。ちょうど話に出た庭師だろうか、年配の男性と何やら話し込んでいる。


 素直に言えばいいものを、わざわざあんな風に答える必要があったのか、と亜里沙はほんの少し呆れる思いだった。




 夕食を終えた後、ロナンに居間に行くか確認された亜里沙は翔に相談したい事があると正直に伝えた。

 ロナンは特に疑いもなく、「では明日」と挨拶を交わして執務室へと去った。



 居間に移動する。

 お茶を差し出してくれた後、ソフィーは離れた位置で本を読み始めた。イザベラはもう少し近くでドアを守っている。


 ふたりの様子を確認して、翔に向き直る。

 話し始めた時、「あ、待って」と翔に中断された。


「どうしたの?」


「うん、日本語になった。続けて」


 亜里沙は最近、翔を見て話しても日本語に切り替わっていない時がたまにあるそうだ。そんな時、翔が日本語で話すのを先に聞くと、切り替わる。

 こうなってくるとなかなか不便なものだ。


 亜里沙は気を取り直して、ラティファとメイブと話した事を、女子会の際どい部分は伏せながら翔に話した。

 その後すれ違ったライアンの様子と、その時言われた事、イザベラが言った事も。


 翔は顔をしかめてしばらく考えていたが、やがて息を吐いた。



「聞いた限り、一番考えられるのは、ロナンさんがラティファに監視をつけて何かを探ってるってことかな。最初にラティファに会った時に彼女を追っていた男もロナンさんの配下だろ? イザークって人が娘の動向を探るためにその男に依頼したって話を聞いた時、ロナンさんの様子がおかしかった」


「じゃあ、あの男も、本当はロナンに命令されてラティファを見張ってた?」


「うん。両方に依頼されたってのもあり得るかもね。そしてこれは心象に過ぎないけど、ライアンさんはラティファと協力関係だったりするんじゃないかな」


「え……それって、まずいよね?」


「多分ね。勢力争いとか、後継者争いとか、色々考えられると思う。でも」


 翔は亜里沙を見て、言いにくそうに、だが言葉を濁さず言った。


「俺たちには関係ないよ」


「あ……」


 亜里沙が言葉を失うと、ごめんね、と翔が小さく謝った。


「ただ、立場を明確にしたいんだ。誰にも肩入れしない。一番大事なのは帰ることだから、余計なトラブルに巻き込まれたくない。そして今俺たちはロナンさんにお世話になっている身だから、尚更、詮索はしない方が無難かな……だけど、一応頭には置いておくね」


 亜里沙が頷くと、翔は更に声を落とした。


「多分俺たちは、これまでの来訪者と違って誰かに呼ばれるか、望まれたからここに来たと思うんだ。そんなの応える義理なんかないけど、ただその点が、帰る時に邪魔になるんじゃないかって、気掛かりで」


 亜里沙は目を見開いた。亜里沙の場合は茉利咲と間違われたからだが。

 どちらにしろ、応える義理はなくても、邪魔になる可能性までは考えていなかった。


「色々調べてるとつい脱線してしまいがちだけど、それでも続けてるのは、その不安を解消する糸口を見つけたいからだ」


「うん……」


「王城の図書館を利用する許可を貰うために、ロナンさんに取り次いでもらってるんだ。予言は亜里沙ちゃんのことだって思われて、俺は警戒されていないから。多分エドワード様が許可をくれることになる」


「エドワード様」


 噛み締めるようにその名を繰り返す。

 翔はそんな亜里沙の顔をじっと見て、眉を寄せた。


「亜里沙ちゃん……ラティファ側の協力者には、エドワード様もいるような気がする」


 亜里沙は目を丸くして翔を見つめ返した。


「これは飛躍した考えかも知れないけど、エドワード様の婚約者はオルマの王女だし。そうでなくても、亜里沙ちゃんから聞いた事や今まで見てきた事から考えると、エドワード様とロナンさんはただの不仲じゃないよ。だから、その」


 翔は迷いながら、歯切れ悪く、それを口にした。


「亜里沙ちゃんには、自分の心を守る選択をして欲しいんだ。傷つかないように」


 俺たちは帰るんだから、と念を押すような言葉が重たく耳に響く。


 しばらく言葉が出てこなかったが、亜里沙はようやく翔に頷いてみせたのだった。



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