異世界女子会
屋敷に近いこの宿屋は大きく、今まで見てきたどの宿屋よりも先進的に見えた。
片隅にバーのようなものがある。壁際のテーブルと椅子はバーを利用する客専用のようで、通路となる空間を空けて円卓のテーブルと椅子が並ぶ。この円卓は食事専用だろう。
もう片側の壁際にもテーブルと椅子が並び、ここにはボードゲームやカードゲーム、葉巻に似た何かを楽しむ客がいた。
カンドルヴィアでよく見かける外見の客が半分、後半分ほどの客の外見はオルマの特徴だ。
だが皆共通で裕福そうに見える。
「また会えたね、アリサ」
先ほどロナンにしなだれかかった時の顔とは全く別の顔で、ラティファはアリサに笑みを見せた。
今のラティファはただの少女のようだ。
「ここは空気が悪いから外に行こうか?」
一瞬ラティファが宿の中に目を走らせたように見えた。
そして、亜里沙が口をきく前に「行こ!」と手を掴んで引っ張る。
「あ、あの、広場までしか行けなくて!」
「はいはーい」
ラティファに連れられて外に出る。
しかし、広場まで歩きながら会話を始めた亜里沙たちは、挨拶を交わした程度で引き返すこととなった。
前方から歩いてきた女性の表情が具合が悪そうで、亜里沙が心配すると、ラティファがその女性に駆け寄ったのだ。
「メイブじゃない! 大丈夫?」
「えっ」
聞き覚えのある名前に目を丸くする。
「ああ……ラティファ。少し、お義兄さんの所に……」
言いかけたメイブは顔を歪めて、ラティファの腕に掴みかかるようにすると背を丸める。
「こんな状態なのに、何でひとりなのよ?」
ラティファが焦る。亜里沙がイザベラを見ると、イザベラは頷いて駆け寄った。
「失礼します」
メイブが頷くのを確認して、イザベラはメイブをそっと抱きかかえた。
「屋敷までは少し歩くし、一旦宿に戻るしかないね」
こうして亜里沙たちは宿に戻った。
宿に入ると、ラティファが新しく部屋を取って、イザベラがメイブを運んだ。
上等なベッドに枕を重ねた上にメイブが寝かされる。メイブは上体を預けるように、枕に寄りかかった。
亜里沙も手伝って介抱すると、メイブの顔色はすぐに良くなった。
「……助かったわ、ラティファ。それからこちらは……もしかして、アリサ様?」
「あっ、はい、亜里沙です」
初めまして、と頭を下げると、メイブは「まあ」と満面の笑みで会釈を返してくれる。
メイブはふくよかで、少し小さな目元はとても優しげで、笑うと空気まで柔らかくなるような、そんなおっとりした雰囲気の女性だった。
「私はメイブ。夫のライアンからよく話を聞いています。カケル様についても。夫にも良くしていただいて、ありがとうございます」
「あ、良くしてもらってるのは私たちの方で……」
「もう、固いわよ、ふたりとも! みんな年も近いんだしもっと砕けて話さない?」
「そうね、アリサ様が良ければ」
「様もいらないわよ」
亜里沙の代わりにラティファが答えた。様はいらないので構わないのだが、やはりラティファは強引なところがある。
メイブは優しい目で亜里沙を見た。
「そうしてもいいかしら?」
「あ、はい……うん、大丈夫だよ」
聞けばラティファは18歳、メイブは20歳だという。
ラティファがこの色気で亜里沙と同い年だなんて、軽くショックを受けたが顔に出さないよう堪えた。
ラティファはドアの近くに立つイザベラを振り向いた。
「騎士様、念のため外を確認してきてくれる?」
イザベラは一瞬目を丸くしたが、ラティファの顔を見て何かの意図を汲み取ったようだった。
そして外へ出ると、少しして戻ってくる。
「問題はないようです」
それを聞いたラティファはメイブを振り返った。
「で、どうしてひとりだったの? ロナンに何の用事? 急ぐこと?」
「あ……いいえ。ライアンが屋敷には来るなと何度も言うから、何かあったのかと心配で……最近、ライアンがいない時はなかなか外に出してもらえないの。だから侍女に頼んで抜け出した」
「あんたの侍女はクビにすべきね」
「よしてよ……」
弱々しく言って、メイブは続けた。
「毎年この時期は家の付き合いもあって、私もふたりを手伝っていたでしょう? なのにこんな、少しも関わらせてもらえないなんて」
「そうねえ……でもほら、結婚して事情も変わったし、何よりお腹の子を心配してるのよ。ライアンってそうでしょ? 心配性で神経質だし」
「結婚したからこそ助けるべきでしょ? それにライアンは神経質ではないわよ」
心配性は否定しないようだ。
「神経質でしょうよ、だから外に出さないんでしょ」
譲らないラティファにメイブはふっと息を吐く。
「もう……。それで、今日は体調も良かったし少し様子を見に行こうかと思ったの」
「侍女を買収してまで、ひとりで王都から出て来るなんて」
「えっ、王都に住んでるの?」
メイブは頷いて、目線を下げる。
「でも……何だか、不安なのよ……胸騒ぎがして」
妊娠中は精神的にも不安定になると聞いた事がある。外に出してもらえないなんて少し異様に感じるが、ライアンも忙しい時期だからと気を遣っているのだろうか。
「で、アリサから見てどうなの? 変わった様子ある?」
不意に話を振られて、亜里沙は慌てて思い返した。
全く問題ない、とは言えない。だが、どれも些細なことだと感じる。
亜里沙に見える範囲では、そこまで心配することはないように思えた。
「時々ライアンはロナンと喧嘩というか、言い争いをしてる事もあるし、その、私のせいでちょっと問題が起きたりもしてるけど……見てる限りでは、そんなに深刻な感じはしないというか……分かるのはそれくらいかな」
そう、とメイブが難しい顔になる。
「ほら、問題なさそうよ。屋敷を訪ねるのはやめておきなさい。心配したライアンが外出禁止よりひどい事してきたらどうするの。ねえ、アリサ?」
とても答えにくい内容で同意を求められた亜里沙は、無難に事実を伝えてみることにした。
「えっと……ライアンはメイブのことすごく心配してたよ」
メイブは迷った末、ため息を吐いた。
「そうね……分かったわ」
それにしても、とラティファは亜里沙を振り向いてしげしげと眺める。
「アリサもなかなか大変じゃない。ライアンがメイブを遠ざけたいのはこれに関わってるからじゃないの? 聖王の噂……馬鹿げてるとは思うけど」
ラティファは馬鹿げてると否定してくれる。だが、同時にラティファの言葉は亜里沙の胸に突き刺さった。
「あ……ちょっと、ラティファ、滅多なことは言わないで」
メイブの顔が青ざめ、思わずといったように、少し膨らんだ自分の腹部に手をやる。
亜里沙の周囲には聖王や宗教について物怖じしない人が多いが、やはりこの世界ではとても重要な事なのだ。
何よ、と口を尖らせて、メイブに叱られるラティファ。
だがメイブは、小さな声で亜里沙に言った。
「上手く言えないけれど……私も、何か誤解があるのだと思っているわ。もし聖王様が……本当にそんなことがあったとしても、それはあなたのせいじゃないし、ライアンの様子がおかしいのがこのせいだとしても、あなたが悪いんじゃないわ」
言葉を選びながら、怯えを含むような声色でも、そう言ってくれたメイブの優しさに亜里沙は思わず涙ぐんだ。
「あらあら。泣いたらまた目が腫れるわよ」
ラティファが亜里沙の目蓋を指す。
もうだいぶ引いたと思うのに、よく見ている。
「こ、これはただ、ちょっと寝不足で……」
ふうん、と言って、ラティファは思いついたようににっこりした。
「ねえ、せっかくだから女同士でしか出来ない話をしましょ。他の客に聞かれるのも嫌だし、ちょっと声を落としてね」
メイブは困ったように笑ったが、疑いなく同意した。
だが亜里沙はラティファの言葉に不安を覚えた。
ラティファは父親から探りを入れられていると話していたので、もしかしたら監視されたりしているのではないか。
そういえばこの部屋に上がる際も、やたらとじろじろ見てくる視線をいくつか感じた。
亜里沙がこのままここにいても、問題ないのだろうか。
イザベラを窺うと、亜里沙を安心させるように微笑んでくれる。
ラティファも平然としているので、亜里沙はひとまずその不安を押し込めた。
ラティファによって飲み物やお菓子が用意され、年が近い女子三人が集まって、始まったのは恋愛の話だ。これはもう必然かも知れない。
まさか異世界で女子会のような経験をするとは思っていなかった。
まず興味深い話を聞かせてくれたのはメイブだ。
「本当は義兄……ロナンのことが好きだったのよ、私」
メイブが恥ずかしそうに笑う。
「私はこの見た目だから、からかわれることも多くて。これでも貴族の端くれだから、そういった集まりもあるでしょ。皆遠巻きにして私を笑うから、私にとっては恥ずかしいのを我慢する場だったのよ」
「ひどい!」
亜里沙が憤慨すると、メイブは目を細めた。
「怒ってくれて、ありがとう。でもいいのよ」
「そういうメイブだって、顔が美しい男が好きだもんね」
歯に衣着せぬ物言いとはこういうことか。亜里沙はぎょっとしてラティファを振り向いたが、メイブは朗らかに笑った。
「そういうことよ。そしてロナンは私を笑わない、数少ない友人のひとりだった。それにほら、勘違いさせてくるでしょう、あの振る舞いで」
メイブは頰に手を当てる。ラティファが大いに同意した。「確かに」とイザベラが呟いたのが聞こえた気がする。
「それで、ね……でも、ライアンが邪魔してくるのよ」
メイブはおかしそうに笑った。目を丸くする亜里沙を見たメイブの顔に幸せそうな微笑みが浮かぶ。
「ずっと私のことが好きだったんですって。それもね、初恋ですって。会えばいつもぎこちないし難しい顔してたのに、それは恥ずかしかったからだって言うんだもの」
結局は盛大な惚気話だった。だがそれは、今の亜里沙にとって眩しく思える話だ。
「いいなあ」
思わず口から出た。しかも、我ながらものすごく羨ましそうな声色だった。
ハッと口を覆うが、メイブは優しい顔のままで、ラティファは亜里沙に同調した。
「あたしは同格の家の息子と、政略的に結婚するしかないから、何度聞いても羨ましくて仕方ないわあ」
「えっ、そうなの?」
「そうよ。気になる?」
「き……気になる……」
政略結婚というと、真っ先に浮かぶのはエドワードと、名前しか知らないルージェンだ。
パーシヴァルもアストリドと政略的に結婚するが、アストリドがパーシヴァルを好きなので、友としては喜ばしい。
だが、エドワードは? 相手との間にある感情はどうなのだろう。
「アリサ? 聞きたいんじゃないの? ぼーっとしちゃって」
「あ、聞きたい!」
ラティファは一度大きくため息を吐くと、語って聞かせてくれた。
ラティファの家は商人上がりの、もはや貴族と言っても差し支えない家で、婚約を交わした相手も同じ扱いの商人の息子だそうだ。
ラティファより3歳年下で、時々会っても商売の話や家同士の結び付きの話、いかに自国に貢献するかという政治的な話しかしないという。
エドワードとルージェンも、ルージェンの方が3歳年上だったはず。余計な事が思い浮かんで、亜里沙は聞いていて落ち着かなかった。
「しかもさ、この婚約ってわざわざ向こうからあたしをご指名で成立しちゃったようなもんなのよ。何でまたあたしなんだか」
他にも同格の未婚女性はいるのに、とラティファがもう一度ため息を吐く。
「でも……それって、その人がラティファを好きだから、とかじゃないの?」
「あたしも一時期はそう思ってたわよ。でも違うのよね。単にあいつが求める条件に、あたしが一番当てはまったってやつ」
「そっか……それは、辛いね……」
「ん? 別に辛くないわよ」
「え?」
亜里沙が目を丸くすると、ラティファは先ほどロナンを見送った時に見せた、あの不敵な笑みを浮かべた。
「あたし、尊敬してるの、あいつのこと。この命を捧げても惜しくないほど」
メイブが目をまん丸にして、そっと手を口に当てる。
ラティファの目の奥に何か熱いものが輝いて見えて、直視出来ないほど美しかった。
亜里沙が口を開いて言葉を失うと、「でも」と嘆いて、ラティファのかっこいい表情が一瞬で崩れた。
「恋愛の話とそれはまた別でしょ? あーあ、あたしもメイブみたいにちょっと気持ち悪いくらい想われてみたいわあ」
「それはどういうことよ、ラティファ」
駄々をこねる子供みたいに、現実には存在しなさそうな“理想の男”像を語るラティファ。
メイブがほんわかとした笑みを浮かべながら耳を疑うような毒舌で突っ込んでいる。
そんなふたりの軽快なやり取りを見ていて、亜里沙も段々おかしくなってきて、声を上げて笑った。




