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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第六章

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痛み

 亜里沙があまりに深刻な顔で考え込んでいたからか、エドワードが亜里沙の名を呼んだ。


 顔を上げると、まっすぐにこちらを見るエドワードと目が合う。


「聞かせるべきではなかった……忘れてくれ」


「え、どうして?」


「お前のことだから、キーランに変化をもたらしたのが自分だと知れば、元の世界に帰ることを後ろめたく感じるのではないかと思ったんだ。違うか?」


 引っかかりの正体にばかり気を取られていた亜里沙は、それは考えていなかった。

 だが言われてみれば、もしキーランが今までと違って自分の命を優先しつつあって、それが亜里沙がいるお陰だというなら、そんな彼を置いて帰るなどという事は無責任なのではないか?


 もしかしたら自分だけは、帰るべきではないのかも知れない。


『何を考えている、アリサ……! カケルとの約束を忘れるな!』


 ニーズのひどく焦った声がして、我に返る。

 自分が今何を考えていたのか、混乱した亜里沙は両手を膝の上でぎゅっと握りしめた。


「……すまなかった、アリサ」


 そんな亜里沙を見守っていたエドワードが、謝罪を口にした。


 亜里沙はエドワードを見て何とか首を横に振る。


「謝らないでください……エドワード様は悪くないです。さっきの女の人の事も、キーランの事も……」


「いや……それだけじゃないんだ」


 呟くように言って、エドワードは立ち上がった。


 そして、僅かに緊張した様子で、亜里沙に頭を下げた。


「初めて出会った時、あんな態度を取るべきではなかった……すまない」


「えっ」


 頭の中が煮詰まるように、ぐるぐると不快な思考が巡っていたが、一瞬で全て吹き飛ぶくらい亜里沙は驚いた。


 驚きすぎて立ち上がり、エドワードに頭を上げさせようと手を伸ばしかけて、踏みとどまる。


「頭を上げてください! もう気にしてないので!」


 エドワードは頭を上げてくれたが、その顔は曇っている。


「……トランティアでの件で、余裕がなかった。僕は未熟で、父やパーシヴァルが本当は何を成そうとしているのか、それすら知らないんだ」


 いつになく覇気のない声で、その言葉は吐き出される。


「それでも、僕は自分が成すべき事のために力を尽くしてきたつもりだ。だが、まだ何も見えてこない……イドルの謎も、来訪者がなぜやって来るのかも、この世界が一体何なのかも……」


 そして、エドワードは亜里沙を見つめた。

 その真摯な眼差しに、亜里沙はほんの少し苦しさを覚える。


「だからと言って、それはアリサにもカケルにも関係のない事だ。僕はお前たちを、来訪者だという理由で一括りに見てはいけなかったし、初めて会った時も、その後も、あんな無礼を働いてはいけなかったんだ」


 そして、もう一度、すまない、と。


「謝るのが遅くなってしまったな。許してくれとは言わないが……」


 亜里沙は精一杯首を横に振った。


「許しますよ! ていうか、もう気にしてません……でも、カケルくんには、直接言ってあげてください」


 できれば、と小さく付け加える。


「……ああ、そうしよう」


 エドワードは頷いて、優しい笑みを浮かべる。


「ありがとう、アリサ」


 亜里沙はまた息苦しさを感じて、マントの胸の辺りを掴んだ。顔も熱い気がして目を伏せる。


 すると、エドワードが少し迷うような気配がした。


「本当は、今日は同行するつもりで準備していたんだ。急な用件が入って、結局知らせを受けてからここに来ることになったが……今思えばこちらを優先すべきだったな」


 亜里沙はその理由が気になって、勇気を出してまだ熱い顔を上げた。


「何で、ですか?」


 心配してくれたのだろうか。もしそうなら、身勝手かも知れないが嬉しいと思ったのだ。


「それはもちろん、心配だったからだ。それと」


 エドワードの視線が一度、亜里沙のマントの肩付近に落ちる。そこにはエドワードから貰ったブローチがある。

 途端に亜里沙は恥ずかしくなって、言い訳をしそうになった。だがおかしな事を口走りそうで、すんでのところで耐える。


「それを、あんなに喜ぶとは思っていなかったから……」


 何故か気まずそうに、エドワードは言った。


「それはもともと、パーシヴァルの物だったんだ」


「……えっ」


「まだ使えるのに要らないというから、僕が貰い受けて使っていた。だが自分の物を作るべきだと言われて」


 エドワードはマントの内側から、何かを取り出した。


 その手に乗せられた物は、ブローチ型の留め具。

 亜里沙が今つけている物と同じような形で、だが装飾が違う。

 金属も亜里沙の物とは色合いが違っていて、銀色というよりは白金に近いものがある。

 そして、モチーフに使われている花はソルサニアだった。


「……ソルサニア」


「知っていたのか」


 エドワードの顔が微かに緊張したようだ。


「……これは僕が自分のために作らせた物だ。だが装飾が地味で王族らしくないと言われて、結局使わないまま、しまってあった」


 そして、エドワードはそのブローチを亜里沙に差し出した。


「使っていなかったが、気に入っている物だ。良ければこれをアリサに使って欲しい」


 亜里沙は目まいを感じるほどに、嬉しかった。胸が一杯になって溢れそうだ。

 今マントを留めているこのブローチも好きだが、エドワードの話を聞いた今なら、不思議と心残りもなく手放せると思えた。

 あんなに気に入っていたのに、自分の薄情さに驚く。


 恐る恐るエドワードの手からブローチを受け取り、亜里沙はこの場でマントのブローチを外した。

 後でやれば良かったと気付くも、時既に遅く。

 このままでは格好がつかないので、平静を装って新しいブローチで留めようとする。だがそもそも慣れていないし、何故か手が震えて止まってくれない。


(うそでしょ……何やってんの私)


 湧き上がってきた羞恥心で泣きそうだ。


 だがエドワードは呆れたりせず、小さく笑うと、亜里沙に手を差し伸べた。


「貸してくれ、僕がやる」


 エドワードは亜里沙からブローチを受け取ると、手袋を外し、あっという間に綺麗にマントを留めてくれた。

 布越しにエドワードの手が触れて緊張し、そしてそんな事を意識した自分に愕然とする。


 亜里沙は手袋をはめるエドワードを見上げた。

 その視線に気付いたエドワードは、亜里沙を見て微笑んだ。


(そうか……私……)


 いつからだったのだろう。

 そしていつから、目を逸らしていたのだろう。


 もう誤魔化せないくらいに、エドワードのことが好きなのだと、亜里沙は今やっと認めることが出来た。


「……新しい物を用意してやることはできない。だがそれは使い古しではないから、許して欲しい」


「ううん、全然……これがいいです。だってこれは、エドワード様のものなんでしょう?」


 エドワードが目を見開いた。


 自分が今何を言ったのか気付いた亜里沙の顔が更に熱を持つ。もう、誰が見てもこの顔は真っ赤なはずだ。


「アリサ……」


 驚いたように呟かれた名前にさえ、心臓が反応する。


 亜里沙の気持ちは自分自身で認めただけではなく、恐らく今、エドワードにも伝わった。

 それはまずいと思うのに、だがエドワードから目を逸らす事が出来ない。

 情けないくらい分かりやすい。それすら知らなかった事に、自分でも呆れた。


 対してエドワードは、今、亜里沙を見つめて何を感じているのか分からない。

 ただ分かるのは、エドワードが困っているという事だけだった。


 この気持ちがエドワードにとって迷惑でしかない可能性に思い至った時、突然怖くなって、亜里沙は慌ててどこか別の場所を無理矢理見た。


「あ、あの、ありがとうございます。大事にします」


「ああ」


 エドワードは答えてくれたが、やはり困惑しているようだ。


「……侍女を、呼ぶべきだったな……」


 その言葉を聞いて、亜里沙は恐ろしいほどの落胆を感じた。



 その時、外がにわかに騒がしくなった。


「キーラン様!」


 イザベラの厳しい声が響く。


退()け、イザベラ!」


 キーランの、いつになく荒い声が聞こえて、亜里沙は全身から一気に熱が引くのが分かった。


 エドワードが小さくため息を吐く。


「後ろに下がっていてくれ」


 亜里沙が慌ててドアから遠い位置に移動するのを見届けると、エドワードはイザベラに、キーランを通すよう声をかけた。


 荒々しく開かれたドア。部屋に踏み入ったキーランは、まずエドワードを見た。

 そしてすぐに、後ろにいる亜里沙を見て、その顔が一瞬悲痛に歪んだ。


「何をしていたんだ……こんな所で、ふたりきりで」


「兄上」


 エドワードが宥めるように呼びかけるが、振り向いたキーランからマントの首元を掴まれてうっと唸り声を上げる。


 亜里沙は悲鳴を上げそうになって咄嗟に口を押さえる。

 今キーランを刺激しては絶対にまずい。


 キーランの手首を掴み返して、エドワードは語気を強めた。


「キーラン、やめろ。また苦しみたいのか」


 落ち着いてくれ、と呼びかける。

 キーランは一度亜里沙に目をやった。

 それはまるで、この後の行動をどうするべきか窺うかのようだ。


 キーランは眉を曇らせて、エドワードから手を離した。

 そして、右手を亜里沙に向けて差し出す。


「……おいで、アリサ。帰ろう」


 差し出された右手に巻かれた包帯に、じわりと赤黒い染みが広がるのが見える。

 もう一度キーランを見た時、その背後で、イザベラに制止されたソフィーと、そのイザベラが、亜里沙に向かって小さく首を横に振るのが見えた。


 どうすればいいのか、亜里沙にはまるで分からなかった。だがキーランの様子から、治療がちゃんと終わったのかも怪しい。包帯は巻かれているが、まだ安静が必要かも知れない。


 それを口にしようとした時、エドワードが間に立ちはだかるようにキーランの前に出た。


「いや、アリサは僕がマクベルドの屋敷に送り届ける」


「駄目だ……お前だけは、駄目だ」


 キーランの声が微かに震える。


「エドワード、お前は、アリサに近付くな」


「そういう話をしているんじゃない、キーラン。頭を冷やせ」


 だがキーランはエドワードを押しのけるように亜里沙の方へと足を進める。



 そしてすぐに、キーランは足を止めた。

 それは、エドワードが肩を押さえて制止したからではない。


 キーランの絶望したような目を見れば、足を止めた理由は明らかだった。

 亜里沙がほんの一瞬キーランに怯えて、それが顔に出てしまったからだ。


 キーランの顔が苦痛に歪んで、こめかみのあたりを押さえる姿に胸が締め付けられた。

 亜里沙が駆け寄ろうとした時、先にキーランが踵を返した。


「……無事に送り届けてくれ。アリサに何かしたら許さない」


「何もしません。先ほども、話をしていただけです」


「嘘を吐くなよ……あれは、お前が贈ったんだろ」


 一度亜里沙に目をやって、キーランは部屋から立ち去った。


 無意識に、エドワードがつけてくれたブローチに手を伸ばす。

 駆け寄ったソフィーに何か質問されたが、その言葉は耳を撫でただけだった。

 エドワードを見つめる。目が合うが、それはそっと逸らされて、亜里沙は打ちのめされる思いだった。


 こんな時になってようやく、キーランの痛みが本当の意味で分かるような気がした。



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