アウルマルクに到着
ふらふらとベッドに倒れ込んで目を閉じる。
着替えがなく寝る時さえ制服だ。これがそろそろ気になって仕方ないが、これ以上迷惑をかけるような事は言えない。
キーランはわずかな間にイドルを倒していた。
そんな彼が見回るなら、巣が近くにあってもこの辺りの人々は安心して過ごせるだろう。
あの青白い光が瞼の裏を焼いて、亜里沙は思わず目を開けた。残像が天井に映し出されるようだ。
「イドルの巣ってどんななんだろ……」
ポツリと呟く。
(鳥の巣みたいな?)
流石にそれはないか、と内心で自分にツッコミを入れた時、亜里沙以外にもそれに突っ込む声があった。
『流石にあんな見た目ではないぞ』
「わあっ!!」
驚きすぎて飛び起きる。ハッと口に手を当てて声を落とした。
「ニーズ、いつ起きたの? っていうか今、私の考えを読んだの?」
そうだったらとてつもなく嫌だが、幸いそれはすぐに否定された。
『今起きた。考えが読めるわけではなく、お前が声に出した言葉と、強く意識した言葉……つまり、心の中で話した言葉が聞こえるのだ』
(こうやって喋れば聞こえるってこと?)
『ああ』
(そうなんだ……良かった、口に出してると独り言言ってるみたいだもんね)
『ああ、そうだな』
面倒くさそう、というか眠そうだ。
亜里沙は先ほどの疑問をもう一度言葉にした。
(イドルの巣ってどんななの?)
『イドルの巣は大きさは様々だが、どれも見た目は沼に似ている』
「沼?」
つい声に出た。少し想像しづらい例えだ。
『そうだ。泥の沼だ。穢れが溜まった場所だから、自然の沼とはまるで違うがな』
(そんなものを、私はどうやって潰したらいいの?)
『潰す……? 何かあったのか?』
(さっきイドルが出て、キーランが倒したんだけど、その後ひとりで巣を潰しに行っちゃったんだ)
言った後、ニーズがどこまで把握しているのか気になった。ここまでの間はほぼ寝ていたようだが、亜里沙の同行者たちを知っているだろうか?
(あ、えっと、キーランは知ってる? 青白い光でイドルを倒しちゃうの。途中で起きたりした?)
『ああ……知っている』
どこか歯切れが悪い声だった。
『奴はアストラムが生んだ子だからな。半分とは言え、そのものと言えるほど濃く受け継いでいるようだが。アストラムの話は聞いたか?』
そこまで知っているとは、キーランはかなり有名なようだ。逆に聞き返されて頷く。
(うん、聞いたよ。ニーズもアストラムに詳しいの?)
『もちろん』
続けて返ってきた答えは、意外なものだった。
『我は一番最初のアストラムだからな。キーランは我にとって、甥のようなものだ』
「えっ!」
また慌てて口を塞ぐ。
(甥のようなって、何そのふわっとした例え……っていうか! ニーズってドラゴンじゃなかったの? あれだけドラゴンドラゴン言ってたのに?)
『我はドラゴンでありアストラムだ。我がドラゴンでもあるのは、我が女神の子だからだ』
(え? それってどういう……?)
それではまるで女神がドラゴンかのようだが。
『女神イーリスは、その正体は白いドラゴンなのだ。我は比喩ではなく本当に女神から生まれた子で、他のアストラムとは厳密には違う』
(それって……ニーズも神様ってこと?)
『そうであれば良かったのだが。昔はまだ今より力はあったが、それでも女神には遠く及ばない』
それに、とニーズがため息をこぼした。
『今の我にできるのは、世界を救ってくれる来訪者に縋って、連れてくることだけだ』
亜里沙はなんと言っていいか分からなかった。
──自分は間違われて連れてこられたのでは?
来訪者として何ができるか探る傍ら、常に付き纏った不安。
いざそれを聞こうとすると、躊躇いを感じる。
亜里沙は選ばれたと確かにニーズは言っていた。恐らくニーズ自身が選んだという意味だ。
その辺りをもう一度詳しく聞きたかった。何を持って選ばれるのか、そういう部分を詳しく。
そしてあの時の状況のことも。
だがもしかしたら──初めて見た時の弱りようから、ニーズ自身も間違えたことに気がついていないのではないかと、ふと思った。
仕方なく連れてきたのではなく、連れてこようとしていた人物に抱き上げられたのだと、勘違いをしている可能性はないか。
今も回復していないようなのに、「あなたは人を間違えて連れてきたかも」だなんて、言ってしまってもいいのか。
そんなことを言ったら、自分がひどく責められてしまうのではないかと、亜里沙は怖くなった。
この沈黙をどう解釈したのか「キーランはドラゴンではない」とニーズが言った。
(……じゃあ、他のアストラムはドラゴンにはなれないってこと?)
話題が変わったことにほんの少しホッとしてしまう。
もう少し、もう少しだけ「間違われた」とはっきり言えるだけの確証が欲しい。
それが分からなかったとしても、せめてもう少しだけ時間が欲しかった。
亜里沙の心中になど気づかず、この世界にドラゴンは二体しかいない、とニーズ。
『我らは確かに女神の子だが、我と他のアストラムでは、生まれ方が違うのだ。アストラムの中でドラゴンに変化するのは我だけだ』
(そうなんだ……じゃあここは、ドラゴンが作った世界なんだね)
今まで触れたファンタジー作品の中でも、ドラゴンは割とすごい生き物として描かれていた。
だがまさか世界を作ってしまうほどのドラゴンが実際にいるなんて。
(キーランとは半分は同じ種族なんだね)
一番最初の、と言うのだからきっとニーズはかなり長生きなのだろう。とするとキーランは子孫に当たるだろう。
(あ、それじゃあ、キーランにはニーズの事話してもいいんじゃない?)
『駄目だ』
即答。しかも、驚くほど冷たい声だった。
『我は忘れ去られた存在なのだ。もうこの世に我の存在を感知できるものは、お前の他には女神しかいない』
(え……どういうこと?)
説明が難しい、と言ってニーズは一方的にこの話を切った。そしてかなり強引に、亜里沙の最初の疑問に答える形で話題を変えた。
『イドルの巣を浄化するには、来訪者の力、アストラムの力の他には、聖水を使うのが確実だ』
(聖水……)
『ああ。聖水は無限に湧くものではないから、使用は有事の際に限られる』
有事の際とは。イドルの巣は“有事”ではないのだろうか。
『聖水を使えない巣は、来訪者がいない時は火を使う』
(聖水が使えない巣?)
『ああ。小さかったり、人間の生活圏から遠いものなどだ』
(なるほど)
『ただ火を使う場合は時間がかかり、その分火災の危険が増加し、それによって深刻な被害が出る場合がある』
(キーランがいれば早く解決するんだね)
『そうだ。ただあれは使いすぎると消耗する。あまり無茶をしないようお前からも言ってやるといい』
(え……そうなんだ)
だから不吉な感じがしたのだろうか。
『お前は戦えないから、これまで通り人間たちが火か聖水を使って対処するだろう』
亜里沙はすぐには答えられなかった。
(私が……戦えないって知ってて、選んだの?)
ニーズが答えるまでに間があった。
『ああ』
思いがけずこの問題に触れられた。
「……ど、どうやって、私を選んだの?」
『それは』
再び、今度は先ほどよりも随分長く、ニーズは沈黙した。
まさか本当に間違えたのでは。
「ねえ」
『心配するな。間違えてなどいない。ただ』
亜里沙は混乱した。
何故考えが伝わったのだろう。つい強く意識してしまったのだろうか。
「ただ、何?」
『……いや……すまない、少し眠らせてくれ』
そのあまりに弱々しい声に驚く。
「え、あ、分かった……」
『お前はいるだけでも世界の穢れが安定する。来訪者とはそういうものだ。もちろん戦える者と比べると時間がかかるが。心配しなくてもいい』
そう言い残して、ニーズは静かになった。
(本当に……? 本当に、間違えてないの?)
ニーズは何か隠そうとしているようにも思えて、亜里沙の混乱は深まるばかりだ。
しばらく考え込んだ後、亜里沙はため息を吐いた。
2月10日。
あの体操で再び気合を入れ直した亜里沙は、集落を後にした。
出発前にルイとベンは宿の人に賃金を渡して駄馬を返すよう頼み、ロナンは再度駐屯している軍と話していた。
キーランと厩舎のそばで待つ間、他愛ない話をした。
昨夜あれだけ心配したのに特に何の問題もない様子で「おはよう」と言われた時には脱力したが。
「キーランは肉が好きなの?」
「うん」
「私も好き」
正確にはファストフードやスイーツが好きだ。
だがここに来て初めて食べたあのシチューが思い出された。
「特にあのシチューの肉!」
キーランは目を輝かせる亜里沙を見てふっと笑う。
「僕はよく串焼きにして食べるよ」
「ああ、あれも美味しいよね! あと、寒いとすき焼きとか食べたくなる」
「すきやき……?」
「あ、えっと」
目を丸くして見つめてくるキーランに、亜里沙は曖昧に笑った。
「キーランはどの季節が好き?」
話題を変えようとして肌寒さが身に染み、その質問が口をついて出た。
「冬かな、多分」
「多分?」
「生まれた季節だから。自分が生まれた季節は好き、じゃないの?」
質問に質問を返される。不思議な言い分で。
「え? そんなことは」
春に生まれた亜里沙は春が好きだった。
「あ……あるの、かな?」
「うん」
キーランが目を細めて頷いたので、もうそれでいい気がしてきた。
その他には亜里沙が子供の頃以来、朝から本気で体操をしていることや、キーランは剣の訓練をしている時が楽しい、などと話し合った。
大した事は話さなかったが、キーランはどこか楽しそうで、亜里沙には何となくそれが嬉しかった。
少なくとも解消されない不安が付き纏っていることを一時的に忘れられたのは、ありがたいことだった。
そうして再び荷馬車は出発する。
集落までの間よりも少し速度を上げ、昼にはアウルマルクに到着した。




