アストラム
食堂は先ほどと比べると賑わいを見せていた。
宿泊せず一階のみ利用する者もいるようだ。
大声で騒ぐ客はいないが、人が出入りしても目立たないほどには声と音で溢れている。
見た限り客の多くは兵士だ。ああいう格好をした兵士ともなるともっと乱暴なイメージがあったが、どうやら偏見だったらしい。
目立たないとは言え。
それでも亜里沙がそばへ来ると、目を丸くして振り向く者は数人いる。ロナンはさり気なく亜里沙を隠すような位置を歩いてくれた。
隅に近いテーブルに着席すると、キーランが宿に現れた。
入口に近い位置にいた者たちから沈黙の波が広がって、すぐに一階が静寂に包まれた。
全身黒という人がそんなに珍しいのか。
間違いなく一番うるさかった、つい今まで談笑していた旅人風の男たちまでも口をつぐんだ。そして目を見開いてキーランに見入っている。
深くかぶったフードでキーランの表情は見えないが、この居心地悪い歓迎も特に気にした素振りはない。代わりに亜里沙が落ち着かなくなった。
一度周囲を見渡したキーランはすぐに亜里沙に気がついたようだった。
見えにくいフードの中からこちらを見る金色と目が合った気がした。
キーランが近づいてくると、次第にさざめきが戻った。だいぶ控えめではあったが。
「早かったですね。巣はどうなりました?」
見守っていたロナンがそう声をかける。
「巣は潰した。それとさっき助けた農家から駄馬を貰ったんだ」
目深にフードをかぶったまま、キーランは亜里沙の向かいに座る。
「あ、お、お帰りなさい」
もう一度目が合って、どういう反応をすべきか分からず口をついて出た言葉がそれだった。
キーランは目を丸くして、そして嬉しそうに微笑んだ。
「ただいま」
「キーラン、駄馬は農家にとっては大事な労働力ですよ」
ロナンは小さくため息をついた。
「元の主人に返しましょう。それともう何度も言っていますが、私から報酬を受け取っている間は誰かに何かを貰う時は差し障りない物を選んでください」
どこの家から馬を貰ったのかキーランに問いただすロナンと生返事を繰り返すキーラン。
「アリサさん、ここの揚げパイは美味しいですよ。注文しましょうか?」
ルイが亜里沙に朗らかに問いかける。
「アリサさんはお酒はお好きですか?」
ベンは酒の種類を並べ立てる。
キーランとロナンのやり取りなどお構いなしといった様子で、ルイとベンは次々とアリサに美味しいメニューをお勧めしてくる。
ふと気がつくとキーランが亜里沙を見つめていた。
フードで影になっていても金の瞳はよく見える。
人からこんなに見つめられた経験もなく、慣れていないから心臓が落ち着かない。
どこかにゴミでもついているだろうか?
気づかれないように見える範囲で確認した。
キーランの視線から顔を逸らしながら、亜里沙はやっと、楽しそうなルイとベンに、お酒は飲めないし飲まないとだけ答えた。
料理がテーブルに所狭しと並ぶ。
全体的に茶色いが、ルイがやたらと勧めてきた揚げパイは、見た目にも一番美味しそうだ。
だがまずは目の前に差し出された温かいスープを飲んだ。ほぼ透明な汁に葉物の野菜が少し浮いている。
その味は、少し違うようだが鶏ガラに似ている。
口を通る時は濃厚なのに後味が淡白だ。体が軽くなるようで気分がすっきりした。
そして程よい温かさが胃を宥めて、思わずほっと息を吐く。
「美味しい」
小さく呟いた声を拾って、ロナンが「良かった」と答えた。
気持ちが落ち着いてきて、亜里沙は遠慮がちにキーランを見る。
「あの、さっきのどうやったの?」
蒸し焼きの肉をフォークだけで器用に切り分けていたキーランは亜里沙を見て、かすかに首を傾げる。
「えっと……イドルを倒したでしょ」
これを聞いたところで真似できるわけがない。
だがそれでも、どこで力が覚醒するか分からない。
やり方を知れば、もしかしたら何か閃くかもしれないのだ。
「あの時の、あれはキーランの力だよね? それか、剣が特別?」
「ああ……」
と言ったきり、キーランは黙り込んだ。
そんなに言いにくい事かと思いきや、考え込む様子を見る限り、どう話すか迷っているようだ。
ロナンが「私が話しますか?」と助け船を出すが、キーランは首を横に振った。
「この力は母から受け継いだものだ」
「お母さん?」
うん、とキーラン。
「剣は普通のものだけど、力を流すのに使える。表面に力を放つより効きがいいから。生物の急所を狙うんだ」
頭とか、首とか、とキーラン。
あれが遺伝なら、いよいよ真似できるわけがなかった。だがもしかしたら。
「お母さんって、来訪者?」
「え?」
キーランは目を丸くして、そして小さく笑った。
そのおかしそうな声に羞恥が湧く。
「アリサさん、今までの来訪者は記録では全員帰還していますし、子を成した方もひとりもいないそうですよ」
「あ、そ、そうなんだ」
話を聞く限り命をかけるほどこの世界に愛情がありそうなのに、そういったところは線引きをするらしい。
「僕の母は人間じゃないんだ」
そう言われて、腑に落ちた。流石に人外だとは思っていなかったが、この常人離れした美貌から考えても納得はいく。
妖精やエルフみたいなものがいるのだろうか。
「母はアストラムと言われる種族で、アストラムは女神が直接産んだ子だっていう伝承もあるよ」
「アストラム……」
亜里沙は小さくその言葉を繰り返した。エルフじゃなかった。
だが女神が直接産んだなんて、考えたらとんでもないことだ。
「僕の外見がこうなのも、母の血を濃く受け継いだからだ」
ここに来るまで隠している様子はなかったが、人が多い場所ではフードをかぶる。
食事中もフードを外さず、それについてロナンが何も言わない。
「もしかしてキーランって有名人?」
英雄だとは聞いていたが。有名人だとすると先ほどの静寂にも納得だ。
「ええ、かなりね」
キーランが「うーん」と考える間にロナンが答えてしまった。
「他にそういう力を持っている人はいないの?」
キーランがチラとロナンを見やる。ロナンはその視線を受けて、代わりに答えた。
「残念ながら、いません。我々人間にはあのような力は備わっていませんし」
「じゃあ他にアストラムは?」
「僕の母は死んだから、純粋なアストラムはもういないんだ」
「えっ」
母親の死だけでもどう反応していいか分からないのに、まさかその種族の最後のひとりだったとは。
「子供の頃のことだから気にしなくていい」
うん、と力なく頷く。少しの沈黙の後、ロナンが口を開いた。
「アストラムの血を引いている方なら、キーランを含めてふたりいますけどね」
亜里沙が目を向けると、ロナンは続けた。
「キーランと、もうひとりは西の国、聖国アドアストラの、現聖王猊下です。もっともかのお方は、系譜をたどると七代前が純粋なアストラムであるという、そこまで力のあるお方ではないのですが」
「ちょっとマスター!」
ベンが焦って声を上げる。
ロナンは「おっと」と呟いて口の端に笑みを浮かべる。
その悪びれない様子に、ベンが代わりに説明してくれた。
「西の国は、この大陸唯一の宗教に従事する聖職者とその家族だけが暮らす国で、聖王は最高指導者に当たる方なんですよ」
ルイが何度も首を縦に振る。
「教義では女神様の次に偉い方ですよ。そんな方に無礼な事は冗談でも言えません」
そう言ってロナンを咎めるように見る。
ちなみに宗教の名前は「リシュアストラ教」なのだとベンが教えてくれた。
「り、リシュ……」
「そんなもの覚えなくてもいいですよ」
ロナンが言って、再び「マスター!」と悲鳴を上げさせていた。
宗教の事は分からないが、ふと、歴史で戦争や反乱の原因として習ったものがしばしば宗教であった事を思い出す。
キーランも宗教にはあまり興味がないようで、西の国の話が出た辺りから再び蒸し焼き肉に集中していた。
亜里沙はその後、ぼんやりと食事をした。
頭の中がいっぱいであまり会話にも参加できなかったが、ロナンたちの穏やかなやり取りは聞いていて心地が良かった。
まだ聞きたい事があったものの、思うより疲れて言い出せなかった。それに、この心地良さを壊したくなかったのだ。
そもそも慣れない生活だ。
寝る頃にはヘトヘトになって、部屋へと向かう足取りも重い。
ドアを開けようとした時、隣の部屋からキーランが静かに出てきて、目が合った。
「どこ行くの?」
反射的に尋ねると、キーランは微笑んだ。
「ちょっと騒がしいから外を見回ってくるよ」
ルイかベンが寝言でも言っているのだろうか。
「え、でも危ないよ」
キーランは少しの間亜里沙の顔に見入った。
亜里沙がそわそわし始めると、徐に口を開く。
「それは、心配してくれてるの?」
「え? うん」
「どうして?」
「え?」
当然のことに疑問を持たれて、亜里沙は戸惑った。
「どうして心配するの?」
もう一度繰り返されて、眉根が寄る。
「え、めちゃくちゃ危ない化け物が徘徊してるのに夜に出歩こうとする人がいたら心配するでしょ?」
しかも相手は旅の同行者なのだ。
「イドルに昼夜は関係ないよ」
諭すように言われてぐうの音も出ない。
唸り声が飛び出して、それを聞いたキーランはおかしそうに笑うと亜里沙のそばを通り過ぎた。
「え、ちょっと、本当に行くの?」
キーランは振り向き、その顔にかすかな笑みを乗せる。
「おやすみ」
静かな声だったが、階下へ降りて行くキーランを追いかけることはできなかった。
あの青白い光が不吉に思えるからと、確かに心配しすぎかもしれない。
(歳が近いから、心配しちゃうんだろうな)
それに妹と同い年であるということも大きかった。
その年齢の相手には男女関係なく甘くなってしまう時がある。
亜里沙は一つため息を吐いて、部屋へと入った。




