アウルマルク事件
職人組合が支配する小さな都市、アウルマルク。
小さな城を丘の上に抱えて、その下に広がる街並みには集落とは比べ物にならないほど家や工房などが集まるという。
眼前に迫る灰色の城壁に、ここからは見えないが上から鉄格子でも落ちてきそうなアーチ型の門が街道を吸い込むように聳え立っている。
初めて見る本格的な造りに言葉が出てこない。
「大きいね……!」
何とか捻り出すと、後ろの馬車を引いているベンが小声で答える。
「ナイグラードの方がここの何倍も大きいですよ」
ナイグラードは確か、ロナンがそこのギルドを預かっていると言っていた。
都市の名前だったのか。それにしても何倍も、とは簡単には想像できない大きさだ。
「マクベルド伯爵……?」
通る人や馬車を確認していた門兵が声を上げた。
驚きと少しの嫌悪が混じったような顔で、荷台に座るロナンを凝視する。
この兵士はあの集落にいた国の軍の兵士とは格好が違う。
いわゆる私兵、というやつだろうか。
「通過するだけだよ、そう警戒しないでくれ」
荷台から降りたロナンは門兵の前に進み出た。
思わずのけぞる門兵に穏やかな微笑を浮かべてみせる。
「通過するだけ? いや、申し訳ありませんが、そういうわけには」
ロナンと門兵が話している間に、別の門兵がひとりその場を離れた。
残る門兵も荷馬車をどこかへ通そうとしているが、ロナンは穏やかな態度のまま頑として応じない。
「貴方がたの望む場所へ行く気はない。旅程を変える気もないから手短に頼むよ」
亜里沙はロナンを見た。物言いに、その穏やかな横顔とは不釣り合いな圧を感じる。
色々とごねる門兵に、とうとう「組合長をここに呼ぶといい」と微笑むロナンは恐ろしく思えるほどだった。
ついに門兵は黙ってしまい、気まずい沈黙が辺りを包んだ。門兵から最も離れているベンがふうっとため息をつくと街道の後ろを確認する。
「往来が少なくて幸いでしたね」
近くに立つキーランに声をかける。キーランはああ、と短く答えていた。
どこかへ行っていた門兵が一度戻って来た。
残っていた方と何やら耳打ち話を交わしていたが、「早くしてくれ」とロナンが微笑みかけると、焦ったようにまた走り去る。
仲が良くないと聞いたことは覚えているが、まさかこんなに険悪な雰囲気になるとは思っていなかった。
不安げな亜里沙をロナンが振り向く。
「すみません、アリサさん。外套をお貸ししたいところですが顔を隠していると面倒事に巻き込まれかねないので、我慢してくださいね」
「あ、全然、大丈夫です」
言いながら、門から飛んでくる訝しげな視線を受け流す。
やはりこの外見だとどこに行っても来訪者と騒がれる運命のようだ。
それは嫌だが、だからと言ってこの制服の上に、借りたものを羽織る勇気はない。
「心配はいりませんよ。ただ荷台から降りないようにしてください」
亜里沙が頷くと、ロナンは安心したように微笑んだ。
しばらく経過した。
先ほどから亜里沙を窺い荷台に近づこうとする門兵。
ロナンはそんな門兵の進路を邪魔している。
亜里沙は居た堪れず顔を背け、手持ち無沙汰にブレザーの内ポケットに手を入れた。
(ああ、枯れちゃった)
当然と言えば当然だが、キーランからもらった三本の小さな花は萎れて花弁もくすんでいる。
亜里沙は恐る恐る花弁を小さくかじってみた。
(うん……無味)
それでも無心で噛んでいれば何となく味を感じるような気もしてくる。
必死で口を動かしていると、ふと視線を感じて振り向いた。
不思議そうにこちらを見つめるキーランと目が合った。
視界の端には、にこにこと亜里沙を見るベンの顔もある。
「お腹空いてるの?」
「えっ、違」
「違いますよねえ?」
ベンは声までにこにこしている。
「アリサさんは贈り物を大事になさっているんですよ」
「僕が贈ったから?」
熱心な視線を受けて、気恥ずかしくなりながら亜里沙は頷いた。誰に贈られても同じようにしたと思うが。
そうか、と小さく呟いたキーランは亜里沙から視線を外す。
キーランのその顔がうっすらと赤く見えて、亜里沙は慌てて前を向いた。
ベンのにこにこがまだ隅の方に見えているが、亜里沙は黙々と残りのルチアネを食した。
「マクベルド伯爵」
キーランに話しかけようにも何となく気まずく、いよいよ退屈になってきた頃、顔も体も厳つい大男が現れた。
そこそこ高そうな服を着ているが、亜里沙の目にはその服はとても窮屈そうに見えた。主張の激しい筋肉のせいだろうか。
“親方”と呼ばれるのが似合いそうなその中年の男は、顔があからさまにロナンを嫌いだと言っている。
その男から一歩下がって、ボサボサの茶髪とそばかすが目立つ若い男が不安げにこちらを見る。
ロナンよりは年上に見えるが、気の弱そうな態度から頼りなげな印象だ。
亜里沙はどちらの男とも一瞬目が合ったが、一方からは睨まれ、一方からは驚かれた。
厳つい男が引き連れて来た数人の兵は、門兵と似たような装いで、遠巻きにでき始めた人だかりを払う事に躍起になった。あまり意味は無さそうだったが。
「無礼だな、エストラン」
開口一番のロナンの言葉にエストランと呼ばれた親方風の男が思い切り顔を歪めた。
「無礼なのはそちらだろう。客の分際で主人を玄関口に呼び付けるとは」
「礼儀に関して認識が異なるようだが。少なくとも問題のない荷馬車の通行を理由もなく邪魔する者の要求になど、こちらも答える義理はないよ」
ロナンはあくまで冷静だがエストランはそうではないようだ。その顔が上気している。対してロナンは表情が崩れない。
「それで、用件は?」
「……フロースの件だ」
フロース? 初めて聞く名前だが何かの商品だろうか。
「またその話か。一体どうしたら納得してくれるんだ」
「納得できる理由がどこにある? お前たちナイグラードの商人ギルドの独占を、我々がいつまでも許しておくとでも?」
黙したまま表情を変えないロナンに、エストランは舌打ちした。
「フロースの扱いについては、何代も前から幾度もの話し合いを経て決めたはずだ。それから一度だって我々はその取り決めに反した事はないぞ!」
「なるほど、私が一方的にその約束を破ったと考えているのか」
「少なくとも先代のマクベルド伯爵はまだ友好的だったからな」
小さく息を吐いたロナンは、平然と言った。
「それで、それの何が問題だ?」
「なっ、何だと……!?」
「国王陛下もこれに関しては介入しないと仰せだろう。我々はフロースの代替品をきちんと提示したし、取り引きにも配慮した。補填は充分にしたはずだが」
うっと短い唸り声。
エストランのそばに控える男性の表情はとても申し訳なさそうだ。
「他のギルドも我々の意向に従っている。つまり、いつまでも子供みたいに駄々をこねているのは貴方だけだ、組合長」
「この……守銭奴が……!」
「お互い様だと思うが」
「俺は違う! 俺は組合の皆の権利と立場を守りたいだけだ! 俺たちの手が生み出した黄金を横から掠め取って行くくせに、そんな盗人どもが議会を牛耳って俺たちの自治を邪魔しているんだぞ!」
エストランがそう怒鳴ると、ロナンは表情はそのままに呟いた。
「まあ、本音はそれだよな」
「何っ? 今なんと……」
「いいだろう。近いうちにナイグラードで席を設ける。貴方がこの街の真の主人になる方法について話し合おう」
「俺にわざわざ出向けというのか!?」
「それが筋では? 私がわざわざ下手に出る理由がない」
沈黙が訪れた。
用件は終わりだとばかりにルイに荷馬車を出すよう指示するロナンに歯噛みしたエストランは、ふいに亜里沙を見つめた。
「まだだ」
ロナンがエストランを横目に見やる。
「来訪者だな? その女を置いていけ。そうすれば通してやる」
「へっ……?」
突然騒ぎの中心に引き摺り出されて間の抜けた声が出る。
「えっ、や、やだよ」
ついそう声を上げていた。
しまったと我に返って口を覆う。エストランはなおも歯噛みして、今度は亜里沙に言葉を投げた。
「騙されるな、こいつは来訪者を利用しようとしているだけだぞ」
意味が分からず見開いた目を瞬く。
「アリサさん、聞かなくていいですよ」
「いいや、ちゃんと聞け。来訪者がもうじき現れると聖王のお告げがあった。二ヶ月ほど前だ」
「え」
そんなことは初めて聞く。
エストランを無視するつもりだったのに、亜里沙は身を乗り出すようにエストランを凝視した。
「権力に溺れ金に汚い伯爵のことだ、自分が来訪者を迎え入れたと王家にへつらうために、こうして入念に準備をしていたのだ」
亜里沙がロナンを見ると、ロナンも亜里沙を見た。
表情に変化はなく、わずかに首を横に振る。
聞くなと言っているのだろうか。
「伯爵がこの短期間でエンフルバルトに出向いたのはこれで二度目だぞ! おかしいと思わないのか!」
そう言われても「分からない」としか言いようがない。
そんなことはどうでもいいから、お告げの方を詳しく知りたいのだが。
「ちょっと! 言い掛かりがすぎますよ!」
興奮状態のエストランに、流石にルイが不満の声を上げる。
その時だった。
いつの間にか馬車のそばを通り過ぎたキーランが、亜里沙とエストランの間に立ち塞がるように前に出た。
エストランが怯えたように息を呑んだのが分かった。
「王命を受けて僕がアリサを迎えに行った」
亜里沙は今度はキーランを見た。偶然ではなかった?
「ロナンをつき合わせたのはギルドの視察を装うため。そうしたのは、陛下が騒ぎになる事を危惧したからだ」
聖王が間違う事もあっただろ、とキーランが言うが、エストランは返事も出来ない様子だ。
亜里沙の後ろではベンが困惑気味に「ええ?」と小さく声を上げる。振り返って亜里沙を見るルイの表情も困惑していた。
どうやら二人はそんなこととは知らなかったらしい。
「それで」
何も言えないエストランに、キーランが淡々と言葉を投げかける。
「通さないのか? それとも王命に逆らうか?」
こうして一行はアウルマルクを通過することとなった。
亜里沙にとって初めての都市の思い出は、苦いものとなってしまった。




