暴食のシャチと憤怒の熊
憤怒の熊率いる公爵勢の遊撃隊は森をさまよっていた。
毒気の強いあたりだが、部隊のいるところは魔法で空気を清浄にしてある。
領地の門(爵位杖の気配)を探せる魔法があり、それでここまで来た。
門はあった。
ただし、そこに、巨大な白黒の魚のような悪魔がいた。
憤怒とは、怒れば強くなるのだが、シャチが森の中に落ちていて、
「あ?! なんだおめーっ やんのかっ」
と、ぶち切れられるのは、悪魔の中にもそうそういない。
普通は、怒るより驚く。
魔界には海や湖といった水源が少ないため、魚みたいな海獣系悪魔は生き延びないので(トドやアザラシはたまーに生き延びる)、さらになかなか生まれることもないので、彼らは見たことがなかった。
カイγーン領の連中だって、「え?」と戸惑ったのだから、まあそうだろう。
彼らは
巨体にも、姿にも、そしてそのシャチのお嬢さんが不機嫌そうなことにも
びっくり した。
声をかけるかと、育ちの良い憤怒の熊は思った。
長身で特に肩の辺りがいかつい、獣性が熊と言われて「あ、わかります」と言われてしまう子爵である。
しかして、シャチのお嬢は話しかけられる前にばしっばしっと、前ヒレで地面を叩き。
「雑魚潰しとか、失礼ですよ」
と、怒った。
「うん?」
うっかり相づちを打ってしまった熊だった。
一応、部下には後手で、戦闘準備の合図をしている。
だが。
え、これ、なんなの?
という空気が隊の中に広がっている。
シャチなので走ってきそうもなく、たぶん袋だたきにすればいいんだろうな、半端なく打たれ強そうだけれども。
倒すのに時間が掛かりそうだ。
短槍程度の得物で城門に躍りかかる感じである。火玉の用意はしているが、 魔法が効く気がしない。
壁的な門の守兵なのかなと思った。
鈍重そうだから、脇から抜けていく手もある。
熊はそう判断した。
ティリクムはふて腐れていた。
「海賊と間違えて軍船をざっぱーんとかやったのは、あちらが海賊に偽装していたんだから、ティッリ(ティリクムの愛称)のせいではないのにっ。ついで、66万6千㎏食べ終わって、調子に乗ってご主人に躍りかかったら、嫁入り前の娘の背中、分からせ噛み噛みと、4脚の爪でばりばりされて、すっかり傷物ですっ」
熊は
突っ込んだ。
「いや、それたぶん、君が悪いよ」
それを聞いた父と兄弟は、彼とは仲良く出来そうだなと思った、とか。
「ああ、敵ですら、ご主人の味方をするっ」
しゅるしゅると白黒な魚のシルエットに水がまといつき、ティリクムは浮き上がった。
そして。
総重量1万トンの
理不尽な津波もどきの
フライングボディアタックが
彼らを
心底理不尽に(大事なので二度言います)
襲った。
敵は一人を残して無力化した。
核と脳に過度の衝撃をうけると、さすがに悪魔でもしばらく動けない。これのいいところは、人間なら死ぬが、悪魔はかろうじて生きていられるということだ。
里長とその息子はててっと鼠とリスの姿で木の上から駆け下りた。
身内が起こす津波の巻き添えを食わぬように高いところに昇るくせがついている。
そして、地面に降りると人型になり、いそいそと服を着てから、収納アイテムから時間停止檻を取り出して、動けない敵放り込んでいった。
実質200日もあれば、わざわざ教えてくれた敵数の念のため倍ぐらいは入れられるだけの檻の用意は出来る。
憤怒の熊は立ちつくしていた。
衝撃で、彼は頭が真っ白になっていた。
憤怒は通常は眠ることがないので、珍しい体験で、目が見えなくなったのかと思った。
どんだけ丈夫だろうと、脳震盪的なものにはなる。
子爵であるため、回復は早い。
目が見えないような、考えることができないような状態になっていたのは、30秒程度。
戦場では十分に死んでしまう無防備時間だが、ティリクムはおやおや立ってる? すごーいと、周囲をゆらゆら回って、顔を覗き込んでいるだけで、追撃しなかった。追撃すると、この状態だとうっかり死ぬので。ぎりぎり死なさない攻撃だったから、危ういのである。
敵の、色欲の伯爵を捕らえて領地で子作りしてもらうのが最大目標なので、仲間をあんまり殺すわけにいかない。
この時間に、公爵の別働隊は、ぽいぽいと檻に放り込まれてしまったわけだ。
二人いると早い。
娘? こういう雑務ではあてにしていない。
そして熊は視力が回復したら、仲間がほとんど捕まっている状態で、でかいシャチが顔を覗き込んでいるという状況。
怒るより、驚くしかない。
「パパン」
「外でその呼び方はやめなさい。何かな、色欲から生まれた娘よ」
暴食同士なので、呼びかけに母の属性を言う。
「この人、お婿にする」
「そうか、生贄が手に入ったか。はー、よかった。よかった・・・」
「父さん、一年半ぐらいだけれど、お疲れ様でした」
「おまえもなあ。よくアレの尻ぬぐいを共にしてくれた。クラム(駝鳥のお嬢さん)は普通なのに」
なんのはなし?
熊は知性も戻って、理解した。
部隊が壊滅している。
悪魔でも津波に勝てなかった。伯爵ぐらいなら意識を混濁させずに動けたかも知れない。
「さあ、仲間の命が惜しければ、ティッリの婿になるのです。ご主人と旦那様がよくしている、鼻ちゅーするですっ」
仲間を人質に取られ、自分もまた痛みは大きくないが、ダメージが深い。ヘタに暴れると、背骨がぽきんと折れそうな怖さがある。そうなるとたぶん、死ぬか数日身動きが取れなくなるだろう。
現状、1対3で、老人風の男が子爵で同位。
詰んでる。
「わかった、仲間の命が助かるなら」
流れでそう答えて、なんかおかしいなと当の熊は思った。
みんなで自決特攻しにきたのだから、ここは暴れるべきだったのだ。
しかし、ボディーアタックの影響で、いろんな事が消し飛んでいた。頭にけっこうな衝撃だったので、動いて喋れているだけでもすごいのである。
「で、鼻はどこ?」
ティリクムはパシパシ前ヒレで地面を叩き、
「そんな恥ずかしいことを女性に言わせるなんてっ」
と、憤慨した。
「鼻チューっていうから鼻探したんだけれど」
ちなみにシャチなので、頭のてっぺんぐらいにある。海獣と接したことがないなら、わからないのも仕方ない。
「そろそろ怒っていいよ」
と、暴虐なシャチの兄弟が気の毒そうに助言した。
「いえ、捕虜ですし。じゃあ、口の先に」
と、熊は口に顔を近づけると、ティリクムは口をぱかっと開けた。
「なぜ、開いたっ」
さすがに跳び下がった熊だった。
「口にするなら、深いのがいいかなって。きゃはっ」
パシパシっ。
「でも、喉の奥にするんと入ったら、うっかり飲んでしまうかも」
「食う気か?」
「うっかりそんなことはあるかもって、だけ」
熊は正面からでなく、真横からキスをして、とりあえず、仲間の命を確保した。
私「熊、まともだったせいで、可哀想に」
無夜「ティリクムが男だったら、良い感じのビーエルでしたが、一作品にあんまり男カップル増やしたくないので」
私「ホオジロザメの親は熊さんですね」
無夜「シャチな妻と、鮫な娘に振り回されながら、彼は一度も怒ることなく、わりと幸せに暮らしていきます」
私「忍耐力がすごい」
無夜「ティリクムはスペック的に、魔王にもなれる強さなので、強さに対する敬意の強い熊さんが、実質惚れます。ティリクムの不幸で幸いなのは、上にザητΦァー、カイγーン、ボルタ・シルヴァーがいて、野心期(やんちゃのひどい時期)に玉座にまったく手が届かなかったことですね」
私「魔王になっても、好き勝手生きるから幸せだろうけれどもね」
無夜「でも、彼女が玉座を得たら、はね回ってふっと振り返ったときに、一人になりますよ」
私「ああ、幼少期をわちゃわちゃとたくさんの悪魔や人間に囲まれて生きているから、誰も残らないのは、しんどいかー」
無夜「なんせ、気を遣ったり、併走するってのが不得意すぎるから」




