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狂桜華 外伝~桜の影に眠る物語~  作者: 澪
散華の夜

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第八話 元近衛大将、地図に書く

 日向は、ほんのわずかな時間だけ目を閉じた。そして、再び開く。


「桜桃皇女で間違いないな」


 清明は何も聞かなかった。


「……では、そのように」


 日向は六花の傍へ膝をつき、衣の懐を改める。


 帯。筥迫。小物。──ない。


「……こっちもか」


 日向は手を止めた。


 目の前に横たわる娘は、薄桜色の衣を纏ったまま、もう二度と目を覚まさない。乱れた袖の端を、そっと直してやる。


 六花にもう一度だけ目を向けると、日向は立ち上がった。


 六花の亡骸が、桜桃の衣を着てここにいる。──ならば、本物の桜桃はどこにいる。逃げたのか。朝凪は。


 朝凪の花鍵は、西回廊の隠し扉の鍵だ。桜桃を逃がしたとすれば、西回廊からだ。


 日向は西回廊へ向かった。回廊には、まだ戦いの跡が残っていた。


 焼けた柱。折れた刃。隠し扉の前のおびただしいほどの大量の血。だが、そこにはもう誰もいない。


 朝凪がここまで来たなら、桜桃を逃がした可能性が高い。扉には鍵がかかっている。


 日向は宮城を出て裏側へ回った。

 まだ朝靄の残る道を走り抜けると、木立の向こう側の地面に、人が倒れていた。


「……朝凪」


 全身が血に濡れている。一瞬、最悪の可能性が頭をよぎった。日向は駆け寄ると、膝をつき、首筋へ指を当てる。


 弱いが、脈はある。


「……生きてるな」


 日向は周囲を見渡すが、誰もいない。


「桜桃様は?」


 返事はない。


「おい、朝凪」


 肩へ手をかけても、目を覚まさない。


 なぜ一人でここにいる。桜桃はどこへ行った。

 六花を西回廊まで運んだのなら、何があった。


 聞きたいことはいくらでもあった。──だが、今は。


「……まったく」


 日向は朝凪の身体を担ぎ上げた。


「お前まで死んだら、六花に何と言えばいい」


 答える者はいなかった。


 一歩、踏み出す。ずしりと肩へかかる重みに、日向はふと足を緩めた。


「……重いな」


 こんなに重かっただろうか。


 初めて会ったのは、朝凪が七つの頃だった。まだ身体も小さく、近衛の稽古を遠巻きに眺めていた少年が、いつの間にか自分と同じ近衛となり、中将にまでなった。


 随分、大きくなったものだ。


 桜桃と、六花と、朝凪と。三人は幼い頃から、いつも一緒にいた。身分も、生まれも違う。それでも日向の目には、ときに兄妹のように見えた。


 桜桃が何かを思いつけば、六花が困った顔をしながらついていき、朝凪が黙ってその後ろを守る。三人まとめて叱ったことも、一度や二度ではない。


 あんなに小さかった子供たちが。


 一人は今、こうして自分の肩に担がなければならないほど傷つき。

 一人は、どこにいるのかも分からない。

 そして、もう一人は──。


 日向の足が止まった。


 六花を担いで帰ることは、もうできない。


 先ほど見た、白い覆いの下の手が脳裏に浮かんだ。


「…………」


 喉の奥から何かが込み上げた。日向は奥歯を噛みしめる。


 今はまだ、駄目だ。立ち止まるわけにはいかない。


 六花があの衣を着ていたのなら、桜桃は逃げ延びたはずだ。そうでなければ、六花が命を懸けた意味がない


「……桜桃様は、生きている」


 自分に言い聞かせるように呟いた。それだけが、日向に残された希望だった。


 日向は朝凪を担ぎ直した。


「だから、お前も死ぬなよ」


 意識のない朝凪から、返事はない。それでも日向は歩き出した。


 桜桃がどこかで生きている。朝凪もまだ息をしている。今は、それだけでよかった。

 


 朝凪を彼の自宅へ運び、日向は医官を呼んだ。傷は深かったが、命は取り留めた。


 数日後、ようやく話ができるだろうと思い、日向が再び屋敷を訪れたが、寝床は空だった。


「……は?」


 医官に聞けば、朝凪はまだ安静にしていなければならない身体で、いつの間にか姿を消したという。


 日向はしばらく空の寝床を見つめた。


「…………あいつ」


 何を考えている。いや、何を考えているかなど、分かりきっていた。桜桃を捜しに行ったのだ。


 

 そこで記憶は途切れ、日向の意識は現在へ戻ってきた。


「星河様の鍵もなかった」


 朝凪は黙って聞いていた。日向が続ける。


「六花の鍵もない。お前の話なら、桜桃様の鍵も盗まれた」


「はい」


「お前の鍵はある。俺のもある」


 五つあったはずの花びら。一年前に二つが消え、今、一つが奪われた。


 朝凪が静かに言った。


「偶然とは思えません」


「ああ」


「……誰かが集めてるな」


 日向の声が、静かな部屋へ落ちた。朝凪は、掌の上に置いた花鍵を見つめた。


「なぜ、鍵を集める必要があるんでしょう」


 日向が朝凪を見る。


「隠し通路の存在を知っていたとしても、一つあれば充分です」


 朝凪は自分の花鍵を摘まみ上げた。


「私の鍵があれば、西回廊から入れる。日向殿の鍵なら、別の場所から入れる。それだけのはずです」


 非常時の逃走路のはずだ。その通路を使いたいなら、使える鍵を一つ手に入れればいい。わざわざ複数を集める理由がない。ましてや一年もかけて。


「隠し通路以外に、用途があるんでしょうか」


 日向は答えなかった。知らないのだろう。朝凪も、星河帝からすべてを聞いていたわけではない。


 自分が教えられたのは、西回廊の隠し扉を開く方法と、その先の道だけだった。


「私の鍵は、西回廊。日向殿の鍵は、南回廊でしたよね」


「ああ」


「他の鍵は?」


「星河様は、星河様の寝所だ」


「寝所?」


「奥に隠し口がある。俺も場所だけは聞いていた。桜桃様は北。六花は東だ」


 朝凪の眉が寄った。


「北と東……」


 西。

 南。

 北。

 東。

 そして、星河帝の寝所。


「通路は一本道ですよね」


「ああ」


 朝凪はあの夜を思い出す。


『真っ直ぐ進んでください』


 あれは、迷う必要がなかったからこそ言えた。入口から出口まで、ただ一本。


「では、五つの通路が、それぞれ地下を通っているということですか」


 日向の表情が険しくなる。


 立ち上がると、奥の部屋へ消え、ほどなくして一枚の大きな紙を持って戻ってきた。


 宮城の地図だった。


「日向殿。なぜ自宅に宮城の地図があるんですか」


「昔使ってた」


「持ち帰っていいものなんですか」


「細かいことを気にするな」


「元近衛大将がそれを言いますか」


 日向は聞かなかったことにして、地図を卓上へ広げた。


「西回廊はここだ」


 日向は筆を取り、その場所へ印をつけた。


「俺の南回廊が、ここ」


「六花の東は?」


「ここだ」


「姫様は北」 


「星河様の寝所が――ここだ」


 朝凪は黙って地図を見下ろした。


 離れているが、ばらばらではない。


 日向がそれぞれの位置から、通路が延びていると思われる方向へ線を引いていく。


 五本目の線が引かれたところで、日向の手が止まった。


 地図の上に、奇妙な形が浮かんでいた。整った形ではない。辺の長さも、角度も違う。それでも。


「……五角形」


 朝凪が呟くと、日向が腕を組んだ。


「随分、歪んでるけどな」


 宮城の建物は、花鍵のために造られたわけではない。古い建物もあれば、新しい建物もある。五つの入口を線で結べば、五角形に見えることくらいある。


 けれど、朝凪は地図から目を離せなかった。


「日向殿は隠し通路を何のためのものだと聞いていましたか」


「非常時に皇族を逃がすためだろ」


「私も、そう聞いています」


「それが?」


「逃がすためだけなら、なぜ五本も必要なんでしょう」


 朝凪は西回廊から延びる線を指でなぞった。


 帝。皇女。近衛大将。近衛中将。侍女。それぞれが別の入口を持つ。


 一人が逃げられなくても、別の者が皇族を逃がせるように。そう考えれば説明はつく。


 朝凪は五つの線に囲まれた場所を見た。


「それに、この通路……」


 指先が、ゆっくりと五角形の内側へ移る。


「外へ逃げるためのものなのに、妙ではありませんか」


 日向の視線も同じ場所へ向かった。


 五本の通路。そして、その線に囲まれた場所。


 朝凪は小さく息を吐いた。


「この形に、何か意味があるんでしょうか」


 日向はしばらく地図を見つめたあと、自分の懐から花鍵を取り出した。そして朝凪のものと並べる。


「星河様は、俺たちに全部を教えてなかった」


「……ええ」


「俺は南しか知らない。お前は西しか知らない」


「姫様も六花も、自分たちが持っているものが鍵だとすら知らなかった」


 日向が地図の中央へ目を落とす。


「なら――」


 朝凪も、その先を理解した。五つを持つ者が、それぞれ自分に必要なことしか知らなかったのだとすれば、五つ揃ったときに何が起きるのかを知っていたのは。


「星河様だけだったのかもしれないな」


 静かな部屋の中で、地図の上に置かれた二枚の花びらだけが、鈍く光っていた。


 朝凪はしばらく黙っていたが、やがて東と北の印を順に指した。


「皇女と、皇女付きの侍女が持っていると読まれていたのなら、星河帝の側近と皇女専属護衛である私たちが持っていることも、勘づかれているのでは?」


「かもな。でも、俺たちから鍵を取ろうとする奴がいると思うか?」


 それは確かに、そうだった。


 日向は元近衛大将。朝凪は元近衛中将。どちらも、正面から襲って懐のものを奪える相手ではない。


 しかも日向に至っては、今どこにいるのかを探すところから始めなければならない。


「おびき寄せるか?」


 日向は自分の花鍵を指先で摘まみ、軽く揺らしている。


「俺がこれを持って歩けば、欲しい奴が来るかもしれん」


「……またあなたは、そうやってご自身を囮にする」


 朝凪の声に、隠しようもない呆れが混じった。


「冗談だ」


「冗談に聞こえません」


「冗談だと言ってるだろ」


「日向殿の場合、実行する直前まで冗談の顔をしているので信用できません」


「それは否定できんな」


「否定してください」


 日向が花鍵を懐へ戻す。


「まぁ、そもそも、俺たちが持っていると知らない可能性もあるだろ。たまたま桜桃様が同じもの持っているのを見て、とりあえず盗っただけとか」


「……そうかもしれませんね」


 朝凪もまた、花鍵を懐へしまった。 


 

 

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