第五話 舞姫、誤魔化す
「その花びらについて、知っていることをすべて話せ」
昊夜にそう言われ、桜桃は言葉に詰まった。まさか、昨日初めて知ったばかりの事実をそのまま話すわけにはいかない。
あれは、隠し通路を開く鍵だ。隠し通路の存在まで明かすことになる以上、軽々しく口にできる話ではなかった。
「……朝凪も持っています」
隣に立つ朝凪が桜桃を見る。昊夜は眉を寄せた。
「朝凪も?」
「はい。それから、私がお仕えしていた皇女様も、同じものを持っていました」
「皇女も?」
「ええ」
桜桃はできるだけ何でもないことのように頷いた。
「ですから、決して特別なものでは……」
そこで言葉を切る。昊夜は何も言わなかった。ただ、じっと桜桃を見ている。その視線に耐えかねて、桜桃は目を逸らした。
昊夜はそれ以上問い詰めなかった。
(──特別なものではない?)
胸の内で、その言葉だけを繰り返す。
そんなはずがない。あの夜、血に濡れた手が、自分の手首を掴んだ。
霞みかけた意識の中でも、星河帝は握っていたものを離そうとはしなかった。そして最後には、それを昊夜の掌へ押し込んだ。
桜の花びらを象った、小さな金具。
死にゆく人間が、最後の力を使ってまで渡したものだ。それを、特別ではないと言うのか。
昊夜が桜桃を見る。彼女は明らかに何かを隠している。そして、おそらく朝凪も知っている。
ちらりと隣へ視線を向けると、朝凪はいつもの静かな顔で立っていた。問い詰めたところで、この二人がここで素直に口を割るとは思えなかった。
自分、朝凪、六花、そして皇女。少なくとも、四枚は存在する。
(全部で何枚ある)
そして、そのうちの一枚だけを狙って何者かが宮城へ忍び込んだ。
「……分かった」
不意に昊夜が言った。桜桃が目を瞬く。
「え?」
「今日はそれでいい」
あまりにもあっさり引かれ、かえって桜桃は不安になった。
「……いいんですか?」
「ああ」
昊夜は踵を返した。
「近衛には、引き続き侵入者を捜させる。お前も何か思い出したことがあれば報告しろ」
「はい」
数歩進んだところで、昊夜が止まる。振り返らないまま言った。
「それと、しばらく一人で歩くな」
「え」
桜桃の顔が引きつった。今朝、まったく同じようなことを誰かに言われたばかりである。
「昊夜様まで……」
思わず漏れた声に、昊夜がわずかに振り返る。
「まで?」
「……いえ。何でもありません」
昊夜の視線が朝凪へ移った。朝凪は何も言わなかったが、それだけでおおよその事情を察したらしい。
「なら問題ないな」
「何がですか」
「そいつがいる」
昊夜はそれだけ言うと、今度こそ部屋を出ていった。
◇
神祇官を出た昊夜は、回廊を歩きながら考えていた。
まず調べるべきは、昨日、六花の部屋へ忍び込んだ者だ。何を探していたのか。誰に命じられたのか。そして──なぜ、あの花びらを知っていたのか。聞くことはいくらでもある。
昊夜は前を向いたまま、近衛の詰所へと歩いていった。
◇
昊夜の足音が完全に遠ざかってから、桜桃はようやく詰めていた息を吐いた。
「……誤魔化せたと思う?」
「いいえ」
「やっぱり?」
「まったく」
桜桃はがっくりと肩を落とした。
昊夜は途中から何も言わなくなったが、納得したから黙ったのではないだろう。むしろ、何かを考え始めたときの顔だった。
あの男が何を考えているのかは分からない。ただ、これ以上尋ねられるのは困る。
「姫様、先ほどのお話ですが、皇女様も持っていた、とおっしゃいましたね」
「ええ」
「それは、あなたのことですか。それとも、あの夜に入れ替わった六花のことですか?」
桜桃は目を瞬いた。
「六花よ」
「六花が?」
「ええ。六花も私も持っていたもの」
桜桃は空になった筥迫の根付へ指を触れた。
「昔から二人とも持っていたから、お揃いのお守りだと思ってたの」
「……六花も、筥迫につけていたのですか?」
「ええ」
「いつも?」
「いつもというわけではないけれど、よくつけていたわ。あの夜も……」
そこまで言って、桜桃は口を閉じた。あの夜。衣を取り替えた六花。
自分の代わりに皇女の衣をまとい、敵の目を引きつけるために走っていった少女。
その六花が筥迫を身につけていたかどうかまでは、桜桃にも思い出せない。
けれど、朝凪には、別の記憶があった。隠し扉の向こうへ桜桃を押し込み、扉を閉めたあと、朝凪はすぐに踵を返した。
本当なら、そのまま桜桃と一緒に外へ逃げるべきだったのかもしれない。だが、戻らずにはいられなかった。敵を引きつけるために、たった一人で残った六花を放っておくことはできなかった。
『六花!』
ようやく見つけたとき、六花は回廊の柱にもたれかかるようにして倒れていた。
衣は血に濡れ、呼吸は浅い。
近くにいた侍女や近衛に逃げるよう指示を飛ばすと、朝凪はその身体を抱き起こした。
『六花……! しっかりしろ』
うっすらと瞼が開く。焦点の合わない目が朝凪を捉えた。
『……朝凪……?』
『喋るな』
『なんで……』
六花の唇が、かすかに動いた。
『姫様を……一人にしちゃ、駄目じゃない……』
『姫様は隠し通路にいる』
『……そう』
わずかに、六花が笑った。安心したような顔だった。
『なら……戻って』
『お前も連れていく』
朝凪は六花の身体を抱き上げた。
『駄目……』
『黙っていろ』
『朝凪……』
六花の指が、弱々しく朝凪の衣を掴む。
『姫様を……お願い、ね……』
途切れそうな息の間から、それでも言葉を繋ぐ。
『私を……ここに置いて……逃げて……』
朝凪は答えなかった。そのまま六花を抱え、西回廊へ向かった。
あのときは、ただ急いでいた。少しでも早く桜桃のもとへ戻ることしか考えていなかった。
だから、途中で見た光景にも、深く注意を払わなかった。
回廊の角を曲がった先で、倒れた近衛の傍らに、黒装束の男がしゃがみ込んでいた。
(何をしている)
そう思ったときには、男はすでに立ち上がり、闇の向こうへ消えていた。追う余裕はなかった。
死者の懐を探っていたのだろう。混乱に乗じた死体漁り。あのときは、それだけだと思った。だが、違ったとしたら。
朝凪は現在へ意識を戻した。
「朝凪?」
桜桃が怪訝そうに見上げている。
朝凪は自分の懐へ手を入れた。取り出したのは、小さな金属の花びら。星河帝から渡され、あの夜、西回廊の隠し扉を開いた鍵。
「……あの夜、倒れた近衛の身体を探っている者を見ました」
桜桃の顔から表情が消える。
「近衛を?」
「はい。黒装束でした。私はてっきり、混乱に乗じて金品でも奪っているのだと思っていました」
朝凪は掌の花びらへ目を落とした。金品には目もくれず、桜桃の部屋から盗まれた、花びら。
「あのとき、六花が持っていたかどうかは、覚えていません」
だが、もし、六花があの夜も身につけていたのなら。
「……敵は最初から、この花びらを探していたのか……?」
桜桃は答えなかった。答えられるはずもない。ただ、二人の視線が、朝凪の掌にある小さな花びらへ落ちた。
「治部省で、皇女の遺品記録を聞いてみます」
「朝凪が?」
「私は皇女の専属護衛でしたから、怪しまれません」
「そうね。お願い」
朝凪は頷くと、治部省へ向かって歩き出した。




