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「最後の言葉って、きっと、その後の人生で何度も繰り返すじゃないですか」
田所さんの奥さんは、便箋とボールペンを持ちながら、自分の言葉に少し照れたように笑った。
「ちょっと、臭過ぎるセリフでした?」
カメラはすでに回っていた。
奥さんの美智子さんは、まだ慣れていない様子で、何度もカメラ目線になってしまう。
観客を意識した瞬間、日常の姿ではなくなる、ドキュメンタリーでは、出演者がカメラ目線で話すことは、避けるべきことの一つだが、今はまだ仕方がないだろう。
どの取材の現場でも、初めは機材の存在がノイズになって、自然な振る舞いが出来なくなることはある。
「カメラではなく、僕の方を見て話して頂いてもよろしいですか?」
ディレクターの遠藤さんが、柔和な笑みを浮かべながら、伝える。
編集作業で会社に泊まり込む時には、いつも無精髭で、見た目には無頓着な人だ。悪意はないだろうが、指示に熱が入って、新人を萎縮させてしまうこともよくある。
そんな遠藤さんだが、今日は髭を剃って現場に現れ、どこか、かしこまって、緊張@した様子だった。
緊張がほぐれるまでの間、風景素材を押さえることにして、カメラを公園内に向けた。
学校終わりの子どもたちが、ゲーム機を持ち寄って、ブランコで遊んでいる。すっかり葉の枯れ落ちた木々が、カサカサと音を鳴らして揺れる。子どもの顔を映さないように、楽しそうに遊ぶ声も合わせて収録した。
遠藤さんとコンビを組んで、10年以上ドキュメンタリー番組を撮影してきた中堅のカメラマンだ。指示を待つまでもなく、テキパキと必要な素材を集める。
美智子さんがここに座る前に、誰も座っていないベンチの画も撮っていた。編集後の映像が、パズルを組み合わせるように、頭に浮かぶ。
おそらく、美智子さんが亡くなったあと、誰もいないベンチの映像に、ナレーションを重ねて流す。公園で遊ぶ親子や、子どもの無邪気な笑い声を重ね、居なくなった後の田所家の静寂と対比させるだろう。
ドキュメンタリーの制作では、当たり前の演出手法だが、「わたしが死ぬまでの記録を残してほしい」と依頼した美智子さんが望むものなのか、自信はなかった。
小さく何度か頷いたあと、遠藤さんが話を進める。
「繰り返すというのはどういう意味なんですか?」
美智子さんは、木製のベンチに腰掛けながら、どう答えるべきなのか自分でも分からないというように、少し困った顔になった。
美智子さんは、考えながら、膝の上にブランケットを広げ、カイロを揉みほぐすように握る。どちらも、家を出る前に、夫の敬之さんが渡していたものだ。
心配性で困りますよねと、僕らには苦笑いを見せながら、そっと、本当にそっと、大事なものを受け取るように両手に取った。
「私の母が亡くなった時に」
美智子さんが、口を開く。
「最後に、ありがとうって言ってくれたんです」
母親が亡くなったあと、何度も頭の中で「ありがとう」という言葉が繰り返されたという。何か出来ることがあったのではないか、そう後悔する度に、母の言葉が労るように、寄り添ってくれた。
話している美智子さんの手元が目に入った。膝下に広げられた便箋には、文具コーナーの試し書きのように、いくつもの言葉が書き込まれていた。
「遺された方って、最後の言葉に、すがっちゃうんですよね」
遠藤さんが唇を噛み締め、目を強く閉じたのが分かった。だがすぐに切り替えて、瞳と口に力を入れ直す。
それが理由かどうかは分からないが、遠藤さんも、二ヶ月前に母親を亡くしたのだと、付き合いのあるカメラマンが教えてくれていた。
遠藤さんは、「大丈夫です」と口の動きだけで言って、指でOKマークを作る。
美智子さんは、これでよかったのか、少し自信がなさそうに首をかしげた。公園に到着した頃よりは、硬い表情は和らいでいたが、仕草の一つ一つに、どこか人の目を気にした遠慮が残る。
遠藤さんが終了のサインを出したあとも、カメラマンはそのまま撮影を続けた。
もう、この場を立ち去ってもいいのか、美智子さんは、腰を曖昧に浮かせて、僕らに合図を求めた。
だが、遠藤さんも僕も、あえて何も言わず、そのままカメラを覗き込む。撮影を終えたあとの、自然な美智子さんの姿を映像に残したかったのだ。
インタビューのあとの、数秒の余韻を撮影するためだったが、美智子さんは膝下に置いた便箋を指でなぞった。
番組の構成上、家族に残す手紙を書くという目的で、公園を訪れたことになっていた。
便箋に書かれた文字を、人差し指で撫でる。
角度的に、カメラには映っていないだろう。全ては読み取れなかったが、「ごめんなさい」という文字だけが、僕の目に入った。




