第7話「逆転の密告と新たな船出」
翌朝。
港町の広場は、いつもとは違う異様な空気に包まれていた。
営業を休止しているはずの海鮮丼の屋台の前に、恰幅の良いゴルドが数十人のゴロツキを引き連れて陣取っていたのだ。
「はっはっは! どうだよそ者! 魚一匹手に入らねぇ気分は! 今すぐ土下座して泣いて謝るなら、あの小娘の件だけは――」
勝ち誇ったようにふんぞり返るゴルドの言葉は、途中でぴたりと止まった。
屋台のカウンターの裏で、タクミが優雅に温かいハーブティーを飲んでいたからだ。
怯えるどころか、退屈な三文芝居でも見ているかのような冷ややかな視線。
「な、何を余裕ぶってやがる! 野郎ども、その薄汚い屋台を木っ端微塵に叩き壊せ!」
ゴルドが激高して指示を出した、まさにその瞬間だった。
「そこまでだ、黒鯱商会! 全員武器を捨てて両手を上げろ!」
広場を包囲するように、金属鎧で重武装した数十人の屈強な男たちがなだれ込んできた。
港町の治安維持を担う正規の衛兵隊、そしてその後ろには、王都銀行の紋章を掲げた上級査察官の姿がある。
「え、衛兵!? 査察官殿まで、一体何の真似ですかな!?」
ゴルドの顔面から一気に血の気が引いた。
査察官は冷酷な目でゴルドを見下ろし、分厚い羊皮紙の束を突きつけた。
「ゴルド、貴様の商会が所有する第三、第五倉庫の地下室から、大量の違法魔薬と王都禁制品が発見された。さらに、当銀行へ長年提出していた収支報告書の二重帳簿も押収した」
「なっ……ば、馬鹿な! あの隠し部屋は……!」
ゴルドは信じられないものを見るように目を見開いた。
秘密裏に管理していたはずの地下倉庫。
地下倉庫の位置と、そこに隠された禁制品、さらに二重帳簿の保管場所まで、すべてが一通の匿名の告発状によって白日の下に晒されていたのだ。
「誰だ……誰が俺を売った!!」
ゴルドが狂ったようにわめき散らす中、タクミは静かにティーカップを置き、ゆっくりと立ち上がった。
「俺だよ、豚野郎」
「貴様ァッ!! たかが屋台の小僧に、俺の極秘拠点がわかるはずがねぇ!!」
「しがない屋台の小僧だからこそ、だよ。お前たちのような腐った仲介業者は、上ばかり見て足元を全く見ていない。俺の『目』から見れば、お前たちの杜撰な偽装など、ガラス張りの部屋も同然だった」
タクミの『真贋鑑定』は、分厚い壁の向こうに隠された品物の価値や、帳簿の偽造の有無まで見抜くことができる。
前世で不正経理を隠そうとする役員を何度も見てきたタクミは、鑑定結果と倉庫の配置を突き合わせ、疑わしい場所を特定していた。
「さ、査察官殿! 誤解です、これは何かの陰謀で……私をハメた者が!」
「見苦しいぞゴルド。貴様の商会の資産は法令に基づいて差し押さえ、今後の処分を決める。連行しろ!」
衛兵たちに取り押さえられ、冷たい地面に顔を押し付けられるゴルド。
先程までの傲慢な態度は見る影もなく、みっともない命乞いを叫びながら連行されていく。
周囲を取り囲んでいたゴロツキたちも次々と武器を捨て、縛り上げられていった。
一瞬にして港町の裏社会のトップが崩壊したという現実に、周囲の商店主たちは言葉を失っている。
その静寂の中、タクミは査察官に向かって歩み寄った。
「迅速なご対応、感謝いたします」
「いや、君の提供してくれた確実な情報と……昨晩提示されたあの『企業再生計画』には我々も驚かされたよ」
査察官はタクミに向かって、対等なビジネスパートナーに向けるような確かな敬意のこもった笑みを返した。
タクミは単にゴルドの不正を告発しただけではない。
昨晩のうちに王都銀行の支店へ赴き、「黒鯱商会の不正資産を押さえた後、正規の物流事業を自分が引き継ぐ」という事業計画書を査察官に直接示していたのだ。
海鮮丼という莫大な利益を生む新規事業の実績と、『真贋鑑定』で正確に弾き出した港町の真の経済価値の予測。
巨額の不良債権の回収に頭を抱えていた銀行にとって、タクミの提案は願ってもない極上の投資案件だった。
「これで約束通り、港町の海産物市場の流通網と、差し押さえた三隻の大型帆船を、当面は俺たちが管理できることになった」
タクミが振り返ると、屋台の陰で震えていたセレンが、信じられないといった様子で両手で口元を押さえていた。
「タクミ……あなた、本当にたった一晩で、あの恐ろしい商会を……?」
「ああ。一番恐れる方法で息の根を止めてやるって言っただろう?」
タクミは静かに歩み寄り、セレンの震える小さな手を優しく握りしめた。
「力や暴力じゃない。情報と経済で相手の根幹を奪い去る。これが俺のやり方だ。もう二度と、誰にも君を脅しやしない」
その言葉に、セレンの紫の瞳からポロポロと大粒の安心の涙がこぼれ落ちる。
港町を支配していた暗雲は、完全に晴れ渡っていた。
その日の夕暮れ。
喧騒が去った港の桟橋で、タクミとセレンは自分たちの管理下に入った三隻の大型帆船を見上げていた。
夕日を浴びてオレンジ色に染まる立派なマストは、海風を受けて力強く揺れている。
「ねえ、タクミ。この大きな船を使って、次はどうするの?」
セレンが潮風に銀糸の髪をなびかせながら、期待に満ちた上目遣いで尋ねる。
タクミは手元にある分厚い海図を広げ、はるか海の向こう、まだ見ぬ新大陸のシルエットを指差した。
「決まっている。港町の海産物ルートは確保した。だが、真のグルメ事業はこれからだ。この船を使って海を渡り、王都の貴族すら見たことのない未知の食材を探しに行く」
前世ではブラック企業に飼い殺され、自分の船どころかまともな休日すら持てなかった。
しかし今、彼の手には莫大な資産と、最高の専属料理人、そして無限の可能性が広がっている。
「うん! 私、どこまでもついていくわ。タクミが見つけた食材を、世界で一番美味しく料理してみせる!」
セレンは満面の笑みで宣言し、胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。
「ああ、頼りにしてるぞ」
夕暮れの海に向かって、二人の新たな船出を告げる海鳥の鳴き声が、高らかに響き渡った。
◆ ◆ ◆
タクミは出航前に、管理下に入った三隻の大型帆船の内部を『真贋鑑定』でくまなくチェックしていた。
ゴルドたちが違法な取引に使っていただけあり、船の隠し底にはまだ換金可能な密輸品や、未登録の備品が大量に眠っていた。
それらはすべて正当な手続きを経て王都銀行の査察官に引き渡され、商会に対するさらなる信頼へと変わったのだ。
「食材だけじゃない。これだけの積載量があれば、未知の島々で手に入れた香辛料や珍しい鉱石も根こそぎ持ち帰れる。俺たちのビジネスは、ここから桁違いに加速するぞ」
船倉を見下ろしながら、タクミはビジネスマンとしての野心的な笑みを浮かべる。
前世で味わった無力感は、もうどこにもなかった。




