第6話「迫る黒鯱商会と反撃のシナリオ」
海鮮丼の屋台が港町で不動の人気を獲得し、毎日のように長蛇の列ができるようになって数日が過ぎた頃。
そのあまりに目立つ成功は、必然的に港町の暗部を牛耳る者たちの関心を惹きつけることとなった。
ある日の昼下がり、いつものようにピークを迎えようとしていた屋台の前に、柄の悪い男たちが数人、肩で風を切るようにして現れた。
彼らは列に並んでいた客たちを乱暴に突き飛ばし、屋台の前に陣取ると、汚いブーツで保冷用の木箱を蹴り上げた。
「おいおい、どこの馬の骨とも知らねぇよそ者が、俺たちのシマで随分といい商売をしてるじゃねぇか」
先頭に立つ、顔に不気味な刺青を入れた大男が、下劣な笑みを浮かべてセレンをねめつける。
「ひっ……!」
セレンは小さな悲鳴を上げ、思わずタクミの背中へと身を隠した。
かつて屋敷を追われ、裏通りで怯えて暮らしていた頃を思い出したのか、彼女の細い肩が小刻みに震えている。
「みかじめ料も払わずに商売するとは、いい度胸だ。今日から売上の八割は俺たち『黒鯱商会』が頂く。それから、そこの嬢ちゃんも俺たちの店で働いてもらおうか。料理が上手い奴は、別の『奉仕』も上手いからな」
男たちの下品な嘲笑が響き渡る。
周囲の客たちは巻き込まれることを恐れ、蜘蛛の子を散らすように遠巻きに逃げてしまった。
タクミがふと市場の入り口へ視線を向けると、新鮮な魚を積んだはずの漁業ギルドの荷車が三台、柄の悪い男たちに囲まれて立ち往生しているのが見えた。
周囲の商店主たちは怯えたように目を伏せ、誰一人として衛兵を呼ぼうとしない。
(……なるほど、これがこの町の『ルール』というわけか)
逃げ場のない物理的・経済的な封鎖。
しかし、タクミの表情には焦りも怒りも一切浮かんでいなかった。
彼は冷ややかな視線で男たちの装備や身なり、そして遠くで見張っている商会の幹部らしき男を『真贋鑑定』のスキルでじっくりと観察する。
(末端のゴロツキの装備は粗悪だが、統率が取れている。組織の規模は大きいが、資金繰りはそれほど良くないようだな)
前世のブラック企業で経験した、反社会勢力紛いの競合他社との苛烈な企業戦争。
その時の記憶を呼び起こしながら、タクミは頭の中で冷静に反撃のシナリオを組み立てていた。
男たちの背後から、恰幅の良い、豪奢な毛皮を羽織った男がゆっくりと姿を現した。
十本の指すべてに下品な宝石をはめたその男こそ、港町の裏流通を牛耳る『黒鯱商会』のトップ、ゴルドだった。
「騒がしくしてすまないね、よそ者のお兄さん。私は寛大な男だ。君たちが無許可で商売をしていたことは不問にしてやろう」
ゴルドは肥え太った顔にねっとりとした笑みを浮かべ、値踏みするようにセレンをなめ回すように見た。
「ただし、その珍しい料理のレシピと、そこの小娘は私のものだ。小娘には私の屋敷で、愛玩動物としてたっぷりと可愛がってやろう。逆らえば、君は明日の朝、海に浮かぶことになる」
セレンは恐怖のあまり声も出せず、タクミの服の裾を両手で強く握りしめていた。
彼女の頭の中では、再びすべてを奪われ、暗闇に突き落とされる未来が鮮明に浮かんでいるのだろう。
「……タクミ、ごめんなさい。私のせいで……」
震える声で謝罪するセレン。
しかし、タクミは彼女の前に一歩踏み出し、ゴルドに向かって氷のように冷たい笑みを返した。
「お断りだ、豚野郎。俺の専属料理人に、その汚い目を向けるな」
予想外の暴言に、ゴルドの顔色が一瞬でどす黒い怒りに染まる。
「……言わせておけば調子に乗りやがって。いいだろう、今日からお前たちに食材を売る者はこの町に一人もいない。夜道には気をつけろ」
ゴルドはゴロツキたちを引き連れ、忌々しげに捨て台詞を吐いて去っていった。
屋台の周囲には、不気味なほどの静寂が残された。
「タクミ……どうしよう。このままじゃ、私たち……」
不安で泣き出しそうなセレンの頭を、タクミはポンと軽く撫でた。
「気にするな。むしろ、都合がいい」
「え……?」
「市場を独占するためには、既存の腐った仲介業者を排除する必要がある。向こうから喧嘩を売ってきてくれたなら、遠慮なく叩き潰せる」
タクミの瞳が、獲物を狙う肉食獣のように鋭く光る。
「明日は一日、屋台を休む。裏社会の連中が一番恐れる方法で、あの豚の息の根を止めてやる」
ただ怯えるだけだったセレンの目に、タクミの自信に満ちた横顔が、信じられないほど頼もしく映った。
底辺まで落とされた状況下で、反撃の狼煙が静かに上がろうとしていた。
翌日、屋台の営業を取りやめたタクミは、セレンを安全な宿屋に残し、単身で港町の裏通りを歩き回っていた。
表通りとは打って変わり、日が差し込まない薄暗い路地には、貧困と腐敗の匂いが充満している。
タクミの目的は、ゴルドの率いる『黒鯱商会』の弱点を見つけ出すことだった。
どんなに巨大に見える組織でも、必ずどこかに綻びがある。
それは前世の企業戦争で嫌というほど学んだ真理だった。
彼は黒鯱商会が所有しているとされる倉庫群を密かに巡り、『真贋鑑定』のスキルを最大出力で発動させ続けた。
建物の外からでも、内部に保管されている物資の価値と詳細が文字となって浮かび上がる。
『素材価値:極低(粗悪な小麦・カビ発生)』
『素材価値:低(粗悪な武器)』
次々と表示される鑑定結果に、タクミは目を細めた。
港町の流通を牛耳っているはずの商会にしては、保管されている品物の質が低すぎる。
そして、最も厳重な見張りが立っている窓の少ない石造りの倉庫を見た瞬間、タクミの口角が吊り上がった。
『違法魔薬(幻覚作用あり)・王都禁制品』
『二重帳簿・王都銀行への報告額と不一致(巨額の負債)』
「なるほどな。表向きは港の元締めを気取っているが、実態は違法薬物の密売と、王都からの巨額の借金で首が回らない火の車というわけだ」
タクミの脳内で、バラバラだった情報が一本の線で繋がる。
ゴルドがあれほど焦ってセレンと屋台の利益を独占しようとしたのも、資金繰りの悪化を隠蔽するためだったのだ。
暴力で脅せば簡単に手に入る小銭稼ぎの相手。そう思って手を出したのだろう。
「相手がただの気の弱い素人なら、それで通用したかもしれないがな」
タクミは懐から小さなメモ帳を取り出し、倉庫の位置と見張りの人数、そして鑑定結果を詳細に書き留めた。
これを港町の衛兵隊と王都銀行の査察官に知らせれば、黒鯱商会への捜査が動き始めるはずだ。
しかし、タクミが狙っているのは単なる商会の破滅ではない。
その崩壊の過程で、自分たちが最大の利益を得るための「投資」だ。
「待っていろよ、セレン。君を怯えさせたこと、骨の髄まで後悔させてやる」
夕闇が迫る裏通りで、タクミは静かに、しかし冷酷な反撃のシナリオを完成させていた。
◆ ◆ ◆
宿屋の一室に戻ると、窓辺で丸くなっていたセレンが弾かれたように顔を上げた。
タクミの無事を確認し、ふっと安堵の息を漏らす。
「タクミ……おかえりなさい。怪我、してない?」
「ああ。それどころか、最高の手札が揃ったところだ」
タクミは買ってきた温かいスープの入った木杯を彼女に手渡すと、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「明日、俺たちの屋台は港町で一番の存在になる。そのための準備をしよう」
セレンは温かいスープを両手で包み込みながら、こくりと力強く頷いた。




