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第2話「炎魔の涙と爆発的利益」

 その夜、大通りの熱気はすっかり静まり返っていた。

 二人は屋台の小さな灯りを頼りに、木箱に積まれた硬貨の山を数え終えた。

 鈍く光る銀貨と銅貨の山。

 それは、セレンがこれまでの人生で見たこともないほどの金額だった。


「信じられない……。たった一晩で、これまでの三ヶ月分以上の売上なんて……」


 すすけた顔のまま、セレンは震える手で銀貨を握りしめる。

 その紫色の瞳には、疲労よりも深い喜びの涙がうっすらとにじんでいた。

 タクミは胃袋の奥に残る極上の肉の余韻を感じながら、静かに口角を上げる。


「俺のスキルと君の腕が合わされば、これくらい当然だ。だが、これで満足して立ち止まるつもりはない」


 先ほど強く握り合った互いの手のひらの熱が、タクミの中に確かな野心として根付いている。


「明日の朝一番で市場へ行こう。この資金を元手に、屋台のメニューをさらに強化する」


「新メニュー……? でも、私にはこの串焼きしか……」


 不安げにうつむくセレンの頭を、タクミは手慣れない手つきでポンと撫でた。


「心配するな。投資の基本は、誰も気づいていない原石を見つけ出すことだ」


 翌朝。

 空が白み始めたばかりの早朝の市場は、すでに多くの商人と客の熱気にあふれていた。

 荷馬車が行き交い、男たちの野太い声が飛び交う中、タクミとセレンは迷路のような通りを歩いていた。

 市場には、近郊の農村から持ち込まれた土のついた野菜や、川で獲れたばかりの魚が並んでいる。

 タクミは『真贋鑑定』のスキルを常時発動させながら、露店の品々を鋭い視線で品定めしていく。

 大半の素材には『価値:低』の文字しか浮かばない。

 しかし、市場の片隅にあるみすぼらしい露店で、ふと足を止めた。

 そこには、いびつな形をした赤黒い果実のようなものが山積みにされている。

 誰も見向きもせず、店主の老婆も半ば諦めたように居眠りをしていた。


『炎魔の涙(レッド・ペッパーの原種)』

 素材価値:高(極めて強烈な辛味と独特の酸味を併せ持つ)

 調理技術:難(扱いを間違えれば舌を焼くが、適切な油と熱で成分を抽出できれば至高のスパイスとなる)

 潜在需要:特大(肉料理との相性は抜群)


 タクミの口角が自然と上がる。


「これだ」


 タクミは老婆を起こし、その赤黒い果実を二束、銅貨数枚で買い取った。

 セレンは横で不思議そうに首を傾げている。


 「タクミ、それは『悪魔の石』って呼ばれてて、辛すぎてとても人間が食べられるものじゃないわ。市場でもいつも売れ残って捨てられてるのに……」


「だからこそ、価値がある。誰も知らない使い方を、俺たちで独占できるんだ」


 屋台に戻った二人は、さっそく新メニューの開発に取り掛かった。市場では、保存のきく白粒麦と、豆を発酵させた黒い調味料も買ってあった。

 タクミは買い込んできた上質なオリーブオイルの壺を開け、鍋に注ぐ。


「セレン、この果実を細かく刻んで、焦がさないように低温の油でじっくりと炒めてくれ。油に香りと辛味を移すんだ」


 タクミの指示に、セレンは半信半疑ながらも包丁を握る。

 硬い果実を手際よくみじん切りにし、温度を見極めながら油に落とした。

 温めた鍋の油に果実が触れた瞬間、ジュワッという音と共に、鼻を刺すような辛味が立ち上った。

 そこへ濃厚なオリーブの香りが混ざり合い、胃袋の奥底を直接鷲掴みにしてくるような匂いへと変貌した。


「……すごい。嫌な辛さじゃない。すごく深みのある、いい匂い……!」


 セレンの目が驚きに見開かれる。


 「ここに、今朝仕入れた野豚の肉を漬け込む。俺の『エンジェル投資』で肉質を最高まで引き上げた上で、このスパイスオイルでコーティングするんだ」


 タクミが昨晩稼いだ銀貨を数枚手に取り、スキルを発動させる。

 黄金の光が肉と特製オイルを包み込み、成分を完璧に融合させていく。

 完成した串焼きは、鮮やかな赤色に染まり、これまでにない魅惑的な照りを放っていた。


 昼時を迎えた大通りは、昨日以上の賑わいを見せていた。

 セレンの屋台からは、香ばしい肉の脂と、周囲の空気をピリッと引き締める『炎魔の涙』の刺激的な香りが発散されている。


 「いらっしゃい! 新メニューの『赤炎の串焼き』だよ!」


 セレンの明るい声が響く。

 客たちは見慣れない赤い串焼きに戸惑ったが、一口食べた瞬間、全員の動きがピタリと止まった。

 咀嚼を重ねるごとに、彼らの目は宙を泳ぎ、やがて顔を紅潮させて貪るように次の一口を求め始める。


「何だこれ……辛い! だが、肉の甘みが引き立って……次の一口が止まらねぇ!」


「エールをくれ! エールに最高に合うぞ!」


 怒号のような歓声が上がり、客が客を呼ぶ大行列が瞬く間に形成された。

 用意していた大量の肉は、飛ぶように売れていく。


◆ ◆ ◆


 日が暮れる頃には、木箱の中は昨日とは比べ物にならないほどの銀貨であふれかえっていた。

 タクミは手元の資金を素早く計算し、確かな手応えを感じていた。


「よし、これだけの資金があれば、次はもっと大きな市場を狙える。セレン、この街を出て、港町へ行こう」


「港町……。うん、タクミと一緒なら、どこへだって行くわ!」


 セレンは顔をほころばせ、満面の笑みでうなずいた。

 二人が屋台の片付けを終えた頃には、街の明かりもまばらになっていた。

 心地よい疲労感が、二人の体を重く、しかし温かく包み込んでいる。


「本当に、夢みたい……」


 空になった食材の木箱を重ねながら、セレンがぽつりとこぼした。


「今まで、どんなに頑張っても報われなかった。私の料理なんて、もう誰にも必要とされないんじゃないかって、ずっと怖かった」


 彼女の細い指先が、エプロンの裾をぎゅっと握りしめる。

 タクミは手にした布巾で鉄板の焦げを拭き取りながら、その横顔を静かに見つめた。

 ブラック企業で理不尽にすり減らされ、何も残せなかった前世の自分の姿が、彼女の過去の絶望と重なる。


「……俺も同じだ。懸命に働いても、正当に評価されない世界にいた」


 タクミの声は、夜の静寂に吸い込まれるように低く、穏やかだった。


「でも、ここでは違う。君の努力と才能は、俺の目を通して必ず形になる。正当な対価として、必ず君の元へ返ってくるようにする」


 セレンは顔を上げ、タクミのまっすぐな視線を受け止めた。

 紫色の瞳に、月の光が反射してキラキラと揺れる。


「うん……。私、タクミのこと信じる。信じて、どこまでもついていく」


 彼女の力強い言葉に、タクミは無言でうなずいた。

 明日には、馬車を手配してこの街を出発する。

 未知の食材、まだ見ぬ美味、そして新たなビジネスの種が、港町で彼らを待っている。

 二人の胸に灯った野心の炎は、夜風に吹かれてなお、静かに、しかし熱く燃え続けていた。

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