第18話「世界樹の美食魔王と究極の商会」
アクアリアでの成功から数年。
『海竜亭』は今や新大陸のみならず、海を越えた数多の国家群をも股にかける、世界最大の巨大商会へと成長していた。
各国の王族から裏社会の顔役に至るまで、彼らが卸す極上の食材とスパイスなしでは、もはや生きていけない体になっている。
だが、商会の若き総帥となったタクミと、専属料理長のセレンの二人は、まだ満足していなかった。
「あれが、世界の中心……『世界樹』ね」
魔導強襲艇からさらなる大改修を受け、空を飛ぶ『飛行魔導船』へと進化した彼らの船の甲板で、セレンが遥か上空を指差す。
雲を突き抜け、天にまで届く超巨大な樹木。
その最上層には、この世のすべての食材の頂点に君臨する存在であり、数多の美食を極めたとされる伝説の存在、『美食魔王』が住んでいるという。
「ああ。世界中の胃袋を支配した俺たちが最後に挑む、最高の取引相手だ」
タクミは目を輝かせ、莫大な資金を投じて強化した船の推進器を全開にした。
猛烈なスピードで雲を抜け、強烈な魔力の乱気流を突破した先。
世界樹の頂上に広がる広大な神殿に、彼らの船は静かに降り立った。
「……よくぞここまで辿り着いたな、下等な人間どもよ」
神殿の奥から、空気が凍りつくような重低音が響き渡る。
そこに座していたのは、四本の腕と漆黒の角を持ち、底知れぬ魔力を放つ巨漢――美食魔王その人であった。
彼の周囲には、見たこともないような虹色に輝く果実や、芳醇な香りを放つ未知の食材が山のように積まれている。
「ほう、あれが伝説の『世界樹の黄金果実』か……。素晴らしい。俺のビジネスに加えるのにふさわしい代物だ」
魔王の放つ恐ろしいプレッシャーを前にしても、タクミは全く怯むことなく、まるで品定めをするかのように不敵な笑みを浮かべた。
「我の食材を値踏みするとは、分をわきまえぬ愚か者め」
美食魔王が鼻を鳴らすと、それだけで周囲の空間が震え、神殿の床に巨大な亀裂が走った。
「我は永きに渡り、至高の美味を探求してきた。だが、地上の人間どもが作る餌など泥水も同然。貴様らが我の舌を満足させられぬのなら、その命ごと商会を灰燼に帰してくれるわ」
魔王の宣告は、単なる脅しではない。
過去に世界樹に挑んだ数多の料理人たちが、彼の課す試練に敗れ、命を落としてきたのだ。
「ふん。泥水しか飲んだことがないから、そんな貧相な味覚しか育たないんだよ」
タクミは怯えるどころか、魔王に向かって真っ向から挑発的な言葉を投げつけた。
「なっ……! 貴様、我を愚弄するか!」
「事実を言ったまでだ。いいだろう、お前の勝負を受ける。もし俺たちがあんたを満足させたら、その『黄金果実』を含め、世界樹で採れる食材を海竜亭に卸してもらう」
タクミの常軌を逸した要求に、魔王は怒りを通り越して不気味な笑い声を上げた。
「クハハハハ! よかろう! だが、中途半端な料理を出せば、即座に貴様らを挽き肉にしてくれる!」
「タクミ、もうお料理始めてもいいの?」
魔王の恐ろしい殺気が渦巻く中、セレンは空気を全く読まない無邪気な笑顔で、巨大な魔導コンロを設置し始めていた。
「ああ。頼むぞ、セレン。俺たちが今まで旅して集めてきた食材の力を、この魔王に叩き込んでやれ」
「うんっ! 私とタクミの集大成、見せてあげる!」
セレンは『炎殻熊の極上肉』や『星炎椒』、そして『リヴァイアサンのトロ』といった、これまで出逢ってきた伝説級の食材を次々と取り出し、力強く包丁を構えた。
ドォォォォンッ!!
神殿の天井まで届くほどの巨大な火柱が上がり、激しい調理の音が響き渡る。
セレンの包丁さばきは神業の領域に達しており、硬い骨も筋も瞬く間に解体されていく。
リヴァイアサンの濃厚な出汁をベースに、炎殻熊の脂と星炎椒の刺激的なスパイスが溶け合い、スラムの農家が育てた泥岩芋が驚異的な甘みを加える。
タクミが『エンジェル投資』で魔導コンロの火力を限界まで引き上げると、世界樹の頂上が芳醇すぎる香りに包み込まれた。
香りを嗅いだ瞬間。
美食魔王を覆っていた底知れぬ魔力のオーラが、嘘のように霧散した。
彼は玉座からゆっくりと立ち上がり、四本の腕を落ち着きなく宙で彷徨わせながら、まるで見えない糸に吸い寄せられるように鍋へと歩み寄ってきた。
「お待たせしました! 『海竜亭スペシャル・新大陸巡り極上シチュー』よ!」
グツグツと煮えたぎる巨大な鍋が魔王の前に置かれた。
魔王は我慢しきれず、巨大なスプーンでシチューを掬い上げ、口へと運ぶ。
「……ッ!!???」
その瞬間、魔王の強面が信じられないほど情けなく歪んだ。
海の王者の深すぎる旨味、火山の主の熱い脂、限界まで引き出された野菜の甘み、そしてそれらを見事にまとめる至高のスパイス。
別々の環境で育った極上の食材たちが、セレンの腕によって一つの鍋の中で奇跡のシナジーを生み出し、魔王の味覚を優しく、そして激しく蹂躙していく。
「う、うおおおおぉぉぉっ!! 美っ、味いぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
伝説の美食魔王は、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、鍋に頭を突っ込む勢いでシチューを貪り食い始めた。
「俺たちの勝ちだな、魔王。さあ、契約書にサインをもらおうか」
タクミの用意した専属取引契約書に、魔王は喜んで判を押した。
こうして、世界の頂点に立つ魔王すらも専属の仕入れ業者に加えた『海竜亭』は、名実ともに世界最大のグルメ帝国を築き上げたのである。
◆ ◆ ◆
後日。
王都の広場は、これまでにない異様な熱気に包まれていた。
なんと、伝説の恐ろしい存在として語り継がれていた『美食魔王』が、海竜亭のロゴが入ったエプロンを身につけ、世界樹の珍しい食材が詰まった木箱をせっせと運んでいたからだ。
「おい、もっと丁寧に運べ魔王。それは一つで金貨百枚は下らない高級果実だぞ」
「わ、分かっておるわ! だが、これでまたあの極上シチューが食えるのなら、運ぶ手間など惜しくはない!」
かつての威厳はどこへやら、すっかりセレンの料理の虜となった魔王は、嬉々として仕入れ係の仕事に励んでいる。
四本の腕をフル活用して木箱を積み上げる姿は、もはや海竜亭の優秀な従業員でしかなかった。
その光景を本部のバルコニーから見下ろしながら、タクミは満足そうにワイングラスを揺らした。
「タクミ、私たち、本当に世界のトップになっちゃったのね」
「ああ。人間も魔族も関係ない。美味いメシの前では誰もが平等に金を落とす。これこそが、俺たち『海竜亭』が創り上げた最高のビジネスだ」
青空の下、セレンの作る見事な料理の匂いが今日も世界中へ広がっていく。
名もなき街から成り上がった二人の旅は、こうして伝説として語り継がれていくのだった。




