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第13話「未開の魔境と鉄牙猪の角煮」

 美食都市グラン・パレでの盤石な地位を確立してから数週間後。

 タクミとセレンは、大繁盛を続ける『海竜亭』の運営を信頼できる元船乗りたちに任せ、新たな旅立ちの準備を進めていた。

 次なる目的地は、新大陸の内陸部に広がる広大な未開の地――通称『魔境』と呼ばれる危険地帯である。


「タクミ、本当に魔境に行くの? ギルドの商人たちも、あそこには恐ろしい魔物がうようよしているから決して近づかないって言っていたわ」


 荷馬車に保存食や調理器具を積み込みながら、セレンが少しだけ不安そうにタクミを見上げる。


「だからこそ行く価値があるんだ。誰も寄り付かないということは、それだけ手つかずの未知の食材が眠っているということだからな」


 タクミは自信に満ちた笑みを浮かべ、特別に誂えた頑丈な魔導馬車の側面を軽く叩いた。

 『エンジェル投資』のスキルによって資金と魔力を惜しみなく注ぎ込まれたこの馬車は、ちょっとした城壁並みの強度と、自動迎撃用の魔導兵器を備えている。


 「海竜亭は確かに大成功した。だが、大陸全土に俺たちの流通網を築くためには、他の誰も真似できない『魔境ルート』の開拓が必要不可欠だ。それに……」


 タクミはセレンの頭を優しく撫でた。


「俺は、君の料理の才能をもっと広い世界で試してみたい。この大陸に眠るすべての食材を、君の包丁で極上の料理に変えてほしいんだ」


「……うん! わかったわ、タクミ。私、どんな魔物のお肉でも最高に美味しくお料理してみせる!」


 セレンは不安を吹き飛ばすように、満面の笑みで力強く頷いた。

 美食都市の仲間たちに見送られながら、二人の乗る魔導馬車は、未開の魔境へと向かって力強く走り出した。


 魔境の入り口である『黒霧の森』は、その名の通り、昼間でも薄暗い不気味な霧に包まれた場所だった。

 見上げるほど巨大な樹木が立ち並び、獣の遠吠えがどこからともなく響いてくる。


「……タクミ、何か大きな足音が近づいてこない?」


 御者台の隣で周囲を警戒していたセレンが、ふと耳を澄ませて声を上げた。

 直後、馬車の進行方向にある巨大な茂みが乱暴に弾け飛び、地響きと共に巨大な影が姿を現した。


「グルォォォォッ!!」


 それは、家屋ほどの大きさがある巨大な猪の魔物だった。

 全身が黒光りする硬そうな鱗に覆われ、口元からは鋭く巨大な鉄色の牙が二本、天に向かって突き出している。

 凶悪な突進力で武装した商隊すらも次々と壊滅させる、魔境の入り口の主『鉄牙猪(アイアンファング)』だ。


「きゃっ! 大きい……!」


 巨大な猪が赤い目をぎらつかせ、前足を地面に擦りつけて突進の構えをとる。

 並の商人なら恐怖して逃げ出す場面だが、タクミは一切慌てることなく、冷静にその巨大な敵を見据えて『真贋鑑定』のスキルを発動させた。

 空中に浮かび上がった文字を読み取り、タクミの口角がにやりと吊り上がる。


 『鉄牙猪(アイアンファング):素材価値(特級)』

『特徴:外側の鱗は鋼鉄のように硬いが、その内側にある肉は驚くほど柔らかく、芳醇な甘みを持つ。特にバラ肉の部位は極上の脂を味わえる』


 「なるほど……見た目は物騒だが、中身は最高の『豚の角煮』の素材ってわけだ」


 タクミはその巨体を見上げ、静かに目を細めた。


「タクミ、来るわ!」


 セレンの叫びと同時に、鉄牙猪が大地を抉るような勢いで猛突進を開始した。

 その巨体と鋼鉄の鱗による体当たりは、直撃すれば頑丈な魔導馬車といえど無事では済まない。

 鉄牙猪の巨体が馬車に激突する寸前、タクミが操作盤の赤い魔石を押し込んだ。

 展開された光の障壁が凄まじい衝撃音と共に突進を弾き返し、馬車は大きく軋みながらも無傷で耐え抜く。


「さすがに硬いな。だが、どんな硬い殻にも弱点はある」


 タクミはすかさず馬車に備え付けられた射出装置を起動し、海竜を仕留めた時にも使った強烈な催涙スパイスの粉末玉を一斉に発射した。

 パァンッ! と空中で弾けた赤い粉末が、目を回している鉄牙猪の顔面をすっぽりと包み込む。


「ブギュゥゥゥッ!?」


 目と鼻の粘膜を強烈な辛味成分で焼かれた鉄牙猪は、巨体を激しく痙攣させ、ドスンと大きな音を立ててその場に倒れ伏した。


「よし、動きが止まった。仕留めてから、急いで解体しよう」


 タクミが馬車から降りると、セレンも愛用の包丁セットを抱えて意気揚々と後に続く。

 タクミが鉄牙猪の息が止まったのを確かめると、セレンは硬い鱗が重なるわずかな隙間から首筋へ刃を滑り込ませた。

 分厚い皮と鱗が剥がされると、そこには美しいルビー色をした、見事な霜降りのバラ肉が隠されていた。


「すごいわ、タクミ! お肉の間に細かい脂が綺麗に入っていて、すっごく柔らかそう!」


「ああ。これを特製ソイ・ソースと岩塩で甘辛く煮込めば……王都の貴族も気絶するような一皿になるぞ」


 危険な魔境の入り口は、二人にとって未知の高級食材が眠る巨大な食品庫でしかなかった。

 薄暗い森の中で、豪快な解体作業と新たな料理の仕込みが始まろうとしていた。


◆ ◆ ◆


 解体作業を終えた二人は、堅牢な魔導馬車を停め、その車内で調理の準備をした。

 馬車の中に備え付けられた最新式の魔導コンロで、セレンが鉄牙猪のバラ肉を特製のソイ・ソースベースの煮汁でコトコトと煮込んでいる。

 やがて、甘辛く濃厚な香りが馬車の中に充満し始めた。


「できたわ、タクミ! 鉄牙猪の特製角煮よ!」


 差し出された小鉢には、照り輝く琥珀色の煮汁をたっぷりと吸い込み、箸で触れただけで崩れそうになるほど柔らかく煮込まれた肉塊が盛られていた。

 タクミは箸で分厚い肉を切り分け、熱々のまま口へ運ぶ。


「……美味い」


 噛む必要すらない。舌の上で上質な脂がとろけ、ソイ・ソースの香ばしさと魔物肉特有の力強い旨味が、爆発的な勢いで脳を刺激する。

 外では依然として恐ろしい獣の咆哮が響いているが、この馬車の中だけは、至高の料理による至福の空間が広がっていた。


 「この肉を安全に運搬する『魔境ルート』さえ確立できれば、海竜亭は美食都市だけでなく、大陸全土の市場を支配できる。……この森はまさに、手つかずの宝の山だな」


 タクミは小鉢に残った煮汁まで一滴残さず飲み干し、まだ見ぬ魔境の奥地へと視線を向けた。

 二人の飽くなき美食への探求心は、どれほど危険な場所であっても決して止まることはないのだった。


◆ ◆ ◆


 深夜、外からは時折、聞いたこともないような巨大な生物の鳴き声が森の奥深くから響いてくる。

 だが、強固な防壁と魔導コンロの温かさに守られた馬車の中では、そんな恐怖すらも新たな食材への期待に変わっていた。


「明日はどんな未開の味が待っているんだろうな」


 タクミの問いかけに、毛布にくるまったセレンが嬉しそうに頷く。

 未知なる魔境でのサバイバルとビジネスの融合は、まだ始まったばかりだった。

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