第8話 ひかりの秘密
「ひいいっ!」
デブは短刀の切っ先を向けたまま、ブルブルと震え出した。
「じょ、冗談はよしやがれ! 花菱は完全に死んだはずだ」
すると麗香は腕を組みながら、フフンと鼻を鳴らした。
「そうさ……死んだのさ。私はね、戦って死ぬなら本望だったよ。だけどさあ」
その声から、笑いが抜け落ちた。
「これまで人生の大半を注ぎ込んで鍛えた技も使えず、茶に毒を溶かされて死んだとあっちゃ……私も浮かばれねぇだろ」
そのやりとりを聞いた俺は、ようやく理解した。今のひかりは、ひかりじゃない。花菱麗香という亡霊が、娘の体に憑依しているのだ。
麗香はズンズンと、デブとの間合いを詰めて来る。
「く、来るなっ!」
「なんだ、ビビってんのか!」
デブが短刀を何度も突き出すが、麗香は棒立ちのまま、上体を逸らせて軽く躱し続ける。何度刺してもすべてが空振り……デブもさすがに青ざめて、脂汗を流し始めた。それを見た麗香は口を開けて笑った。
「ハハハハハ!」
「ひいいっ!」
デブは前へ飛び出すように動き回って、あらゆる方向から麗香を突き刺そうとするが、掠りもしない。麗香は腕を組んだまま、まるでダンスをするみたいにステップを踏んで躱していくのだ。
「なんだ、しっかりしろよ、デブ」
「ううう」
デブは必死になって短刀を振りまわしていたが、今度は逆に麗香の蹴りが鳩尾にズドンと突き刺さった。
「がはあ!」
一発でデブが地面に崩れ落ちた。麗香がその顔を足で踏みつける。
「あああ……ゆ、許して……」
それを聞いた麗香は、見下ろすようにデブを睨んだ。
「人を殺すってことはよ……お前も命を落とす覚悟があるってことなんだよな」
「わ、わ、わかりました、許してくださいっ!」
「何もわかっちゃいねえじゃねえか」
「ヒイイッ!」
ここで麗香が回し蹴りを放った。しなる脚が宙で弧を描き、顎を真横から軽く打ち抜く。
平手で水面を叩いたような音とともに、男はその場に崩れ落ちた。意識を失ったようで、それ以上動かなかった。
カスミとマリは、二人抱き合いながらへたり込んでいた。ひかりの体は、二人を背に庇うように立つと、軽く肩を回して首を鳴らした。それは借り物の体の動きを、確かめるようだった。
そして、ゆっくりと俺を見た。
俺と麗香の目が合う。
「手伝おうか?」
俺はポカンとしてしまった。
「いや……大丈夫だ」
しばらくして冷静になった俺は、チビの霊体を体の中から引き摺り出した。すると、俺の肩に喰いついていた亡霊が、引きずり出されたその霊体へ飛びついていったので、俺は横に転がって群れから逃れた。
振り返ると、いくつもの亡霊がチビの霊体に食いついている。ようやく解放されたと思った。
俺は自分の指先を見た。
紫の染みは、いつのまにか薄れて、消えかけていた。ほっとして息を吐く。
だが、あの亡霊たちのことが引っかかっていた。
一滴の血に、あいつらは怯えたのだ。
俺は立ち上がると、麗香の顔を見た。
「あんた……一体、何者なんだ」
すると麗香は肩をすくめた。
「私? 見ての通り、女の子よ」
麗香は微笑んだ。だが、俺はごまかされたりしない。
「いやいやいや」
俺は顔の前で手を振った。
「君が憑依しているその子さあ……俺の、娘なんだけど……」
俺がそう言うと、麗香は一瞬きょとんとした。
それから、にんまりとした笑みを浮かべる。
「……あー。道理で。いい身体ね、運動部? ハハハ」
その様子に、俺はかぶりを振った。
「いや、俺は感想を聞いてるんじゃなくてだな……。そんなに派手に暴れて、娘の体は大丈夫なのか。明日、全身筋肉痛なんてことには……」
俺の渋い顔を見て何かを察したのか、麗香は、ぺろりと舌を出した。
「テヘっ」
「テヘっ、じゃねえよ!」
俺は思わず麗香の頭をひっぱたいた。すると麗香は、ぶりっ子みたいな顔をしながら俺を見た。
「痛った~い!」
「嘘つけ!」
麗香はニコニコ笑いながら、真っすぐに立った。
「オッサンも死んでるんだよな」
「ああ、そうだ。俺は、お前が今憑依している娘の親なんだが……こいつらヤクザに連れ去られそうになるところへ、飛び込んでな。刺し殺されたってわけだ」
「ふーん。オッサンもこいつらの被害者なんだ」
麗香は、倒れているヤクザどもを、つまらなそうに見下ろした。
「なあ。この中に、組長はいねえのか」
「組長?」
「あーしに茶を出した男だよ」
その声が、ふっと低くなった。冗談を言うときの、あの軽い調子ではなかった。
「顔は覚えてる。声も、指の形もな。あいつを見つけるまでは、死んでも死にきれねえ」
「……死んでるだろ、もう」
「うるせえ」
麗香はケラケラと笑い直したが、俺は聞き逃さなかった。
こいつも、俺と同じだ。この世に、何かを残している。
俺は立ち上がってヤクザたちを睨んだ。
「とにかく、こいつらから逃げて……娘たちを安全な場所へ連れていかなきゃ。……でないと俺は、死んでも死にきれない」
「そこは仲間だな、オッサン」
麗香はそう言って、また笑った。
「そういうわけだから、お前、とっとと娘の体から出やがれ!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待てよ……」
「何が待てだ」
「お前、知ってんのか? この子の抱える秘密をよ……」
「何だ、秘密って」
俺は麗香を睨んだ。
「あーし、この子の体に憑りついたからわかるんだけどさ……この子、人格の一部を封印されてるんだよ」
「封印だって?」
麗香は頷いた。
「意識の奥底にな、石の箱があるんだ。そこに閉じ込められている。出してくれ、出してくれって、ずっと悲鳴が聞こえてた」
「石の箱だって? なんでそんなことが?」
「オッサンは別居してて、知らないんだよな」
「そんなことまで知ってんのか?」
すると麗香は、ニヤリと笑った。
「死んでから娘と再会とかマジ受ける」
「ぶっ殺すぞ!」
「ハハハ、もう死んでる、ワラ」
俺はやりとりに疲れて、ガックリと肩を落とした。
「もう……わけがわからないよ」
「ていうかオッサン、その『あーし』って言い方、いちいち引っかかってんだろ」
「引っかかってる。いい年した女の言葉じゃねえ」
「あーしの体、今、女子高生だし?」
「そこに合わせなくていいんだよ!」
麗香は、けたけたと笑った。それから、眉を八の字に寄せて、俺の肩を叩いた。
「まあ、気を落とすなって。あーしが解説してやっからよ」
「解説?」
「ああ。あんたの娘はな、古くから続く呪術師の家系らしいぞ」
「ええ?? マジで?」
麗香は頷いた。
「なんで父親のお前が知らねえんだよ。……ああ、母方の家系か? まあ、いいや。それでこの子はさ、50年ぶりに生まれた、一族では最高の呪術師の体を持っているらしい」
「なんだその、呪術師の体って!」
「なんでも、血で魔物を従わせることが出来るらしい。護符や呪符なんかも、こいつの血で書くとすごく効くんだとよ」
俺は、息を呑んだ。
さっきの、あれだ。
「……見たよ。ついさっき」
「あ?」
「この子の頬の傷から、血が一滴落ちたんだ。そうしたら、俺に群がってた亡霊が、いっせいに下がったんだよ。火を怖がるみたいにな」
麗香が、ひゅうと口笛を吹いた。
「マジか。封印されてそれかよ」
「それで、ヤクザや変なババアに狙われていたんだな」
俺は妙に納得した。すると麗香がにんまりと笑った。
「だからさ、これからも襲われる危険があるんだから、あーしが憑りついておいた方が良くね?」
「いやいや、お前、人殺すだろ?」
「まだ殺してねえって」
「いやいや、これから殺す気じゃん! 復讐するんだろ」
俺は眉間に皺を寄せた。
「わかった、殺さねえから! もうちょっと貸してくれ」
「いや、その体は娘のものだ。だめだめ」
すると麗香は、ふと真顔になって、自分の——ひかりの胸のあたりに、手を当てた。
「……なあ、オッサン。ひとつだけ、気になることがあるんだけどよ」
「なんだ」
「あの箱な。中から叩いてる音がするって言ったろ」
「ああ」
「あれ、素人の仕事じゃねえ」
麗香は、探るように目を細めた。
「めちゃくちゃ古いんだよ。封印している石がよ。それに、なんつうか……作った奴が、命ぜんぶ注ぎ込んで固めた感じがするんだ。生半可な覚悟で出来る蓋じゃねえ」
「命ぜんぶ……」
背中に、冷たいものが走った。
誰かが、命を賭けて、ひかりの心の奥底に何かを封印したのか。
「それとな。……その石、ヒビが入ってる」
「ヒビ?」
「ああ。だから、あーしみたいなのが入り込めた。……なあオッサン、あんた、この子と何かしたか?」
俺は、答えに詰まった。
鉄格子の中で、ひかりを抱きしめた。あの時、彼女の中に何かが流れ込んでいくのを、確かに感じた。
「……抱きしめたよ。十五年ぶりに」
麗香は、しばらく黙っていた。
そして、ぼそりと言った。
「じゃあ、蓋を叩いたのはあんただな」
その時、俺の背後から、しわがれた声がした。
「余計なことをするんじゃない、この死にぞこない」
「ん? その声は?」
俺と麗香が振り返ると、そこには2階で襲ってきた、福禄寿に似た老婆が、微笑みながら立っていたのだ。俺は目を見開いた。
「婆さんじゃないか! ……源蔵さんはやられたのか!」
驚く俺をみた麗香は、キョトンとしながら俺を見た。
「ねえパパ。誰? こいつ?」
すると俺は、麗香の両肩へ手を置いた。
「麗香! 前言撤回だ! こいつを倒せ!」
「はぁ? 意味わかんねえし」
「いやいや、こいつが諸悪の根源なんだって! ひかり……つまりお前の体を狙っているんだ!」
「なんだって? こんなババアが?」
すると老婆が急に、麗香に向かって飛び蹴りを放ってきた。麗香はその攻撃を半身で躱すと、スカートを広げながら大きな回し蹴りを放つ。
だが、その回し蹴りは空振りした。老婆はバック転をしながら後方へ飛んで、静かに着地した。
俺は麗香に向かって叫んだ。
「侮るな、麗香! こいつはバック転も出来るし、武道の達人だぞ!」
「はぁ? 今見たし」
麗香は拳を握って、老婆に向かって構えた。
「へえ、面白そうじゃない。お手合わせ願おうかな?」
すると老婆はフンと鼻で笑った。
「お前はその子に憑依した亡霊だね……あたしゃ、その体に用があるんだ。痛くて泣き出す前に、そっから出るこったね」
老婆はそう言うと、戦闘の構えを取った。
その乾いた笑い声を聞きながら、俺は、麗香の言葉を思い返していた。
彼女は外から誰かが蓋を押さえてると言ってた。
一体、誰が押さえているんだ?
この婆さんは、箱を開けたがっている側だから、誰か別の人間のはずだ。
それは一体誰なんだ?そして、この箱にはどんな秘密が隠されているんだ?




