第2話:食事に仕込まれた罠
着替えが終わって、メアリーの先導で食堂に向かう。これからは家族揃っての朝食の時間だ。
廊下を進む間、誰も口を利かない。通り過ぎる使用人が会釈すらしないのもいつものこと。
いつもと違うのは、私の背後にルーティがいることだけ。
食堂の前で控えていた使用人が、いつもと同じように扉を開ける。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「おはよう」
長いテーブルの上座に座る両親に朝の挨拶をすれば、父は手招きしながら応じてくれるけれど、母はどこかそっけない。
バルトの咳払いで父の手が下りて、私はいつも通りに下座の席に座った。
家族全員が席に座ったことで、給仕の侍女が食事を運んでくる。
全員の前に皿が並べられ、カトラリーに手を伸ばす。食事に手を付けようとしたところで、ルーティが私を止めた。
「少しお待ち下さい」
「ルーティ?」
どうしたの? と聞こうとしても、ルーティの視線はまっすぐに母に向いたまま。
「奥様、一つお願いがあるのですが」
ルーティが離れた席の母に声を掛けるのを見て、私はぎょっとした。
食事中の母に声を掛けるなんて、私でも許されていないのに。
「……何かしら?」
それでも母はそんなルーティを気にもとめていないようだった。
静かな声でルーティに応じると、まっすぐにルーティに視線を向ける。
「これを使う許可をいただけませんか?」
そう言ってルーティが懐から取り出したのは、小瓶に入った金色の粉末。
それを見て母が驚いたように目を見開いた。それでもその驚きは一瞬だけ。母はすぐさま背後に立つ侍女長ミリアへと視線を向けた。
「……ミリア」
「確認してまいります」
母の一言で、背後に立つ侍女長ミリアがすぐさま動く。手早い動きでこちらに歩いてくると、ルーティの持つ小瓶はミリアの手に渡る。
ルーティの持つ小瓶をじっくりと確認するミリア。一通り小瓶を見た後でミリアは母に向き直った。
「問題ありません。本物のようです」
「そうですか。ならば許可します」
ミリアが確認することで母が許可を出す。
許可を受けたルーティが満足げに頷くけれど、その小瓶の中身は一体何だというのだろうか。
「そんな得体のしれないものを使うなど反対です!」
私同様そのやり取りを見ていたメアリーが、母とルーティに反発する。
けれど母はそんなメアリーを静かに見据えるだけ。
「これが何かも分からないなら、黙っていなさい」
母の冷たい一言が、メアリーの言葉を切り捨てた。
ミリアや母にはこれが何か分かるようだけれど、それでも私を制して行われたやり取りなのだから、私にも何が起きているのか説明してほしい。
「あの……何の話をしているのですか?」
「ルーティがアリシア様の毒見をしたいと言っているのですよ」
本来なら私から話しかけることは禁じられている。聞いてもいいのかは分からなかったけれど、恐る恐る問い掛けた私の質問に、ミリアが簡潔に答えてくれた。
ミリアも私の名前を呼んでくれるのだという小さな感激が胸に広がる。それと同時に、毒見という単語に少し引っかかった。
「毒見……ですか?」
「ええ。この金の粉末は、侯爵家以上では当たり前に使われる毒検知薬です。人体に害があるものが含まれていれば、それに反応して派手に光るのですよ」
ミリアはそう言いながら、周囲の侍女に言付けて掃除用の洗剤を持ってこさせた。
それにルーティの持つ金の粉末を入れると、洗剤が鮮やかに光り輝く。あまりの輝きに、思わず目を細めるほどの眩しさだった。
「……随分と眩しく光り輝くのですね」
「これは洗剤ですからね。人体に有害な物質しかないからでしょう。有害物質が多ければ多いほど反応するのですよ」
ミリアが眩しく輝く洗剤を侍女に片付けさせる。光源が無くなっても、私の目にはその光が焼き付いたような残像が見えた。
なるほど。ミリアの説明通りなら、ルーティはこれを料理に振りかけて毒が含まれているのかどうかの確認をしたいと言っていたのね。
「ミリア様、随分詳しいですね」
「奥様の生家が侯爵家でしたからね」
ルーティのどこか驚いたような声に、懐から同じ金粉の入った瓶を取り出すミリア。
「え、お母様って侯爵家の出身だったのですか?」
母の出自がどこなのかとか、今まで考えたこともなかったので少し驚いた。
私の呟きにミリアが静かに頷いた。
「侯爵家では必須の薬です。伯爵家に降嫁してからは使う頻度は下がりましたが、それでも他家で開催されるお茶会や夜会では今でも使っています」
金の粉末が入った小瓶を見ながらミリアがそう教えてくれる。
ミリアも持っているのなら、本当にこの毒検知薬というものは一般的に使われるものなのね。
「どちらかといえば、わたくしは男爵令嬢である貴女がそれを持っていることに驚いたのだけれど?」
そんな会話に母が割り込んでくる。そちらに視線を向ければ、父も呆然としながらこちらの動向を見守っているのが見えた。
そんな母にルーティが笑みを浮かべる。
「私の身元引受人の方が侯爵様ですから、その方からいただいたのです。それに私のお仕えしているお嬢様の後見人の方も、国王陛下の弟君の奥方様ですから、私の周囲では金粉型の毒検知薬は使用頻度が高いのですよ」
「そうなのね」
ルーティの説明に母は納得したように頷いた。
次から次に出てくる情報に頭が追いつかない。けれど母もルーティもミリアも、それが当たり前であるかのように会話を続けている。
(家から出ない、誰とも会わない私では、知らないことが沢山あるという自覚はしていたけれど……)
こんな身近なことすら知らなかったのだと思うと、愕然としてしまう。
私の知らないことが、他にもまだまだあるのだと実感した。
「それではアリシア様、失礼しますね」
「え、ええ……」
ルーティがそう言って小瓶を傾ける。さらさらとした金色の粉が私の皿に舞い落ちた。
「……」
けれども料理は光らない。つまり人体に有害なものは含まれていない。
「問題はなさそうですね」
光らないことを確認して、ルーティがスープを一口、口に運んだ。そこでルーティの眉間にシワが寄る。
続いてメインの魚を一口。そこでルーティは目を閉じて黙り込んだ。
「ミリア様」
そのまま側で成り行きを見守っていたミリアに声を掛けるルーティ。その声がどこか冷たく感じられた。
(え……? 何かあったの……?)
ただごとではない空気の中、無言のままミリアが歩み寄る。ルーティからスプーンを受け取って、スープを口に運んだ。そこでルーティ同様ミリアの眉間にもシワが寄る。
魚とサラダを一口ずつ確かめて、そこでミリアも目を閉じて黙ってしまった。
「何かあったのですか?」
様子を見ていた母がミリアに声を掛ける。
「アリシア様の料理に味付けがされていません。いえ、むしろこれは味を消されているようです」
「え……?」
「なんですって?」
ミリアの言葉に私と母の口から驚きの声が漏れる。
料理に味付けがされてない? 味を消されている?
その言葉の意味がよく分からなかった。味がしないのは、分からないのは、家族の席という緊張状態にあるからじゃないの……?
母が席を立って、こちらに向けて歩いてくる。
そしてミリアからスプーンを受け取ると、一口含む。表情こそ変わらないけれど、じっとスープを見つめる眼差しには、どこか静かな怒りを感じられた。
「これは……【無味薬】を使っているのかもしれないわね」
「かもしれませんね」
母の呟きにミリアが静かに同意する。
無味薬。また聞いたことのない名前が出てきた。名前からして、料理の味を消すものなのだと感じられた。
「ミリア、私の料理を持ってきてちょうだい」
「かしこまりました」
母の言葉を受けて、ミリアが動き出す。
ほどなくして運ばれてきた母の皿が、私の前に並べられた。
「ルーティ」
「はい」
母がルーティの名を呼んで、ルーティが先程と同じように金色の粉を振りかけていく。
反応は当然ない。それを確認してからスープを口に運ぶ。続いて魚、サラダと一口ずつ毒見をしていく。
「問題ありません」
「そう。やはり問題があったのはアリシアの皿だけだったようね。アリシア、今日はこちらを食べなさい」
ルーティの言葉を受けて、母が私を見ながらそう言った。
私の皿に問題があった? それはどういうこと?
その質問を口にすることは許されていない。そもそも何が起きているのかが私には分からない。
「どうぞ、アリシア様」
「ええ……」
何も分からないまま母とルーティに促されて、私は渡されたカトラリーを手に取った。
スプーンをスープに沈めて、口に運ぶ。
(あ……)
スープを一口飲んだ瞬間、私の手が止まった。
(ちゃんと、味がある……)
塩気があって、煮込まれた野菜の甘さがちゃんとあった。
サラダを食べれば青葉の苦みがあって、ドレッシングの酸味が感じられた。魚を食べれば、しっかりとした旨味が口内に広がる。
今まで何も感じなかった味覚が、沢山の味を教えてくれた。
ずっと味が分からなかったのは、緊張しているせいだと思った。食欲がわかないせいだと思っていた。
でも違った。これを食べた今なら、本当に、最初からずっと、味が消されていたのだと分かる。
「どう? 料理の味は分かる?」
「はい……凄く美味しいです」
心配そうな母の声に、私は涙ぐんだ声で答える。
今までの食事は何だったんだろう。そう思うくらいの変化に泣きそうになる。
私が食事を食べるのを温かい眼差しで見守ってくれる母。母の食事を奪う形になってしまったのに、母は一言も私を責めない。美味しいと言った私を見て、どこか嬉しそうな雰囲気さえあった。
カトラリーを動かす手が止まらない。ここまで美味しい食事は、記憶にある中では初めてかもしれなかった。
「ミリア」
「後で料理長に話を聞いておきます」
「頼んだわ」
私が食事を進める側で、母とミリアの静かなやり取りが聞こえた。
母の声は穏やかだったけれど、その奥に静かな怒りを感じた気がした。




