第6話:不思議な一日の終わり
夕食が終わり、私たちはそれぞれの部屋に向かう。私は二階の自室に向かい、両親は三階の部屋へと階段を上がっていく。
……我が家は本来ならば二階は客室で、三階が家族の部屋。そして四階が住み込みの使用人の部屋になっている。
屋敷の構造はメアリーから何度も聞かされてきた。一階には食堂や応接室といった共有スペースがあり、二階は来客用の部屋が並ぶ。
三階に家族の私室があるにも関わらず私の部屋が二階にあるのは、私が養子で家族だと認められていないからだという話だったはずなのに。
それなのに、今日の両親の反応は聞いていたものとは違っていた。
母が私を「愛娘」と呼んでくれたのだ。
(本当の子供ではないと言われ、両親と距離を置くようにとメアリーに言われ続けていたのは何だったんだろう……)
廊下を歩きながら静かに息を吐く。
私が本当の子供ではないから気にかけてもらえない。近寄ったら迷惑だ。そう言われてきたから今まで両親と距離を取ってきたはずだったのに。
今日の父は、私を心配してくれてるように見えた。母も、私のためにわざわざ他家に頼み込んでまで専属侍女を借りてきてくれた。
本当に愛されていないのなら、どうでもいいと思われているのなら、そんなことはしないだろう。
(……メアリーはどういう意図を持って、それを言い続けてきたのかしら)
私のために色々してくれてきたメアリーのことは信頼している。
誰も相手にしてくれない中で、メアリーだけが私に寄り添ってくれた。私の話し相手になってくれて、私の世話をしてくれていた。
だからこそ、メアリーが常に言い続けてきた言葉の意味が気になった。
けれど、どれだけ考えても分からない。今は考えても仕方がないのかもしれないわねと独りごちて、私は静かに息を吐いた。
(それにしても……今日は本当に驚くことばかりだわ)
そんな風に考えながら、私は先を歩くルーティにちらりと視線を送る。凛とした姿勢で歩くルーティの視線は前を見据えたまま。
私を見ても狂わないルーティ。それどころか、おかしくならない人を判別できる方法があることに驚いた。
部屋に戻るまでの間、一言も喋らないのはいつものこと。通り過ぎる使用人すら私に目を合わせないのが当たり前。この屋敷の中で、私はまるで透明人間のように扱われる。
けれどもルーティの沈黙は嫌ではない。メアリーは「話しかけるな」というオーラを感じるけれど、ルーティの沈黙は穏やかで、安心していられる。話さなくても、意識がこちらに向けられているのが分かる。
きっと声を掛けたなら、「どうかしましたか?」と言って振り返ってくれるだろう。そんな気がした。
部屋に着いて、ルーティが扉を開けた。いつもと少し違う一日が、ようやく終わりを告げようとしていた。
「それでは寝る支度を整えましょうか」
部屋に戻ってドレスを脱ぐ。ルーティに背中の留め具を外してもらって、メアリーの留めた髪留めを外す。一日中体を締め付けていたドレスから解放されて、私はほっと息を吐いた。
そのまま部屋の一室にある簡易浴室へと向かう。
屋敷の浴室を使うことが許されていない私のためにとメアリーが用意してくれたもの。大浴場は家族や正式な客人が使うもので、私が使うのは禁じられているとメアリーから聞いている。代わりに用意されたのが、私専用の小さな浴室。
扉を開ければ、お湯の張られた湯船が待っていた。
お湯の張られた湯船に浸かりながら、ルーティに体を洗ってもらう。いつもはメアリーがしてくれるのに、今日はルーティがしてくれてるのが不思議な気分だ。
丁寧に、慣れた手つきで洗ってくれるルーティ。私がルーティに洗ってもらうのは今日が初めてなのに、不思議と違和感は感じない。きっとルーティの「お嬢様」にもしてあげてるのねと思いながら、ルーティの手の動きに身を任せた。
静寂が心地よく、目を閉じれば眠ってしまいそうになる。そんな穏やかな時間の中で、私はふと先程のことを思い出した。
「ねえ、ルーティ」
湯に浸かりながらルーティに声を掛けてみる。ルーティに聞きたいことは沢山あるのだから。
「どうかしましたか?」
ルーティは私を洗う手を止めずに返事をしてくれた。
これがメアリーだったら「お嬢様、作業中は声を掛けないでください」と言って黙らされているところだ。ちゃんと会話が成立することに嬉しく思いながら、先程気になったことを口にした。
「ルーティって、私とは初めましてよね? どこかで会った気がするのだけれど、どこで会ったか思い出せなくて」
私の言葉と同時に、ルーティの手がピタリと止まる。腕を洗っていた布の動きが完全に停止した。
けれどそれは本当に一瞬だけ。そのまま私を洗いながらルーティは何事もなかったように話を続ける。
「あら、先程私を『揚羽』と呼んでくださっていたので、覚えていると思っていたのですが……アリシア様は私たちのことを覚えていないのですか?」
私たち。
ルーティの言う「私たち」が誰を指してるのかが分からない。
覚えていないのは確かなので、返事の代わりにこくんと頷くと、ルーティは「あー……」と呟きながら私から視線を逸らす。
湯気の向こうで、ルーティの表情が僅かに曇ったように見えた。
どうしたのだろう。ルーティの行動をじっと見ていると、ふぅ、と息を吐きながらルーティの意識が私に向けられる。
「アリシア様、少し失礼しますね」
そう言ってこほんと咳払いをするルーティ。何を言うのだろうと身構える私に、ルーティは静かに口を開く。
『この言葉は分かるのですか?』
「!」
改まったルーティが口にするのは、あの不思議な言葉。それに驚いて何も言えずにいると、ルーティは『分かりませんか?』と首を傾げる。
「だ、大丈夫。言葉は……何を言っているかは聞こえてるわ」
私が答えれば、ルーティはホッとしたように微笑んだ。
『言葉は理解できているのですね。このままでも会話としては成立しそうですか?』
「何を話しているのかは聞き取れはするけど……私が話すのは難しいかも……」
聞き取れるのと話すのは別物でしょう?
意味が分かるからと言って、そのまま自分の言いたいことをその言語ではっきりと発音できるかと聞かれれば、正直自信はない。
『そうですか……。聞き取れるけれど発音は難しい、と』
ルーティの発言を肯定するように頷く私。
うーんと悩みながら手を動かすルーティ。私の体を洗い終わって、湯に沈んでいる間もどこか考え事をしているようだった。
……ルーティは一体何を悩んでいるんだろう。それに、その不思議な言葉は一体……?
「あの……」
「まあ、考えていても仕方ありませんね。風邪を引かれても困るので、先にお風呂を終わらせてしまいましょうか」
私が口を開く前に、ルーティはそう結論づけた。私の湯浴みを終わらせることを優先したようだ。
少しぬるくなってきたお風呂から上がり、せっせと動く手に迷いはない。あっという間に私の体はタオルで綺麗に拭き上げられ、湯冷めをしないようにとナイトドレスを着せられる。
髪を拭いてもらっている間に、私はルーティに声を掛ける。
「あの、ルーティ?」
「どうしました?」
私が声を掛ければ、ルーティは返事をしてくれる。
それでも思考はまだ何かを考えているようで、私に集中しているようには見受けられない。
「どうしました? ではなくてね、今の言葉は何だったの? それに私……どこでルーティと会ったというの?」
私の問いに、ルーティは少し困ったような表情を浮かべた。
「そうですね、どこまでお話すべきか悩んでます。まさか忘れてるとは思わなかったので」
ルーティの答えは、私の疑問に対する答えになっていない。
ルーティは「忘れている」と言うけれど、私は一体何を忘れているというの?
「ルーティ」
「はい、できましたよ。さあ、湯冷めする前にベッドにどうぞ」
更に問い詰めようと声を上げるけれど、ルーティは話をはぐらかして私をベッドへと追いやった。
柔らかなベッドに腰を下ろす。それでも私はまだベッドに入らない。
立ち去ろうとするルーティの服の裾を掴んで、ちゃんと話を聞かせてと訴えるように私はルーティを見上げた。私の行動に驚きを隠さないルーティ。
暫く互いを見つめ合う時間が続いて、ルーティがやっと折れてくれた。
仕方ないですね、と言ってルーティも話す決意をしてくれたのか、ベッドの横の椅子に腰掛けた。




