第4話:新しい侍女・ルーティ
「反省の色はなしですか。アリシアを誘拐犯から守ってくれた礼にと今までは優遇してきましたが、これからのメアリーの処遇は少し考えなければなりませんね」
「そうですね」
メアリーが立ち去って、食堂の扉が閉められる。その後姿を見送って、深い息を吐きながら母とミリアがぽつりと呟いた。
そんな母たちの言葉を聞いて、私は胸が苦しくなる。
(……お母様たちは私に寄り添ってくれないだけでなく、私からメアリーまで奪うの……?)
望むものを何一つ与えてくれない母たちと違って、屋敷で一人ぼっちの私にずっと寄り添ってくれてたのはメアリーだけだったのに。
メアリーまでいなくなったら、私は今度こそ本当に一人ぼっちになってしまうのに……。
母たちの言葉に悲しくなって、手をぎゅっと握り締める。
私の意思を確認して、優先してくれる人はこの場にはいない。それを改めて突きつけられた気がした。
「まぁ、メアリーの処遇は後で考えましょう。アリシア、こちらに来なさい」
「はい……」
母に呼ばれて足を動かそうとしたところで、先程のメアリーの言葉が頭をよぎる。
そうだ。あそこに居るのは、私の知らない新しい侍女なのだと。そう思うと息が苦しくなってくる。恐怖心から体がこわばっていく。それでも母に招かれれば拒否はできない。
メアリーもいなくて恐怖で足がすくむ中、それでも私は母たちのところに向かおうとゆっくりと歩みを進める。
(っ……怖い、怖い、怖い……!)
感じるのは、途方もないほどの恐怖。昔のようにまた拐われるんじゃないか。また豹変するんじゃないか。
そんな恐怖が私を包む。目の前で人が変わっていく光景を見たくなくて、私はぎゅっと目を瞑った。
「アリシア、早く来なさい」
「っ……」
母が私を呼ぶ。でも、私の頭はそれどころではない。
母が呼んでいるから歩かなければいけないのに。
なのに恐怖から私の足は止まる。私が進めたのは食堂の長い机の半分にも満たない距離。母たちのいる場所まではまだまだ距離がある。
(行かなきゃ。なのに、どうして足は動かないの?)
「奥様、少し失礼しますね」
私が歩けずにいると、そんな声とともに隠されていた侍女が動いた気配がした。その気配の動きに私がビクッと怯えていると、その侍女は迷いなく私の前に進んでくる。
そして私の前に立った誰かは、優しく私の手を取った。
「初めまして、アリシア様。そんなに怖がらなくとも大丈夫ですよ。私は狂ったりしませんから」
「え……?」
優しくかけられた声に、閉じていた瞳をそっと開ける。
そこに居たのは我が家のお仕着せを着た見慣れない侍女。でもその表情は優しげで、私を見ておかしくなった印象は受けない。
クリーム色の髪を一つに纏めて、藤色の瞳を細めてニコリと微笑む女性にやはり見覚えはない。
それなのに、私はやはりこの人を知っている。
「あ……」
瞳に涙が浮かぶ。私はこの人を知らないはずなのに、今日初めて会ったはずなのに。
それなのにずっと探していたような、懐かしいような感覚が胸を占める。会いたかったと心が叫んだ。
『あげ、は……?』
ぽつりと私の喉から知らない言葉が漏れた。
この国の言葉ではない、聞き覚えのない言葉。いつだったか私を拐おうとする人たちが叫んでいた言葉と同じ音が、私の喉から零れ落ちた。
その言葉を聞いて、ルーティがニコリと微笑む。
『はい。お久しぶりですね、茜様。お元気そうで何よりです』
懐から取り出したハンカチで私の涙を拭いながら、ルーティも不思議な言葉で返してくれた。
知らない言葉を叫びながら、私を知らない名前で呼ぶ誘拐犯たち。ルーティもその人たちと同じように、私を知らない名前で呼んで不思議な言葉を使うのに。
それでも、ルーティに呼ばれるのは嫌ではなかった。やっと会えたという安堵感に包まれながら、私はルーティに抱き付いた。
「アリシア……?」
そのままルーティと抱き合っていると、父の驚いたような声が耳に届く。父の声に驚いて視線を向ければ、呆然としながら私たちを見る両親と、安堵したような笑みを浮かべるミリアの姿。バルトはどこか忌々しそうに私たちの抱擁を見ていた。
「ほら、だから大丈夫だと言ったでしょう。彼女は絶対に狂いませんと申した通りになったでしょう?」
「でも、本当にこうなるなんて思わなかったし……彼女が結果的に大丈夫だっただけで、誰もが大丈夫ってわけじゃないだろう」
ミリアが父を叱責するが、それでも父は不安らしい。お説教が始まったミリアにおどおどと反論する父を見ながら、眼の前でおかしくなっていった人たちがいたのを思い出す。それで私が怯えてしまったのも確かだもの。
思い出した恐怖心からそのままルーティにしがみつけば、ルーティは「大丈夫ですよ」と言いながら私の頭を撫でてくれる。その手の優しさにホッと息を吐いた。
それでもどうしてミリアはルーティが絶対におかしくならないと分かったのだろう。
今までもおかしくなった人は沢山いた。けれど、その人たちに共通点なんてなかったはず。性別も年齢も合致しなかった。それも一人や二人ではないのだから、ルーティが本当に大丈夫かどうかなんて誰にも分からないはずよね……?
なのにどうしてミリアにはルーティが狂わないと確信が持てたのかしら……。
「アリシア様」
それにしても、本当に一体何が起きてるの? 懐かしいとは感じたけれど、ルーティと会うのは今日が初めてのはずなのに。
それなのに知っているような気がしたのはどうして……?
分からないことばかりで不安になる。思わずそこにいる誰かにしがみついた時、不意に声が掛けられた。
「アリシア様、少しは落ち着かれましたか?」
「えっ?」
ニコリと笑いながら告げられた言葉に、私の思考は霧散する。
あれ……私は今、何をしていたのかしら?
思考が固まるのは一瞬。それでもすぐに私は自分のしたことを思い出した。
そうだ、ここは食堂で、わたしは母に招かれて母たちの近くに寄ろうとしたけれど、見知らぬ侍女がいるということで怖くなって……。
それからのことを思い出して、顔が熱くなる。動けなくなって、手を取って励ましてくれたルーティを見て、いきなり抱きついた挙げ句ボロボロと泣き出したことを。
そんな私をルーティは慰めてくれた。頭を撫でて落ち着かせてくれた。いつまでも抱きついたままの私を甘やかしてくれるルーティ。
……どう考えても、初対面の人にすることではないでしょう!?
「あ! え、ええと急に抱き付いたりしてごめんなさい」
「いいえ、お気になさらず」
私は恥ずかしさから慌ててルーティから離れた。慌てて離れた私を見て、くすくすと笑うルーティ。
笑われてはいるけれど、その笑顔に嫌味さは感じない。むしろ微笑ましそうな眼差しで見られて、どこかいたたまれない。
そもそも初対面の相手に抱きつくなんて、本当に何してるの私!
……でも、ルーティの腕の中って、凄い落ち着いたのよね。それもまた不思議な話なのだけれど……。
ちらりとルーティを見れば、ニコリと笑って私を見ている。その姿に私を見ておかしくなるような兆候はない。本当にルーティは私を見てもおかしくならないんだと思って、ホッとした。




