第3話:終わる日常
「旦那様と奥様が戻られました。お嬢様は至急食堂に向かって下さい」
メアリーの語る「桜華国物語」を聞かされているだけのお茶会。その終わりを告げるかのように、バルコニーのガラス戸をコンコンとノックしながら、いつもの高圧的な侍女がバルコニーに姿を見せる。
……仮にも屋敷の「お嬢様」に対してその物言いはどうなんだろうと思わなくもなかったけれど、それを言ったところで私の言葉は届かない。
それどころか、「呼びに来てあげただけ感謝してほしいものですが?」と反論されるのが目に見えている。この屋敷の使用人たちは、いつだって私をそういう風に扱うのだから。
「分かりました、すぐ行きます」
今までの経験から反論は無駄だと割り切って、そう侍女に声をかけて私とメアリーは席を立つ。
「後は任せますね」
「はい」
メアリーが持ってきたトレイを侍女に渡して、侍女がそれを受け取る。
私とメアリーがバルコニーから出ると、侍女が空になったカップやお皿を片付けていく。それを横目で見ながら、私はメアリーの先導で部屋を出ていつものように食堂へ向かった。
両親が出先から戻って、これから家族揃っての夕食の時間。
それにしても……私を「家族」だと思っていないはずなのに、出かける前の朝食と、帰宅の夕食は必ず一緒にと決められているのは不思議よね。
私が養子で、本当の家族だと思っていないのなら、そんなことをする必要はないはずなのに。
それとも、形だけでも家族仲を演出したいのかしら?
どれだけ考えたって、両親の思惑は分からない。それでも両親が決めたことに私が逆らうことは許されていない。
(……どれだけ考えたって何も変わらないのだから、考えるだけ無駄よね)
そう思考を放棄しながら息を吐いていると、食堂の前で控えていた使用人が、私の姿を見て扉を開ける。
いつも通りの形だけの夕食の時間が始まる。そう思って私は食堂の中に足を踏み入れた。
……なのに、いつも通りだったのはここまでだった。
食堂に入った途端に見えた光景に、私の足は止まった。
「あら、アリシア。来たわね」
「ほ、本当に大丈夫かい?」
いつもなら席に座って私を出迎える両親が、今日は上座側の暖炉の前に集まっている。そこにはミリアとバルトの姿もあった。
何かを取り囲むような配置に私が首を傾げていると、母が私の姿を認めて声を掛けてくれる。父はオロオロと食堂に入った私とミリアを交互に見ていた。
そんな父に呆れたようなミリアと、その取り囲んでいる「何か」を私に見せないようにと立ち位置を変えるバルト。
……本当に、一体何かあったのかしら?
「何かあったのですか?」
いつもとは違う異常事態に、メアリーが私の代わりに母に声を掛ければ、母は溜息をついて淡々と答える。
「メアリーは知っているでしょう。ルーティのことよ」
「ですから旦那様、この者ならお嬢様を見ても狂いません。大丈夫ですから」
「でも、そうは言うけど……」
そう答える母と、慌てている父にミリアが言葉を掛けているのが見えた。初めて聞いた名前に私が首を傾げていると、メアリーが「またですか」と呟くのが聞こえた。
「ルーティ……?」
「一週間前に入った使用人ですよ。また揉めていたのですか」
私の呟きにメアリーが教えてくれる。メアリー曰く「入ったばかりの使用人なのに、屋敷のことにあれこれと口を出しすぎて、あちこちで揉め事を起こしている侍女」だと言いながらメアリーが溜息をついた。
新しい使用人、という言葉を聞いて体が硬くなる。
私を見ておかしくなった人たち、私を拐おうと迫ってきた人たちを思い出すだけで頭が真っ白になる。
心臓がバクバクと早鐘を打つ。バルトが立ち位置を変えたのは、その新人侍女の姿を私から隠すためなのだと分かって多少は落ち着けるけれど、それでもそこに新しい侍女がいるというだけで落ち着かない。
「それでも、本当に大丈夫かい?」
「それが答えだというのでしたら私は構いませんよ。頼まれたから来たのにこのような扱いをされるなら、私は本来の居場所に戻るだけですから」
心配そうな父の声に被さる、聞き慣れない女性の声が耳に届く。
バルトに隠されたその向こうから聞こえた声に、またドクンと心臓が跳ねた気がした。
(え……?)
本当に知らない人が居るんだと思うだけで、恐怖で身が竦む。緊張から体が固くなる。けれどそれとは別に、その声を聞いて安堵から泣きたくなる自分もいることに驚いた。
(どうして……知らない人のはずなのに)
両親とミリアに隠されて、その人の姿は私からは見えない。見知らぬ人を警戒する気持ちと同じくらい、今にも駆け出してその姿を確認したいと思う自分もいる。
どうしてそんな気持ちになるのかは分からない。心がグラグラと揺れて落ち着かない。
「……まぁ、ミリアがそこまで言うなら信じるわ。アリシア、こちらに来なさい」
母の招きに私の体が吸い寄せられるように動く。その人に会える、会って話せるんだと動き出した私の腕を引いて、メアリーが私を引き止める。
「お嬢様に会わせるのは反対です! 何かあったらどうなさるおつもりですか!」
その声にハッと我に返る。動き出した体は止まり、腕を引かれたことでメアリーの後ろに隠されるような体勢になる。メアリーの背後から母を見れば、反論に苛立ったようにメアリーを睨んでいた。
「それを確認するために会わせるのでしょう。主人の決めたことに口を挟まないでちょうだい!」
「私はお嬢様をお守りするのが仕事です! いくら奥様とて、お嬢様の意向を捻じ曲げさせはしません!」
「主の命令に逆らうというのね?」
母の言葉に反発するメアリー。それを冷たく見据えると、母はミリアに視線を向ける。
「ならばメアリーを解雇しましょう。ミリア、手続きをしておいて。雇用主に逆らう使用人など、我が家には要りません。即刻屋敷から出て行ってちょうだい」
「かしこまりました」
「なっ!」
冷たい母の、屋敷の支配者としての顔。母の唐突な宣言をミリアは恭しく受け入れて、メアリーが絶句する。
「確かに雇用主に逆らう使用人は要りませんね。早速解雇の手続きをします」
「これだけ尽くしてきた私を解雇するのですか!」
ミリアの言葉に不満を示すメアリーが母に抗議をしているが、母は逆らう使用人など要りませんと聞き流している。
「それならあちこちで問題を起こしてるルーティはどうなのです!?」
「彼女は主に反抗しているわけではないでしょう。我が家の問題点を指摘してくれているだけですからね。そんなことすら理解していなかったのですか?」
メアリーがそう訴えるが、ミリアは淡々と告げるだけ。そして不満があるなら辞めてちょうだいと突っぱねる母。
これは私にとっても良くないのではないだろうか。決して完璧とは言えなくても、今まで側にいて色々尽くしてくれたメアリーを解雇されては私が困る。
反抗すれば、私も屋敷を追い出されるかもしれない。それでも、私のために色々尽くしてくれたメアリーを見捨てたくなくて、私は咄嗟に口を開いた。
「あの、お母様。メアリーは私を思って言ってくれただけです。ですからいきなり解雇にするのはやめていただけませんか?」
「アリシア……?」
私の言葉に母が口を閉ざす。私が反論するとは思っていなかったのだろうか。母からの返事はなかなか出てこない。
それでももう一度「お願いします!」と頼み込めば、母は軽い溜息と共に「分かりました」と言ってくれた。
「ですが、使用人でありながら主に反論したことは許されることではありません。これ以上話し合いの邪魔をされても迷惑です。なのでメアリーは即刻この場から立ち去るように」
「奥様!」
「メアリー!」
母の決定に不服なのか、メアリーはまた反発する。でも、これ以上母に逆らえば本当に解雇されても仕方がない。私はそんなメアリーの名前を呼んで制止する。
「メアリー……お願い、今は引いて。私、メアリーが居なくなるのは困るの」
「お嬢様……分かりました。でも、そこに居るのは見慣れぬ侍女です。アリシア様を見ておかしくなる人種かもしれませんので、お気をつけて」
私の言葉にメアリーもようやく納得してくれたのか、一言私にそう告げると母を睨みつけるように一瞥して、静かに食堂を後にした。
そんなメアリーの後ろ姿を、母とミリアの冷たい眼差しがじっと見ていた。




