第15話:これからの私
(……私、今、何を言われたの?)
言われた言葉に感情が追いつかない。
昨日も大事な娘だと言ってくれていたし、今朝だって私を招いてくれていたのだから嫌悪はされてないのだとは思っていた。でもまさか、私に見送ってほしいと思われていたとは考えもしなかった。
(家族一緒の時間が食事の時しかない? 私に見送ってほしい? 父も母も、私にそんなことを思っていたの? それに朝はゆっくりしたい? 私はそれを言った覚えはないのだけれど……)
ぐるぐると思考が巡る。告げた覚えのない言葉、考えたことすらないことを言われて、頭の中はぐちゃぐちゃになっている。
両親がいなくなって食堂に一人残されるのはいつもと変わらないのに、気持ちはどこか落ち着かない。
「お食事の手が止まっていますよ、アリシア様」
困惑したまま呆然と扉を見ていたら、苦笑気味なルキアに声を掛けられた。
食事の手が止まっているのは分かっているのだけれど、どうしても言われた言葉が頭から離れない。
「ねえルキア……私、朝はゆっくりしたいと言った覚えがないのだけれど……」
「あら、そうなのですか? それならこれも、メアリーがシエラに告げた虚言のひとつなのでしょうね」
呆然としたまま呟けば、ルキアはあっさりとそう結論づけた。
言われてみればそういうことなのだろう。メアリーが私の意思を捏造して周囲に告げていた。母の言葉を歪めて私に伝えていたのも発覚した。
それならばこれも、メアリーが母に告げた嘘の一つだと判明しただけ。
なのにそれでも騙されていた一つ一つが判明する度に、胸が苦しくなるのは変わらない。
「メアリーは、どうしてこんなことをしてきたのかな……」
「アリシア様……」
そんな思いが口から零れ落ちる。メアリーが嘘をついていた。私を騙していた。それはもう今更覆すことのできない事実なのだと、頭では分かっている。
それなのに、私の心はまだどこかでメアリーを信じていたいと訴えていた。十年以上一緒にいて、私が悲しんでいる時に支えてくれたメアリーの愛情を、私はまだ切り捨てられずにいる。
屋敷から出ることを禁じられ、両親に冷たくされていると思い込んできた十年を支えてくれたのはメアリーだったから。その優しかった時の記憶があるからか、私の心は簡単にメアリーを切り捨ててはくれない。
使用人すら私を見下すこの家で、メアリーだけが唯一の味方だと信じて、今までずっと生きてきたのだから。
でもその悲しみさえ、メアリー自身が生み出したのかもしれないと、頭では理解している。
冷静な頭はメアリーを信じられないと判断しているのに、私の心は、それでもメアリーの裏切りを信じられずにいた。
時雨は頭と心は別物だから、割り切れないなら割り切らなくていいと言ってくれた。でも今の私は、割り切れないからこそ苦しいのに。
「……それを調べるために、今ルーティが動いているのですよ」
「え……?」
悲しくなって俯いていると、ルキアが小声でそう言ってくれた。
言われた言葉の意味が分からなくて、ルキアの顔を見る。それを調べるために、ルーティが動いてる?
「ルーティは主のもとに帰っているのではなかったの?」
不思議に思って聞いてみると、ルキアは笑顔のまま唇に人差し指を当てた。
何かこの場では何か言えないことがあるの……?
「アリシア様も色々と気になることは多いでしょう。ですが、それらはルーティも把握しています。ですからアリシア様は、ルーティが戻るのを待てばいいのですよ。きっと聞きたいことの答えを持って戻ってきますから」
ルキアが小声で伝えてくれた内容で気持ちが浮上する。昨日色々暴いてくれたルーティなら、本当に私の知りたいことを教えてくれるだろうと思えたから。
けれど、とも思う。どうしてルキアはそれを知っているの? ルーティとルキアの子供の間に繋がりがあるのは聞いていたけれど、ルキアは母の縁で我が家に来たのだから、ルーティの事情は知らないのでは?
「ルーティが何をしているのか、ルキアは知ってるの?」
「ええ。私もネルも、ルーティとともに屋敷に来ましたから」
そう思って聞いてみても、ルキアからの答えは想定外のものだった。
二人はルーティとともに来たという。ルキアは母に頼まれて屋敷に来たのではなかったの?
また分からないことが増えた。
母の縁で我が家に来たのに、ルーティと一緒に我が家に来たというルキア。そこにどんな繋がりがあって、そんなことになったのだろう。
そんな私を見て、ルキアがくすりと笑った。
「なのでアリシア様の知りたいことの件はルーティに任せて、まずは朝食を終えましょうか。お話はお部屋に戻ってからゆっくりとしましょうね」
「あ……」
ルキアがそう言いながら周囲に視線を向ける。その視線につられて私も視線を動かせば、どこか不機嫌そうな使用人の姿が視界に入った。
私がいると片付けられないのだから、さっさと食堂から出ていけと言いたそうなその眼差しを見て、食堂に私の居場所はないのだということを思い出した。
「……そうね。それなら部屋に戻ったら、また話を聞かせてくれる?」
「かしこまりました」
話は部屋に戻ってから。それを確認すれば、ルキアは恭しく頭を下げた。話をするのを断られたのではない、話す場所が駄目なのだと理解して、私は目の前の食事に意識を戻した。
手にしていたカトラリーを動かして食事を再開する。ちらりとテーブルに残された食器が視界に入る。両親が出ていくまでに私が食べられたのは、二つあるパンの一つと、サラダとスープが半分だけ。メインのベーコンの厚切りは、まだその原型の多くを留めている。
同じ時間を使って父は完食し、母もメインのベーコンが半分近く残っているとはいえ、それ以外はほとんど食べ終わっていた。
「あら、もしかして私……食べるの遅い?」
「あの二人が早すぎるだけで、アリシア様は普通だと思いますよ」
ベーコンを食べながら恐る恐る聞いてみれば、私の食事のペースは普通らしい。両親の速さのほうがおかしいのだと知って、少しだけホッとした。
そこからも黙々と一人で食事を続けるけれど、両親がいた時とは違ってどうにも味気ない。
(一人食堂に取り残されて、食事をするのは慣れていたはずなのに。こんな気持ちになるのは、両親に出迎えられて食事をしていた時の、あの温かい気持ちを知ってしまったから?)
昨日時雨と話した時と同じ。
時雨に言われるまで、私は辛いと感じていなかった。なのに、時雨に言われて初めて私は辛かったのだと認識した。
だからきっと、今「寂しい」と思うのも同じなのかな。
(……これを変えたいと思ったら、怒られるかしら……)
自分の気持ちを自覚できても、それを告げるのはなかなかに勇気がいる。
それでも伝えなければ、変えられるものも変わらないのだと、昨日から何度も時雨やルーティに教えられたはず。
(だから、怒られてもいいから……一度は伝えてみよう)
カトラリーを握りしめながら、私はそっと背後に立つルキアに視線を向けた。
「ねえルキア」
「どうされました?」
私が声を掛ければ、ルキアは嫌な顔一つせず応じてくれる。
それにホッとしながら私は続けて口を開いた。
「私ね、朝はゆっくりしたいなんて言った覚えがないの」
「それは先程もお聞きしましたよ?」
私が先程告げた言葉をもう一度告げると、ルキアは首を傾げながら私の言葉を待ってくれる。
「だからね、えっと……明日から、もう少し早く起こしてくれない? 一人で食事するの、味気なくて……」
辿々しくなりながらも私がそう告げれば、言葉の真意がルキアにも伝わったらしく、ルキアは優しく微笑んでくれる。
「構いませんよ。きっとシエラたちも喜ぶでしょうね」
「喜んでくれるかな?」
ルキアの言葉に私が首を傾げると、ルキアは楽しげに笑った。
「あら、アリシア様は朝のカーネルのはしゃぎっぷりをお忘れですか? きっとあのテンションで出迎えてくれますよ」
そう言われて思い出すのは、私が食堂に入った瞬間の父。
嬉しそうに笑いながらわざわざ席を立って、いそいそと私の席を引いて出迎えてくれた姿を思い出して、自然と私の口元も上がっていく。
「そうね、喜んでくれたらいいな」
「それなら明日からは早く起こしますね」
「ありがとう」
そんな会話をしながら、私はほっと息を吐く。
怒られなかった。ちゃんと話を聞いてもらえた。そのことに嬉しくなりながら、私は食事に戻った。




