第16話:食事のマナーと悪意ある使用人たち
カトラリーを手にして食事に戻る。けれど、私が手を進める間ずっと、部屋の隅で控えている使用人たちの冷たい視線が私に向けられているのを感じていた。
早く出ていけと言わんばかりの居心地の悪い空気。いつもならメアリーに促されて食事を途中でも終わらせてしまうのだけど、ルキアは何も言わない。
(食事一つゆっくり食べることすら許されない……こんな状態なのに、私は本当にこの家のお嬢様だと言うの……?)
食堂に来るまでの時間で、私はこの家のお嬢様だから使用人に謝る必要すらないとルキアは言ってくれた。
けれど使用人の態度を見ていると、どうしてもそうとは思えない。私を見下すのが当たり前で、今だってこうして「早く出ていけ」という圧を私に掛けてくるのだから。
私が本当のお嬢様だというのならどうして……。
そこまで考えて息を吐く。
浮かんできた思考を追い出そうと頭を振れば、思考は一瞬にして霧散する。
(やめましょう。どれだけ考えても、あの人たちに何かを伝えたとしても、あの人たちの態度は変わらないのだから。今までも変わらなかったし、これからも変えるつもりなんて無い人たちなのだから)
一度だけ息を吐いて、食事に意識を戻す。
これ以上、態度を改めるつもりのない使用人のことを考えても仕方がないもの。私のするべきことは、目の前の朝食を終わらせること。
そう思いながら、周囲の視線をなるべく気にしないように意識しながら、いつものようにカトラリーを動かして食事を進めていく。
(そういえば……二人の食事のペースは、本当に早かったわね……)
料理を口に運びながら頭に浮かんでくるのは、あっという間に朝食を食べ終えた父の姿。同様に母の手の動きも早かったのを思い出す。
あの速さで食べられたのなら、私もこんな居心地の悪い空間から出ていけるかしら。
そう思って、意図的にカトラリーを二人のように素早く動かしてみる。素早く料理をナイフで切って、急いで口に運んでみた。
……でも、真似できたのはそこまでだった。
素早く料理を口に運ぶことは出来た。けれど、口に入れたものまでが素早くなくなるわけではない。
何度か試してみても、食事のペースは変わらない。早く動くのは手だけで、その後飲み込むまでの時間はいつもと変わらなかった。
(お父様たち、よくあの速さで食べられるわね……)
口を動かしながらそんなことを考える。どれだけ試してみても、やはり飲み込むまでに時間がかかるのは変わらない。
私が何度真似しようと思っても出来ないそれを、簡単にやってみせたお父様たちを凄いと思うのと同時に、私には出来そうにないという気持ちが湧き上がってくる。
「私……やっぱりあの速さで食べるなんて無理かも……」
「アリシア様……。食事のペースを早くする必要はありませんよ。そもそも貴族マナーとしては、食事はゆっくりと食べるものです。外で食べる機会がある時に、あの二人の速さを真似してはいけませんよ」
私の呟きを聞き取ったルキアが、苦笑しながら貴族マナーを教えてくれた。
父たちの食事の速さはマナー違反だというルキア。それならば、これ以上やっても仕方ないわね。
口の中が空く度に何度目か挑戦してみたけれど、結局早く動いたのはカトラリーを持つ手だけで、食事の速さは変えられなかったのだから。
二人の速度を凄いなと思いながらも、あれは真似してはいけないもの。食事に関するマナーを一つ手に入れて、私は食事を終わらせた。
食事が終われば、ルキアが食後のお茶を淹れてくれる。
いつもなら食事が途中でも早く部屋に帰れと追い出されるように出ていくのに、今日は食事が終わっても食堂にいる。
それがどこか不思議な気持ちになった。
「ねえ……部屋に戻らなくていいの……?」
「アリシア様の部屋は今、お掃除中ですからね。早くに戻ってしまうと、掃除の使用人を急かすことになりますよ? それ以前に、アリシア様はこの家のお嬢様です。使用人のことなど気にする必要はありません」
私には優しく笑い掛けてくれるのに、周囲の使用人を見るルキアの眼差しは何処か冷たい。ルキアも私が使用人から圧を掛けられていたことに気付いてくれていたのかな?
でも、ルキアが告げたもう一つの理由の意味が、私にはよく分からなかった。
(部屋の掃除中だから部屋に戻ってはいけないって、どういうこと?)
掃除の使用人が、私の食事中に部屋を掃除しているのは知っていた。
それでもいつも部屋に戻る頃には掃除は終えられている。私が部屋に戻る頃には、いつもベッドメイクも終わって、部屋に誰もいない状態が保たれていたのに。
(……部屋の掃除が理由なら、もう部屋に戻ってもいいのではないの?)
食堂でゆっくりしているのがどうにも落ち着かない。
使用人たちが何かを言い出す前に部屋に帰りたかったけれど、それでもルキアがそう言うのならばと、私は淹れてもらったお茶に口をつけた。
「……ったく、いつまで居座ってんだよ」
お茶を飲む私の耳に使用人のそんな声が聞こえてきて、肩がビクリと跳ねる。
「本当よね。さっさと出てってくれないと、片付けが進まないじゃない」
別のところからもひそひそと囁かれる声が私の耳に届く。私が食堂にいることが不満な、使用人たちの声。
ああ、やっぱり私は食堂にいてはいけなかったのね。
それが悲しくて、ぐっと唇を噛む。いくらルキアが使用人のことを気にしなくていいと言っても、結局はこうなるのね。
やっぱりもっと早くに食堂を出ればよかったという後悔が、私の胸を包んでいく。
「黙りなさい!」
俯いて泣きそうになっていると、使用人たちを叱責するルキアの声が突如食堂に響いた。
途端にシン……と静まる食堂。ぶつぶつと文句を言う使用人たちを、ルキアは苛立った眼差しで睨みつける。
「貴方がたはこの屋敷のお嬢様であるアリシア様に、そのような文句が言えるほど立派な存在なのですね」
「え……いや、あの……」
ルキアの叱責に、一部の使用人は気まずそうに視線をそらすけれど、大半の使用人は不満そうな顔を隠そうともしない。
それどころか、ルキアに怒鳴られてなお不愉快そうな顔を浮かべる人たち。
そんな使用人たちの態度を見て、ルキアが深く息を吐いた。
「もう結構です。反省の色すら浮かべない貴方がたには、給仕の資格がないとシエラには伝えておきます。明日以降も同じ仕事にありつけると思わないことですね」
その言葉を聞いて、一部の使用人が肩を震わせるのが見えた。
けれどもそれは一部の使用人だけ。大半の使用人は不満そうな顔を隠さずにルキアを睨みつけていた。その眼差しから、やっぱり何を言われても反省なんかしない人たちなのだという……私の考えは間違ってなかったのだと実感した。
「アリシア様」
どこかぼうっとする頭で、反省する気のない使用人たちを眺めていたら、使用人から視線を外したルキアに声を掛けられた。
「アリシア様。騒がせて申し訳ありません。これ以上ここにいても気分が悪くなるだけでしょう。お茶を飲み終わったなら、お部屋に戻りませんか?」
「……そうね、そうしようかしら」
ルキアの淹れてくれた食後のお茶は、既に空になっていた。
それに、こんな場所でいつまでもゆっくり出来る気がしない。ここまで言われた以上、この場にいるのはもう嫌だった。
「では行きましょうか」
ルキアに椅子を引かれ私が立ち上がると、部屋の隅に控えていた給仕の使用人たちも動き出す。
私が背を向けた途端に背後から舌打ちが聞こえた。
「……ったく、新参の侍女がうるせえな」
「本当にな。こっちの事情も考慮しろってんだ」
「本当にね。いつまでも居座られたら片付けが終わらないじゃないの」
あれだけ怒鳴られてもまだ文句を言い続ける使用人たち。
振り返ってみれば、どこまでも忌々しそうに私たちを見ている視線とかち合った。
私を見ながら馬鹿にしたように笑う使用人たち。
(……ねえ、貴方たちはどうしてそこまで、私を嫌うの……?)
「アリシア様」
「……今行くわ」
それを声に出す前にルキアに声を掛けられる。
声に出せない疑問を抱えたまま、私はルキアの先導で食堂を後にした。




