第12話:専属が増えない理由
給仕の侍女が食器を机の上に置いていく音だけが響く食堂。その手つきを見ながら、父も母も一言も発しない。
二人に聞きたいことはある。でも、この沈黙の中で声を掛けるのは、すごく緊張する。
「そういえばシエラに聞きたいことがあるのだけれど、今いいかしら」
「構わないわ。何かあった?」
私がどう話しかけようかと緊張していたら、ルキアが母に声を掛けるのが聞こえた。
それに応じる母も、特に気にした素振りは見えない。どこまでも自然体な姿に、メアリーから聞かされていた「話し掛けられたら迷惑だ」というのが嘘だったのだと、改めて実感する。
「先程アリシア様から、シエラが専属侍女を増やしたくないという話を聞いたのだけれど。本当にそんなことを言っていたの?」
「そんなことを言った覚えはないのだけれど……またなのね」
ルキアの告げた言葉に母が息を吐いた。
また。母がそう言いたくなるのも分かる。昨日からずっと、どれだけメアリーが言葉を偽ってきたのかと思うくらい、言った覚えのない言葉がたくさん出てきている。
母が言った覚えがないというのなら、私が言ったとされた言葉同様に、これもまたメアリーが作り出した偽りの話なのだろう。
「アリシア、これもまたメアリーから聞いた話の一つ?」
「はい」
呆れたような母の言葉に私が頷いた時、背後にいたメアリーから鋭い気配が飛んできた。
これがもし二人きりの時だったのならば、昨日のお風呂場の時みたいに、また腕を掴み上げて「余計なことを言うな」と力で言いくるめてきたのだろう。
でも、今日はルキアもネルもいる。何より、私はもうメアリーの言いなりになりたくなかった。
「そう……」
私の返事を聞いた母が呟いた。その視線がメアリーに向けられる。その瞬間、痛いほどの気配がふっと消える。
何かあったのかと後ろに視線を向けてみると、私とメアリーの間にネルが立っていた。
廊下で歩いていた時と同じように、またネルがメアリーから私を守ってくれていた。ルーティがいなくても、私を守ってくれる人がいる。その事実に、張り詰めていた肩の力が抜けていく。
(それにしても……これだけの嘘が判明しても、メアリーは反省も謝罪もしないのね)
ネルを挟んだ状態でメアリーの様子を窺ってみるけれど、メアリーの意識は割り込んできたネルに向けられている。こちらから見えるその表情に、反省の色は全く見られない。
母の前だというのに不機嫌さを隠さないメアリー。私を睨んだことも、謀りをもって私と両親の仲を裂いてきたことも、悪いことだとは微塵も思っていなさそうな表情だった。
そんなメアリーを見て、母も呆れたような息を吐く。
「アリシア」
「はい」
母に呼ばれ、私の意識は背後のメアリーから正面にいる母に向けられた。
真っ直ぐに私を見る母の真剣な目に、思わず背筋が伸びる。
「私はそんなことを言った覚えはありません。本来、専属侍女は数人単位で回していくのが基本です。だから過去にも何度か新しい専属候補を集めてはいたのだけれど、全員【メアリーと合わない】と言って辞めてしまったのです」
母の説明に、「やっぱり」という気持ちが湧き上がってきた。
メアリーは私の専属が増えない理由として、「私を見ておかしくなる人がいるから」だと言い続けてきた。
けれども昨日から専属になったルーティも、今朝から専属になったネルとルキアも、私を見ておかしくなっていない。どちらかと言えば、人が増えたことでメアリーの方がおかしくなっているように思える。
(それに……)
その話を聞いて思い出すのは昨日のルーティの言葉。ルーティは昨日、メアリーが専属侍女を辞めさせているという話もしていた。
母がこの場でそう言うのならば、きっとルーティの言葉のほうが真相に近かったのだろう。
「それではお母様は、私の専属侍女を増やしてもいいと思ってくれていたのですか?」
「ええ。ルーティたちは、そのために呼んだのですから」
私が確認も兼ねて聞いた問いにも、母はあっさりと肯定する。
ルーティたちを屋敷に招いたのは、私の専属を増やすため。その事実を母はあっさりと認めた。
(本当、今までメアリーに言われ続けてきたのは何だったのかしらね……)
今までずっと言われ続けてきたメアリーの言葉の数々が、次々に脳裏をよぎる。
私から両親に話しかけるのは迷惑。専属が増えないのはおかしくなる人がいるから。
そんなふうに今までメアリーに言われ続けてきた言葉を、母はごく自然な態度のまま否定してくれた。それ自体はすごく嬉しい。
けれど、言葉にして直接聞いてしまえばこんな簡単に崩れてしまうような嘘に、私はずっと騙されていた。
その事実がとても苦しい。ルキアもネルも、これから知らないことを知っていけばいいと言ってくれたけれど、それでもメアリーに奪われ続けてきた時間を思えば、気持ちはそんな簡単に切り替えられない。
――割り切れないなら、それでいいんだよ。
ぐるぐると思考が回り始めた時に思い浮かぶのは、時雨の言葉。
朝起きてから食堂に来るまでの間にも、ずっと私を支えてくれる大事な言葉。
迷っていい。信じられないのなら信じなくていい。割り切れないなら、それでもいい。
(そうね。割り切れないのは仕方がないわよね)
騙されていたことは変えられない。それでもこれから先のことはまだ変えられる。
聞きたいことは聞いていいと言ってもらえた。私は私の見聞きしたことで世界を作ると決めたじゃない。何かある度に落ち込んで、新しく知れた事実まで疑って、これからの時間まで奪われるのは嫌だから。
私は俯きそうになっていた顔を上げて、そのまま母に向き合った。
「今まで専属がメアリーしかいなかったのに、どうして今になってルキアとネルを私の専属にしてくれたのですか?」
「ルーティからの報告で、メアリーは年下の侍女に辛く当たる傾向があったと聞いたからです。その裏取りも終わり、それが事実だったと認識もしています。なのでメアリーより年上で、私の知己でもあるルキアを貴女の専属侍女に配置しました。ネルを貴女の側に置いたのは、常時傍にいる侍女に年の近い者がいたほうがいいという助言が、ルーティからあったからです」
静かに問い掛けた私に、母は優しく答えをくれた。言い方は淡々としていたけれど、質問したことを怒っているようには感じられなかった。
そこにある事実をそのまま述べているだけ。昨日と今日のやりとりを見ているだけでも、母は意外と感情を抑えて話す人なのだなということがよく分かる。
(……母は何も言ってくれない冷たい人だと思っていたけれど、これもまた、メアリーに埋め込まれた先入観の一つだったのね)
「メアリーの話した内容は、どれもこれも嘘ばかりみたいですね。廊下で話すなという虚偽のマナーのことも含めて、メアリーはどれだけアリシア様に嘘を吹き込んできたのかしら」
そんなふうに母のことを思っていたら、不意にそれまで黙って私たちの会話を聞いていたルキアがそう呟いたのが聞こえた。
でも、ルキアが言いたいことも分かる。昨日からどれだけの嘘が明らかになっているのか、騙されていた私ですらもう分からないほどの数になっている。
「……ルキア。その話、詳しく聞かせてもらってもいいかしら?」
けれど、判明し続けるメアリーの嘘に呆れ始めている私とは違って、母はどこかピリリとした空気を纏っていた。
私は昨日からずっとメアリーの嘘を認識していたけれど、母はメアリーがどれだけの嘘で私を縛っていたのか、偽りのマナーを与えられていたという話は知らなかったらしい。
「そうね……これはシエラが知らないことのほうが問題だもの。話すのは構わないわ」
「奥様」
ルキアが話し始めたのを聞いて、バルトが割り込むように声を掛ける。
話を止められた母が目を細めながらバルトに視線を向ける。母がバルトに向ける眼差しは、昨日の夕食時にバルトがメアリーを庇った時と酷似していた。
母は今日もまだバルトを警戒している。それがよく分かる眼差しだった。
「……何かしら?」
「奥様、料理は既に出揃っております。お時間も迫っておりますし、お話は後でも宜しいのではありませんか?」
それでも母の声は落ち着いていた。バルトに意識を向ける母に、バルトも淡々と言葉を返す。
確かに料理は全て出揃っていて、給仕の使用人たちは既に退室していた。父もいつ食事を始めたらいいのかとおろおろしている。
「奥様、確かに時間が差し迫っているようです。お話は夕方でも問題ないでしょう」
「そう……」
懐中時計を出したミリアが母に告げることで、母は一度引くことにしたらしい。
前かがみになっていた姿勢を戻し、真っ直ぐにルキアに視線を向ける。
「ルキア。後で報告を聞きます。話そうとした内容を、夜までに纏めておいて」
「かしこまりました」
母の言葉を受けて、ルキアが静かに頷いた。話に一区切りがついたのを見て、父がほっと息を吐いたのが分かった。
「それはそうと食事にしようか」
どこかぴりぴりとした空気を入れ替えるためか、父がいつもよりも明るい声でそう告げる。
カトラリーに手を伸ばす両親。それに倣って、私もカトラリーに手を伸ばそうとした時に、嫌な気配を感じた。
何かと思って気配の先に視線を向けると、その先には、忌々しそうにルキアを見るバルトがいた。




