第11話:新しい朝
食堂前に控えていた使用人たちが、私たちの姿を見て扉を開ける。
「ふふ、髪型を変えたアリシア様のことを、シエラたちはなんと言ってくれるでしょうね」
どこか楽しげに告げられたルキアの言葉に、忘れていた緊張が蘇る。
そうだった、今日はいつもと違ってネルに髪型を変えてもらったのだった。
髪型が崩れないように気を付けながら、そっと髪に触れてみる。指先に編み込まれた髪の感触が伝わった。
(メアリーは何も言ってくれなかったけれど、お母様たちは何か言ってくれるかな?)
ドキドキと胸が高鳴る。どんな反応をされるだろう。可愛いと言ってくれるかな?
そんな期待に胸が膨らんだ。
「何を言ってるんですか。いつもの時間から大幅に遅刻ですよ。全く、髪型ごときに時間を掛けて皆様をお待たせするなんて、お嬢様はどれだけ周囲に迷惑を掛ければ気が済むのですか」
けれど、気持ちが浮き上がるのと同時に、メアリーの言葉によって私の心は萎縮していく。
確かにいつもの時間から見ればかなり遅くなった。髪型を変えてもらって時間がかかったこともそうだけど、ネルと廊下でのんびりと話していたのもあって、いつもの時間で考えるならばそろそろ両親が出かける時間に迫っているのは事実。
「待たせたこと、二人は怒らないかしら……」
「大丈夫ですよ、奥様たちはそんなことを気にするような方たちではありませんから」
私の気持ちが沈んだのを見て、ネルが優しく声を掛けてくれた。
「シエラたちも時間がないと分かっているのなら、先に食べるなり対策くらいするでしょう。アリシア様が気に病むことではありませんよ」
ネルに続いて、ルキアも励ましてくれる。時間がないなら先に食べていればいいだけで、私が気にすることではないのだとルキアは言ってくれた。
その言葉に、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
そうよね、時間がないのなら先に食べるなりして対策してくれてるはずだもの。私が待っていてくださいと言ったわけでもないし、本当に遅かったのなら叱責されるなり、何かしら言われるでしょうから、その時に改めて両親に謝罪すればいいだけだもの。
「そもそもお二人とも、社交界では一人娘のアリシア様を溺愛してることで有名ですから。こんなことで怒ったりしないんじゃないですか」
「……溺愛?」
楽しそうに言うネルに、思わず聞き返してしまう。
家では全くといっていいほど会話もないのに、外ではそんなふうに言われているの?
「二人がどう思うかは直接聞けば分かりますよ。それでは行きましょうか」
笑いながらルキアがそっと背中を押してくれる。
それもそうね。二人がどう思っているかは、会えば分かることだもの。私の見たもの聞いたもので判断すると決めたのだから、メアリーの言葉に振り回されるのではなく、直接会って聞けばいい。
そんな決意を胸に、食堂に足を踏み入れた。
「おはようございます」
挨拶をしながら食堂に入れば、長いテーブルの向こう側のいつもの席に座る両親の姿があった。
「おはよう」
「おはようアリシア! アリシアの席はここだよ!」
私の姿を見て優しく微笑んで出迎えてくれる母と、わざわざ座っていた席から腰を上げて、隣の椅子を引いて私の席をアピールしてくれる父。
「アリシア、カーネルが待ちきれないみたいだから、早くこちらにいらっしゃい」
「は、はい」
遠くの席から母が私を呼んでくれる。父も椅子を引いたまま私の到着を待ってくれていた。
本当に隣に座ってもいい。それが分かるだけでも嬉しく思うのに。
なのに、一歩を踏み出そうとしたところで、私の足は止まった。
「アリシア様?」
両親のもとに向かわない私を見て、ルキアが不思議そうに声を掛ける。でも、その声にどう答えていいのかが分からない。
二人の態度から拒絶されていないのは分かる。けれども「両親に近付いてはいけない」と言われ続けてきた記憶が、私の足を止めさせる。
近付いたところで拒絶されることはない。むしろこの場において、呼んでくれているのは両親の方。
それなのに、私の身体は前へ進むことを恐れていた。
「奥様、少し離れますね」
「ええ」
どうしようかと焦っていたら、遠くからそんな会話を交わすミリアと母の声が耳に届いた。
母から離れたミリアがこちらへと歩いてきて、足がすくむ私の手をそっと取った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。お一人で歩きにくければ、こうして手を引いて差し上げますから」
そう言ってミリアは、優しく私の手を引いてくれる。
ミリアに手を引かれて、私の足もゆっくりと前に進み出す。
途中でいつもの席が視界に入ったけれど、そこに置いてあるはずの、私用のカトラリーはない。父の招いてくれている席に、カトラリーの準備された席があった。
今日は最初から、私の席は父の隣に用意されていた。
「……ありがとう」
ぽつりと、そんな言葉が口から漏れた。
それが何に対する礼なのか、自分でもよく分からなかったけれど、言葉が聞こえたらしいミリアはふわりと笑って、「どういたしまして」と言ってくれた。
ミリアに手を引かれ、父の隣の席に案内される。
テーブルの端に座る父と、その左側に座る母。私の席は母の向かいの席になる。
「さあ、座って」
「ありがとうございます、お父様」
父の引いてくれた椅子に腰を掛ければ、役目を終えたと満足そうな父も自席に戻っていく。
「あら、今日は髪型を変えてみたの? 似合っているわよ」
「本当だ。アリシアはどんな姿でも可愛いけど、そういう髪型も可愛いねえ」
席に座った私を見て母が褒めてくれる。自席に腰掛けた父も大げさなほど嬉しそうに褒めてくれた。
私が何も言わなくても、いつもと違う私に気付いて褒めてくれる。
それを聞いて、頬が少し熱くなる。メアリーとは違う、素直な称賛がとても嬉しかった。
「髪型はネルがしてくれたのです」
「そう、アリシアを可愛くしてくれてありがとう」
私がネルを見ながらそう告げれば、母もどこか嬉しそうにネルに声を掛ける。
両親を待たせて迷惑を掛ける。そのせいで怒られたりするかとも思ったけれど、そんなことはなかった。
メアリーの言っていたことは、やっぱり嘘だったみたい。
「新しい侍女を入れてくれてありがとうございます」
「やっとメアリーを気にしない侍女が入ってくれて、私もほっとしているわ。来てくれてありがとう、ルキア」
「他でもない、シエラからの頼みですから」
私がお礼を言うと、母の視線はルキアに向けられる。気軽に名前で呼び合う関係。穏やかな空気を感じて、本当にルキアは母の縁で来てくれたのだなと実感する。
家族全員が食卓に座れば、給仕の侍女が朝食を運んできてくれる。
私の席がいつもと違うことに驚いている侍女もいたけれど、両親の隣に座れることは私にとっても驚きだったので、その気持ちは分からなくもない。
料理が並べられる間、家族の間に言葉がないのもいつもと同じ。
それでも家族の近くで朝食を取れるというだけで、いつもと違うのだなと実感できた。




