第6話:壊れていくもの
「ふふ。可愛くなりましたね。それでは食堂に向かいましょうか。可愛くなったアリシア様を、シエラたちに見せてあげましょう」
「は、はい」
ルキアの言葉に、緊張が身を包む。
これから食堂に行って母たちに見てもらう。両親は少し変わった私を見て、どんな反応をするのかとドキドキした。
(お母様たち、可愛いって思ってくれたらいいな)
少しだけふわふわした気持ちで、食堂に向かおうと立ち上がる。
けれど浮ついた気持ちは、ルキアが部屋の扉を開けるのと同時に霧散してしまった。
「遅かったですね。やっと支度が終わったんですか。私がやればこんなに時間は掛からなかったというのに」
私が部屋から出るのと同時に、呆れたような声が耳に届いた。
声に驚いて視線を向けた先。先程当たり散らしながら部屋を出ていったことなど気にも留めていないように、廊下の壁に背を預けて、何を思うでもない顔でメアリーがそこにいた。
「メアリー……」
私に向けられる声は先程と同じだった。メアリーに従わない、庇わない私を責めるような、見下しているような、そんな声。
部屋を出ていく時に見せた不機嫌そうな顔は、無表情の下に隠されている。
けれどその仕草は、先程の振る舞いを反省しているようには見えない。
(……あれだけ不機嫌さを撒き散らして、周囲に当たり散らしておいて、戻った第一声がそれなの?)
せっかくネルに可愛くしてもらったのに、気持ちが沈んでいく。私が可愛くなったことなんて、メアリーにとってはどうでもいいみたい。
メアリーの視線は私の髪を一瞬かすめただけで、すぐに逸らされていった。そこには何の感情も浮かんではいない。
(髪型に時間をかけて可愛くしてもらったことすら、メアリーにとっては朝食が遅くなった理由でしかないの?)
メアリーに褒めてほしかったわけじゃない。先程のことを反省してほしかったわけでもない。
それでも、何事もなかったかのように振る舞われるのは、心が痛む。
昨日の昼食の時もそうだった。メアリーは、私が嬉しいと思うものにほど酷く苛立ちを見せる。
(メアリーにとって、私が「嬉しい」と思うことは、そんなに許せないことなの?)
メアリーの態度に、言葉に、どんどん気持ちが沈んでいく。
私が悪いみたいな態度を取られれば傷付くのに、メアリーはどうしてそんな態度ばかり取るのかが分からない。
「まぁいいでしょう。それじゃあお嬢様、さっさと食堂に向かいましょうか」
呆れたように息を吐きながら、メアリーは当たり前のように歩き出す。
そこにいるルキアやネルを置いて、自分がそうするのが当然と言わんばかりの態度で、どこまでも自分勝手に進めようとするメアリー。
そんなメアリーに、もうついて行きたくないと心が訴える。それでも食堂で待つ両親のもとに向かうためには、ついて行くしか道はない。どれだけ気乗りしなくても、ついていくという選択肢以外がなかった。
「待ちなさい、メアリー!」
泣きたい気持ちで足を踏み出そうとした時に、ルキアの制止する声が静かな廊下に響いた。
「先程はあのような不遜な態度で出ていきながら、反省の色が見えませんね。先にアリシア様を不快にさせたことを謝罪するべきでしょう!」
ルキアの言葉に、メアリーはまた苛立ったように舌打ちする。
ルキアは腰に手を当ててメアリーを睨みつけていた。ネルも何も言わずに控えている。
誰も何も言わない。そんな状況下で、私はどうしたらいいのか分からないまま、その場に立ち尽くしていた。
でも、どれだけ待っても、メアリーの口から謝罪の言葉は出てこない。ルキアから視線を逸らして、むすっとふてくされたまま黙り込んでいる。
ルキアが再度促しても、その態度は変わらない。
自分は悪くない。謝るのは言うことを聞かない私だと、私を睨みつけるメアリーの目がそう語っていた。
「……これ以上は時間の無駄ですね。アリシア様、参りましょう」
謝罪もしない、反省の色もない。そんなメアリーを見て、ルキアが吐き捨てるようにそう言った。
そのままメアリーを無視して、ルキアが先導として歩き出す。それに続いて歩き出した私の背後にはネルと、そして、当然のようにメアリーが控えた。
背中に感じる二人の気配。ネルの気配は穏やかだけど、もう片方……メアリーの気配は刺すように冷たい。
これだけルキアに言われて、それでも反省もしないまま当たり前のようについてくる。
ここまで自分を曲げずに意志を貫こうとする姿勢を、私は別の意味で尊敬できそうな気がした。
そのまま廊下を黙って歩く。
いつもと変わらないはずなのに、前にメアリーがいないだけで、景色がずいぶんと違って見えた。
(それにしても……すごい話を聞いた気がするわね)
ちらりと前を歩くルキアを見る。静かに、けれど迷いのない足取りで歩くルキア。
愛人の子として生まれながら、今を幸せに暮らしてると言っていた。その顔を見れば、本当に今が幸せなのだとわかる。
誰かからそういう話を聞けたのはこれが初めてだったけれど、それならネルはどうなのだろう。昨日は聞けなかったけれど、ルーティにもそういった話があるのだろうか。
聞いてみたいという気持ちが、じわじわと湧き上がってくる。
「ねえ、ネル」
「お嬢様」
聞いてみたくなって、背後を歩くネルに声を掛けてみる。すると即座にメアリーの制止するような声が、背後から飛んできた。
「あ……」
その声を聞いて、びくりと瞬間的に身体が萎縮した。
メアリーに言い含められていた言葉を思い出す。廊下はお喋りをする場所ではないのだから、静かに歩かなければいけない。
何度も言われ続けてきたそれを思い出して、私が小さく「ごめんなさい」と呟いた時、ルキアがぴたりと足を止めた。
「メアリー。今の声掛けはどういう意図で行われたのですか?」
振り返って、メアリーを睨みつけながら問い掛けるルキア。朝から続く本日何度目かの、メアリーへの叱責。
それでもメアリーは答えない。舌打ちしてルキアから視線を逸らすだけ。
横目で私を見るメアリーの目が、また余計なことをしてと責めていた。
「ごめんなさいルキア。廊下は黙ったまま、静かに歩かなきゃいけないのでしょう?」
「それもメアリーから言われてきた偽情報ですか」
反射的に私がそう答えると、ルキアが呆れたように呟いた。
(これも、偽情報……?)
言葉の意味が分からず私が不思議そうにしていると、ルキアは静かに息を吐く。
「いいですかアリシア様。それは使用人のマナーです。貴族令嬢にとってのマナーではありません」
ルキアは私の目を見て、真っ直ぐに伝えてくれる。それでも私の頭に言われた言葉がなかなか入ってこない。
(使用人のマナーであって、貴族令嬢のマナーではない?)
どういうことなのか、よく分からなかった。
だってこれは、メアリーが幼い頃から「マナー」だからと言って教え込んできたことの一つなのに。それすらも違うと言われて、私の頭は混乱していく。
足元がぐらぐらしているようで落ち着かない。
昨日もルーティが色々と日常を壊してくれた。けれど今日も今日でまた、私の中の「当たり前」が壊されている気がした。




