第5話:ルキアと母の事情
「他にご質問は?」
なんと言っていいか分からなくて戸惑っていると、それを見透かしたように、ルキアがそう言いながら小さく笑った。
その優しい眼差しを見て、今の話は本当に聞いてはいけない話ではなかったのだと安堵する。
(でも……)
そう言われても、私はなかなか口を開けない。
メアリーが今まで答えてくれなかった反動もあって、聞きたいこと、知りたいことは沢山ある。
でも、質問してもいいと突然言われても、何をどう聞けばいいのかがすぐに出てこない。
昨日の昼食、今日の髪型に続いて、また自分の意見が言えなくなっていることを思い知る。
それでも聞いてみたい。それに今は、答えを知らないものを聞かれているのではない。
聞きたいことがあるなら、聞いていいと言われているだけ。
(でも、今この場でルキアに聞きたいことって、何か……あ!)
そこでルキアと母が友人だったということを思い出す。
その真偽を母に直接聞く勇気はまだない。それでもルキアになら話を聞けるかもしれない。
「それなら母とルキアの話を聞いてもいい?」
「私とシエラの話ですか?」
私の問い掛けに、ルキアは少し驚いたような声をあげる。でも、それだけ。
メアリーのように嫌そうな顔もしない。「余計なことを聞くな」と、頭ごなしに否定されることもない。
それが嬉しくて、私は言葉を続けた。
「ええ。ルキアのこととか、母とどうやって出会ったのかとか、色々聞いてみたいわ」
「お話しするのは構いませんが、どれがいいですかね」
そう呟いて、考え込むルキア。どれを話すか悩むほど、母との思い出はあるらしい。
その様子を見て、改めて思った。
昨日のルーティやミリアにお母様、先程のネル、そして、今のルキア。
皆、当たり前のようにちゃんと私の話を聞いて、質問に答えてくれる。
今までメアリーの言葉を鵜呑みにして、誰とも話せないままここまで来てしまったけれど、本当にメアリーだけが私の言葉を封じていたのだと改めて実感した。
私がそんな考えに浸っていると、ルキアが静かに口を開いた。
「そうですね。シエラとは、同じ【訳あり侯爵令嬢】ということで知り合ったんですよ」
「訳あり?」
「ええ。私の実家もシエラと同じ侯爵家なのですが、私は愛人の子だったんです」
さらりと答えるルキアに、私は思考が止まる。
ルキアの声は先程と何も変わらない。どこまでも自然体のまま。
「……愛人の子……?」
ルキアから遅れて、その言葉が口から漏れる。思った以上にその言葉が頭の中に残った。
愛人の子ということは、ルキアの両親は正式な夫婦ではない。
後妻として嫁いだ話といい、愛人の子だという話といい、ルキアから語られる話は口調以上に重く感じられるのに、当の本人は随分とあっさりとしている。
「えっと……それって、聞いてもいい話?」
「問題ありませんよ。愛人の子という立場自体、貴族社会では珍しくもないですから」
「侯爵家の方々は、愛人持ちが多いですからね」
混乱する私に淡々と語るルキアと、それに同意するネル。
侯爵家以上だと愛人は珍しくない。
私は今まで、愛し合う二人が結婚して、その間に子供が生まれる。なんとなく、それが普通だと思っていた。
けれど、外の世界は私が思っていたものとは少し違うらしい。
外の常識が分からず混乱する私を見て、ルキアはくすりと笑った。
「アリシア様には少し、貴族の結婚事情を説明した方がよさそうですね」
そう言いながら、ルキアが教えてくれた。
私のいるこの国では、侯爵家の人間は同じ侯爵家の人間以外と結婚してはいけないと、法律で決められている。
「どうしてそんな法律が出来たの?」
「大昔の王位継承問題で色々あったからですね。それはまた今度お話しいたします」
少し気になったけれど、今度話してくれると言うので、私は頷いた。
また今度話してくれるというのなら、それはその時に聞けばいいことだから。
ルキアの話は続く。ルキアの両親はその法律に触れてしまう身分の人だった。
母は子爵家、父は侯爵家。そして子爵家の娘が侯爵家に嫁ぐことは許されない。
けれど侯爵家の人間がその地位を捨てて、下位貴族の家に嫁ぐことや婿入りすることは出来る。
我が家も、侯爵家の母が伯爵家の父の家に降嫁する形を選んだからこそ結婚が許されたのだとルキアは言う。
「なのに、法律上の抜け道があるにも関わらず、私の両親はその抜け道を使えなかったのです」
ルキアの父は侯爵家の跡取りで、他に家を継げる男兄弟もいなかった。子爵家のルキアの母は、侯爵家に嫁ぐ資格を持たない。その時点で二人が共に暮らしていくという未来は断たれたも同然だった。
「だから私の両親は、【愛人】という立場を選んだのですよ」
たとえ法律で結婚が許されなくても、互いを想い、愛し合う気持ちは消せない。
その結果、そんな立場の二人が一緒になるために「愛人」として一緒にいる道を選ぶ。
それは確かに、一つの「愛」の形なのかもしれない。
「まぁ、それ故に複雑な立場に置かれやすいのも事実ですけどね。家督を継ぐ資格を持つのは正統な侯爵家の人間だけ。つまり、愛人の子には継承権がないのです。なのに親の愛情は愛する人との子供……愛人の子に比重が偏りやすいですから。ですから貴族の中には、正式な夫婦の間に生まれ、屋敷の継承権を持ちながら親に愛されない子供もいるんですよ」
苦笑しながら言うルキア。
確かにそんな経緯があるのなら、正妻として嫁いできた女性よりも、愛人として迎えた女性を優遇して愛してしまいそうな理由は分かる。
法律や跡取り問題がなかったら、最初からその人だけを愛せていたはずなのだから。
「なので愛人の子は、腹違いの兄妹たちと相当仲が良いとかの事情がない限り、学院を卒業したら家にはいられないのです。そのため私は、私の実家が支援していた、妻に先立たれた今の旦那様の後妻として嫁ぐことになったのですよ」
ルキアは笑いながら話してくれるけど、それは軽く話して良いことなのだろうか。
愛人の子。
家に居られない制約のための結婚。
腹違いの兄妹を刺激しないための距離。
耳に届く言葉の一つ一つが、その軽やかな口調と裏腹に、私には重く聞こえる。
けれどルキアの話からは悲壮感などは感じない。あくまでもこの国の一般的な貴族の価値観を語って聞かせてくれているだけのようにも見えた。
「そしてシエラは侯爵家の正式な令嬢でありながら、一族の色を持たなかった。そのせいで、両親と跡取りである弟から冷遇されておりました。それで訳あり同士、仲良くなったのですよ」
「母が……冷遇されていた?」
それもまた初耳だった。思わずルキアの方に視線を向けようとして、ネルに「頭を動かさないで下さいね」と言って止められた。それに軽く謝りながらも、ルキアの言ったことが脳裏を駆け巡る。
(母も家族に冷遇されていた? 私に冷たく当たっていると思っていた母にも、そんな過去があったの?)
信じられないような話が続いて、頭が混乱してくる。けれど確かに、私は家族のことを何も知らない。
母の実家が侯爵家だということすら、昨日知ったばかり。
母の家族のこと。父の家族のこと。そして私の本当の両親と言われている人たちのことさえ、私は何も知らない。
(……家族のことも、世の中のことも、本当に知らないことばかりね……)
知らないことがあるのなら、これから知っていけばいい。そうは思うけれど、新しいことを一つ知るたびに、いくつもの知らない事情が顔を見せる。
そしてその度に、私はこれだけのことを知らされてなかったのだと突き付けられる。
その事実に、少しだけ気持ちが沈んでいく。
「けれど訳あり同士でも、その後が上手くいっているので特に問題はないですけれどね」
少し落ち込んだ私に気付かないまま、ルキアは話を続ける。
「シエラは溺愛してくれる殿方に愛されて、可愛い娘にも恵まれました。私も、前妻に先立たれた夫の後妻として屋敷に嫁ぎましたが、夫は優しい人でしたし、息子も後妻として嫁いできた私を母だと迎え入れてくれましたから。その後、可愛い娘にも会えましたしね」
そう言ってルキアは笑った。
その顔は心底幸せそうで、最初に話していた愛人の子がどうのという話を、本当に気にしていないように見えた。
過去にどんな事情があったとしても、今のルキアには幸せだと明確に思えるものがあるらしい。
そのことが少し不思議で、少し眩しくもあった。
「ルキアは、どうして働きに出ようと思ったの?」
ふと、そんな疑問が口をついた。
聞いている感じだと、ルキアは生活に困っているという感じはしない。家族仲も良さそうだし、屋敷から出る理由が見当たらない。
それなのにどうして働こうと思ったのだろう。
そんな私の質問に、ルキアは優しく微笑みながら答えてくれた。
「娘が婚約者の家に嫁いだことで子育てが終わり、それと同時に息子世代に家督を譲ったためですね。孫も生まれて、これからは息子たちが屋敷を回す責任を担っていくのに、いつまでも祖父母世代に頼りきりでは困りますから」
ルキアは母と同い年なのに、もうお孫さんがいるらしい。
少し驚いたけれど、ルキアには旦那様の前妻との間に息子さんがいるのだった。そちらに孫が生まれたのなら、年齢的にも不思議はないのかもしれない。
「孫に貢ぐためにも、お金はどれだけあっても困りませんからね」
どこまで本気なのか、ルキアが笑いながらそう言った。その言い方に、私もつられて笑みが浮かぶ。
そう言ったルキアの顔は、本当にお孫さんを愛しているように思えた。
息子さんとルキアには血の繋がりがない。当然、そのお孫さんとルキアにも血の繋がりはないはずなのに、それでも本当の家族として想い合える。
養子だから、血の繋がりがないから両親に嫌われていると言ったメアリーの言葉を、ルキアは全力で否定してくれているようにも見えた。
血の繋がりだけが家族ではないのだと、ルキアは自らの生き様と共に教えてくれた気がした。
「出来ました!」
そんな風に考えていると、後ろからネルの弾んだ声が聞こえた。
完成した私の姿を見たくて鏡の中を見ると、サイドの髪を編み込みにしたハーフアップ姿の私が鏡に映る。
(これが私……?)
鏡の中の私は、いつもと同じ私のはずだった。
ロイヤルブルーのドレスを着ているのも、いつもと同じ。
私であることに何も変わりはないはずなのに、髪型一つ変わるだけで、どこか知らない人のようにも見えた。
ドレスは変わらない。それでも髪型は変えてもらえた。少しの違いが大きな違いに見える。
いつもとは少し違う一日は、そんな気持ちと共に始まった。




