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【新章開始】桜華国物語~失った記憶と、襲い来る前世の因縁~  作者: 月峰遥希
第1部・第2章ー変わりゆく日常ー

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第3話:不穏なメアリー

「お待ちなさい!」


 けれども私が声を発する前に、ルキアが再び制止の声を上げた。

 ルキアの声に、メアリーが舌打ちしたのが聞こえる。


「メアリー、貴女は何を考えているのです! アリシア様の要望も聞かず、何を勝手に髪を弄ろうとしているのですか!」


 先程からのルキアの細かい指摘に、メアリーが苛ついているのが伝わってくる。

 ルキアの叱責を受けて、ちらりと私を見るメアリー。その目が「何故庇わない」と責めているような気がした。


「あ……」


 その目を見て、ビクリと体が震える。

 瞬間、昨夜のメアリーの罵声が脳裏に浮かんできた。

 言うことを聞けと追い詰めてきたあの恐怖が蘇って、私はとっさに口を開いた。


「ルキア。メアリーは腕を怪我していて、細かい作業が出来ないの。だからメアリーのやりやすい髪型にしてもらってるだけで……」


 そこまで説明して、言葉に詰まった。


(私はどうして、メアリーを庇うような発言をしているの?)


 自分の口から出た言葉を、遅れて理解する。

 髪型を変えてほしいと訴えるつもりだった。

 ルキアやネルに、いつもとは違う髪型を作ってほしいと訴えるつもりだったのに。


 なのに、口ではメアリーを庇うようなことを言っている。


 昨日握られて赤くなった腕に視線が落ちる。

 腕の赤みはもう消えた。けれどそこに込められたメアリーの強烈な意思の残滓が、まだそこに残っているような気がしてならなかった。


 逆らうな。

 言うことを聞け。


 そう言って私の腕を掴んだメアリーが脳裏に浮かぶ。


(……怪我をして、力が入らないと言っていたのに、あれだけ強い力で私の腕を握れたのね)


 誘拐された私を助ける時に負った怪我で、腕がうまく動かないと、メアリーはずっと言っていた。

 毎日のように言われ続けてきたその言葉を、私は今までずっと疑わずに信じてきた。

 なのに実際にはあれだけの力があった。痕ができるほどの力で、メアリーは私の腕を握り締めてきた。


 昨日一日でいくつものメアリーの話が嘘だったことが明るみに出た。ううん、判明したのは嘘だけじゃない。私の言っていない言葉すらも捏造して、「私が言った」という体で両親や使用人に伝えていた。


 それならこの話も嘘だったりするの? それとも、力は出ても指先を使う細かい作業が出来ないだけ?


 もうメアリーが何を考えているのか分からない。

 夢で時雨(しぐれ)と話して、気持ちは落ち着いた。

 けれどどれだけ考えても、メアリーをどう思えばいいのか、メアリーが何をしたいのかは分からないまま。

 私はどうすればいいのだろう。ずっと頭の中で、その問いが貼りついている気がした。


「……そうですか。分かりました」


 私が言葉に詰まっていると、息を吐いたルキアが呆れたようにそう呟いた。

 分かりましたと答えたルキアの言葉に、メアリーは満足そうに笑ってから、また私に向き直る。

 前を向けと顎で指示を出すメアリーに悲しく思いながら、言われた通り座り直した。

 ああ、変えてもらう機会を失った。そう思った時、ルキアがまた口を開いた。


「それなら今日からはネルにやらせましょう。使用人側の事情で、アリシア様にご不便をおかけすることなど、あってはならないことですから」

「なっ!」


 有無を言わさずにそう告げるルキア。

 絶句するメアリーを見て、ルキアは目を細める。


「腕を怪我しているのでしょう? そのせいでアリシア様に不便をかけているのでしょう? それなら他の使用人に任せるのは当然の対応です。貴女が怪我を理由にアリシア様の要望にお応えできないというのなら、お応えできる他の者に変わりなさい!」


 きっぱりと言い切るルキア。

 その声はあくまでも穏やかなのに、その言葉の奥には固い芯があった。

 侍女(じじょ)として役目を果たせないなら、その場に立つべきではない。ルキアの強い眼差しは、メアリーにそう訴えていた。

 ルキアの言葉を受けてネルが動き出す。


「変わります」


 笑みを浮かべながらネルがメアリーに告げる。その笑顔の下に、有無を言わさぬ強さが見えた。

 ネルの言葉を聞いて、メアリーがふるふると肩を震わせる。


「聞こえないのですかメアリー。ネルに変わりなさい。主の要望も聞けない者に、その場に立つ資格はありません」


 ルキアの再度の言葉にメアリーは一つ舌打ちして、鏡越しに私を睨む。


「……今までずっとお嬢様の世話をしてあげたのは私でしたのに。お嬢様はそんな私を庇いすらしないんですね。恩を仇で返すとは、まさにこのことですか」


 私を睨みながらぶつぶつと呟くメアリー。

 その言葉が胸に刺さる。けれど、今までのメアリーの態度を見れば、今更そんなに驚くようなことでもない。

 昨日からずっと、メアリーの思い通りにならないことは、全て私が悪いことになっているみたいだから。


「メアリー、ネルに変わりなさい!」

「ああ、分かりましたよ!」


 再度ルキアに名前を呼ばれて、メアリーは手にしていた櫛を、そのままネルに渡すのではなく床に叩きつけた。


「メアリー!」


 メアリーの態度に、ルキアの叱責が飛ぶ。

 けれどメアリーはその叱責を無視して、そのままふんっと鼻息を荒くして、私の背後からいなくなった。


 ずんずんとベッドに向けて歩を進めて、メアリーは乱雑に洗顔で使ったお湯を持ち上げる。

 桶の中でお湯が大きく揺れ、容器から溢れたお湯が、ばしゃりとベッドに飛び散った。飛沫が白いシーツに染みを広げていく。


「何をしているのですか、メアリー!」


 再びメアリーにむけてルキアの叱責が飛ぶ。

 けれどメアリーは、それを気にする素振りすら見せない。

 ベッドがお湯で濡れたのにも構わず、桶をそのまま抱えて部屋の扉に向かって足早に進んでいく。


 途中歩くたびに桶から溢れたお湯が床を濡らしていく。けれどメアリーは、それすらお構いなしに部屋を出ていった。


 バタンと、乱暴に扉が閉まる音が部屋に響き渡る。

 呆然としながらそんなメアリーの背中を見送っていると、ルキアが呆れたように深く息を吐いた。


「あんなのがアリシア様唯一の専属だったなんて……。シエラに後で色々と話を聞かなければね」

「出ていく時にもぶつぶつと文句を言ってましたよ。してあげたとか、随分と恩着せがましいことを思ってるみたいですね。自分が使用人の自覚がないのでしょうか」


 呆れたように呟くルキアに、淡々と告げるネル。やはり二人から見ても、メアリーの行動は異常に思えるらしい。

 それを見て、私の反応が間違ってるわけではないのだと安心する。それと同時に、今までのメアリーの振る舞いを思い出して、胸の奥が重くなった。


(本当に……私は今まで、どれだけの嘘をメアリーに思い込まされてきたのかしら)


 昨日覆ったいくつもの事象。

 今朝起きてからここまでの僅かなやり取りだけでも、メアリーに対する不信感はどんどん濃くなっていく。


 今まで当たり前だと思っていたものが、少しずつ、確実に変わっていく。

 その変化の速さが、少しだけ、怖いとも思った。

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