第2話:変わらないドレスと変えたいもの
ルキアのお説教は続く。それに対してもメアリーは大人しく聞き入れていた。
それを見て何を考えているのだろうと、逆に不安になる。
ルーティにはあんなに強気だったのに、今日のメアリーは随分と大人しい。
昨日母に言われたことを気にしているのか、それともルキアがメアリーより年上だから発言に気をつけているのか。
どちらにしても、今日のメアリーには昨日ほどの勢いを感じなかった。
「ネル、本当にこれ以外のドレスはなかったの?」
「はい。確かにこれ以外のドレスは存在していませんでした」
ルキアがネルに確認を取ると、ネルは淡々とメアリーの言葉を肯定した。
本当に私の衣装室には、これ以外のドレスが存在していないらしい。
「それならドレスの件は即座に何とかしなければいけませんね。こんな曰く付きのドレスを、いつまでもアリシア様に着せておく訳には参りませんもの」
「違うドレス……」
ネルの話を聞いて、迷いなく判断するルキア。その言葉を聞いて、僅かに気分が高揚した。
ずっと他の色を纏いたかった。この色ではない、別の色をと願っていた。
(本当に、これじゃないドレスを着られるの……?)
もしそうなら、今の私には纏いたい色がある。
今纏いたいのは濃紺色だと、時雨の色を纏いたかったのだと心が訴える。
本当に新しいドレスを用意してくれるのなら、その色のドレスかアクセサリーもお願いしてみたい。
(……でも、今はまだ言えないわね……)
新しいドレスという単語に逸る気持ちを抑えながら、ちらりとメアリーに視線を向ける。
何を考えているのか、今はルキアに怒られて大人しくしている。けれど私が何かを望めば、メアリーはまた怒鳴り散らすだろう。
それを思うと、この場で違う色を着たいなどと言うだけの勇気は、今の私にはない。
もしメアリーが怒鳴ったとしても、ルキアたちが諌めてくれるとは思う。
けれど、出会ったばかりの二人を信じきるには、まだ早すぎるから。
(でも、本当に自分で選べる日が来るのなら……)
本当に自分で好きな色が選べるようになったのなら、その時にはその色を……時雨の色を選びたい。
そんな気持ちが胸を満たしていった。
「今日のところは仕方がありません。アリシア様、明日までに何か別のものを用意しますので、今日はこのドレスで我慢して下さいね」
そんなふうに考えていたら、ルキアが申し訳なさそうに私に告げてきた。
ルキアの声は柔らかく、けれどその声色には心底申し訳ないという気持ちが滲んでいた。
本当にこれを着せることが不本意だというルキアの態度に、少しだけ気分が軽くなる。
「これを着るのはいつもだもの。慣れているわ」
ルキアが悪いわけではないのだから。
そう答えるけれど、それでも胸の奥に潜む抵抗感は消えてくれない。
毎日着ていたドレス。
昨日までなら他の色を着たいという願いがあったとしても、これに袖を通すことに違和感なんてなかった。
けれど、今は違う。
私はこのドレスの意味を知ってしまった。この色に含まれる意図を知ってしまった。
メアリーは、母がこれしか用意してくれなかったと言っていた。けれど昨日、母から聞いた話では、このドレスは私が着たいと言ったから用意したらしい。
でも、私はそんな話を、母にもメアリーにもした覚えはない。
つまりこのドレスも、話した覚えのない「私の意思」を元に作られてるということになる。
(……メアリーは、どんな意図があって私にこのドレスを着せ続けてきたのかしらね)
分からないのはドレスの意図だけではない。
他にもメアリーが「私の意思」として語ったものが、昨日だけでいくつも判明している。
メアリーの手口を思えば、私が知らないだけで、きっとまだあるのだろう。
どうして、なんて考えても答えは出ない。メアリーに聞いたところで答えてもらえるとも思えない。
それに、今それを考えたところで意味はない。
他に着るドレスがない以上、諦めてこのドレスを着るしかないのだから。
ルキアの手でナイトドレスを脱がされ、ロイヤルブルーのドレスに袖を通す。
袖を通した瞬間、なんとも言えない嫌悪感に包まれた。
(……やっぱり、婚約を強要するドレスに袖を通すなんて、いい気分にはなれないわね)
そう思いながら息を吐く。少しでも胸に溜まる暗い空気を吐き出したくて、何度か深呼吸をした。
そんなことをしていると、ふと昨夜メアリーに掴まれた腕が視界に入った。
赤くなっていた部分に視線を向けてみるけれど、一晩経ったからか、赤くなっていた部分は元の色に戻っていた。
まるで昨日の争いなどなかったかのように、私の肌はいつもどおりの色のまま。
(……痕が消えて元通りになったみたいに、昨日のことも全部嘘だったら良かったのにな……)
そんな考えが脳裏をよぎる。
けれど、昨日起きたことは現実なのだと、私にドレスを着せるメアリーの態度が告げてくる。
私に視線を向けることもなく、淡々と作業に従事するメアリー。その手つきに迷いはない。いつもと同じようにドレスを着付けていく。
でも、その態度が既にいつも通りではなかった。
いつもなら、「お望みの色でなくても、お嬢様にお似合いですよ」なんて声を掛けてくれるのに、今日はその言葉がない。
けれどすぐに、それは違うと頭の中で否定する。
(違うわね。声掛けがないのは昨日から……ルーティが来てからずっとだったわね)
それを思い出して苦笑する。昨日ルーティが部屋に来た時から、メアリーはずっとおかしかった。
ルーティは専属の立場を奪われることを気にしているからと言っていたけれど、でも、私にはそれすらも「違う」と感じた。
メアリーがおかしくなったのは、昨日ルーティが来たからではない。
本当はその前、一昨日のお茶会の時から。
私がお姫様と王の影についての異論を挟んだあの瞬間から、メアリーはずっとおかしかった。
――メイ様と時雨が、そんな関係な訳が無いでしょう! 馬鹿なことを言わないで下さい!
激昂して、そう叫んだメアリー。
メイ様と時雨。
桜華国物語に出てくるお姫様と王の影のことを、メアリーは確かにそう呼んだ。
夢で見た誘拐犯は、私を「メイ様」と呼ぶ。
夢で会った彼を、私は「時雨」と呼んだ。
その名に、どんな意味があるのかも知らないままに。
ちらりとメアリーに視線を向ける。
(ねえ……メアリーは何を知っているの? 私に何を隠しているの?)
考えても答えなんて出ない。視線を逸らしたまま淡々と着付けを進めるメアリーは、私の視線にも気付かない。
時雨は、割り切れないなら割り切らなくてもいいと言ってくれた。
でも、今の私にはまだメアリーをどう見ればいいのかの答えがない。
(私は、メアリーをどう思えばいいのかな……どう思うのが正解なんだろう)
結論の出ない何度目かの問い。もやもやとした思考のまま、ルキアがドレスの留め具を留める。
最後にドレスを整えて、着替えが終わった。
「次は髪ですね。こちらへどうぞ、アリシア様」
着替えが終われば、次は髪を纏めてもらう。
私はネルに手を引かれ、いつものように鏡台の前に座った。
鏡台の中に映る自分は、昨日と同じ。ロイヤルブルーのドレスを着て、どこか冷めたような眼差しで鏡を見つめている。
けれど、鏡を見つめる私の気持ちはずいぶんと変わっていた。
メアリーをここまで信じられなくなる日が来るなんて、本当に思いもしなかったな……。
いつものように私の背後にメアリーが立つ。髪に櫛を通して、いつも通りの髪型に……使用人たちと同じ一纏めにしようと、メアリーの手が動き始めた。
それを見た瞬間、胸の奥で小さな拒絶が走る。
もう、メアリーの言いなりにはなりたくない。
いつもとは違う髪型にして欲しい。他にも侍女が増えたのだから変わってほしい。
そんなふうに私の心が訴える。
これ以上メアリーの勝手にされたくなくて、私はくるりと体を反転させて、背後に立つメアリーに向き合った。




