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【第一章・完】桜華国物語~失った記憶と、襲い来る前世の因縁~  作者: 月峰遥希
第1部・第1章ー崩れゆく箱庭ー

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第12話:信頼の失墜

 食事が済めばそれぞれ部屋に戻る。私は二階の自室に、両親は三階の家族の部屋に。

 両親が三階に上がっていくのを見送りながら、ふと思い出した。

 私の部屋が二階にある理由。私が養子で家族に疎まれているから、私の部屋は二階にあるとメアリーに言われ続けてきた。

 けれど今日一日で、メアリーの言葉はいくつも覆されてきた。メアリーの発言が疑わしくなった今、これも本当のことなのか分からない。


(今日の母に話しかけても怒られなかったのだもの。それなら本当のことがどこにあるのか、母に聞いても許されるわよね?)


 今日起きたことが夢ではないと思いたい。それでももし、明日も両親の側に行くことが許されるのなら聞いてみたい。

 もし明日の朝食の席で、家族の側に行くことが許されるのなら聞いてみよう。そう思えた。


「……アリシア様。メアリーは行ってしまいましたけど、いいんですか?」


 ルーティの声で我に返る。気が付けば私の先導をしていたはずのメアリーの姿はどこにもない。考え事をしていた私を置いて、先に部屋に戻ったようだ。


(本当……こういう気遣いすら、してくれなくなったのね……)


 その事実がとても苦しい。メアリーに騙されているという事実に気づかなければ、メアリーは今も優しくしてくれてたのかしら。

 私が騙されたままでいたのなら、メアリーは今も優しいままだった……?

 そんな気持ちに包まれながら部屋に戻る。せっかくルーティが色々と教えてくれて、色々と改善してくれていたのに、素直にそれが喜べないのはきっと、優しかったメアリーの豹変が堪えているからだと思う。


 私が部屋に入った時、メアリーはちょうど浴室の確認から戻ってきたところだった。


「お湯の準備は整っているようです。それではお風呂に入りましょうか」

「あら、アリシア様はお部屋のお風呂に入っているのですか? これもまたなにか理由が?」


 私の姿を見るなりそう言うメアリーに、ルーティが声を掛ける。

 今日一日で私の行動全てに違和感を感じ続けてきたからか、部屋のお風呂に入ることすらも怪訝に思うルーティ。

 けれどメアリーはルーティの質問に答えない。ルーティに視線すら向けないメアリーは、完全にルーティを意識の外に追いやっているようだった。


「誘拐事件が多発する私が大浴場を使って、何かがあっては困るという理由で、私は大浴場の使用を許されていないのよ」

「……へえ。ならその真意も、奥様に確認してみますね。今日一日であれだけすれ違いがあったのですから。これからは逐一確認していかないとですからね」


 答えないメアリーに変わって私が答えると、ルーティの視線はメアリーに向けられる。

 じっとメアリーを見るルーティの目は、明らかにメアリーを警戒していた。


「さ、お嬢様。浴室へどうぞ。ああ、ルーティはもう下がって結構よ。浴室は狭いですから、侍女(じじょ)二人が入るスペースなどありませんからね」


 私の背中を押しながらメアリーはルーティにそう告げた。

 先程までルーティを意識の外に追いやっていただけでなく、明確にルーティを排除しようと動くメアリー。


「なるほど……では私はやることがあるので、これで失礼しますね」


 その意図をルーティも察したのか、メアリーの言葉に笑顔で返すと、ルーティはおやすみなさいませと言って部屋を出ていった。

 扉が閉まって、ルーティの足音が廊下の向こうに消えていく。ルーティがいなくなった途端、強烈な緊張感に襲われた。


(ああ、私にとってももう、メアリーは警戒対象になってしまったのね)


 どこかでまだメアリーを信じたいと思っている自分の頭とは裏腹に、体は随分正直に反応を返す。

 メアリーがこちらに歩いてくるだけで、どんどんと体は強張っていった。


「さ、お嬢様。浴室に行きましょうか」

「ええ……」


 ルーティがいなくなり、メアリーにいつものようにドレスを脱がせてもらう。

 そのままお湯に浸かれば、メアリーがいつもと変わらない手つきで体を洗ってくれる。その流れだけ見れば、いつもと何も変わらないように見えるのに。

 それでも変わってしまったものはいくつもある。もう昨日と同じ気持ちでメアリーを見ることは出来ないのだから。


 静かな空間で、メアリーが体を洗う時に揺れる水音だけが耳に届く。

 今日は色々あったなと、少しぼうっとした頭で考える。朝から続いた変化の連続に、頭がまだ追いついていないみたい。

 湯船に浸かっているだけでも少しだけ疲れが和らぐ気がして、私はほうっと息を吐いた。


「お嬢様」


 そんな中で、いつも作業中は話しかけてくるなと言うメアリーから声を掛けてきた。

 いつもは話しかけないでと言ってくるメアリーから話し掛けてくるのが意外で、私は少し驚いた。


「……なに?」

「なぜメアリーの言葉に従わなかったのですか? お嬢様が余計なことを言ったせいで、メアリーはクビになるところだったのですよ!」


 メアリーが夕食の席での不満をぶちまけてくる。メアリーはそう言うけれど、そもそも私の意思を無視して色々捏造した話を両親に吹き込んでいたのはメアリーの方でしょう。

 けれど、イライラして私の扱いが乱雑になっている今のメアリーにそんな反論が言えるはずもなく、私は俯いたまま「ごめんなさい」と呟いた。

 ああ、本当にメアリーは変わってしまった。昨日までの優しかったメアリーは本当にもういないんだと思うと、涙が出そうになる。


「お嬢様」


 また声を掛けてくるメアリー。これだけ話が出来るなら、本当は今までも作業をしながら話ができたのではないの? 

 そう思っても口には出せない。私がまた「なに?」と返せば、苛立ったメアリーは苛立った感情を隠さないまま口を開いた。


「ルーティを信用してはなりません。あれは屋敷に入り込んで何かを探る不審者です。何を画策しているのか分かりません。決して、決して信用してはなりません。今までずっとお嬢様を守ってきてあげたメアリーの言葉を、今度こそちゃんと聞けますね?」

「え……?」


 メアリーの言葉に、私は絶句した。ルーティが不審者? 私の状況を改善するために色々と行動してくれたルーティが?

 しかも私と母の間に立って、色々と画策してきたのはメアリーの方なのに。

 そんなメアリーが、自分のことを棚に上げてそれを言うの?


「いいですね!」

「痛っ!」


 私が返事に困っていると、メアリーに強い力で腕を握られた。

 思わず声が出るほどの力だった。私の腕を握りしめるメアリーの形相は、昼間ルーティと時雨(しぐれ)のことで言い合っていた時と同じ殺意の籠もった顔をしていた。


「……分かったわ」

「よろしい。お嬢様はメアリーの言葉だけを信じていればいいのですよ」


 私が渋々そう答えると、メアリーは私から手を離して黙ったまま体を洗っていく。

 強い力で乱雑に洗われて、体がヒリヒリとする。体を洗い終わると、ゆっくりお湯に浸かる間もないまま、私は強い力で引っ張られた。

 メアリーによって強制的に湯船から出されると、さっと体を拭かれてナイトドレスを着せられる。


(……色々痛いのだけれど……)


 ぐいぐいと腕を引かれ、そのまま鏡台の前に連れて行かれる。

 椅子に腰掛けると同時に、わしわしと私の髪を拭くメアリー。その仕草は随分と乱暴で、機嫌が悪いのが手のひら越しに伝わってくる。


(……本当に、昨日までの私を気遣ってくれたメアリーは、もういなくなっちゃったのね……)


 それが悲しくて泣きそうになる。俯けば「顔を動かさないでください!」と強い口調で叱責された。

 扱いが乱雑なメアリーに涙が零れそうになるのを、唇を噛んで耐える。


 本当に私の日常は、ここまで変わってしまったんだなと、嫌になるほど理解させられた。


「それじゃお嬢様、おやすみなさい」

「おやすみなさい……」


 髪を拭くのもおざなりで、少し髪が湿った状態のまま私はベッドへと追いやられた。

 そのままさっさと天蓋(てんがい)のカーテンを閉めて、メアリーは部屋を出ていく。ドスドスと不快な足音がベッドから離れて、バンっと勢いよく扉が閉められる音が聞こえた。


「……メアリー……」


 閉ざされたカーテンを見ながら、その名を呟いた。

 こんな風に扱われるのは、他の使用人たちで慣れている。慣れているのだけれど、まさかメアリーにまでこんな扱いを受けるなんて思いもしなかった。

 握られた腕が痛む。服の袖を捲りあげてみると、握られた部分が指の形に沿って赤くなっていた。


「……右腕は、怪我をした影響で上手く動かせないって言ってたのに……」


 私はずっとそれを信じてきた。髪型のリクエストをしなかったのも、細かい作業をお願いすることをしなかったのも、メアリーに負担をかけたくなかったからだった。

 なのに実際は、こうして腕に痣ができる程の力を込められることが出来るだけの力があった。


 思い返せば、違和感はずっとあった。

 腕が使えないといいながら、重たいお湯の入ったポットとお菓子を毎日トレイで運んできていたこと。

 お茶会の席でお菓子を食べるためのカトラリーを使う手に、怪我の違和感がなかったこと。

 お風呂や私の身支度をする時に、決して誰にも手伝わせなかったこと。


 何より、細かい作業は出来ないと言いながら、私のためにドレスに刺繍をしたと言ったこと。


 その違和感に、私はずっと気付かなかった。

 いいえ。もしかしたら気付きたくなかったのかもしれない。

 でもその違和感は今日、全部可視化された。


「全部……嘘だったのね」


 とうとう涙がこぼれる。

 もう限界だった。何が本当で、何が嘘だったのか。

 今日一日で色々なことを知りすぎた。頭が、心が、疲弊しすぎて上手く働かない。


「どうして? どうして私はこんな扱いをされないといけないの?」


 涙が溢れて、声が震える。

 メアリーは誘拐犯から助けてくれた私の恩人だった。家族にも冷遇される中で、メアリーだけが唯一の支えだと思っていたのに。

 なのに話し掛けた本当の両親は優しくて、私の意思はメアリーに全て捻じ曲げられていて。


 一体何が正しくて、何が間違っているのか。誰を信じて、誰を信じてはいけないのか。

 私にはもう正解が分からない。


「時雨……時雨……!」


 気付いたら、その名を呟いていた。

 夢でもいい。会いたい。会って話を聞いて欲しい。

 あの夢で感じた温もりに、今は縋りたい。


 これ以上はもう、耐えられないから。

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