第10話:私の望んでいた距離
「もう一度聞きましょうか、バルト様。今の咳払いにどういう意図があるのか、お聞かせ願えますか?」
ルーティの言葉を受けて、母の視線がバルトに向けられる。その眼差しを受けて、バルトがまた咳払いをする。
「新入り侍女に答える義理はありません」
「それはどういう意味でしょう。答えたくないなにかがあると解釈して宜しいですか?」
ルーティを冷たく見据えるバルト。ルーティが真っ直ぐにバルトを見据えて問い正しても、それでもバルトは答えない。ただ見下すようにルーティを見ているだけだった。
「それなら私が聞きましょう。その咳払い、どういう意図があってのことなのかしら?」
「奥様……」
ルーティの問いに答えないバルトを見て、母が追い打ちをかける。母のグレーの眼差しが静かにバルトを捉える。
ルーティは無視出来ても、屋敷の女主人である母の言葉は無視できない。それでもバルトは「それは……」と言葉に詰まったかのように答えない。
「私にすら答えられない理由がある。それが答えのようですね」
答えないバルトに冷たく言い放つ母。
そのまま母の視線は、おろおろと様子を眺めているのだけの父に向けられた。
「カーネル? 貴方はなにか知っているのではなくて?」
「え、いやその……」
答えないバルトを無視して、母は父に詰問の矛先を向ける。
困ったように視線を彷徨わせる父。それでも母の圧には勝てなかったのか、私をちらりと見てからゆっくりと口を開いた。
「アリシアが僕らの側に来るのを嫌がっているんだから、無理強いするな……みたいな?」
「私が嫌がっている……?」
父の答えを聞いて、思わず声が出た。
どういうことだろう。私が近づくのを嫌がっているのは両親の方ではなかったのだろうか。なのに父の口から出てきた言葉は、私の認識とは全く逆のものだった。
私の呟きを聞き取ったルーティが、「そこもですか」と呟いた。
「旦那様」
「はいっ!」
いい笑顔を浮かべたままのルーティに声を掛けられて、ぱっと背筋を伸ばす父。
まるで威厳を感じられない父の姿に苦笑した。この人は本当に、使用人にすら頭が上がらない人なのだなと。
「手招きだけでは分かりませんよ。アリシア様は嫌がっているなんて、誰にそんなことを聞いたのですか? ちゃんと声に出して、アリシア様を呼んであげて下さい」
「で、でも、本当にアリシアが嫌がってるのに呼んでしまったら、無理矢理になってしまうだろう……?」
ルーティの言葉に、しどろもどろになりながらそう言う父。その顔は本当に困っているようにも見えた。
……何か根本的に話がすれ違っている気がする。私が今までメアリーから聞かされてきたことは、一体何だったんだろう。
「その手招きは、社交辞令ではないのですか?」
「へっ?」
「お嬢様!」
気付いたらメアリーから言われ続けてきた言葉を、つい口に出してしまった。
メアリーから叱責が飛ぶけれど、その言葉に父はきょとんとしているし、母も驚いたように私を見ていた。
「え? 社交辞令? なんで? 可愛い娘相手に?」
父の心底驚いた声が耳に届く。
可愛い娘。そういう父の顔に嘘はない。
(……本当に、社交辞令じゃなかったの……?)
父の言葉を聞いて、胸の中で何かが音を立てて崩れていく気がした。
ずっとそう言われ続けていた。ずっとそう思い込まされていたのに。
頭が真っ白になっていく。目の前の景色は、本当に現実のものなの?
本当に、メアリーが今まで私に言い聞かせてきたことって、何だったの?
「……そういうことですか」
事態を把握出来ていない私や父と違って、母は状況を把握したらしい。声こそ静かなものだったけれど、その奥には形容しがたい怒りが込められている気がした。
母の冷めた視線が、バルトとメアリーに向けられる。
「アリシア」
「……はい」
母が真っ直ぐに私を見ながら名前を呼ぶ。返事をしながら、今まで誰にも呼ばれてこなかったのに、今日は随分色々な人に呼んでもらえるなと見当違いの方に頭が動いた。
それだけ私が、今の状況を理解出来ていないだけなのかもしれないけれど。
「貴女は私たちの大切な娘です。今までは貴女が家族の側で食事をするのが辛い、だから離れて座りたいという報告をメアリーから受けていました。だから私は、それを容認してきました。ですが、それは間違いだったかもしれません」
「え……」
母の言葉に、また思考が止まる。
大切な娘。家族の側で食事をするのが辛いとメアリーから報告を受けていた。
料理の時と同じだった。また、私が言った覚えのない言葉で、状況が動いていたのを察した。
(報告を受けていたって……しかもまたメアリーから?)
この言葉も、今日一日で何度聞かされたか分からない。
どの話を聞いても、言った覚えすらなくても、全てが「私がこう言ったからこうしている」のだと伝えられる。
両親との距離もそう。母が冷たいと、私を避けていると思っていた理由に、私が家族の側で食事をするのが辛いと思われているなんて、考えもしなかった。
「ですから、この場においては貴女の言葉を優先しましょう。貴女は、家族の側に座りたくなくて、そこに座っていたのですか?」
母の問いが、静かに食堂に響く。
私はなんと答えたらいいのだろう。素直に答えてもいいのか分からない。
私はずっと、家族として受け入れられたかった。私を拒絶しない、家族の側にいたかったのだと。
迷う私を、静かに見守ってくれる両親。
テーブルの端と端。距離はあっても、ちゃんと私を見ていてくれる。私の言葉を待ってくれていた。
「私は……」
「お嬢様」
私が答えようとした時に、メアリーが私の腕を掴んで声を掛けてくる。
「メアリー……?」
腕を掴むメアリーの手が痛くて、私を呼ぶその声は低くて冷たい。
まるで母の言葉に応じるなと言わんばかりの態度に、腕を握り締める痛みに、メアリーが今まで私と両親の仲を裂いてきたのだと確信した。
「メアリー様。貴女も大概ですね。何故今、アリシア様に声を掛けたのですか?」
私を押さえつけるメアリーの手を私から離させながら、遠く離れている母たちにも聞こえるように敢えて大声で言うルーティ。
その言葉を受けて、母の視線がすっとメアリーに向けられる。
「メアリー。貴女は今、アリシアに何を言おうとしたのかしら?」
「奥様……」
「やはり貴女が私とアリシアの間で色々工作していたのね」
母の言葉にぐっと詰まるメアリー。
母が静かに席を立つ。ゆっくりとこちらに歩いてきて、私の手を取る母。そんな私と母をメアリーから守るように、ルーティが立ち位置を変えた。
「アリシア、貴女の言葉を聞かせて。まだ私たちの側で食べるのは辛い?」
「お母様……?」
まだ?
その一言がやけに引っかかった。
まだ、ということは母はずっとそう思い続けてきたというの?
そもそも、どこから私が母たちの側で食事をするのが辛いという話が出てきたんだろう……。
私を疎んでいたのは、両親の方だとばかり思っていた。両親に嫌われているから両親に近付くなと、メアリーに幼い頃からずっと言われ続けてきていたから。
でも今、私の手を取って私を心配そうに見る母の顔が、どうしても演技だとは思えなかった。
「私……傍に行っていいんですか?」
「お嬢様!」
ポツリと漏れる言葉。長年積み重なってきたものが溢れ出たような気がした。
メアリーの叫ぶ声が聞こえたけれど、私の言葉を聞いてふわりと笑う母。
「当然でしょう。貴女は私たちの娘なのですから」
「っ……」
その言葉に胸が熱くなった。母は私を娘だと思ってくれていた。
感極まって泣きそうになるのを堪えながら、私はただ俯いた。ここで泣いてしまったら、止まらない気がしたから。
「ミリア」
「はい」
母がミリアを呼ぶ。
ミリアは何も言われずとも、いつもの私の席に用意されていたカトラリーを下げ始める。そして私は母に手を引かれて、父の待つ上座の席へと歩いていく。
メアリーはルーティに押さえられて、下座の席に取り残される。
私一人では絶対に越えられなかった距離を、母の手が越えさせてくれた。
「お席はどちらがいいでしょうね」
「今日は私の隣でいいわ」
ミリアがカトラリーを置く場所に悩んで声を上げれば、母がさらりと答える。
「え? シエラずるくない? ずっと招いてたのは僕だよ? アリシア、僕の隣でもいいよね?」
「カーネルはアリシアを迎えに行かなかったでしょう。だから今日は私の隣に座らせます」
「そんなぁ」
それに不満を示す父。その抗議をさらりと流す母。
二人のやり取りを見ていたら、また涙が出そうになった。
私を当たり前に受け入れてくれる両親。私が望んでいた関係が、確かにそこにあった。
嘆く父を見てミリアが苦笑するのが見えた。
「旦那様がお望みなら、明日からは旦那様の隣に用意させていただきますよ」
「そうだね。アリシアが嫌じゃなければだけど……」
ミリアの言葉に父がちらりと私を見ながらそう言う。その目が、私の拒絶を恐れているようにも見えた。
父も父で、私にずっと遠慮していたのかもしれない。
「嫌だなんて……そんなことありません」
「本当かい?」
私の言葉に、父が物凄く嬉しそうな顔をした。子供のように、ぱっと笑顔が広がる。
そんな父を見て苦笑する母。
「それならば、明日からはカーネルの隣に座りなさい」
「はい」
母の言葉に、私は素直に頷いた。
拒まれなかった。否定されなかった。
そんな歓喜とも安堵とも分からない感情を胸に抱いて、私は初めて家族の隣に座った。




