第8話:ルーティとメアリーと不思議な言葉
「それはそうと、私が戻るまでの時間で何の話をしてたんですか?」
食べ終わった食器をバスケットに戻しながら、食後のミルクティーを飲む私に声を掛けてくるルーティ。
「いつもと同じよ。メアリーから【桜華国物語】の話を聞いていたの」
「ああ、あの国王が姫を救うとか言ってたあれですか。私、あの話嫌いなんですよね。物語として読むのならまだ共和国版のほうが面白いですし、学びに使うなら帝国版のほうが読み応えがあって楽しいですよ」
私の答えにルーティが呆れたような声を上げる。そして他の版があることやそちらの方が面白いと、メアリーを煽るように告げるルーティ。
桜華国物語に複数版があることは先程も聞いたけれど、メアリーの前でその話題を出すのは、何か意味があるのかしら。
(それにしても……ディナン国版の桜華国物語を推奨するメアリーの前でそれを言い切るルーティって、やっぱり凄いかも)
『あれの素晴らしさが理解できないというの!? お前もあの時代を生きた人間だろう!』
ミルクティーに口をつけた瞬間に飛んでくるメアリーの怒鳴り声。
見ればルーティの言葉にカッとなったメアリーが頬を紅潮させ、怒りに震えながらルーティを怒鳴りつける。その言葉は王国のものではない不思議な言葉。
(この言葉は……それに、「あの時代」?)
昨日のお茶会でも、ルーティが戻る前にも聞いた不思議な言葉。
メアリーがその言葉を使ったことにはもう驚かない。
でも、その声からは激しい怒りが滲んでいた。そんなメアリーは初めて見たかもしれない。
それを聞いてルーティも冷笑を浮かべてメアリーを見据える。その瞳には心底呆れているような、侮蔑の色があった。
『そんなもの、理解できなくて当然でしょう。私たちのしぃ兄を……【時雨様】のことをあれだけ悪く言っておきながら、どうしてそれを私たちが受け入れると思っているんですか?』
メアリーを睨みながら、同じように不思議な言葉で静かに詰めるルーティ。
その応酬に、私はカップを持ったまま固まった。
(どうしてルーティまでその言葉を……それに今、【時雨様】って言った……?)
お茶会の前に「時雨」を知っていそうな反応をしてたのは、やっぱり気のせいじゃなかったの?
私の混乱をよそに、突然出された「時雨」の単語にメアリーが目を細めるのが見えた。
驚きに声が出ないまま様子をうかがっていると、メアリーが忌々しげに舌打ちした。
『お前、時雨の関係者か』
ルーティを睨みながら不思議な言葉でそう吐き捨てるメアリー。
メアリーの口から飛び出してきた単語に、私はどきりとする。
(……昨日の反応から薄々感じてはいたけれど、やっぱりメアリーも「時雨」を知ってるのね……)
そんなメアリーに、ルーティはにっこりと笑った。けれどもその笑みはいつもの優しい笑顔ではなく、冷たくて鋭い。
『だったらなんです? 私が時雨様の関係者だったらどうだって言うんですか?』
底冷えしそうな、冷たいルーティの言葉。
その温度にブルリと身震いをする。温かいはずのミルクティーが、少しぬるく感じた。
(……陽気は春なのに、上着が欲しくなるくらいの寒さを感じるわね)
二人の間に漂う険悪な空気を、私はただ見ているしかできない。
何の話をしているか分からない以上、私が口を挟める雰囲気ではなかった。
『そういう貴女は【国王派】みたいですけど、これ以上私たちに関わらないでもらえません? 鬱陶しいし迷惑なんですよ』
『黙れ! お前のような小娘に何が分かる!』
ルーティが分かりやすくメアリーを煽って、不思議な言葉でメアリーが怒鳴る。それも、今まで聞いたことがないくらい荒々しい声で。
メアリーの機嫌が相当悪くなっているのが分かる。それでもルーティはそんなメアリーの反応などどこ吹く風。呆れたように肩を竦めて受け流す。
『貴女たちの目的なんて知りませんし、理解したいとも思いませんよ。私が貴女たちに願うのはただ一つ。これ以上私たちに、時雨様に関わらないで、というだけですよ』
そんなメアリーを、冷たい眼差しのまま睨みつけるルーティ。その言葉の短さが、かえって凄みを帯びていた。
ルーティとメアリーの間でバチバチと火花が散っているように見える。
(……一体何の話をしているのかしら。ルーティとメアリーって、「時雨」を挟んで何か因縁でもあったの?)
会話の流れは聞き取れるのに、その言葉の背景が全く分からない。
ルーティは「時雨様」と言った。メアリーもずっと「時雨」がどうのという話をしている。
その言葉がなにか、二人が何を話しているのか私には分からない。
私が一番知りたいと思っている「時雨」について聞いてみたいと思っても、ルーティはメアリーと激しく言い合っていて、とても会話に混じって聞く勇気は持てない。
私に出来ることは、ただ黙ってカップを持ったまま、二人の応酬を見守るだけ。
(本当、二人は何を話しているのかしら。……後でルーティに聞いたら、答えてくれるかな)
そう思いながら、ふぅ、と息を吐いて空になったカップをテーブルに戻す。
「アリシア様、お茶のおかわりはいかがですか?」
「え?」
その動きを目ざとく見つけたルーティが、にこやかに声を掛けてくる。
今の今までメアリーと不思議な言葉で口論していたのに、その意識がまだ私に向けられていたことに驚いた。
「……いただくわ」
「はい」
メアリーの怒鳴り声を華麗にスルーして、私にミルクティーのおかわりを注いでくれる。
その手つきはいつもと変わらない。震えることもなく淡々としているのを見て、メアリーとのやりとりに微塵も動じていないのねと、妙な感心をしてしまう。
……ルーティのスルースキルって、思っていたより高いのね。
注いでもらったミルクティーを飲みながらちらりとメアリーを見る。
メアリーはいまだに何かを叫んでいるけれど、ルーティはそれを綺麗に無視して「美味しいですか?」と言いながらニコニコと笑って私を見ている。
メアリーに意識を向けたくないという態度が透けて見えた気がした。それなら私もルーティに付き合って、何か話を振ったほうがいいのだろうか。
「ねえルーティ。私がメアリーから聞かされた話はどこから出てるの?」
それでもこの流れで「時雨」のことを聞く勇気は、私には持てない。だから食事の前に聞いた話をもう一度振ってみる。
私の勘は当たっていたようで、私が話を振ったことでルーティは嬉しそうに笑ってくれた。
「アリシア様が読んでいたのは、ディナンという国が出した話ですよ。もっとも、国と言っていいのかは微妙なところですが」
私の問いかけにルーティが即座に答える。
「ディナン? そこはどんな国なの?」
先程も聞いた気がするけれど、今日初めて聞いた名前。国と言っていいのかは分からないということは、何か曰く付きの場所なのかしら。
「十数年前に共和国から分裂して、自分たちはディナン国だと名乗ってるだけの、国際社会からは存在を認められていない国です」
「存在を認められていない国? 十数年も経っているのに独立を認められないなんてことがあるの?」
「あるんですよ。というより、ディナンは国際社会の一員として、色々と世界情勢的に許されない案件をいくつもやらかしてる国なんです。そのせいで他国、特に帝国と共和国を敵に回してましてね。そのせいで独立を認められてないんです」
「ルーティ!」
ルーティの説明を遮るかのように、メアリーが大声で叫ぶ。その声には怒りと、どこか焦りのようなものを感じた。
……ディナンの話はメアリーにとって、なにか聞かれたくないことでもあったのかしら?
「ああ、そうそう。ディナン国と言えば、アリシア様はそのドレスを自分の意思で着たくて着てるのですか?」
「ルーティ!」
ルーティの言葉に、またメアリーが怒鳴りつけるように叫ぶ。その声はルーティの発言を制止しようとしているように聞こえた。
ドレスとディナン国。その二つにどんな繋がりがあるのかは分からない。けれどメアリーが話を遮ろうとする以上、何かあるのだろう。
それに、今朝このドレスを着るところはルーティも見ていたのに。それをわざわざ聞いてくるということは、確認したいなにかでもあるのかもしれないと思えた。
「私の意思ではないわ。これしかないから仕方なく着てるだけよ。私はもっと違う色のドレスとか着てみたかったのだけれど、さすがにそんな我儘は言えないもの」
「アリシア様はこれとは違うドレスが着たかったんですね」
私がそう答えると、ルーティは私の意思を確認してくれる。
「そうね。でも母が用意してくれたドレスはこれしかないの。最初から私に選ぶ権利なんてないわ。いつもメアリーが衣装室から持ってくるのを着ているだけ」
「……へえ、そうなんですね」
返事をしながらメアリーを見るルーティ。視線を向けられたメアリーは、殺気の籠もった目でルーティを睨みつけている。その表情は今まで見たことがないほど険しく歪んでいた。
……ドレスの話をしているだけなのに、メアリーはどうしてそんな表情をするの?
「このドレスに何かあるの?」
「その質問は、ドレスを用意したという奥様に聞かれるのが一番ですよ」
メアリーの剣幕に驚いてドレスの意図を聞いても、ルーティはメアリーから視線を逸らさずにそう答えた。
ルーティとメアリーの間に、見えない火花が散っているように感じる。
時雨について話していた時と同じように、また二人の間に険悪な空気が漂い始める。
一体このドレスに、どんな思惑が隠されているというの?




