第5話:複数の「桜華国物語」
「気分が落ち込む話はここまでにしましょうか。アリシア様は普段この時間は何をされているのですか?」
ルーティの言葉に、私は息を吐いた。
そうね。せっかくルーティが話し相手になってくれてるのだもの。答えの出ない問題に悩むくらいなら、少しでも楽しめる話をしたいわね。
「この時間は本を読んでいるわ」
「いいですね。私も色々本は読みますよ。アリシア様は何の本を読んでいるのですか?」
ルーティも本を読むのね。それなら今度、おすすめの本でも教えてもらおうかしら。
「私が読んでるのは【桜華国物語】という本だけど、知ってる?」
私の問いに、ルーティの表情が固まった。
……あら、どうしたのかしら?
「……【桜華国物語】ですか。出版する国ごとに話の内容が違うのですけれど、アリシア様はどれを読んでいるんですか?」
「え?」
出版する国ごとに話が違う?
桜華国物語って、世界共通の物語ではなかったの?
「えっと……そんなに話が違うの?」
「かなり違いますね。桜華国の歴史書と名高い帝国版。共和国の出した、悪の国王を退治して国を立て直す王弟版。ディナン国が出した、国王がお姫様と結ばれたなんて虚言を吐く国王版。私が知ってるだけでも三種類ありますね」
指折り話してくれるルーティの話を聞いて私は目を丸くした。
同じタイトルでありながら、そんなに違う話が存在していたなんて知らなかったから。
「私が読んでいるのは、王の影に拐われたお姫様を国王が救い出したというものだったのだけれど……あれって虚言なの……?」
恐る恐る聞いてみれば、ルーティは肩を竦めた。
「桜華国の歴史を知っていれば、虚言と取られてもおかしくないですね」
「桜華国の歴史?」
架空の物語に出てくる国に、歴史なんてあるの?
ルーティは帝国版を「歴史書」と呼んでたけれど……。
「ええ。アリシア様は桜華国についてどれだけ知っていますか?」
桜華国について。そう言われても、あれはただの御伽噺に出てくる架空の国だとばかり思っていたのだから、知ってることなど何もない。
そう考えて、昨夜見た夢をふと思い出す。天にまで届きそうなくらい大きな木に薄桃色の花が咲いた、不思議な場所。
あれはただの夢だったはず。それなのにどうしてか気になった。
「その言い方だと……桜華国って実在していたの?」
「そこからですか」
私の言葉にルーティは苦笑する。
もしかして私が知らないだけで、外の世界では当たり前の話だったりする?
「桜華国は実在していましたよ。千年前に滅んだ国の名前です。世界樹という薄桃色の花が咲く、大きな木が象徴だったそうですよ」
「世界樹……」
――桜華国の象徴とも言える世界樹。相変わらず幻想的だよね。
ルーティの言葉に、昨夜見た夢が鮮明に思い浮かぶ。
薄桃色の花が咲き誇る、天まで届きそうなほど大きな木。あの大きな木を見上げて、彼はそう言ったのだもの。
あの場所が「桜華国」で、あの大きな木が「世界樹」なのだと。
(あの夢も……もしかしてただの夢じゃなかったりするの……?)
夢と現実が繋がったような気がして、思わず膝の上で本をぎゅっと抱き締める。
実在した桜華国。象徴とも言える世界樹。その場所に存在した時雨。
あの夢が現実の何かと繋がっているというのなら、彼もまた、ただの夢の中の存在ではないということ……?
「それから、桜華国は女王様が治める国なんですよ。なのに国王が治めてる時点で間違ってるでしょう?」
混乱する私を置いて、ルーティは言葉を続ける。
ちょっと待って、何か聞き流せない言葉が聞こえたのだけれど。
「桜華国って女王の治める国だったの? 国王が治めるのではなく?」
「はい」
微笑みながら肯定するルーティ。
その話が本当なら、私がずっと読まされてきたこの本は何? 国王と結ばれるお姫様。女王国である桜華国における二人の関係は何?
これをずっと私に読ませてきたメアリーは、どんな意図で読ませてきたというの?
ここにまでメアリーの意図がなにか隠れていそうで気味が悪い。
「ルーティは……この話をどう思う?」
メアリーがどんな意図でこの本を読ませていたのか。この本にどんな意図が隠されているのか。
ルーティの反応を見てみたくて私がそう聞けば、ルーティはくすりと笑った。
「あくまでも解答を国王版に絞るなら、王の影が自分の意志でお姫様を拐ったのか、それともお姫様にそそのかされて拐ったのか、ぜひとも聞いてみたいと思いました」
私の想定とは違う角度からの答えに、私は目を瞬いた。
「……聞いてみたい?」
「だって、気になるじゃないですか。本当はどんな意図があってお姫様を拐ったのかなんて、本に載ってないんですよ」
ルーティの言葉を受けて本の内容を思い出す。
私自身信じていない話ではあるものの、一応の答えは載っていたと思うのだけれど。
「私の読んでいた本には、権力に取り憑かれてと書いてあった気がするけれど……ルーティはそれを信じてないの?」
「はい。言ったでしょう? 国王版は虚言で出来ていると。そもそも他の書を見る感じ、権力に取り憑かれているのは国王の方ですからね」
楽しそうに笑うルーティ。
そういえば共和国の出したという王弟版だと、悪の国王を退治する話だと言っていたわね。
「他の話だと国王はどんな扱いなの?」
「王弟版だと、国王は女王から国を奪った簒奪者として書かれています。帝国版は歴史書と名高いだけあって詳しく書かれていますが、こちらでも国王の扱いは、やはり女王から国を奪った簒奪者扱いです」
意外と詳しいルーティに驚きを隠せない。
それなら、「王の影」についてはどのような扱いになっているのだろうか。
「ねえ……それならルーティは、お姫様を拐ったと言われている【王の影】については、どれだけ知ってる?」
「【王の影】……ああ、【時雨】のことですか?」
時雨。
その名前を聞いてドキンと心臓が跳ねた。
「一般知識としてなら知っていますよ。【王の影】と呼ばれる【時雨】。その正体は女王の王配の護衛だというのは有名ですから」
「王配の……護衛?」
「ええ。簡単に言ってしまえば、桜華国では【女王】とその【王配】が特別な存在として扱われていて、それぞれに護衛と諜報担当を抱えていたって話です。そして【時雨】は、その王配の護衛が名乗ることを許された称号です」
称号。
その言葉が、じわりと胸に染み込んでくる。
(……そうよね。「時雨」という名前の意味を知っているだけで、彼のことを知っているわけではないのよね)
夢の中で出会った彼。あの声も、温もりも、私しか知らない。彼は実在しない人物なのだと突きつけられたようで悲しくなった。
期待していた分、気持ちの落胆が凄い。でも、これは仕方ない。勝手に期待した私が間違っていたのだから。
そう自分に言い聞かせた時に、ルーティがくすりと笑う。
「まあ、しょせん物語上の人物ですからね。アリシア様はこの話をどんな話だったと感じましたか?」
ルーティの言葉に少し胸が痛む。
違うのに。彼は……時雨はちゃんと存在していたのに。
そう思っても、口には出せない。彼が存在したのは私の夢の中だけ。実際に存在しているわけではないのだから。
「そうね……お姫様と王の影が想い合ってたらいいなって思ったわ」
「お姫様と王の影が?」
私の答えにルーティが首を傾げた。
そういえば昨日メアリーを怒らせたのはこの話題でだったわね。ルーティも「ありえない!」と言って否定するのかしら。
「いいんじゃないですか。二人は想い合っていて、それなのにお姫様は愛してもない国王との結婚を強要されていて、そこから逃げ出すために王の影がお姫様を連れ出したなんて、物語としては最高じゃないですか」
そう思っていたら賛同された。しかも随分と楽しそうに。
「アリシア様は、お姫様が王の影にどんな言葉を掛けられて、連れ出されたのだと思います?」
「どんな言葉を掛けられて……」
そう言われてもなかなか思いつかない。ルーティはただの物語なのだから、考えるだけなら自由ですと言って笑った。
それにくすりと笑って少し考えてみると、不意に不思議な光景が脳裏に浮かんだ。
見たこともないほどの豪華な部屋。そこで夢に見た時雨が、どこか寂しそうに微笑んでいた。
――良かったね、めーちゃん。これで、めーちゃんは自由になれるよ。
――だめ! 私一人でなんて絶対に行かない! 時雨も一緒に行くの!
どこへ行くのか分からない。それでもどこか寂しそうな時雨の手を掴んだまま一歩も引かない私。
……「めーちゃんは、自由になれる」?
その言葉は、夢で「僕は逃げられない」と言った彼の言葉と重なった。
(あの夢は、結局なんだったのかしら……)
けれど、どれだけ待っても、その続きの景色は浮かんでこない。
思考は現実に引き戻され、視界は見慣れた部屋の風景をただ映し出すだけ。
(……何だったの、今の光景……)
夢で見た光景とも違う。でも、確かに何かが見えた気がした。
「アリシア様?」
黙り込んだ私を不思議そうに見るルーティ。
「……ねえ、ルーティ」
「はい?」
「お姫様が王の影を連れ出すのってアリだと思う?」
さすがに今見えた光景を、そのまま聞くのは憚られた。
けれどふと顔を上げた時、私の質問にルーティが物凄く嫌そうな顔をしたのが見えた。
「アリかナシかで言えば嫌すぎますが、あの人なら有り得そうですね。というか、想像の中の物語でくらいちゃんと格好つけてほしいんですけど」
「……あの人?」
ぶつぶつと文句を言い続けるルーティ。
その言い方に私は首を傾げる。どういうことだろう。時雨を、彼を知っているのは私だけのはずなのに。
「まるで知っている人のように話すのね」
ルーティも知ってるといいなと思って私がそう言うと、ルーティが一瞬固まった。
どうしたのだろう。ルーティの反応がどこかおかしい気がするのだけれど。
それからそれを誤魔化すように、ルーティは笑みを浮かべた。
「言ったでしょう。帝国版には詳しく載っていると。ああ、そうそう。他の本にご興味があるのなら、旦那様に話を振ってみるといいですよ。旦那様、桜華国物語を全種お持ちでいらっしゃいますから」
「え、父が桜華国物語を全種?」
ルーティの言葉に驚いた。まさか父が同じ本を持っているとは思ってもみなかったから。
「はい。掃除係だった時に見つけた時は驚きました。奥様に聞いたら、旦那様、筋金入りの桜華国マニアだそうで。アリシア様も気になるのなら、旦那様に聞いてみてはいかがですか?」
微笑みながらそう言うルーティ。ルーティ、料理係だけでなく掃除係もしていたのね。
けれど私はその提案にすぐには頷けなかった。
「でも……話しかけたりしたら迷惑なんじゃ……」
ずっと話しかけるなと言われていた言葉が脳裏をよぎる。
でも、それもずっとメアリーに言われ続けてきたこと。実際に両親から言われた言葉ではない。
頭では分かっているのに、長年染み付いたものは、そう簡単には消せない。
「それなら私から聞いてみましょうか。そうすれば、アリシア様は話に乗るだけで済みますから。旦那様が嫌がるようでしたら、そのまま話を流せばいいだけですからね」
そんな私の言葉に、ルーティがそう言ってくれる。
自分から無理に動かなくていい。でも話が出来るならすればいいと言ってくれた。
ルーティのその気持ちが嬉しくて、自然と笑みが浮かぶ。
「それなら……お願いしようかしら」
「かしこまりました」
私の言葉を笑いながら受けてくれるルーティ。
ルーティが話を振った時、父がどんな反応をするのか。それが少し怖くもあり、楽しみでもあった。




