十一話
────鏖殺人がその路地に赴いた時には、既にジンの姿はなかった。
痕跡一つ残っていない地面を見つめながら、鏖殺人は落ち着いた様子でボソリと呟く。
「連絡が取れなくなって一時間……作戦は成功したようだな」
一人で頷いた後、彼は右手をすっと上げた。
次の瞬間、誰もいなかったはずの路地にゆらりと黒い人影が出現する。
細身の女性だ。
彼女は足音も立てずに路地を歩き、やがて鏖殺人の背後にまで近づいた。
普通の人間なら、恐怖で悲鳴の一つでもあげていただろう。
だが、鏖殺人は様子を変えない。
当然だ。
彼女をここに配置したのは、鏖殺人自身なのだから。
「状況は?」
「手筈通りです。一時間前、須郷ジンは桧山ゲンゾウと思しき男性に連れ去られました。現在、妹が尾行しています」
「彼女にわざわざ戻ってきてもらった甲斐があったな……尾行は成功しているか?」
「はい。問題が無いことの確認として、五分置きにスズメを飛ばすように指示しているのですが、今もそれは途切れていません。見失っていれば、そのことを書いた手紙をスズメが運んできているはずです」
「ならば、良い……しかし」
鏖殺人は不意に振り返り、報告した部下の姿を見つめる。
見つめられた当人は、彼の珍しい行動に驚き、瞬きを一つ返した。
「……なんでしょう?」
「いや、君らを二等職員として雇い入れたことが、変なところで役に立ったと思って。このスズメもそうだが……」
眼前の彼女を転生局で雇い入れたのは、今から五年以上前のことだ。
最初はその能力にそこまでの期待はしていなかったのだが、中々どうして、役に立ってくれている。
「……お褒めにあずかり光栄です。ですが、急がれた方がよろしいかと」
「そうだな。桧山ゲンゾウが予測通りの動きをするのならば、そろそろあの警士を殺そうとする頃だろうからな」
「ええ。連絡なしで囮として利用した警士をむざむざと殺されてしまっては、中央警士局との関係悪化は避けられないかと」
「分かっている……スズメを一羽、貸してくれ」
そう言いながら、鏖殺人は愛刀をすらりと抜き放った。
刀の調子を確かめているかのように。
……ジンが久しぶりに聞いた音は、ブンッという風切り音だった。
一度や二度ではない。
規則正しく、その音は鼓膜を震わせる。
ブンッ!
ブンッ!
ブンッ!
ブンッ!
リズムが一切狂わない。
正確過ぎるせいで、聞いていて不安になってくるほどだ。
ぼんやりとした意識の中で、ジンは「この音は何だ」と考える。
風切り音がするぐらいなのだから、何かが空気中を移動しているはずなのだが。
その何かがよく分からない。
高速で移動して、しかし鋭い風切り音を作る物。
人が一定の速度で振り回せる物。
そう、例えば。
剣を持って、全力で素振りをしているかのような────。
「――――――!」
そこに思い当たると同時に、ジンの脳細胞の全てが一瞬にして覚醒した。
眠気など幻のように消滅し、目の焦点もカチリと合う。
「ここは……」
清明になったジンの視界に、古びた小屋の情景が飛び込んだ。
狭い小屋だ……木の板を貼り合わせて作ったんじゃないかと思うくらい、粗雑な構造をしている。
壁もボロボロで、いくつも穴が空いていた。
周囲を観察すると同時に、ジンは自分の両手両足が縛られていることに気が付く。
ジンの体は現在、体育座りしたまま壁に背中を預けているのだ。
ただし、腕については後ろで縛られているが。
慌てて体を動かしたが、ジンの体がその場から動くことはなかった。
どうやっているのかは分からないが、後ろに回された両腕は壁に貼り付けられているらしい。
……ブンッ!
──あ、また聞こえたぞ、風切り音。
そこで再び例の音が響いたため、ジンの意識はそちらに向かう。
今度は意識がはっきりしていたため、音の位置まで把握出来た。
ジンが固定されている壁の真裏……小屋の外で、この音は発生していた。
──誰かが、小屋の外で抜刀術の練習をしているのだ……。
流石にここまでくれば、ジンにも状況は把握出来た。
詰まるところ、自分は壁の裏に居る人物に連れ去られたらしい。
──だからあそこにいるのは、桧山ゲンゾウだ。どうやったかは分からないが、俺を気絶させてここまで運んだ。そして俺を、「見立て」通りに殺す練習をしている……。
それを理解した途端、ジンの背中に寒気が走った。
いくら警士として何人もの犯罪者を相手してきたとはいえ、ジンには連続殺人犯に捕まった経験などない。
恐怖するのは当然だった。
しかも、周囲に鏖殺人の姿はない。
ジンを見失ってしまったのか、そもそも護衛などしてくれなかったのか。
──何にせよ、早く逃げないと……!
そう感じて、ジンは何とか拘束から逃れようとする。
だがそれをする間もなく、状況は変化してしまった。
背後から聞こえてきた風切り音が消失し、代わりに足音が聞こえてきたのである。
「……起きたのか、小僧」
予想していたよりも、随分と渋い声。
連続殺人犯・桧山ゲンゾウは、その声だけでジンを圧した。
────殺人犯と呼ばれる人間たちは、他の人間には持ちえない独特な雰囲気を有していることがある。
極端な例を言えば、先日面会した酒井がそうだ。
同僚を複数人殺した彼は、独房の中にいながらも異様な存在感を放っていた。
また、鏖殺人も似たような雰囲気を有している。
殺している相手こそ異世界転生者ではあるが、彼の周囲を漂う空気感は独特だ。
だからこそ、人々は彼を恐れるのである。
そして、桧山ゲンゾウもまた……その例からは逃れていなかった。
少なくとも、ジンはそう感じた。
鏖殺人の話によれば六十八歳のはずだが、彼の風貌は老人のそれではない。
粗く削られた岩塊のような顔は、彼が今までくぐってきた修羅場を彷彿とさせ、見た者を威圧する。
背も高い。
百八十弱はあるだろう。
腰は曲がってなどおらず、地面に垂直に、綺麗な形で背筋を伸ばしている。
古い軍服──彼が忠義を誓っていた、天司家における護衛用の服だろうか──を身に着けているために分かりにくいが、手足の太さも老齢のそれとは思えなかった。
力こぶなど、ジンよりも大きいだろう。
とにかく、デタラメに強そうな老人がそこに居たのだ。
そのせい、とまでは言わないが。
彼の姿を見た瞬間、ジンはあらゆる動きを止めて────諦めてしまった。
彼が全力で追ってくれば、きっと自分は逃げ切れないと理解してしまったのだ。
だからジンは、そこでは大した抵抗をしなかった。
そんなジンを尻目に、不意に桧山ゲンゾウは口を開く。
「……あと、十五分だ」
「……は?」
よく分からない言葉に、意図せず反応をする。
すると向こうは何を思ったのか、解説めいたことを言ってきた。
「御当主様の死亡時刻は、十七時だった。今は十六時四十五分。だから、十五分後にお前を殺す。それまで……俺はここにいる」
──死亡時刻まで含めて「見立て」をしていたのか……?
どうやら今まで殺された被害者たちは、彼が復讐を誓うほどにまで慕っていた、天司家の人間の死亡時刻に合わせて殺されていたらしい。
そこまで考えた時点で、不意にジンは彼に対して、とある質問をしたくなった。
大した質問ではない。
自分や鏖殺人の推理が合っているのかどうか、確かめたくなったのだ。
この状況を見る限り、ジンの余命が十五分であることはまず間違いない。
剣豪と謳われた殺人犯が、ジンの目の前で殺害時刻まで見張ると言っているのだ。
どう抜け出せと言うのか。
それを自覚した瞬間から、ジンの胸の奥はスッと冷たくなっていた。
気力や合理的な判断力なんて、完全に失せている。
だからなのか、「どうせなら死ぬ前に、事件の真相を本人の口から聞きたい」という感情しかジンには残っていなかったのだ。
「……なあ」
「……」
桧山は、何も答えない。
だが、それでも問いかけた。
「あんたは天司家の人間の復讐のために、転生局の人間を襲っている……それで合ってるか?」
桧山の肩が少し震える。
それをジンが視認した途端、小屋を吹き飛ばしそうな声量で桧山は怒鳴った。
「復讐などではない!これこそ忠義の証……償いなのだ!」
汚い床に散らばる砂がビリビリ震え、小屋の壁もガタガタと共振する。
至近距離でそれを聞いてしまったジンも無傷ではなく、耳が大分痛んだ。
しかしそんな様子は目に入らないのか、桧山は流れるように持論を話し続ける。
「そもそもにして、俺の忠義を犯罪などとぬかすから被害が広がるのだ。俺は今、間違いなく正しい行動をしている」
「……はあ」
「第一、これは俺の個人的感情に基づくものではない。社会正義の実現なのだ」
「……へえ」
相手を出来るだけ刺激しないよう、ジンは適当な返事を返す。
どうにも分からない理屈だが、殺人犯の頭の中では理路整然としているらしい。
だが、最後の言葉は気になった。
「……社会正義とは、どんな?」
間髪入れずに、桧山は返答した。
ジンからすれば意外でしかない言葉を添えて。
「決まっている。異世界転生者の救済だ」
──……異世界転生者?何で彼らがここで出てくる?
思ってもいなかった単語に、思わずジンは眉を寄せる。
そして疑問を抱くと同時に、小屋の外から何者かの足音が聞こえてきた。




