六話
「承認されている面会時間は、三十分のみです。ゆめゆめお忘れなきよう」
「ああ、わかっている。……無理な面会要求、通してくれてありがとう」
以前からの知り合いであるその刑吏は、何も言わなかった。
無茶な要求をしたジンに対して、まだ怒っているのか。
はたまた、この場所──死刑になることがほぼ確実な、凶悪犯罪者を捕えておく独房では、無駄口をたたかぬように決めているのか。
どちらにせよ、ジンからすればどうでもいいことだ。
刑吏に見送られ、ジンはその空間に一歩、踏み出す。
その途端に、カビと湿気が織りなす、嫌な臭いがジンの鼻を突いた。
耐え難い悪臭、と言うほどではない。
だが確かに、この場所が娑婆の建物ではないことを示す、気が滅入りそうな臭い。
この建物の中で最も外界に近い、面会室ですらこの有様なのだから、「奥」はもっと凄いのだろう。
──「囚人にも人権はある」とは、法務省が掲げる建前だが、果たしてどこまで守られているのやら。
久しぶりに訪れた場所を前にして、ジンはそんなことを思う。
だが、その思考をすぐに打ち切り、彼は前を見つめた。
面会室の中央、そこには一脚の椅子が床に固定されており──その上には、縄と金属で動きを封じられた、一人の犯罪者の姿がある。
椅子が小さく見える程の、極めて大きな体を持つ男性だ。
座っているために分かりにくいが、身長は二メートル近くあるだろう。
しかも、決してひょろ長いわけではなく、胸板と言い両腕と言い、鋼鉄のような筋肉で包まれている。
囚人服さえ来ていなければ、格闘家か、あるいは警士のどちらかだと推察されたことだろう。
ある意味で、その推察は合っている。
彼は確かに、ほんの数か月前まで、中央警士として働いていたのだから。
「……久しぶりだな、酒井」
出来るだけ感情を声に乗せないようにして、声をかける。
そうしなければ、何か不要なことを言ってしまいそうだった。
「……あら、お客ってあなたなの?」
ジンの問いかけに、彼は滑らかな言葉遣いで返答する。
それを聞いて、ジンは何とも言えない気分になりつつ、会話を続けた。
「聞きたいことがある。……多分、お前にとっても興味深い話だ」
「あら、お客が来ること自体珍しいのに、私の趣味に合う話まであるなんて、もっと珍しいわね」
「……聞く意思はある、ということで良いな?」
「ええ。どうせ死刑になるまで暇だもの」
何でもないことのように告げられた言葉の衝撃に、ジンは一瞬絶句する。
だが、三十分しかない、と言う事情から、僅かでも止まることは許されない。
意を決して、ジンは持ち込んだ資料を簡潔に読み上げた。
「王都で、ある奇妙な殺人事件が起こった。中央警士局の本部ですら犯人を未だ確保出来ていない、難しい事件だ。お前の意見を……殺人犯の視点を、借りたい」
ジンは、そこで今まで調べた全てのことを語った。
自身が第一発見者になった、鐘原ツバキの死。
遺体が両断されるという、事件の異常性。
ふとした思い付きから見つけた、八年前の事件。
二つの事件の間に存在する、無視できぬ共通点。
彼は────連続殺人犯・酒井ヒロシは、顔色一つ変えずに、その話を聞いていた。
聞き流しているのではない。
その話を咀嚼し、自分の中で何かを組み立てていることが、表情からわかった。
支部とはいえ、彼もまた中央警士として短くない期間勤務していたのだ。
ずば抜けて優秀、と言うわけではなかったが、同僚たちに後れを取るほど愚鈍でもなかった。
今も彼の中では、本部の中央警士と同様に、推理が組み立てられているのだろう。
その様子を観察しているうちに、ジンの口は事件のことを語り終える。
時間制限がある分、かなり要約しなくてはならなくなったが、それでも重要な部分は伝えきったはずだ。
急いたジンは、喉の渇きを無視して問いかける。
「俺一人の思考では、ここで詰まった……そのうえで聞きたい。お前なら、この犯人の行動は理解できるか?この犯人の意図がどこにあるか、説明できるか?」
「……その前に一つ、聞きたいのだけれど」
手枷を揺らし、酒井はあどけない口調で疑問を口にする。
特に拒否する理由もなく、ジンはそれに応じた。
「あなた、こんな情報を私に漏らして大丈夫なの?ただでさえ左遷されているのに、もっと酷いことにならない?」
「……まさか、死刑確実の人間から身の振り方を心配されることになるとは思わなかったな」
予想外の方向からの疑問に、思わず妙な感心が漏れる。
だが、尤もと言えば尤もな疑問でもあるので、あっさりとジンは答えた。
「酷いことにはなるだろうな。仮に俺がお前の手を借りて、本部よりも先に犯人を捕まえても、無罪放免とはならないだろう」
懲戒免職で済めばまだ良い方だ。
最悪の場合、ジンはこの独房に近い建物で何年か暮らす羽目になるだろう。
もちろん、どう重く見積もっても目の前の男よりはマシな状態だろうが。
「それなのに、何故?私が捕まってからのあなたのことは知らないけど、人並みに出世やお金に興味があったでしょう?」
「まあそうなんだが……何というか、勘、かな」
「勘?」
「ああ。何故かはわからないが、俺の勘が……中央警士としてそれなりに働く中で作られていった『警士の勘』が、ここで引くな、と言っている。この事件に関わってから、ずっと」
ジン自身にも、何が自分を駆り立てているのかは、よく分かっていない。
だが、今更引けない、ということだけは分かっていた。
何にせよ、ここまで酒井に話してしまった時点で、賽は投げられているのだ。
もはやなぜ、だとかどうして、だとかいった疑問には意味が無い。
そう伝えると、酒井はフーン、と一言呟き、次の疑問を口にした。
「もう一つ聞きたいんだけど……あなた、この事件について、本当にぎりぎりまで考えたの?割と頭が固い人だったけど、簡単なことを見逃すような馬鹿じゃなかったでしょう?」
「……どういう意味だ?俺が手を抜いているとでも?」
「そうはいっていないけれど……いえ、ごめんなさいね。あまりにも単純な謎なのに、分かっていないみたいだから」
そう言うと、酒井は顔を上げ、ジンをまっすぐに見つめた。
「あなたの推理は間違っていないわ。この事件は確かに『見立て』よ。事件と事件の間に時間が立ちすぎているから、分かりにくいけれど」
「……根拠は?」
「馬鹿ねえ。そんなの、死体の状況からしてあからさまじゃない!」
酒井はそこで、まるで出来の悪い教え子と相対した教師のように、ため息をついた。
「もう一度聞くわよ。その鐘原とか言う女の死体は、体の半分しか現場に残されていなかったのよね?」
「ああ」
「そして、八年前の事件の方は、ある意味その逆──一度は首を切断されたのに、わざわざ縫い合わされていたのよね?」
「ああ」
「そして、それをやったのは恐らく同一犯……だとしたら、これはセットで語るべきよ」
「セット?」
「そう。これは、八年前に一人、そしてつい最近もう一人殺された、なんて事件じゃない。八年間かけて、転生局との連絡役が『一・五人』殺された、と考えるべきなのよ」
一瞬、ジンは酒井が言っている言葉の意味が理解できなかった。
故に、聞き返す。
「一・五人……?」
「そう。だって、素直に考えればそうなるでしょう?一人の死体と、普通の人間の半分しかない死体が見つかったんだから」
「……いや、仮にそうだとしても、それに何の意味があるんだ?ただの言葉遊びじゃないか」
「鈍いわねえ」
処置無し、とでも言いたげに、酒井は首を振る。
「そりゃあ、俗称の類だから公的な文書には載っていなかったでしょうし、事情聴取でも普通皆正しい言葉遣いをするから、後追いをしているあなたでは、気が付かなかったのも無理はないかもしれないけれど……。いい?よく聞きなさい。殺された二人はね、多分一・五等職員よ」
頭を誰かに叩きつけられたかのような衝撃が、ジンの体を駆け抜けた。
同時に、今まで覚えこんだ事件の記録が、次々と有機的に繋がっていく。
一・五等職員────「イチゴ」と呼ばれることもある、二等職員でも特に優秀な者たち。
何らかの理由で一等国家試験を受験していないが、一等職員に負けない程、重要な仕事を任された者たち。
一等職員と二等職員の間にいるとして、このあだ名で呼ばれるものはそう多くない。
一等職員の補佐官か、あるいは……地味に重要な仕事として、彼らに任されることの多い、転生局との連絡役。
ジャクは言っていた。鐘原ツバキは家庭の事情から、頭脳は優れていたというのに、一等職員にならなかった、と。ならば、一・五等職員と呼ばれる可能性は十分にある。
と言うより、実際にそう扱われていたのだろう。まだ若いというのに、転生局との連絡役を任されていたのだから。
だが、酒井の言う通り、公的な記録である捜査資料には、俗称の類は記載されない。仮に記載されていても、正式名称に書き直されるだろう。
故に、八年前の事件記録でも、ジャクが集めてきた情報でも、彼らは「二等職員」と記載された。
いくら内部で一・五等職員と呼ばれていても、それはあくまで、慣例に基づく通称。階級としては二等職員のままなのだから。
そして、彼らが「一・五人」殺されたというのなら。
この「見立て」は。
「……まさか、標的の階級に従って、人を殺しているというのか?二等職員なら、二人殺す。一等職員なら、一人殺す。そして一・五等職員なら、一・五人殺す、と言った具合に……」
「そうでしょうね。……だから、これはきっとカウントダウンよ。数えているんだわ。死体を使ってね」
「……あり得ない。まさか、そんな。どう考えても、非効率的だろうに」
「あら、私の前で、それを言うの?」
酒井は、完全に馬鹿にした口調で、ふふんと笑う。
それを聞いて、ジンは思い出す。
目の前で笑っているこの男こそ、その手の殺人をやったことがある経験者だ、という事実に。
少し前、異世界転生者が一人、焼死体で発見された。
その一か月後、同様に、異世界転生者が二人、焼死体で発見された。
これ自体は、同一の火災現場から異世界転生をしてきた者たちの残骸が、時間差をおいて発見されただけであり、事件でもなんでもなかった。
だが、身元が分かるものを所持していなかったため、彼らが異世界転生者だと断定できず、中央警士局はしばらく、連続殺人として捜査をしていた。
それに乗じて、酒井は────もう一か月後に、中央警士を三人殺した。
連続殺人なら、一月ごとに死体の数が増えた方が面白いだろう、という、余りにも馬鹿らしい理由で。
そして、ジンが彼を尾行していたまさにその時、酒井は四人の人間を殺そうとしていた。
ただ、一か月たったから、と言う理由で。
ジンは思わず「あり得ない」と口にしたが、あり得ない話ではないのだ。
目の前にいる酒井が、それを証明している。
数や演出に拘る殺人犯が、実在することを。
「なら、この事件はまだ終わっていない……」
「そうね。そして多分、始まりがこの二人、と言うわけでもないわ」
「これが連続殺人だというのなら……八年前よりもさらに前に、殺されているというのか。一等職員が一人か、二等職員が二人、既に殺されていると」
「ええ」
それが当たり前のことのように、酒井が軽く首肯し、ジンは常識との隔たりに軽い眩暈を覚える。
「……どちらだ?一等職員か、二等職員。どちらが先に殺されている?」
「私なら、二等職員から狙うわね。上からやっていったら、最後は雑魚狩りになっちゃうでしょ?だから、楽しみを残すためにも、狙う相手の階級は上げていくと思う」
「ならば、次は一等職員が一人、狙われる?」
「多分、だけどね。一・五等職員に八年もかけたんだから、次は何年後か分からないけど」
そう告げてから、酒井は顔を少し引き締めた。
「問題はその次よ。これがカウントダウンとしての役割を果たしていくのなら……二、一・五、一と数えたのなら、最後の標的はやっぱり『ゼロ』でしょう?」
「ゼロ。一等職員のさらに上、となると……特等職員か?」
「そう、それが最後の標的。そして多分、犯人が最も殺したい人物よ。この手の数え歌みたいな『見立て』は普通、最後の標的を怖がらせ、炙り出すためにやるんだから」
「つまり、犯人はその特等職員に恨みを持つ人物……」
ジンは自分の脳内で、一番他人から恨みを買っていそうな特等職員について考える。
思い浮かんだのは、やはり────鏖殺人だった。




