八話
……やがて、大樹たちはアカーシャ国へ向けて再出発した。
鏖殺人がどのくらいあの場に留まってくれるか分からない。
ある程度休憩したら、すぐに動いた方がいいと判断されたのである。
「足音を立てないようにしてくれ。枝や草も折らないように」
「……鏖殺人は、それだけでも気づくから」
大樹の前を歩く新と瑠璃が、小声で注意をしてくる。
鏖殺人が実際に現れた以上、彼らの警戒度も上がっているのだろう。
大樹も鏖殺人の脅威は確認しているため、無言で言われた通りのことを実行する。
だが────。
物音を殺して歩く大樹の隣で、ガサガサと大きな音が鳴る。
溜め息を押し殺して振り返れば、そこには一花がぶんぶんと手を振り回している姿があった。
それだけでなく、小声でブツブツと呟いてもいる。
「……朝礼はまだ?先生、遅いね……また二日酔いかな……ねえ、大樹君、学級委員は誰がなると思う?ねえ、大樹君ってば……」
大樹に向かって呼びかけているものの、彼女の顔は大樹には向いていない。
いや、どこを向いていようと、彼女はもう何も認識できないだろう。
目を覚ましてから、一花はずっとこのような状態だった。
今は大樹が彼女の手を引いているために、森の中を何とか歩けている。
しかし手を放したが最後、彼女は森の奥にふらふらと進んでしまうに違いない。
だって……鏖殺人に斬られたことと、クラスメイトたちの殺害を知ったショックで、彼女はもう壊れてしまったのだから。
彼女が言いつけを守れていないことは自明だったが、新と瑠璃は何も言わなかった。
言っても聞きやしない、と諦めているのだろう。
或いは、脅されたとはいえ鏖殺人を呼びこんでしまった彼女に対し、隔意があるのかもしれない。
大樹とて、一花を見る目は今までのそれとは異なってしまっていた。
だが、繋いでいる手を放そうとはしない。
最早、生きている大樹のクラスメイトは彼女だけなのだから。
──まあ、それでも対応はかなり難しいんだけど……。
そう思った瞬間に、一花がまた肝を冷やす行動をする。
「授業、まだ始まらないのー?……私、呼んでこようか……せんせー!」
大樹は慌てて、彼女の口を塞いだ。
声が大きすぎる。
これで鏖殺人が追い付いてしまっては、泣くに泣けない。
──しっかりしてくれよ、委員長……。
未だに口をもごもごさせている一花を押しとどめながら、大樹は嘆息する。
かつての彼女を知ってしまっているだけに、大樹はこの姿を見ていられなかった。
この現実を受け止められない気持ちは、大樹にもよく分かる。
大樹自身、あの虐殺を目撃してからは平静でいる訳ではない。
自分よりも壊れてしまっている一花が隣にいるために、相対的に症状が軽くなっているだけだ。
新たちが移動中に碌に話しかけてくれないことも、辛さを助長している。
急いでいるのもあるのだろうが、二人して大樹たちの心情を配慮するようなことは口にしなかった。
彼らにしても、鏖殺人にこうも直接的に追われるのは初めてなのだろう……恐怖心から、同行者に配慮するような余裕が失われているのだ。
結果として大樹は、自分自身も恐怖で震えながら、壊れた一花の手を引き続けることになっていた。
一秒後の自分が、本当に生きているのか確証も得られぬまま。
──いつまで続くんだ、こんなの……早く終わって欲しい。
そう考えた瞬間だった。
あまりにもあっさりと、終わりはやってきた。
最初にそれに気が付いたのは、瑠璃だった。
小さな肩をぶるぶると震わせ、ガクガク揺れながら前方を指さす。
「……新、あそこ!」
「うん?……あ、あれは!」
新も何かに気づいたらしく、ポカンと口を開ける。
意味が分からなかった大樹は、背後から小声で尋ねてみた。
「すいません、何があるんです……?」
「……石碑よ」
「石碑?」
「……アカーシャ国とグリス王国の間の国境線は、長すぎるから要所以外は警備をおいていない。だけど国境線が分からないと不便だから、所々に石碑を置いてあるの……」
その言葉に合わせて、瑠璃は二百メートルほど前方の場所……林道の奥を指さす。
指さされた方向を見ると、確かに大きな石碑が置いてあった。
国境沿いにある石碑が、こうして目の前にあるということは────。
「じゃ、じゃあ、俺たちって……」
「ああ!鏖殺人から逃げ出した方向が良かった……上手い具合に、アカーシャの方向に進んでいたんだ!」
「……辿り着いた、アカーシャ国へ!」
新と瑠璃が、自分たちが言ったことも忘れて大声で叫ぶ。
無理はあるまい……この五日間感じ続けていた死の恐怖が、やっと和らぐのだ。
大樹もこの瞬間だけは、クラスメイトの死も忘れて、自分たちが助かることに興奮した。
新たちは顔を見合わせて、「グリス王国の潜入部隊になって初めて、異世界転生者をアカーシャ国に逃がすことに成功した!」とか、「これでアカーシャ国に保護させれば、そこから『人の翼』に協力してもらえる人間を養成できる!」とか叫んでいる。
その後ろで、一花は訳が分からないような顔をしていた。
「ねえ、大樹君―?先生はー?」
「いいんだ、委員長……もう、いいんだ。もう、大丈夫だから!」
「……早く行きましょう、二人とも!」
珍しく興奮した口調の瑠璃に引きずられて、三人はその場から駆け出す。
一花もまた、それについていった。
ただ希望だけで胸をいっぱいにして、精一杯に足を踏み出して────。
────すぐに彼らは、その足を止めることになった。
「どうせアカーシャ国に向かうんだから、追いかけるのではなく国境で張っていればいい。そう推理して先回りしたが……どうやら当たっていたらしい」
石碑の裏に隠れていた鏖殺人が、ゆらりと身を乗り出しながらそんなことを言う。
少し乾いた返り血のせいで、どこか赤黒くなった仮面。
それが、森の中で不気味に輝いていた。
「大樹君……あの人、何?コスプレみたい……」
現実逃避から帰ってこない一花が、場違いな声を漏らす。
しかし他の三人には、彼女の言葉に対応する暇は無かった。
「鏖、殺人……!」
「……そんな、早すぎる!」
新と瑠璃の二人が、悲鳴のような声で反応を返す。
大樹に至っては、反応すら出来なかった。
そんな彼らを尻目に、鏖殺人は冷静に人数を数え始める。
「一、二、三、四……よし、四人全員居るな。仲間割れでもされていたら探す手間が増えていた……感謝するよ、殺しやすい状況にしてくれて」
大樹のクラスメイトたちを虐殺した時と同様、軽口を叩きながら鏖殺人は刀を抜く。
その様子からは、強い覚悟は感じられなかった。
例えるならば残業を渋々こなす大人のような、疲労感だけが漂っている。
その様子を見た新は、苦し紛れに声を絞り出す。
何か口にしなくては、心が押し潰されそうだったのだろう。
「あ、あの子たちを……罪も無い子どもを殺した大量殺人犯が、よくもまあ堂々と生きていられるものだな!その厚顔無恥さ、尊敬するよ!」
「……皆、良い子たちだったのに!」
中身のない罵倒には、瑠璃も参加した。
もちろん、鏖殺人はその言葉に何も感じ取らない。
ただ、ポツリと反論を返した。
「違うな……彼らは決して、善良な異世界転生者などではない」
「……何でー?」
ふらふらしたままの一花が、突然明るく問いかける。
鏖殺人は、彼女の方をちらりと見て短く返答した。
「簡単だ。死んだ異世界転生者だけが、善良な異世界転生者だからだ……この世界は、それを前提として作られている」
そこで、鏖殺人は一歩踏み出す。
「だから今から、俺の手で君たちを『善良な異世界転生者』にするとしよう」
彼の言葉は、静かな森の中でよく響いた。
そして次の瞬間、言葉を掻き消す程の金属音が響く。
新が怒気を抑えきれぬ様子で斬りかかり、またしても鏖殺人がそれを受け止めたのだ。
ここに、最終戦が始まった。




