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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
六章 鏖殺人と漂流者たち
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八話

「できるだけ足音を立てないようにしてくれ。枝や草も折らないように」

「……鏖殺人は、それだけでも気づくから」


 大樹の前を歩く新と瑠璃が、小声で注意をしてくる。

 アカーシャ国に向けて再出発してから、このような注意をしてくる回数が増えた。


 鏖殺人が実際に現れた以上、彼らの警戒度も上がっているのだろう。

 大樹とて、鏖殺人の脅威は確認したため、無言で言われた通りのことを実行する。


 だが────。


 物音を殺して歩く大樹の隣で、ガサガサ、と大きな音が鳴る。

 ちょうど、葉の生えた枝に、腕をひっかけたかのような音だ。


 ため息を押し殺して振りむけば、そこには予想通り、一花が手を振り回している姿があった。

 しかも、腕を何故かブンブンと振り回すだけでなく、ぶつぶつと小声で呟いてもいる。


「……朝礼はまだ?先生、遅いね……また二日酔いかな。……ねえ、大樹君、学級委員は誰がなると思う?ねえ、大樹君ってば……」


 大樹に向かって呼びかけているものの、彼女の顔は大樹には向いていない。

 いや、どこを向いていようと、彼女はもう何も認識できないだろう。


 目を覚ましてから、一花はずっとこのような状態だ。

 今は大樹が彼女の手を引いているために、森の中を何とか歩けているが、手を放したが最後、彼女は森の奥にふらふらと進んでしまうに違いない。


 彼女の様子が異常であり、言いつけを守れていないことは自明だったが、新と瑠璃は何も言わなかった。

 言っても聞きやしない、と諦めているのだろう。

 あるいは、脅されたとはいえ鏖殺人を呼びこんでしまった彼女に対し、隔意があるのかもしれない。


 大樹とて、一花を見る目は、どうしても今までのそれとは異なっていた。

 だが、今繋いでいる手を放そうとはしない。

 もはや、生きている大樹の友人は彼女だけなのだから。

 

 大樹たちが異世界に来て五日目の朝は、このようにして過ぎていった。






 鏖殺人がこの森の中にいる以上、一刻も早くアカーシャ国に行く必要がある。

 一花が寝込んでいる間に行った会議で、三人の意見は一致していた。


 今この瞬間にも、鏖殺人が背後から斬りかかってくるかもしれない。そう思えば、うかうかしてはいられなかった。

 一花の様子が異常であっても、誰もそれを解決しようとしないのは、こういった事情があるからでもある。


 しかし。


「授業、まだ始まらないのー?……私、呼んでこようか。……せん、せー!」


 一花が突然大声を上げようとしたために、大樹は慌てて彼女の口をふさぐ。

 これで鏖殺人が追い付いてしまっては、泣くに泣けない。


 ──しっかりしてくれよ、委員長……。


 未だに口をもごもごさせている一花を押しとどめながら、大樹は嘆息する。

 彼女がこうなってしまった理由を知ってしまっているだけに、大樹は彼女の現在の姿を見てはいられなかった。


 一花が、自分の心の安寧を保つために、現在の状況を夢だと思おうとしていることは、彼女の言葉から読み取れた。

 その気持ちは、大樹にもよく分かる。大樹自身、あの虐殺を目撃してなお、平静でいるわけではない。

 自分よりも壊れてしまっている一花が隣にいるために、相対的に症状が軽くなっているだけだ。


 これだけでも十分辛いのだが、新たちが移動の注意以外、碌に話しかけてくれないことも、辛さを助長する。

 新も、瑠璃も、急いでいることもあるのだろうが、大樹たちの心情を配慮するようなことは口にしなかった。

 彼らにしても、鏖殺人にこうも直接的に追われるのは初めてなのだろう。そのせいで、同行者に配慮するような余裕が失われているのだ。


 結果、大樹は自分自身も恐怖で震えながら、壊れた一花の手を引き続けている。

 一秒後の自分が、本当に生きているのか確証も得られぬまま。


 ──いつまで続くんだ、こんなの……。


 そう考えた瞬間だった。

 あまりにもあっさりと、「天運」は降り注いだ。








 最初に気が付いたのは、瑠璃だった。

 彼女の小さな肩をぶるぶると震わせ、怯えたような仕草で前方を指さす。


「……新、あそこ!」

「うん?……あ、あれは!」


 新も、それに初めて気が付いた、とでも言いたげな様子で、ぽかん、と口を開ける。

 そのまま二人が呆けてしまったので、意味が分からなかった大樹は、小声で尋ねる。


「すいません、何があるんです……?」

「……石碑よ」

「石碑?」

「……アカーシャ国とグリス王国の間の国境線は、長すぎるから要所以外は警備をおいていない。だけど、国境線が分からないと不便だから、所々に石碑を置いてあるの……」


 その言葉に合わせて、大樹は瑠璃が指さす、二百メートルほど前方の場所を見つめる。

 すると、確かに大きな石碑が置いてあることが分かった。

 国境沿いにある石碑がそこにあるということは……。


「じゃ、じゃあ、俺たち……」

「ああ!鏖殺人から逃げ出した方向が良かった。上手い具合にアカーシャの方向に進んでいたんだ……!」

「……辿り着いた、アカーシャ国へ!」


 新と瑠璃が、自分たちが言ったことも忘れて、大声で叫ぶ。

 だが、それも無理はあるまい。この五日間感じ続けていた死の恐怖が、やっと和らぐのだ。

 話を理解した大樹も、浅ましい話だが、この瞬間だけはクラスメイト達の死の光景を忘れ、自分たちが助かることに興奮した。


「ねえ、大樹君―?先生はー?」

「いいんだ、委員長。もう、いいんだ。怖いものは、もう、いなくなる!」

「……早くいきましょう、二人とも!」


 珍しく興奮した口調の瑠璃に引きずられるようにして、三人はその場から駆け出す。一花もまた、それについていった。

 もう少し自制心が弱ければ、歓声を上げていたかもしれない。

 ただ希望だけで胸をいっぱいにして、精一杯に足を踏み出して────────五十メートルも走らないうちに、その足を止めた。


 何故か?


 それは、声が聞こえたから。

 石碑の傍に生える大木に身を隠した、彼の声が聞こえたから。




「どうせアカーシャに向かうんだから、追いかけるのではなく国境で張っていればいい、と踏んでいたのだが……どうやら当たっていたらしい」




「大樹君……あの人、何?コスプレみたい……」


 現実逃避から帰ってこない一花が、場違いな声を漏らす。

 だが、彼女も深層心理では理解しているはずだ。


「鏖、殺人……!」

「……そんな、早すぎる!」


 新と瑠璃の二人が、悲鳴のような声で反応を返す。

 大樹は、反応すらできなかった。


 一花の世話をすることで辛うじて閉じていた虐殺の記憶が復活し、膝が笑いだしてしまったのだ。

 生まれたばかりの獣のように、ただただ震える。

 そんな彼らを尻目に、鏖殺人は冷静に分析した。


「良かった、四人全員居るな。仲間割れでもされていたら探す手間が増えていたが……感謝するよ、殺しやすい状況にしてくれて」


 大樹のクラスメイト達を虐殺した時と同様、軽口を叩きながら鏖殺人は刀を抜く。

 その様子からは、これから大樹たちを皆殺しにしよう、という強い覚悟は感じられなかった。

 ただ、残業を渋々こなすような、疲労感だけが漂っている。

 

 しかし、それは彼がやる気がない、というわけではない。

 事実、すらりと抜かれた刀身は綺麗に血が拭き取られていて、大樹たちを斬る準備は万端のようだった。

 刀を正眼に構えた姿勢からも、手を抜くようなそぶりは見せていない。


 その様子を見た新が、苦し紛れに声を絞り出す。

 何か口にしなくては、心が押しつぶされそうだったのだろう。


「あの子たちを殺した大量殺人犯が、よくもまあ堂々と生きていられるものだな!その厚顔無恥さ、尊敬するよ!」

「……皆、良い子たちだったのに!」


 中身のない罵倒には、瑠璃も参加した。

 もちろん、鏖殺人はその言葉に何も感じ取らない。


 ただ、ポツリと反論を返した。


「違うな……良い子たちなどではない。彼らは決して、善良な異世界転生者などではない」

「……何でー?」


 ふらふらしたままの一花が、突然明るく問いかける。

 鏖殺人は、彼女の方をちらりと見て、短く返答した。


「簡単だ。異世界転生者は、その存在自体が罪悪であり……敢えて言うなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だからだ」


 そこで、鏖殺人は一歩、踏み出す。


「どうしようもないことに、君たちはまだ生きている。……だから、俺の手で君たちを、『善良な異世界転生者』にしよう。喜んでくれるかどうかは、知らないがね」


 彼の宣言は、静かな森の中で、良く響いた。

 そして次の瞬間、一日ぶりに聞く金属音でそれが遮られる。


 新が怒気を抑えきれぬ様子で斬りかかり、またしても鏖殺人がそれを受け止めたのだ。

 ここに、最終戦が始まった。

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