六話
大樹の期待に反して、クラスメイト達の反応は鈍かった。
広場の中心にいる者たちは、位置が遠すぎて、今なお行われている戦闘が良く見えていないらしく、全員が手持ち無沙汰な様子で佇んでいる。
未だにテントの中で眠っている生徒に至っては、大樹の声を聴いて初めてテントからのそのそと這い出て来ようとする有様だった。
このままではいけない。
新と瑠璃が時間を必死に戦っているとはいえ、鏖殺人がふとこちらにやってくる可能性は十分にある。
危機を伝えるために、もう一度声を張り上げようとした、その瞬間。
大樹の声は遮られる。
「もう遅い」
ほんの少ししか対面していないというのに、もう完全に記憶してしまったその声が、大樹の背後から響いた。
反射的に振り返れば──そこには青い仮面がある。
「ヒッ……」
それを認識した瞬間、大樹は腰が抜け、一花を抱えたままその場にへたり込んでしまった。
やがて、一泊遅れて。
女子生徒たちが、甲高い悲鳴を上げた。
──なんで……ついさっきまで戦って……。
混乱し、不規則に揺れる大樹の両眼はそこである光景を捉える。
すなわち、鏖殺人の背後に認められる光景──いつの間にか、新が何本もの折れた大木に押しつぶされ、瑠璃が必死にそれらを排除しようとしている光景。
この時の大樹は当然知らなかったが、大樹がここに走ってくるまでの間に、鏖殺人は彼らを一時的に戦闘不能にしていた。
もちろん、魔法を扱う新と瑠璃からすれば、せいぜい数分浪費するだけ。
大きな意味合いはない。
だが、その数分は──鏖殺人が碌な戦闘経験も無い中学生たちを殺すには、十分すぎた。
「二十と……九人か、少し多いが、まあいい」
物騒な言葉を呟きながら、鏖殺人は律儀に納刀していた刀を再び抜いた。
その先端に未だ生々しく一花の血が付着しているのに気が付き、大樹はいよいよ腰の力が抜けてしまう。
逃げなければ、ということは分かっているのだが、体が言うことを聞いてくれない。
だが、丁度その時。
「……おはようー。うるさかったけど、何かあった?」
大樹と鏖殺人の間にあるテントから、一人の女子生徒が出てきた。
寝坊の癖でもあるのか、この時になって初めてテントから出てきたらしい。
まだ眠いのか、彼女はテントの入口から首だけを出して挨拶をする。
その姿は、まるでカタツムリのようだった。
あるいは、こう例えてもいいかもしれない。
その姿は、まるで断頭台に首を差し出す、罪人のようだった、と。
鏖殺人の刀が、少し光った。
そして次の瞬間には。
テントの入口には、赤い噴水が上がり。
大樹の足元が、ゴロリ、と丸いものが転がる音を響かせる。
その女子生徒の生首が、ゆらゆらと揺れる音を。
「……う、う、うわああああああああああ!」
恥も外聞もなく、そこで大樹は叫んだ。
それに負けない程の轟音で、後方のクラスメイト達もまた、絶叫する。
ここへきてようやく、彼らもまた現実を認識し────そしてそれぞれが一目散に逃げ始めた。
ここで大樹にとって幸運だったのは、鏖殺人が碌に動かない大樹と意識の無い一花を、脅威対象外とみなしていたことである。
鏖殺人からすれば、森の奥に散っていくクラスメイト達の方が、腰が抜けて動けない大樹よりはるかに殺すのに手間がかかる存在である。
必然的に、優先順位の低い大樹と一花を放置して、鏖殺人は一足飛びに森の奥に向かった。
これにより、大樹は依然として動けないとは言え、僅かながら他のクラスメイトよりも長い余生を手に入れる。
だが、これは大樹にとっては、ある意味不幸だった。
この後に起こった出来事を、全て目撃してしまったのだから。
最初に大樹が目撃した「死」は、逃げようとして転んだ女子生徒のそれだった。
必死に立ち上がろうとする彼女に背後に、瞬間移動でもしたのではないか、と思うほどのスピードで鏖殺人が駆け寄る。
まずその刀が突き刺したのは、足。
これにより、激痛から彼女はもう一度転んでしまう。
それを待っていたかのように、鏖殺人はあっさりと彼女の首を跳ね飛ばす。
包丁で切られた豆腐のように、彼女の首はあっさりと胴体から離れ、血まみれの肉塊と化した。
次に目撃したのは、転んだ彼女を心配して引き返したと思われる、ある男子生徒。
心配した対象が目の前で殺された形となり、彼は現実を受け止めきれずに硬直する。
当然、鏖殺人からすれば、彼は良い的に過ぎない。
全く手こずることもなく、鏖殺人は彼の腹に刀を差し込んだ。
そこからは────もはや詳しい死に方すら覚えていない。
ただ、悲鳴と流血の音だけが森の中に響いていた。
あるクラスメイトは、顔を両断された。
別のクラスメイトは、背中から串刺しにされた。
また別のクラスメイトは、無謀にも鏖殺人に殴りかかり、喉を引き裂かれた。
あるクラスメイトが死ねば、別のクラスメイトが逃げた方向へ走り。
その隙に誰かが逃げようとすれば、石や枝、時には愛刀まで投擲してそれを妨害する。
鏖殺人が森の奥に入ってから、五分がたち。
その五分の間、森では断末魔が鳴りやまなかった。
やがて、鏖殺人はあるクラスメイトの口に刀を突っ込み、最後の断末魔を封じる。
しばし、森は静寂を取り戻した。
代償として、鼻が曲がりそうなほどの、血生臭さで満たされたが。
この時、この瞬間、どれほど長く見積もっても、五分程度の時間で。
鏖殺人は、彩間中学校三年二組の生徒、二十九名の内、二十七名を殺害した。
「……ひ、酷い……」
「な、なんてことを……」
大樹の耳が、久しぶりに断末魔以外の声を捉える。
新と瑠璃が、ようやく拘束から抜け出し、戻ってきたのだ。
五分前に聞いた声のはずだが、ずいぶんと久しぶりに感じた。
「酷い?何故だ?」
そこへ、鏖殺人が悠々と大樹たちのいるキャンプ地中央に戻ってくる。
仮面も、髪も、返り血で真っ赤に染め上げて。
彼が一歩足を踏み出すごとに、死体を踏みすぎた靴は森の草花を赤く変貌させ、緋色の足跡を残す。
「何で、だと……?……っ、お、お前は、何も感じないのか!?み、皆、生きていたんだぞ……何も悪事なんてしていない、普通の人間の、子どもたちが……ここに確かに生きていたんだぞおっ!」
「そうだな、生きていた。だが、異世界転生者だった。服装からして明らかだ」
新の問いかけも、鏖殺人を揺るがすことはない。
その様子を見て、普段は感情をあまり表に出さない瑠璃も、静かに激高する。
「……この、悪魔!」
「何とでも言え。異世界転生者に何を言われようと、痛くも痒くもない」
その一言で完全に怒りが限界に達したのか、新と瑠璃は同時に攻撃を仕掛ける。
瑠璃は、鏖殺人の足元に積もる木の葉の重力を減らしてそれを舞い上がらせ、即席の目隠しを作成。
その隙に、新は再び魔法で強化された筋力で、斬撃を仕掛ける。
キイン、と耳障りな金属音が大樹の耳朶を打つ。
「なっ……」
驚愕の声を漏らしたのは新だった。
無理もない。鏖殺人は新が魔法と剣術を駆使して繰り出した斬撃を、愛刀の細い刀身であっさりと受け止めて見せたのだから。
先ほどの戦いで、当たりこそしなかったが、新の斬撃に対して回避に徹していたとは思えない程の剛力。
結果として、二人は今一度鍔迫り合いの形をとることとなった。
繰り返すが、この世界出身の鏖殺人と、魔力により筋力強化された新の間での、鍔迫り合いである。
幾ら鏖殺人の戦闘能力が高いといっても、普通の人間としてはあり得ない程の腕力だった。
その光景にある種の恐怖を覚えた新は、それを振り切るように怒声をこぼす。
「それほどの力を持ちながら、何故異世界転生者の殺害なんてことに力を注ぐっ……?」
「これが俺の使命だからだ。異世界転生者は、存在すること自体が危険だからな」
「だからと言って……」
新の脳裏に、短い付き合いとなってしまった中学生たちの顔が浮かぶ。
「あの子たちが、どう危険だったって言うんだ……!突然クラスごと異世界転生して、右往左往していただけのあの子たちが……!」
「今は危険じゃなくても、いつか危険な存在になるかもしれない。いつか人間を殺すような存在に成り果てるかもしれない。……現に、『殺されずに成長した異世界転生者』である君たちは、今俺に刃を向けているだろう?」
「戯言を!お前が、こんな虐殺をやるから……戦わなくちゃ生きていけなくなっているだけだ!」
「虐殺……?」
「そうだ!そして、こんな虐殺を繰り返せば……また戦争が起こるぞ!異世界転生者と、お前の間で!」
「……フッ」
新のその言葉に、鏖殺人は明確な反応を示した。
鼻で笑ったのである。
同時に、鏖殺人は刀身を空いた左手で支え、突然新の大剣をかち上げた。
「なっ……」
突然力の均衡が崩されたことに驚いた新は、慌てて距離を開ける。
それを敢えて追わず、鏖殺人は見せつけるように血刀を天に掲げた。
そのまま、瑠璃や新──さらに依然として地面にへたれこむ大樹たちを見据え、口を開く。
「人間は誰一人として殺さない、だが異世界転生者は全て殺す……。それが転生局の使命であり、俺の仕事だ。故に……」
そのまま、異世界転生者二十七名の死体を背後に。
血まみれになって、鏖殺人は言い放った。
「この行為は、『虐殺』でもなければ、『戦争』でもない。そうだな、強いて言えば……ただの、『作業』だ」




