五話
初めて彼の姿を認めた時の一花と同様、大樹もまた、一瞬にして理解した。
眼前の人物こそ、鏖殺人であると。
そのために、鏖殺人が持つ刀がゆらり、と動いた瞬間、大樹はその刀に刺殺される自分の姿を幻視した。
だが、現実にはその刀が目指した先は、大樹ではなく。
気が付いた時には、音もたてず、静かに血飛沫が舞う。
次に、パタパタパタ、と血の雫が近くの木の葉に乗っかって。
その時、ようやく大樹は声をあげた。
「委員長!?」
鏖殺人が最初にしたことは、自分に対して背中を向けている、一花を斬ることだった。
大樹に対して申し訳なさそうな顔をしていた彼女は、一瞬にして体勢を崩し。
状況を理解しないまま、駆け寄った大樹の腕の中に収まる。
「浅すぎたか」
今しがた人を斬ったばかりとは思えない程、冷静な口調。
大樹は、背中から血を流しながら、自分に身を預ける一花の様子をくぎ付けになっていたが、その声が鏖殺人のそれであることはすぐに知れた。
刀の切っ先に未だ生温かい血を滴らせながら、彼がもう一度刀を振り上げたことも。
だが、その動きはすぐに止まった。
標的である、一花が突然に口を開いたのである。
「……な、何で……。私……だけは、大丈夫って。……約束…………」
その一言で、大樹は彼女と鏖殺人がどのような会話を繰り広げたのか、おおよそのことを察した。
大方、クラスメイトの居場所を教えれば、彼女だけは助けてやろう、とでも言われたのだろう。
大樹が状況を理解するのに合わせて、鏖殺人は静かに笑った。
覆面越しではあったが、大樹の位置からでもはっきりわかるほどに。
そして、刀をわざわざ下ろしてまで、あっさりと口を開く。
「転生者法の三項目目では、『異世界転生者は、再誕型、移動型を問わず、グリス王国内であらゆる権利を持たない』、となっている」
それから、傲岸不遜な態度で語りかける。
「当然、口約束を守ってもらう権利も、また、無い。……そもそも、君だって、クラスメイトを裏切ったじゃないか。俺が君を裏切らないと、どうして信じられたんだ?」
その言葉を聞いた瞬間、一花は完全に意識を失い、全体重を大樹に預けた。
傷の浅さから言って、死んだのではないだろう。だが、精神の方は、すでに限界に来ていたのだ。
一花に急に寄りかかられた形になった大樹は、少し姿勢を崩す。
それを見た鏖殺人は、二人まとめて刺し殺そうと、反射的にもう一度刀を振り上げた。
しかし、結果から言えば、この斬撃もまた、阻まれることになる。
「……二人とも、逃げなさい!」
突如として鋭い女性の声が鏖殺人と大樹の間を射抜き、双方の動きを止めさせる。
誰、と考えた瞬間には、空中から「何か」が降ってきて、鏖殺人に衝突した。
──机、と椅子……?
依然として失神した一花を抱えたまま、一歩も動けなかった大樹は、目の前の光景を心中で辛うじて言語化する。
その間にも、次々と机と椅子が空中から降ってきて、鏖殺人に向かって殺到した。
こんなことが出来るのは……。
──瑠璃さん?
ここへきてようやく、大樹は状況を把握した。
どうやら、重力魔法を扱う瑠璃が、空中で輸送していた机や椅子を後方で操作し、鏖殺人を攻撃しているらしい。
その一秒後には、いつの間にか大樹のすぐそばにまで接近していた新の、唸るような叫び声が聞こえてきた。
「ぉぉぉぉぉうおおおおおおおおおおおお!」
気迫に押され、大樹は一花を抱えたまま、横に移動する。
脇にずれてすぐ、先ほどまで大樹たちが立っていたところを、大剣を抱えた新が通過した。
静かだった森の中に、響くはずの無い金属音が反響する。
新が突撃した勢いに任せて振り下ろした大剣を、鏖殺人が刀であっさりと受け止めたのだ。
ぎりぎりと、金属のこすれ合う不快な音が鳴る。
そのまま鍔迫り合いの形に持ち込みつつ、両者は口を開いた。
「……なんだ、『人の翼』の部隊長か」
「……お前はここで殺す!この俺の、名に懸けて!」
「この程度の腕前で、か?」
そう言いながら、鏖殺人はゆっくりと両腕に力を籠める。
たったそれだけの動作で、鍔迫り合いのバランスは変容し、新の持つ大剣が少しずつ押し返されていく。
新とて、決して力を抜いているわけではない。だが、鏖殺人の方が腕力において、完全に新を上回っているのだ。
「『人の翼』も堕ちたものだな、この程度の奴でも部隊長……それもグリス王国内での潜入なんていう、危険任務につくか」
「……っ!俺のことは何とでも言え!だが、ここで何としてもお前は殺す!今まで散っていった仲間のために!」
自分を奮い立たせるようにして新が叫ぶが、劣勢はどうしようもない。
信じられない程の力で、鏖殺人は大剣を、新が振りかぶった時の位置にまで戻していく。
少しずつ、足を進めながら。
やがて、ほとんど互いの胴と胴が接しようか、と言うほどにまで接近したところで。
鏖殺人は、ふっ、と力を抜き、さらに体を脇にどけた。
当然、推し負けないように大剣に体重を預けていた新は、支えを失う形になり、倒れこそしなかったが、体勢を崩した。
鏖殺人はその隙を見逃さず──右足でがら空きになった新の胴体を蹴り飛ばす。
その時に響いた音も、とても人が人を蹴ったのだとは思えない、金属音だった。
足を降ろし、今一度新から距離を取った鏖殺人は、ぼそりと呟く。
「腕が悪いわりに、良い鎧を仕込んでいるな……いや、腕が悪いから、か」
「……ほざけ!」
姿勢を立て直した新は、そこで少しの間だけ目を閉じる。
次に目を開いた時には、彼の両目はわずかに赤く光っていた。
新が、彼自身の持つ「魔法」を発動したのである。
「いくぞおおおおおおおおお!」
魔法を発動させたまま、新は再び大剣を振り上げ、鏖殺人へと向かっていく。
その速度は、先ほどの一撃とは比べ物にならない程速い。
だが、鏖殺人はそれをあっさりと捉え────避けた。
大剣は空を斬り、地面へと突き刺さる。
その余波で、森の大地にひびが入った。
「まだだああああああああああ!」
避けられたことに対する動揺を隠し、新は今度は横薙ぎに大剣を振るう。
新の怪力に遠心力まで加わり、直接当たらずとも、その風圧だけで枝が切断されていくほどの強烈な斬撃。
しかし、鏖殺人はこれを予測していたのか、あっさりと避けた。
そして、また口を開く。
「筋力強化の魔法か……これはまた、地味な魔法を」
「ほざけ!この一撃が当たれば、いくらお前でも!」
自らを奮い立たせ、新は大剣を構える。
そこからは、同じ展開の繰り返しとなった。
新は魔法によって強化された斬撃を次々と放つが、鏖殺人は大した必死さも見せずにその攻撃をかわしていく。
攻撃の余波で地面や大木が何度も割れていくが、そこに鏖殺人が巻き込まれることはない。
一方、避け続けている鏖殺人自身も、刀こそ抜いているものの、新に攻撃はしていない。
互いに攻撃が当たらない、という点では、先ほどの鍔迫り合いと状況は似ている。
二人の戦闘は、一種の膠着状態に陥った。
そしてそれを──瑠璃が崩す。
「……新、巻き込まれないでよ!」
声が響いた瞬間には、瑠璃の攻撃は鏖殺人に届いていた。
重力魔法によって重力を強められ、空中から落下してくる机と椅子。
投石よりもはるかに効果のあるそれらが、鏖殺人に殺到する。
──さっきは焦っていて、浮遊を解除するしかしていなかったから、大した効果がなかった。だけどこれなら……。
後方から魔法の操作を行う瑠璃は、密かにほほ笑む。
仮に傷が入らなくても、隙は生まれる。
そこを新が付けば、自分たちは勝つ。
しかし、鏖殺人は慌てなかった。
汗の一つも垂らさなかった。
ただ、殺到する椅子や机の内、確実に自分に当たるであろう物を視認して。
幾度か、鏖殺人の刀が、陽光を反射して輝いた。
それだけで十分だった。
二十以上あった椅子も、机も、一つとして鏖殺人に当たることはなく────ただ周囲には、切断されたそれらの残骸があった。
「凄い……」
間近に見ていた新は、一瞬、攻撃の手を休めて呆けてしまう。
剣士として鍛錬を積んでいた新が見惚れてしまうほど、その斬撃は正確で、美しいものだったのだ。
後方でそれを確認した瑠璃は、少し動揺した。
しかし、止まっているわけにもいかない。
──じゃあ、これなら!
瑠璃は瞬時に意識を切り替え、机や椅子とは別のものに対して意識を向ける。
中学生たちが異世界転生してきた時、共についてきたものの中で、最重量のもの────黒板。
設置されていたはずの壁の残骸もついているので、重さは二百キロ近くあるだろうか。
瑠璃の魔法によって重力が強められ、その黒板は一直線に鏖殺人に向かう。
だが、同じことだった。
鏖殺人は一度、刀を鞘に戻して、抜刀術の要領でそれを振るう。
次の瞬間には、両断された黒板の残骸が、鏖殺人の両脇に墜落した。
無論、鏖殺人本人にはかすりもしない。
木の葉が舞い、轟音がする中、鏖殺人が語り掛ける。
「無駄だ。その程度じゃ俺は殺せない……異世界転生者は、全て殺す」
──……に、逃げなきゃ!
しばらくの間、目の前で突然始まった殺し合いに呆けていた大樹だが、鏖殺人の注目が新たちに移ったことを察知し、何とか自分を取り戻す。
考えた時には、足が動いていた。
一花を引きずるようにはして、何とかテントの奥にまで走り抜け。
さらに、力の限り叫んだ。
「皆逃げろおおおお!鏖殺人が来たあ!」
そこで一度、恐怖から喉を詰まらせ。
それでも、躊躇いを振り払う。
「俺たちを殺しに来たんだあああ!皆逃げろおおおおおお!」