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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
六章 鏖殺人と漂流者たち
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四話

 朝起きたら、元の世界に戻っていますように。

 叶わないと分かっていても、一応念じておいた願い事は、やはり実現しなかった。


「ん……。背中、痛い……」


 このところ、毎日のように口に出していることを、寝ぼけ眼で再び呟き、水野一花はテントの中で体を起こす。

 これまたいつものことだが、少し身をよじらせただけで、体のあちこちに軽い抵抗を感じた。


 例えてみれば、全身が凝っているような感覚。

 いくら森の地面が雑草に覆われているとはいえ、直にテントを建て、快適に寝られるようにはできていないのだ。


 その痛みと、狭っ苦しい感覚に耐えながら、一花はのそのそとテントから這い出る。

 無論、まだテントの中で寝ている級友たちを起こさないよう、音を殺して。


 ──シャワー、浴びたいな……。


 せめてもの身だしなみとして、髪を手で整えながら、一花はそんなことを考える。

 水浴び中に鏖殺人に見つかっては意味が無いとして、この世界に来て以降、新たちの指示で入浴一つできていない。


 一応、代案として、寝る前に濡れタオルで体をふくぐらいのことはしている。だが、一日中歩き回り、汗まみれになった体を包む不快感は、その程度で消えはしなかった。

 男子生徒はともかく、女子として、この問題はかなり気になる。


 ──もし、あの人たちの言うようにアカーシャ国で保護されたら、真っ先に体を洗おう……。


 切ない願いを抱きつつ、それにつられたのか、一花はふと昨夜見た光景を思い出す。

 クラスメイト達と少し話してから、大樹の元に戻ろうとしたときに目撃した、大樹と瑠璃が親しげに話している光景を。


 それを思い起こした瞬間、一花の思考は、入浴できないことに対して感じたものとは違う、別種の不快感に支配される。

 理由は分からないが、あの二人が並んでいたことに対して、ある種の危機意識が浮かんでならない。

 遠目でも分かった瑠璃の美貌と、それに呆けていた大樹の顔も、一花の不快感を加速させた。


 ──何か、気分変えたいな……。


 自分の心が何やら黒いものに変化していることを自覚し、一花は無理矢理に思考の流れを方針転換する。

 と言っても、辺り一面、見たこともない木しか生えていないこの森で、気分転換のネタなど、そうそうないのだが。

 一つため息をついて、一花はテントに戻ろうとする。


 ──……ちょっと待って。


 心中でぼやいているうちに、ふと思い当たることがあり、一花は足を止めた。

 昨日、大樹と一緒に水を汲んだ場所を思い出したのだ。


 ──体は洗えなくても、顔を綺麗にするくらいは……。


 あの沢の水は、少なくとも料理に使えるくらいには綺麗だった。

 水を飲んだ、自分を含むクラスメイト達も、お腹を壊した様子は見せていない。


 顔を洗っても、危険はないだろう。

 問題は、「指示がない限り勝手に動かないでほしい」と言ってきた、新と瑠璃だが────。


 ──見えてない、よね。


 横目で彼らの様子を伺いつつ、一花は密かに作戦を練る。

 クラスメイト達が眠るテントの群れは、丁度扇のような形に広がっており、彼ら二人は扇の要の位置で見張りをしている。

 扇の端にある一花のテントは、彼らからすれば幾多のテントが重なり、見えにくい位置にあった。


 ──少しくらいなら、一人で言っても大丈夫、だよね?最悪、謝ればいい話だし……。


 その時、顔を洗わせて欲しい、と一花が彼らに相談しなかったのは、何故だったのだろうか。

 十分な説明もせずに、森の中を連れまわす彼らの態度に、いい加減限界を感じていたからだろうか。


 あるいは、こんなことまで報告したくない、と言う反抗心からだろうか。

 はたまた、自分がいない間に、大樹と親しげに話していた瑠璃への対抗心だろうか。


 何にせよ、ここでは結果だけが重要だ。

 この時、一花は一人で沢に向かった。


 魔法も使えず、体術に秀でているわけでもない、普通の中学生が、一人で。

 そのことこそ、重要なのだ。








「あー、気持ちいい……」


 首尾よく沢に辿り着き、コンコンと湧き出る湧き水で顔を洗い、ようやく一花は気分転換が出来た気がした。

 思わず、感想を声に出してしまう。

 依然として、胸元や足にじめじめとした不快感はあったが、それでも顔が綺麗になるだけでも感覚的にはだいぶ違う。


 ──また大樹君と一緒に歩くんだから、多少は、ね?


 明るくなった気分のまま、一花はそんなことを考え、沢の水でできた水たまりで、自分の顔をチェックする。


 ──そういえば鏡を見ること自体、この世界に来てからやってなかったな……。





 そこまで考えた時。

 ふ、と水面に反射される自分の顔が暗くなった。


 表情の話ではない。

 水面に差し込む光の量自体が、急激に減少したのだ。


 まるで、自分の背後に何か大きなもの存在して、日差しを遮ったかのように。

 何故、と考える前に、その声は聞こえてきた。


「推測を信じて、沢で張っていたことが吉と出たか……お前、異世界転生者だな?」


 振り向こうとした時には、既に右の手首を掴まれていた。

 声も出せないままに、背後から右腕をひねり上げられる。


 その動きは一切の無駄がなく、自分の背後にいる存在がそういった行為に慣れていることを窺わせた。

 さらに、一花が苦悶の声をあげる前に、もう一方の腕も背中に持っていかれる。

 気が付いた時には、一花は両腕を後ろに回され、拘束されてしまっていた。


 さらにダメ押しとばかりに、一花にいる存在は、一花の背中に膝を当て、強く体重をかける。

 元々水面をのぞき込めるよう、姿勢を低くしていた一花は、完全に腕を決められたままうつぶせに這いつくばる格好となった。

 それだけでもう、一花は身じろぎ一つできなくなる。


 違和感を感じてから、一花がこの体勢にされるまでの時間は、せいぜい五秒。

 一花の主観としては、ほとんど一瞬だった。


「動くな」


 未だ事態を把握していない一花を叱りつけるように、一花を拘束している存在が声を発する。


「俺は、グリス王国における転生局局長の、ティタンというものだ」


 混乱しながらも、一花は不思議そうな顔をしたのだろう。聞き覚えがない、という意思を籠めて。

 そのせいか、その存在はすぐに言いなおした。


「俺が鏖殺人だ……そう言った方が分かりやすいか?」


 その言葉とほぼ同時に、一花は水面に、自分以外の顔が映っていることに、ようやく気が付いていた。

 目の前に移っているのは、目を見開いた自分の顔と……仮面を身に着けた男の姿。


 両目を隠す仮面。

 鼻から下を覆うマスク。

 首から下は見えないが、襟の様子から見ると、軍服のようなものを身に着けているようだ。


 特徴の全てが一致する。

 常々説明不足だった新や瑠璃が、何度も口にしていた、鏖殺人の特徴と。


 ──鏖殺人ってさ、本当にいるのかな?


 昨日、大樹に問いかけた言葉が、一花の脳内で空しく響いた。


 異世界転生者を殺すために存在するという鏖殺人。

 子どもでも、女性でも、全員を殺してしまうという、鏖殺人。


 その鏖殺人は────実在する。

 今、自分のすぐそばに。


 だとしたら、

 今、その鏖殺人に拘束されている、自分は。

 誰にも言わず、一人でこんな場所にいる──すなわち、助けを呼べない自分は……。


 ──私は……。もう、私は……殺される。


 ゆっくりと。

 だが、確実に。

 一花の思考は絶望で彩られる。


 だから、一花はもはや拘束を振り払おうともしなかった。

 そんな様子が鏖殺人としては好都合だったのか、彼はもう一度口を開く。


「どうせ聞いていると思うが、俺の仕事は異世界転生者を一人残らず殺すことだ」


 殺す、と言う単語の物騒さに、一花の口から「ヒイッ」という言葉がこぼれかける。

 だが、鏖殺人はそれを予期していたらしく、素早く一花の口を右手で覆った。

 無論、左手一本で一花を拘束したまま。


「だが、今回は少しばかり事情が異なる。隠す必要もないから先に言って置くが、俺はもう、お前たちがかなりの大人数でこの世界に来たことを知っている。その全てを殺さない限り、この件での俺の仕事は終わらない」


 そこで鏖殺人は言葉を切り、水面越しに一花の瞳を見つめた。


「一人一人殺していくのも不可能ではないが、俺としては大きな手間だ。……だから、君と取引をしたい」


 少しだけ、鏖殺人の口調が丁寧になり、一花への呼びかけも「お前」から「君」になる。

 そして、その次に一花の耳に届いた言葉は、未だに絶望と混乱が残る一花の思考に、一筋の光明を与えた。


「どうせ、他の異世界転生者の手引きで、固まって行動をしているんだろう?だから……君以外の異世界転生者の居場所を教えてほしい。教えてくれたら、君だけは見逃してあげるよ」






 ちょうどその頃、大樹は、数分前の一花と同様に、テントから這い出てきたところだった。

 時刻は、元の世界で言えば朝の六時と言ったところか。

 冷え込んだ朝の空気が、筋肉痛にあえぐ大樹の四肢を通り抜けていく。


 大きくあくびをして、涙目で周囲を見れば、何人か、自分と同様に起きてきたクラスメイトが、何ともなしにストレッチをしている。

 彼らも自分と同様、全身が筋肉痛なのだろうが、まだ歩かなくてはならない、ということだけは分かっているので、気休め程度だが準備運動がしたいのだろう。

 凝視してみれば、新や瑠璃も参加しているようである。


 ──一応参加しておくか……。


 そう考えて、足を踏み出そうとした時。

 大樹の背後で、ガサリ、と物音がした。

 大樹の背後にはテントが並んでいるのだから、取り立てて奇妙なことでもないのだが、何となく大樹はその音につられ、振り返ってみる。


「あれ、委員長?おはよ、う……」


 大樹の挨拶が、途中で止まる。。


 ふらついた足。

 焦点の合わない瞳。

 髪は朝だということを差し引いても、異様なほどにぼさぼさで、なおかつ口は半開きである。


 一花の姿は、何から何まで異様だった。

 彼女の開いた口から、よだれがツーっと垂れていくのを見て、大樹はようやく、「何かあったらしい」と感じて、血相を変える。


「委員長、何が……」

「大樹君、私ね」


 大樹の言葉にかぶせるようにして、一花は口を開く。


「私ね、どうしても死にたくなくてね。すごく、すごく怖くてね、それでね」

「委員長……」

「ものすごく怖くてね、だけど、怖くなくするって、あの人が言ってね、だからね、私ね、私ね、私ね」

「委員長、だから、何が……」

「私、クラスのみんなのことも、よく知らなくてね。新さんとか、瑠璃さんとか、もっと知らなくて、だから、信頼なんてできなくて……」

「委員長!ちょっと、何を言っているのか、さっぱり……」

「私ね、何度も言うけどね、凄く怖くてね……。仕方ない、よね?」

「ちょっと、少し黙っ……」

「だから…………ごめんね、大樹君」

「え?」

「ごめんね、ごめんね、ごめんね……」


 そこで、一花はするり、と体を脇に滑らした。

 背後にいる何かに、道を譲るように。


 それ故に。

 そこで初めて、大樹は一花の背後に隠れていた、「彼」の姿を見た。

 同時に、一花の言葉の意味も、だいたい理解した。


「ここか、異世界転生者たちの巣穴は……」


 鏖殺人が、滑らかな動作で刀を抜く。


「協力、感謝するよ。……さて、面倒くさいが、皆殺しと行こうか」

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