三話
大樹たちが水汲みから帰ってすぐ、夕食を取ることになった。
と言うよりも、元々夕食を取ろうとしていたが、大樹たちがいないことに気が付いて、待っていてくれたらしい。
さすがに申し訳なさを感じ、大樹は一応クラスメイト達に向かって謝罪したが、大きな反応は帰ってこなかった。
「怒ってるのかな?」
「いや、皆疲れているだけだろ」
隣から小声で問いかけてきた一花に応じつつ、大樹は周囲を見渡す。
水汲みの間に、テントの設営は終わったらしく、十以上のテントが森の中に並んでいる。
それだけなら、現実世界のキャンプ場とそう変わらない光景だが、生憎とテントに集う人々の表情は、キャンプを楽しむ家族のそれとは大きく異なる。
一日中歩き通しだったことにいい加減疲れ切っているのか、死んだような顔で夕食のシチューをすする様は、中学生というよりも、ホームレスのそれに近い。
加えて、雰囲気も悪い。
体以上に精神が疲労してしまっているのか、禁止されたわけでもないのに、誰も会話しない。
唯一、シチューを皿に注いでいる新だけが、陽気にクラスメイト達に話しかけている。
しかし、誰も碌に受け答えをしないため、雰囲気は明るくなるどころかむしろ寒々しくなっている。
──失礼な例えになるけど、難民キャンプってこんな感じじゃないのかな?
実際に難民キャンプを見たことがあるわけではないが、大樹の脳裏にはなぜかそんな言葉が浮かんできた。
そうこうしているうちに、大樹と一花にも新たちが夕食を運んできた。
「さあ、しっかり食べろよ、少年少女!大盛にしておくから!」
この状況で何が楽しいのか、ニコニコしながら新はさらにシチューを注ぐ。
その上に瑠璃がパンを乗せると、こちらは無表情のまま大樹たちに差し出してきた。
隣にいる一花が、「はあ……」と生返事をしているのが、嫌に印象に残った。
まだ混乱が残っていた一日目、二日目の夕食時は、不安が口を開かせるのか、穏やかではなくても、クラスメイト間にある程度会話があった。
だが、なまじある程度状況に慣れてきたことが災いしたらしく、三日目の夕食時は、耳鳴りがしそうなほどに静かだった。
配膳時と同じく、新の周囲だけ騒がしく、それがまた周囲の静かさを強く感じさせる。
静寂の中、鏖殺人に見つからないよう小規模に作っている焚火が、パチパチとはぜる。
大樹には、その音すらも轟音のように感じられた。
しかしそんな状況でも、さすがに静かさに嫌気がさしたのか、三十分もするとぽつぽつと会話が生まれてくる。
気が付けば、一花も大樹の知らない友人の元へ向かっていた。
決して悪いことではないのだが、こうなると必然的に────。
──俺、話す相手がいないな。
細い倒木を椅子代わりにして腰を下ろし、残り少なくなったシチューを口に運びながら、大樹は心中でぼやく。
何となく、初日の流れから一花が話し相手になってくれていたため、その一花が去ってしまうと、大樹としては本格的に話す相手がいなくなってしまう。
元々、余り友人が多い方でもないのだ。
顔見知り、というレベルの人物はこの場にも何人かいるが、生憎と親交を深める前に異世界転生してしまったため、親しく話せるほど仲が良くはない。
結局、暇になった大樹は空になったシチューの皿を脇に置き、意味もなく虚空を見つめる。
次の瞬間、突然降りかかってきた疑問に生返事した時も、その態勢のままだった。
「……隣、座ってもいい?」
「いいですよー」
間抜けな話だが、適当に返事をしてみて初めて、大樹はいつの間にか隣に誰かいることに気が付いた。
何ともなしにそちらを向いて──大樹は目を剥く。
視界に入ったのは、大きな中折れ帽と黒いローブ。
つい一時間前に、一花と共に「信頼できるかどうかわからない」と話した対象である、長谷川瑠璃がそこにいた。
──意外と、綺麗な人だったんだな、この人。
最初に大樹の脳裏に浮かんだのは、そんなどうでもいい感想である。
だが、考えてみれば、間近に彼女の姿を見たのは、三日間でこれが初めてだった。
せいぜいが、先ほどのように料理を配ってもらい、数秒間会話するくらいである。
まず、その容姿に意識が向くのも、致し方ない話ではあった。
そして実際、遠目では分からなかったが、瑠璃はかなりの美人だった。
異世界でどう手入れしているのかは分からないが、綺麗に伸びた黒い髪に、森の中を歩き回っているにもかかわらず、一切汚れを見せない白い肌と、異様なほどの美しさをたたえている。
現実世界で、モデルと言っても通用しそうなほどだった。
惜しむらくは、衣装のせいでその美しさが分かりにくいことだが、それでも長いまつげを揺らし、小さく吐息をつくさまは、映画のワンシーンのようである。
また、まじまじと見つめているうちに、何となくかなりと年上だと思っていたが、実際には、彼女はもっと若いことにも気が付いた。
恐らく、二十歳にもなっていないだろう。高く見積もっても、十八歳くらいか。
「……水汲み、遅かったみたいだから」
どこか言い訳染みた様子で、瑠璃はぼそぼそと話しかけてくる。
その声は相変わらず小さく、こんなにも辺りが静かでなければ聞き逃しかねない程だった。どうやら、あまり話すことが得意なタイプではないらしい。
いつも、少しばかりの沈黙を挟んでから話し出すことからも、それが分かる。
「……何か、水汲み中にあったのか、聞きたくて……」
「いえ、別に……。何も、ありませんでしたけど」
嘘をつく。
さすがに、本人を前にして「あなたを疑っていたら時間が過ぎました」とは言えない。
彼女たちに食事から何から頼り切っている現状、機嫌を損ねては不味い。
だが、瑠璃はその返答で何かを察した様子で、ん、と一つ頷いて自身のあごに手を添えた。
そのまま、ポツン、と呟く。
「……私と新が、信じられない?」
大樹の頭の中を覗き見たのではないか、と思うほど、鋭い問いかけ。
思ってもなかった不意打ちに、大樹は一瞬息が止まった。
「いえ、そんな、まさか……」
「……いい、分かるもの」
反射的に、震えながら口をついた言い訳をあっさりと封じ、瑠璃は静かに大樹を見据える。
「……私たちも、そうだったから」
異世界転生者として、自分たちよりも先輩であるという、新と瑠璃。
そんな彼らが、元の世界ではどのように暮らしていたのか。
いや、そもそもどういった経緯でこの世界に来たのか。
本来、最初に意識を向けるべきそのことを、この時点まで全く考えていなかったことに、大樹は初めて気が付いた。
その衣装や、この世界に知悉した様子から、彼らも元は自分たちと同じ世界に生きていたという事実が、実感できていなかったのだ。
「どんなふうにこの世界に来たんですか。その、瑠璃さんの場合は」
その質問は、驚くほど滑らかに出てきた。
もう、言葉が震えることもない。
「……私は、十年前にこの世界に来たの」
瑠璃の方も、やや唐突ともとれる大樹の質問に、スムーズに答える。もしかすると、問いかけられることを予測していたのかもしれない。
「……私、今十八歳なんだけどね。八歳の時、山登りの最中に、足を滑らせたのが最後の記憶。多分、その時に私は死にかけて、この世界への『門』を開いたんだと思う」
「死にかけて……?」
「……この世界へとつながる『門』は普通、元の世界で死にかけた人間の前にのみ開く。理由は分かっていないけど、そういう風になっているの。まあ、突発的に門が開くこともあるけどね」
自分たちは後者だな、と大樹は一人ごちる。
あの教室の中に、クラスメイト全員を瀕死にさせるような因子があったとは思えない。
「……話を戻すね。私は当時、小学生だったから、当然何が起こったかもわからなかった。ちょうど、今みたいに森の中に佇んでいてね。本当に、そのまま餓死していてもおかしくなかったと思う」
「だけど、そうはならなかったんですね」
「……うん。新が来たから」
その言葉と共に、瑠璃は焚火の方向──相変わらず少し浮いている、新の方に視線をやる。
その視線に、憧憬や尊敬、あるいは親愛と言える感情がこもっていることに、大樹は気づいた。
「……新は、私よりもすこし先にこの世界に来ていてね。当時から転生者結社─私たちみたいな異世界転生者が、自分を守るために集まってできた組織─に所属していたの。作戦の一環でたまたま森の中を新が歩いていて、見つけてくれた」
「ちょうど、俺たちみたいに、ですか」
「……そう。そしてその後も、同じ。新は『保護する』と言ってくれたけど、私は小さかったから、何を言っているのか分からなくて……。たくさん、迷惑かけた。どう判断して、どう考えればいいのか、分からなかったし」
瑠璃は、具体的なその「迷惑」の内容については語らなかった。
「だけど、結果から言えば、そこで新さんについていったのは……その人の翼とか言う転生者結社に入ったことは、正しかったんですね?」
「……うん。もしかしたら、他の道もあったかもしれないけれど、私はそう信じている。色々あったけど、私は今確かに生きていいる。それに……」
ちょうどそこで、瑠璃は大吾に視線を戻した。さらに、その視線に少しばかりの熱を込める。
「……それに、今、私はあなたたちの力になっている。生きる手段を与えることが、出来ている。だから、約束できる。あなたたちを絶対、鏖殺人に殺させやしない。アカーシャ国にまで安全に連れて行くって」
それだけ言うと、少し恥ずかしくなったのか、瑠璃はすぐに立ち上がって、小走りで去っていった。
なんだか、唐突に過去を語って、唐突に消えていったな、と、大樹の中の冷めた部分が考えた。
だが同時に、大樹は、励ましてくれたのかな、とも感じた。
それから少したって、新たちを見張りに立て、大樹たちは就寝することになった。
このために、大樹はこの夜、ほとんどクラスメイト達と話していない。
瑠璃の過去の話を聞いただけだ。
だが、しかし。
この夜、大樹は、瑠璃を振り切ってでも、クラスメイト達と会話するべきだったのだ。
彼らとは、もう、その機会がなかったのだから。
クラス全員で夕食を取るなど、この夜が最後だったのだから。




