一話
六章の語り手:彩間中学校三年二組生徒 赤城大樹
足を一歩踏み出せば、地面に生える草花が靴の底を押し返してくる。
この感触自体には、一日もすれば慣れた。
森の中を歩き回っている以上、こんなことを一々気にしてはいられない。
しかし……これらの植物が「地球」には決して存在しない種であることを考えると、赤城大樹は妙な気分になった。
地球のどんな偉い学者でも知らない植物を、自分が足蹴にしていることにシュールな感覚を抱くというか。
この感覚にも、次第に慣れてくるのだろうか。
「……大樹君、どうしたの?」
大樹が変な顔になっていることに気が付いたのか、彼の前を歩いていたクラスメイト────学級委員長の水野一花が、振り返って声をかけてくる。
眉を下げてこちらを見つめる彼女の姿は、いかにも人がよさそうだ。
大樹たちが森の中を歩き続けて、既に丸二日が経過している。
彼女も余裕は無いはずだが、それでもこうしてクラスメイトのことを気遣えるのは、やはりその人柄によるものなのだろう。
厚意を無駄にするわけにもいかず、大樹は苦笑いと共に頷いた。
「ありがとう、委員長。別に、体調が悪いとかじゃないんだ。ただ、未だに現実味が無いってだけで…………」
「そうね、うん……本音も言えば、私もそう」
すぐに同意を示して、そのまま一花は少しだけ目を閉じた。
改めて、この現実を自身に染み渡らせるように。
「私たち……クラス全員で、異世界に来ちゃったんだもんね」
彼女の言葉に突き動かされるように、大樹はふと辺りを見渡す。
本当なら、大樹の目に映るのは中学校の教室風景であるはずだった。
クラスメイト全員が揃っている以上は、そういう場に居るのが普通なのだから。
しかし当然、見えるのは周囲を覆いつく森。
そして、異形の木々の下で列を作って歩く大樹のクラスメイトたちだけだった。
彩間中学校・三年二組。
大樹や一花を含め、人数は二十九名。
彼らは皆、二日前に「クラス丸ごとでの異世界転生」なる現象を経験した異世界転生者たちだった。
「……漫画やアニメとかだとさ、異世界転生に選ばれるクラスってもっと派手なクラスだよね」
森の中を歩き続けながら、一花は再び大樹に話しかけてくる。
口を開くと余計に体力を消耗することは理解しているのだが、それでも無言のままでは、ストレスがたまるらしい。
仕方なく、大樹の方も中身のない会話に応じる。
「詳しくはないけど、何か分かるよ。クラスの中にゴリゴリの不良がいたり、スポーツ万能な生徒がいたりしてさ」
「そうそう。それで、元の世界にいた時に得意だったことを生かして、異世界でも戦うの。そのせいで内部分裂とかも起きてさ」
「ガリ勉だった奴が賢者になったり、柔道部の奴が格闘技を極めたりするんだよね」
「うん、そんな感じ。でも、別に悪口じゃないけど……うちのクラスって、そんなんじゃないよね」
言い終わると同時に、一花は少し首を回して自分についてくるクラスメイトたちを眺めた。
そして、漫画やアニメの主人公たちとの差に眩暈がしたのか、苦笑いを浮かべる。
大樹としても、彼女と同意見だった。
大樹たちの所属するクラス────三年二組の生徒は、極めて大人しい人間が大半だ。
今だって決して現実を受け入れた訳ではないにも関わらず、黙々と森の中で足を運んでいる。
我を出して暴れるとか、クラス内で分裂するとか、そんな展開はこの二日間に見られはしなかった。
こうなった理由を考えてみれば────。
「でもそれはやっぱり、時期が時期だからじゃない?始業式の直後に異世界転生なんてしちゃったから、まだ遠慮があると言うか……お互いのことをよく知らない以上、揉めようがないんだろう」
「かもね。ある意味では、タイミングが良かったのかもしれないけど」
納得したのか、一花は浅く笑う。
大樹たちがこの世界に異世界転生してきた日……大樹たちが地球で過ごした最後の日は、この三年二組が初めて集まった日だった。
クラス替えの直後、三年生の生活がこれから始まるぞ、という日だったのだ。
しかしまだまだ互いに慣れていないのか、三年二組は始業式が終わるまでの間、ずっと静かだった。
せいぜい、元々クラスが同じだった友人とぼそぼそ話すくらい。
大樹が一花とこうして普通に話しているのだって、二年生の頃、一緒に委員長をしていた事があったからだ……そうでなかったら、こんなに話すことは無かっただろう。
加えて、有り得ない状況に置かれた人間は得てして黙る。
だからこそ、「始業式が終わって教室に入った瞬間、教室の床がいきなり輝いて、全員で異世界転生してしまった」という状況にある大樹たちの雰囲気は、沈黙に支配されていた。
そうして黙ってるからこそ、全員の表情が暗く見えてしまい、華が無いように見えるのだ。
────ただしこの沈黙には、もっと大きな理由もあったが。
「あの人たちの存在も大きいんじゃない?」
大樹がそう言いながら、「もっと大きな理由」の方に視線をやる。
彼に釣られたのか、一花もそちら……列の一番前を見つめた。
彼女の視線の先には、自分たち中学生よりもずっと年上である大人二人の姿がある。
一人は、身長が二メートル近くはあろうかという男性。
全身を固そうな鎧で包み、背中や腰に大剣やナイフを装備している彼は、背中だけでも十分に戦士の風格を醸し出している。
それこそ、漫画やアニメに出てくる重騎士の姿そのものだ。
一方、彼の隣に居るもう一人の大人は華奢な女性だった。
身長は低く、自分たち中学生とそう変わらないかもしれない。
しかし服装に関しては、学生服姿の自分たちとは比較にならない程に奇抜である。
彼女が頭に乗せているのは、中ほどで折れた三角帽。
右手に持つのは、先端に宝石を配した古い杖。
首から下は黒いローブで……要するに、ハロウィンの仮装めいたコテコテの魔女衣装だった。
もしもこれが地球なら、こんな衣装の二人組と関わることはそうそうないだろう。
しかし現在、大樹たちは彼らを全面的に信じて行動していた。
だからこそ、急な出来事の割に全員が沈黙を守って動いているのだ────そう思ったところで重騎士風の男性が急に振り返り、ニカッと笑ってから大声で呼びかけた。
「三年二組の諸君!君たちにとっては辛いと思うが、これもせいぜいあと三日の辛抱だ!このペースだと、もう三日でグリス王国とアカーシャ国の国境線に辿り着ける!そこを越えれば、鏖殺人だって手を出せない!君たちは自由の身になれるんだ!そこまでは、俺たちが責任をもって護衛する!」
森の木の葉がびりびりと震えるくらい、大きな声だった。
流石に気になったのか、隣に居た魔女風の女性が注意をする。
「……新、声は小さめにして。鏖殺人に通報されたら元も子もない」
「分かってるよ、瑠璃。ただ、昔の自分たちを見ているみたいで、どうしても気になっちゃったからさ」
「……これから気を付けるなら、いい」
それだけ言って、魔女風の女性────長谷川瑠璃は口を閉じた。
一方で重騎士風の男性────中島新は、もう一度前を向く。
新と瑠璃。
彼らこそ、この世界に来て混乱していた大樹たちを保護した人物だった。
十年前に異世界転生して以来、ずっとこのアレルという世界で生きてきた、大樹たちにとっては先輩となる異世界転生者である。
先達なだけはあり、彼らの野営スキルは素晴らしい物で、昨夜はたった二人で大規模な焚火と料理を用意してくれた。
異世界で路頭に迷っていた大樹たちからすると、二人は命の恩人なのである。
もっとも、未だに彼らの全てを知っている訳ではないけれど────気になっていることについて議論したくて、大樹は一花に話しかけた。
「どんな組織なのかな?あの二人が所属している、転生者結社『人の翼』って」
さあね、と一花は軽く流した。
未だに教えてもらっていない以上、答えようが無かったのである。
────彼らの歩く場所から遠く離れた、しかし同じ森の範囲内において。
適当なところで早馬から降りた鏖殺人は、連れてきた転生犬のハウを森の中に放しているところだった。
少し前、転生局に伝書カラスによる通報が届いた。
何でも、この森の中では二日前に「今まで見たことがない程のとんでもない雷」が目撃され、「バタバタと大量の何かが落ちて来たような音がした」のだそうだ。
通報者本人は怖くなって逃げたらしいが、後から気になって知らせてくれたのである。
これが本当にただの雷だったのなら、鏖殺人が出張る必要はない。
しかしその落雷が、<門>の発生に伴う放電現象だったのなら、話は別だ。
この間の会議中に起きたドタバタ──鏖殺人が倒れたしまったこと──もあって出遅れてしまったが、異世界転生者が来ているのであれば、迅速に対応しなければならなかった。
そんなことを考えていると、ハウがキャンキャンと吠え始める。
森の奥で何かを見つけたらしい。
急ぎ足で、しかし焦ることがないように気を付けつつ、鏖殺人はそこに向かった。
「これは……炭か?」
ハウが掘り起こした物品を見ながら、ポツリと呟く。
そこには、明らかに植物やただの土ではない黒い塊が存在していた。
この場所は人の出入りが少ない山奥であり、また山火事も起きていないのに、土中に炭が埋まっている────この奇妙さに対して、鏖殺人は経験からすぐに答えを見出す。
「要するに、誰かがここで焚火をしたんだな。だから、地面に炭が残ってしまった……それをわざわざ埋めてあった以上、ここで焚火をする人間が居たことを隠したかったようだ。しかし、あまり深い場所に埋めてはいない。恐らく、深く埋めるだけの時間が無かったんだろう……つまりは、急いで移動している訳だ」
ブツブツと推理をしながら、彼は納刀したままの刀で炭をほじくってみる。
すると、炭の中に細長い串のような物が混ざっているのが分かった。
よくよく観察すれば、ここには結構な数の串が埋まっているらしい。
「焚火で夜の明かりを作ると同時に、その人物たちは食事をした。この串は、川魚や山菜を刺すために使ったんだろう。串の量からして、食事をしたのは結構な大人数……」
目撃証言と、目の前の証拠品。
それらを組み合わせて、鏖殺人は迅速に結論を導き出した。
「放電の規模から言って、恐らく何十人もの人間が潜ることの出来る巨大な<門>が発生した。そして数十人の移動型異世界転生者が現れ、この森の中を移動しているんだろう。急いで移動していることからすると、移動型であるはずなのに既に俺の存在を知っているようだ。察するに、アレル在住の何者かが転生局について教えたんだろう。だからこそ、全員で俺から逃げ続けている……」
大規模異世界転移は久しぶりだな、と彼は最後に呟いた。
そして、気合を入れ直すように仮面の位置を調整する。
「復帰早々、一大事だな。転生憲章第六十六条について、あれ程揉めたばかりだ。もしも国境線を超えられたら、引き渡しはまず成立しない……他国に逃げる前に、皆殺しにしないといけないじゃないか」
彼の足元では、ハウが一仕事終えたような顔で自発的にケースに戻る。
ハウが欠伸をすると同時に、ケースを抱えた鏖殺人は早馬へと飛び乗った。




